白毛のミークと俺 作:BT
「……また会ったね」
「……」
気がつくと、まるで光に吸い寄せられる羽虫のようにフラフラと歩き、再びステージの前に立っていた。
ミークの様子はなんの感情も浮かんでいない、昨日と変わらぬ表情だ。
「君は……いや、また邪魔をしてすまなかった」
反射的に背を向け去ろうとしたが、思いとどまる。
いい加減直視しないと、犯した罪を、その詳細を。
「……実は行くところがなくてね、ここにいてもいいかな?」
「……」(こくり)
ミークが軽く頷きを返してくれる。
ダメ元で聞いてみたのだが、まさか反応があるとは思わなかった。
おまけに許可も。
邪魔にならないよう、最前列の観客席から、五列ほど後ろの座席に座る。
硬い石材の椅子は、春先とは思えないほど冷たく感じた。
しかし、さて、どうしたものか。
まずは彼女の現状を知りたい。
だが、いったいどう聞いたらいい?
考えが浮かばず、当てどなく夜空を見上げていると、再びステップの音が響き始める。
ミークがダンスの練習を再開したらしい。
熱心な事だ。
しかしそうだ、そうだったな。
ゲームのミークも、静かな雰囲気の下に熱い心を秘めたウマ娘だった。
彼女はいま、どんな想いを胸に踊っているのだろうか?
ミークはターンターンと、変わらぬテンポでステップを踏み続ける。
あのダンスは確か……ユメヲカケル、有マ記念のウィニングライブのダンスだったか。
……思えば、こうやって落ち着いてウマ娘の踊りを見るのは初めてかもしれない。
シンボリルドルフやマルゼンスキーのウイニングライブを、最前列や舞台袖から見たことは何度もあったが。
あの時は舞台照明に大きな音楽、そして何より会場の熱気に当てられて、とても冷静には見てられなかった。
それに何処か、他人事のように感じていたんだと思う。
あくまで自分はサブトレーナーだ、そう考えていた部分もあったし。
それに、今ほど自身の在り方について、深く考えていなかった。
だが今は──
「綺麗だな……本当に綺麗だ……。こんなに美しいものが、この世界にあるなんて知らなかったなぁ……」
視界が滲む。
ボロボロと涙が溢れてくる。
前世の記憶が当然フラッシュバックする。
こどもの頃に見た、白い誘導馬。
あまりの美しさに目が釘付けになった。
ろくでもない前世の、ろくでもない少年時代。
そのときに見た、たったひとつの美しい存在、綺麗な思い出。
その姿が、目の前で踊るハッピーミークと重なる。
止めようと何度も目を擦るが、一向に止まる気配がない。
前を向いていられず、俯く。
地面にボトボトと涙が落ち、シミを作る。
何故私は泣いているのだろうか。
おそらく罪の意識だ。
こんなに美しいものを台無しにしてしまったことを、自覚してしまったからだ。
彼女はどんな想いで踊っているのかだと?
バカか、いつかレースで走って、そして勝ちたいと思いながらに決まってるだろ。
彼女が今踊っているポジションはセンターだ、たった一人の勝者が立つ場所だ。
なら、有マで走って勝ちたいから、勝って歌い、踊りたいから練習してるに決まってるだろ。
目を背けるな、必死で真剣で、努力を厭わず、夢に向かって駆ける、そんな熱い想いに溢れてるのがわからないのか?
そうだ、ミークは走りたいんだ、勝ちたいんだ、こんな場所で繰り返し、もう踊れるダンスの練習をしてる場合じゃない。
ミークは本来なら既に桐生院と一緒にいて、トレーニングをしているべきなんだ、なのに……。
ふっと濡らした地面に影が刺す。
顔を上げると、ミークがハンカチを手に持って、差し出してくれていた。
本当にどうしようもない、本当にどうしようもない人間だ私は。
どこまで彼女の邪魔をすれば気が済むのだ。
「だ、大丈夫だ。大丈夫だから……ぐぶ」
必死に断ろうと言葉を紡ぐが、ミークは黙ってハンカチを私の目元に優しく当ててくる。
「すま、すまない……すまない……」
君の人生を、君と桐生院の未来を。
そして自分が存在することによって歪めてしまった何もかもに。
積み上げられた罪を吐き出すように、私はひたすら謝罪の言葉と涙を流し続けた。
「いやはや、随分とみっともないところを見せてしまったね、ハハハ……」
隣に腰掛けたミークに、ハンカチを返しながら力なく笑う。
「……」
ハンカチを受け取ったミークは、目を逸らすことなく、じっとこちらを見つめている。
口に出さずともわかるレベルで、その視線はこう問いかけていた。
なぜ泣いていたのか、と。
「じつは目に大きなカナブンが入ってしまってね、まいったまいった」
「……」
「わかった、言う、言うから、そんな目で見ないでくれ」
しばらく惚けたふりをしてみたが、絶対に話すまで帰さないという無言の圧力を感じ、根負けしてしまう。
「とは言っても、なぜかな、なぜだろうかな……いや、そうだな。多分夢が叶えられなかったからかなぁ」
「……夢?」
本当のことを言うわけにもいかず、真実と嘘の入り混ぜたことを言うと、意外にもミークは夢という単語に食いついてきた。
「ああ、夢があったんだ。たくさんウマ娘を担当して、たくさん冠を被せてあげられるような、すごいトレーナーになりたかったんだ……」
「……」
「君の素敵な踊りを見てたら、自分が夢見た自分からは程遠いなにかになっていたと、今更ながら気付いてしまってね……まあ、私のことはいいんだ。それより君はどうしてこんなところで踊ってたんだい?」
「……私は、伝説になりたかった」
「伝説?」
「……夢、いっぱい走っていっぱい勝ちたかった」
夢という言葉が、先ほどの私の話と重なり納得する。
独特ではあるが、ミークはミークなりのテンポで私と会話を続けてくれていたのだ。
いや、それよりもだ。
「かった? 何をいう、これでもウマ娘を見る目だけはあるつもりだが。君ほどの素質に満ちたウマ娘なら、この先いくらでもチャンスはあるよ。私が保証する」
しかし伝説、伝説か……。
確かにそれは心惹かれる響きだ。
そして、君ならそうなれる可能性がある。
せめてそのことをわかって欲しくて、つい口が軽くなる……が。
「無理、出られる選抜レースは全部出たけど、一度も勝てなかった。私は今年がメイクデビューに出場できる最後の年だから、これでおしまい」
「は?」
今年が最後?
ミークは……高等部だったのか?
例外はあるが基本的にメイクデビュー戦に出ることができるのは、高等部の規定時期までだ。
そこを過ぎれば、後はデビューせずに卒業するか、中央の学園から去るしかない。
だとすれば確かに、いや、そうなるとつまり……。
「そ、そんな、あ、え?」
「昨日、あなたが言った通り。もう無理だから、気分だけでもウィニングライブを踊りたかった。寂しいけど、でも……今日はあなたがいてくれたから」
視界が、世界がぐらりと傾く。
痛いほどに心臓が鳴り、喉が渇く。
ミークが、もう、デビューできない?
「綺麗って言ってくれて……ありがとう」
「だ、ダメだ!!」
「……?」
思わず立ち上がり、叫ぶ。
そんなこと、そんなことは許されないと。
「絶対にダメだ! 君は、君はすごいウマ娘だ! 君ならいくらでも、望むレースに望むだけ出られる! ウィニングライブだって、好きな曲を、世界のどこのステージだろうと、君ならッ!!」
「そんなの無理。だってたくさん選抜レースを走った。たくさんチームの入部テストも受けた。何年も、たくさん。でも……一回も勝てなかった。私に声をかけるトレーナーさんなんて、一人もいなかった」
「それはどのトレーナーも君のことを、君の凄さを知らないからだ! 君に秘められた素質に、恐るべき潜在性に気がつけないんだ! だって君はハッピーミークじゃないか!?」
レースに勝てなかったのは、全てに満遍なく適性が、能力が、均一に割り振られてるからだ。
確かに現状なら器用貧乏、それ以下の力しか発揮できない。
だが、だったとしても、それこそが天賦の素質の片鱗だと気が付けるトレーナーがいれば!?
……しまった、なんてことだ。
そうだ、いない、もういないんだ。
そのことに気がついてくれる桐生院というトレーナーが、もう、他のウマ娘の担当についてしまったのなら。
ミークにはもう、いないんだ。
足から力が抜け、座り込む。
残酷だ、私の存在はなんで残酷なんだ。
「……急に叫んで申し訳なかった」
もう何も考えたくない。
消えてしまいたい、一刻も早く、この世界から私は消えてしまいたい。
すまない、すまない、すまない……。
「ちょっと驚いたけど、平気。でも、どうして私の名前……あなたは……前から私の事を知っていたの?」
「……そうだね、知ってる、知っていたよ。何度も君を育てたいって、君のトレーナーになりたいって思ったよ……」
「え?」
もしミークを育成できたらと、何度ゲーム画面を見ながら考えただろうか。
あらゆる距離に、芝とダートを走ることができる適性。
因子継承を厳選せずともそれができるのだから、あらためて考えると恐ろしいな。
「でも、私はどの距離も、芝もダートもうまく走れないよ?」
「それはまだ君の才能が眠ったままだからだよ。その全てで頂点を取れる才能がね」
「だったらどうして誰にも、一度だって声をかけてもらえなかったの?」
「平凡なトレーナーには、君の素質を見抜けないからしょうがないのさ。それに知る限り、私以外でそれがわかる天才的なトレーナーはこの学園でも数人だけだ」
「あなたも天才なの?」
「天才……ではないが、突き抜けた能力はある。もし私が君の担当なら、ありとあらゆるレースで勝つことができるだろうね。ただし数多の代償も伴うが……」
「代償……でも、どんなレースに勝つこともできるって、本当?」
「悲しいかな本当さ、能力だけは本当に本物なんだ」
「私、素質ある?」
「君より凄い素質を持ったウマ娘なんてどこにもいないよ、身命と、このトレーナーバッジに誓ってもいい」
「あなたが担当ならたくさん走れる?」
「それが望みなら、例え連日の連戦になろうとも、完璧に体力や体調の調整をしてみせるさ」
「……私を担当したいって、いまでも思ってる?」
「そうだね、私が君を担当できたなら、たくさん走って、たくさん勝って、たくさんたくさんの冠を一緒に取って。二人分の夢をまとめて叶えることもできただろうなぁ……」
「なら……いいよ」
手が柔らかい感触に包まれる。
見るとミークが私の手を握っていた。
「ん、何がだい?」
「私のトレーナーになっても、いい、よ」
「は?」
そしてミークはアメジストのような瞳で、じっと私を見つめながら。
「違う、私のトレーナーに……なって、ください」
とんでもない事を口にした。
そこでようやく、私は今までずっと厳重に閉ざしていた心の扉が開いてしまっていたことに気がつく。
さらにその間、自分が何を口にしてしまったのかを思い出し、血の気が引いた。
ミークは相変わらずの無表情。
だが重ねられた手の震えから、その願いがミークにとってどれほど切実なものであるかが、痛いほど伝わってきた。
私は迫られる。
ミークの未来を壊してしまった罪、その償いのために罪を重ねるか。
それとも、犯してしまった自らの罪から背を向けて逃げ出すのか。
その決断を。