白毛のミークと俺 作:BT
―――約八ヶ月前 中央トレセン学園・旧第三野外ステージ。
震える手を私の手に重ねながら、ミークはじっとこちらを見つめている。
自分と契約して欲しい、その答えを聞くために。
私は迫られる。
ミークの未来を壊してしまった罪、その償いのために罪を重ねるか。
それとも、犯してしまった自らの罪から背を向けて逃げ出すのか。
その決断を。
……だが、どちらを選んでも、待っているのは地獄だ。
唾液を飲み込もうとするが、口の中も渇いている。
ここでの正解は、逃げ出すことだろう。
何も答えず、この手を振り払い、立ち去ればいい。
そうすれば少なくとも責任からは逃げられる。
「―――……ッ」
だが、彼女のアメジストの瞳から目を逸らすことができなかった。
私は無意識に、答えを先送りにするための時間稼ぎを口にする。
「……一つだけ、聞かせてもらえないかな?」
喉の奥が焼けるように熱い。
掠れた声で、私は言葉を紡ぐ。
「君がさっき言った、『伝説になりたかった』という言葉……。それを、もう少し詳しく聞かせて欲しいんだ」
ミークは私の手に自分の手を重ねたまま、拒絶されることを恐れるように一度だけ俯いた。
そしてゆっくりと顔を上げ、夜空の向こうにある何かを見つめるように深呼吸する。
彼女はしばらく目を閉じ、心の中にある形のない想いを言葉に変換するように、ぽつり、ぽつりと語り出した。
「……白毛のウマ娘」
その言葉が、静寂に落ちる。
「白毛で、本当に速いウマ娘なんて……おとぎ話や、神話の中だけ。それか、本当はいない伝説上の存在だって、みんな言う。芦毛の娘よりもずっと、白毛の速い娘なんていないって。誰もが、そう口にする……」
彼女の細い指先に、力がこもる。
「私は、試験はギリギリだったけど、珍しいから……ただ、珍しい色をしているからっていう理由もあって、この学園に入学できた。選抜レースで勝てなくても、ここにいられた。でも、私は……『珍しいだけのウマ娘』になりたかったわけじゃ……ない」
ミークの瞳に、夜の闇を焼き切るような鋭い意志が宿った。
「だから、伝説になろうと……思った。誰かが作ったお話じゃなくて、今ここに、現実に走っている……本物の伝説になってやろうって、思った」
白毛ゆえの偏見。
希少さゆえの侮り。
私は、彼女の手の震えに混じるのが、単なる「不安」だけではなく、行き場のない「渇望」も含まれていたことを感じた。
「それで、伝説、か……確かに、これ以上なく叶え甲斐のありそうな夢だ」
夜空を見上げながら、私は視界が滲むのをこらえてそう言った。
彼女の純粋すぎる渇望が、私のどす黒い自責の念を優しく、それでいて残酷に突き刺す。
おそらく私がいなければ満たされるはずだったのだ、その望みは。
ミークも私に倣うように空を見上げた。
手を伸ばせば掴めそうなくらいに、月が輝いている。
「……トレーナーさん」
「……何かな」
「諦めなければ……夢は……叶う?」
「……どうかな。私は一度、夢を諦めてしまった人間だから。無責任にそうだとは、言えないな」
私の不甲斐ない答えに、ミークは表情を変えずに問いを重ねる。
「いっぱい走って、いっぱい勝ちたいって……願っていれば、いつかセンターで踊れる?」
「……それは―――」
「他のウマ娘の何倍も努力すれば、この脚は……誰よりも速くなる?」
私は、答えることができなかった。
トレーナーの端くれであれば……いや、そうでなくても知っている。
この世界には理不尽なまでの「素質」の壁があることを。
努力だけでは叶えることができない夢など、腐るほどあることを。
「……私は昨日まで……諦めなかった。ずっと願ってた。たくさん、たくさん……努力した。でも、これが現実。選抜レースでも入部テストでも、模擬レースでだって……一度も、勝てなかった」
ミークの言葉が、冷たい夜風に乗って私の心に突き刺さる。
彼女は自分の細い脚を見つめ、静かに、確信を持って言った。
「でも、それは多分……足りなかったから」
「足りなかった……?」
「そう……何が足りなかったのか、今ならわかるよ」
「……興味があるな。よかったら、教えてくれないか」
ミークは顔を上げ、私の瞳を真っ直ぐに射抜いた。
「信じる人と、信じてくれる人」
――ッ。
返事に詰まった。
彼女が求めていたのは、効率的なメニューでも、最新の設備でもなかった。
ただ、自分という存在を、根底から肯定してくれる「魂の伴走者」だったのだ。
「トレーナーさんは、私には素質があるって言ってくれた。私はすごいウマ娘だって言ってくれた。どんなレースにも出られるし、勝って、どんなウィニングライブも踊れるって……言ってくれた……」
ミークは、私がさっき吐き出した言葉を一つずつ、宝物を数えるように噛みしめて繰り返した。
「私を担当したいって、言ってくれた……」
そして、彼女は最後の一節を、祈るような響きを込めて口にした。
「それは……私を信じていないと、言えない言葉……。嘘だった?」
「……っ。いや。嘘じゃない。断じて」
反射的に答えていた。
私の「目」は、彼女が最強になれることを証明している。
私の「前世の記憶」は、彼女がライバルとして立ちはだかる未来を知っている。
彼女を信じる根拠なら、私の内側に、嫌というほど積み上がっているのだ。
「私も、信じるよ。昨日はじめて会ったのに、変だけど……信じる……よ。だって、いま、すごく心が満たされてる……こんな気持ち……生まれて初めて」
その言葉が、私の心の堤防を、あっけなく決壊させた。
なぜ、涙が溢れてくるのか、自分でもわからなかった。
一度壊してしまった世界への謝罪か、あるいは、こんな私を「信じる」と言ってくれたハッピーミークへの、救いようのない感謝か。
「……う、ああ……」
鼻の奥がツンとして、喉が震える。
大の大人が、人前で、みっともなく顔を覆って泣き始めた。
すると、ミークは驚いた様子も見せず、そっと私の頭に手を添えた。
小さな、けれど温かい手のひらが、私の髪を優しく撫でる。
「……よし、よし」
あべこべだ。
導くべきトレーナーが泣き、導かれるべきウマ娘に慰められている。
だが、この時、私は確かに感じていた。
心の底で、ドス黒くも光を放つ覚悟が湧き上がってくることを。
たとえこの先、世界をどれほど歪めることになっても。
ハッピーミークが「伝説」になるために、私のすべてを捧げたい。
このウマ娘の……ハッピーミークの夢を叶えたい。
これはまぎれもなく、いまここで、私の中に生まれた願いだ。
そしてそれを叶えるために必要なのは、罪の意識を背負ってでも、さらに世界を壊していく覚悟。
果たして自分にそれができるのか……自問自答を繰り返す。
答えは出ない。
……だが。
このまま罪を償わず、この世から消えるか。
あるいは、罪を重ねることでしか果たせない贖罪の道を進むか。
その選択なら、私にもできる。
「……最後に、確認しておかなければならないことがある」
私は、自分でも驚くほど落ち着いた声で彼女に告げた。
涙と共に、泥濘のような罪悪感も自己嫌悪も、一時的に流れ落ちてしまったのかもしれない。
私の心は、晴れやかというよりは、空虚な空白に支配されていた。
ミークは頭を撫でる手を止め、じっと私を見つめている。
「代償の話だ」
ミークのアメジストの瞳が、真っ直ぐに私を射抜く。
「私はきっと、君の夢を叶えることができる……いや、必ず叶えてみせる。だが、その道は、他のトレーナーやウマ娘たちからすれば、恐怖すら感じるほど異常な道だ」
私は一言一言を、彼女の魂に刻み込むように紡ぐ。
「当然、法に触れるような不当な真似はしないつもりだ。……だけど、私の指導の下で君が進む道では、普通のウマ娘が手に入れるはずの、大切な友達や、温かい思い出、誰かとの純粋な絆……そういったものを、何一つ育めない可能性が極めて高い。君は、孤独な怪物として走り続けることになる。
誰かの夢を、何千、何万という人々の願いを、ただ無慈悲に踏みつけ、踏みしめ、踏み越えていく三年間。その果てに、君の手に残るものは、本当に……ただ手から溢れるほどの『冠』だけだ」
ミークは目をそらさない、ただ静かに私を見つめている。
「……それでも、私の担当ウマ娘になってくれるかい?」
私の問いに、ミークは迷いを見せなかった。
彼女は、これまでの日々を思い出すように、小さく、淡い微笑を浮かべた。
「……何も手に入れられなかった私からしたら……それでも、多すぎるくらい」
そう言って、彼女は再び、私の手を強く握った。
「……よろしくお願いします、トレーナーさん」
契約は、成った。
夜の帳が降りた朽ちかけたステージで、伝説となる
ウマ娘。
彼女たちは走ることによって、人生の物語を紡いでいる。
その物語をとても美しく、力強く、素晴らしいものにするために。
もっとも、
だが、主人公はあのハッピーミークだ。
かつて桐生院以外誰も育成できなかった、白毛のウマ娘。
なら、どんなにひどい脚本でも、ただそれだけで最高の物語となる。
私が、何に代えても、命を賭してでも。
誰も見たことのない、この世界でしか見られないであろう、唯一の物語にしてみせよう。
---
--
-
「やはりここだったか、ミーク」
「……見つかってしまいました」
ステージの上でステップを止めた彼女が、白く細い息を吐きながらこちらを振り返る。
月明かりを反射する白毛の輝きは、あの日よりもずっと鋭く、神々しささえ帯びているように見えた。
「G1という最高の舞台で、
十二月の朝日杯フューチュリティステークス、そして年末のホープフルステークス。
二つのG1を、彼女は一切の追随を許さない圧倒的なパフォーマンスで制した。
デビューからわずか半年足らずで、ハッピーミークの名は日本中のウマ娘ファンに、驚愕と、あるいは一種の「異様」さをもって刻み込まれている。
「……ここが好きだから」
「まあ、その気持ちはわかるけどね」
ミークは私の返事を聞くと、改めてダンスの練習を再開した。
私は最前列の硬い石の椅子に座り、ミークのダンスを静かに見守る。
……あの日から、なにが壊れて、なにが消えていったのだろうか?
幸いといって良いのかはわからないが、ネームドのウマ娘はあまり確認できていない。
いずれ入学はしてくるのかもしれないが、それはまだわからない。
ああ……もしかしたら、シンボリルドルフが生徒会長になってからかもしれないな。
まずはトレセン学園が、ゲームと同じような
……世界……世界、か。
最近になって感じることがある。
シンボリルドルフが生徒会長になると決めて、恐らくそうなるように。
この世界には、
当然、誰かが死んで蘇るといったことはないのだろうし、マルゼンスキーがG1に出走して勝利した歴史は変わらないだろう。
だがある程度の歪みであれば、もしかしたら自然に
それこそ、なにかが起きて、本来のトレーナーである桐生院がハッピーミークを育成することになるよう、
そうなったら、私はどうするのだろうか?
……馬鹿馬鹿しいことだ、今更だ、ふざけた考えだ。
あの日の私の覚悟は、ミークを伝説にするという決意は、そんなことで揺らいでたまるか。
……だがもし。
その覚悟も決意も変えることなく、
それはきっと、私にとって蜘蛛の糸となるだろう。
たとえ危険なことだとわかっていても、掴んでしまうに違いない。
……ずいぶんと甘い考えだ。
未だくすぶり続ける罪の意識が、都合の良い妄想をかき立てる。
そんな愚にもつかない考えを巡らせているうちに、やがてミークはダンスを終えた。
ステージの中央で止まった彼女に対し、私は惜しみない拍手を送る。
「……来年は、踊れる?」
「ユメヲカケル……か。ジャパンカップの勝敗次第だね。場合によっては有マ記念より、東京大賞典を優先させることになるかもしれないけど……まあ、可能性はある、と言っておこうかな」
「……ん、負けない」
「それは心強い」
ミークはステージから降りてくると、私の隣に腰掛けた。
あの契約の夜と同じように、月が静かに私たちを照らしている。
「伝説はもう始まっているけれど、来年、君がクラシックの舞台に立てば、世界は気がつくはずだ。ハッピーミークが『伝説』になる存在だとね。……当然、勝負事にはもしもがある。だけど、正直に言って同世代で君に勝てるウマ娘はいない。君はこれから、積み上げられる死屍累々の上に、圧倒的な栄冠を手にするだろう」
私は、夜空の月を見上げながら言葉を重ねる。
「だが、勝利が増えるほど、人もウマ娘も君を恐れるようになる。ルドルフが『神座の皇帝』、マルゼンスキーが『
「……可愛いのが、いい」
ミークの唐突なリクエストに、私は一瞬言葉を詰まらせた。
「それは……そうだね、可愛いのだといいね」
心の中では、白いくらげとか、のんびり兎とか、そんな平和な二つ名を想像してみる。
だが、ターフで見せる彼女の無慈悲なまでの加速を知っている者からすれば、そんな名前を許すはずもない。
きっと『白き処刑人』とか『沈黙の閃光』とか、そんな物騒な名前が並ぶことになるだろう。
残酷なことだが、
「夢……」
「ん?」
「トレーナーさんの夢も……叶えてあげる、ね」
ミークが、どこか熱のこもった瞳で私を見つめてきた。
「たくさんのウマ娘は、担当させてあげられないけれど。……その代わり、たくさんのウマ娘がいても手に入らないくらいの冠を、あなたにあげる」
それは、強い誓いの言葉だった。
彼女は自分一人の力で、私がかつて思い描いたチームさえも上回る実績を、私の手に捧げると言っているのだ。
その瞳には、今までのミークからは考えられなかったような、重く、底知れない熱をはらんだ情念が浮かんでいる。
それは彼女を「伝説」へと変えてしまった、私への執着なのかもしれない。
私は、その熱に浮かされた視線を真っ向から受け止めた。
罪悪感が、かすかな高揚感と混ざり合って胸の奥で疼く。
「……それは、楽しみだ。期待しているよ、ミーク」
私がそう答えると、彼女は満足そうに頷いた。
これで終わりとなります。
本来は第二章に続き、第三章で完結する予定でしたが、第二章を数話投稿した時点で、自身の力不足により、違和感があり、納得のいかない展開と感じられる内容しか書けていないと判断いたしました。そのため、本作はここで完結とさせていただきます。
続きを楽しみにしてくださっていた方には、申し訳ありません。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
内容はお察しなものになると思いますが……
-
この終わり方でいい
-
途中でエタっても続きを読みたい
-
完結できるなら続きを読みたい