白毛のミークと俺 作:BT
トレセン学園理事長秘書、駿川たづな。
彼女の『水野銀次』に対する第一印象は、“優秀な人間である”というものだった。
実際その経歴は大したもので、難関のトレーナーライセンス試験に最短で合格。
しかもこの“最短で”という条件が付く場合、難関の度合いはさらに跳ね上がる。
まず前提として、トレーナーライセンス試験を受けるには、専門の教育機関を卒業する必要があるのだが。
卒業後に規程の年数が経過した状態でトレーナーライセンス試験を受けるには、トレーナーライセンス“予備”試験というものに合格する必要がある。
これは時代によって法律や研究結果など、最新の情報というものが更新されていく以上、それにあわせた知識を再度入れ直す必要があるからだ。
実は裏技というわけでもないのだが、この予備試験には受験資格も年齢制限もない。
そしてこの試験に受かれば、指定の教育機関を卒業していなくても、トレーナー試験を受けることができる。
もっとも、過去に例がないわけではないが、その方法で合格を勝ち取るのは、難しいと言わざるを得ない。
たとえ予備試験に受かったとしても、その後のトレーナーライセンス試験に合格するためには、やはり専門の教育を受けなければ厳しいのが現実だ。
だが、水野銀次はこの予備試験に高校卒業前に合格し、そして高校卒業後すぐにトレーナーライセンス試験に合格。
その後一年のトレーナー修習期間を経て、トレーナー修習試験に合格していた。
代々トレーナーを輩出するような名家などで、幼い頃から専門の教育を受けた特殊なケースを除いて、これ以上ない最短合格のルートである。
だがそれ以外に駿川たづながそう判断したのは、優秀な人間にありがちな特徴が顕著に表われていたからだ。
その特徴とは、常になにかを隠していて、おまけに隠すのがやたらと上手いところ。
なにを隠してるのかわからなくすることで、本当に隠したいものを隠すといった手段に、この男は非常に長けているという直感が働いたのだ。
勿論優秀な人間全てにそういう部分があるわけではない。
だが、水野銀次という男に限って言えば、間違いなくその特徴がある。
そのため駿川たづなは最初、水野銀次という男に優秀ではあるが“信用できない”という印象を持っていた。
普通の試験などでは排除できない、一番厄介なタイプである可能性が高いからだ。
そしてその手の人間には、おおよそ二つの未来がある。
大きな偉業を成し遂げるか、取り返しのつかない大問題を起こすかだ。
前者であればいいが、後者である場合はウマ娘たちの未来に暗い影を落とす。
そうでなくとも、隠されている何かがおぞましい野心だったり、醜悪な欲望だった場合、取り返しのつかないことになるだろう。
故に悟られず、注意深く警戒する必要があった。
まずサブトレーナーとして誰の下に着かせるかを決める必要があったが、これに関しては彼の面倒を見たいというトレーナーがいた。
東条ハナ、中堅と言っても問題ないレベルではあるし、能力的にも人格的にも問題ないと判断し許可を出す。
しばらくは上がってくる報告書を見ていたが、やはり水野銀次は優秀な人材であるようだ。
ならばと足を運び、直にその様子を確認することに決める。
たった一人のトレーナーに気を払いすぎている自覚はあったが、学園とウマ娘たちの未来を守るためなら、警戒するに越したことはない。
だが練習用のコースを訪れた瞬間、駿川たづなはこれまでの考えをあっさりと改めた。
なぜならバ場状態を確認するために、ターフの上に座った水野銀次が、二人のウマ娘に顔や髪の毛を引っ張られて、困ったような、だけどとても穏やかな表情を浮かべていたからだ。
しかも聞こえてくる会話は、「表情が硬い、というか硬すぎる」「それでは周りが怖がったり警戒する」「銀ちゃんが笑うところ見たいわ~」「ほらスマイルスマイル♪」といった内容で、二人のウマ娘は水野銀次を心配し、世話を焼いているようにしか思えないもの。
そして水野銀次もまた、それを静かに受け入れていた。
あっさりと警戒を解いてしまったことに、駿川たづなは自分でもどうかとは感じたが。
その光景を見てしまうと、水野銀次が危険な野心や欲望を秘めているとは、どうしても思えなかった。
しかし、それは間違いだった。
自分の直感を信じるべきだったと。
のちに、駿川たづなは思い知ることになる。
水野銀次が現れて一年ほどだった頃。
彼が所属するチームのウマ娘である、シンボリルドルフとマルゼンスキーの連勝が始まった。
方針としてG2やG3に出るよりも、G1を獲る事に狙いを定めた東条ハナと、二人のウマ娘たち。
元の能力が高いとは思っていたが、あの二人のウマ娘は想定を超えていた。
いや、何か理由のわからない、一種の異常な強さをいつの間にか備えていた。
それが東条ハナの指導の成果なのか。
それとも二人のウマ娘に眠っていた、隠れていた力なのか。
もしくは水野銀次が原因で生まれたナニかなのかは不明。
だがそれがどうであれ、二人のウマ娘の力は、間違いなく本物。
そうして二人のウマ娘は順調に勝利を積み重ね、ついには同じチームが同じ時期に、クラシック三冠とトリプルティアラを達成するというとてつもない偉業を打ち立てた。
普段であるなら、学園も運営も、手放しで喝采したことだろう。
普通の強さなら、スターの誕生に世間は沸き立ったことだろう。
だが時期が悪かった。
学園と運営に多大な寄付をしているスポンサー、企業、名家、財団、団体。
あの時それぞれの組織に、面目をかけて後押しするウマ娘がいた、いてしまった。
負かしたのが、そのどれかの擁するウマ娘の一人だけであればよかった。
それなら、ああはならなかったはずだ。
だが各組織が推す全てのウマ娘は、一人残らず完膚なきまでに。
マルゼンスキーとシンボリルドルフに、叩きのめされてしまった。
二人が別々の路線をとってしまったがために。
どの組織のウマ娘がどの路線に進もうとも、衝突が避けられなかった。
そして善戦したのであれば、まだ面目は保たれたかもしれない。
だが、あの二人は言い訳しようのないくらいの、大敗北を与えてしまったのだ。
ゆえに、彼らは動いた。
ある組織は、マスコミを使って世論を誘導し。
ある組織は、資金面を締め上げ。
ある組織は、国からの圧力をかけてきた。
どれか一つなら突っぱねられた。
どれか一つならカバーできた。
各組織も、足並みそろえるつもりなどはなく。
スタンスを示すためにある程度そうしなければならない部分があった。
面子を守るために、彼らもまたそうせざるを得ない部分があってしまった。
しかし結果として、学園と運営は屈してしまった。
本来なら、実力で勝利したウマ娘が貶められるなどあってはならない。
守らなければならなかった、学園も、運営も。
だが、それだけの力が……当時は無かったのだ。
シンボリルドルフとマルゼンスキーの出走制限。
その決定をせざるを得なかった。
たづなもまた、立場上中立を保つことしかできなかった。
そうして二人の出走制限が決定してしばらく。
昼に娘に会いに行くと前理事長が外に出かけた、その日の晩。
彼は真っ青な顔で学園に戻ってきた。
たづなが「どうされました、娘さんに何か?」と聞くと、前理事長は震える声で
「違う、私は妻にあの場所に来てほしいと言われた……だがそこには理事会のメンバーや、運営の幹部がいて……おそらく全員、各々の親しい誰かからそう言われたんだ。そして来てみればあの男がいた、一番手前の席に座っていて。だから誰もあの男が呼んだんだと気が付かなかった、戸惑いながら全員が席についたあと、あの男が言ったんだ。『二人の有マ出走、それが落としどころです。ただ、できればもう一つG1レースの出走も許可してもらえると嬉しいですね。ああそうだ、それと今後このようなことがないようにお願いしたいです、ええ』と……ただのトレーナーが、まるで対等かそれ以上の立場か何かのような様子で……」
あの男?
そう、たづなが聞き返すが、前理事長はまるで何かに追い立てられるように話を続ける。
「そして、いくつかの組織の名前をあげて、それらとの話はもうつけてあるから問題ないと。そして最後に、何度も集まるのはお互い手間だが、もう一度集まるなら次は別の相手に呼んでもらって、また集まることになるだろうと……あれはまるで、次があれば、今日あの場所に行くように伝えた相手は……? 我々とてその手の相手と渡り合った経験が無いわけじゃない、よくある脅しだ。だが……だが、あの男はそれがあまりに自然でッ……!?」
机をかきむしりながら、不規則に息を吸って吐き出す前理事長。
その様子は、必死に何かに耐えてるかのようだった。
「あの男は、そう言い終えた後立ち上がって部屋を出ていこうとした……だが、誰かが、口にしてしまったんだ……『こんな事をしてただですむと思っているのか?』と……そうでも言わないと、誰かが言ってくれないと、我々は心を正常に保てなかったから……そしてあの男は『思っていないのでお願いします、是非にも』と、そう……そう言わせてしまったんだ……我々は!!」
まるで自らの主に、自分を罰しろと。
そう命令されてしまった家臣のような、焦燥をにじませてしゃべり続ける前理事長。
「本来なら感謝すべきなのかもしれん……だ、だが、だがなんなんだあの男はッ!? ………………たづな君、あとを……頼む。誰かが、あの男……“水野銀次”を何とかしないといけない!! たとえ何と引き換えにしてでも、誰かが……いや、そう言わせてしまった以上、そうしなければならないんだ!?」
前理事長の様子は正気ではない、それは一目見れば明らかだ。
だが『水野銀次』の名前が出たとき、たづなはなぜか納得してしまいもした。
やはりあの男はなにかを隠していた。
いや、それ以前の話だった、知らなかった。
水野銀次のなにもかもが、未知だったのだ。
その後、前理事長はまるで何かにとりつかれたかのように、すべてを実行した。
まずはシンボリルドルフとマルゼンスキーの、出走制限一部解除。
続けて、現状形骸化していた統合組織URAを立て直し。学園理事会とトゥインクル・シリーズ運営の正常な連携を確立させ、今後外圧に屈しないための組織再編、及び強化を行い。
そして、トレセン学園における服務規律『組織の不利益となる事項を他に漏洩してはならない』の箇所に抵触する行為を行ったとして、トレーナー資格の凍結に近い、水野銀次に対する無期限の謹慎処分の執行。
すべてをなりふり構わず、全てを完璧にやり終え、最期にそれら実行するために発生した諸々の問題の責任をとり、その職を辞した。
そして最期に「これでもうあの黒い光に脅えずにすむ……」と、言い残して去っていった。
後に、その場所にいたメンバーと話をする機会があったが、あの日あの場所で何があったのかに触れると、誰もが何かにおびえるような様子で同じようなことを口にした。
あの男は間違いなく、冷徹に、あらゆるリスクを無視して、必要であれば自らの命すら躊躇なく使い、目的をはたす類の人間だと。
そう確信させる、得体のしれない黒い光が瞳に宿っていた、と。
黒い光とはいったい何なのか。
妙にその言葉が、たづなの耳の中に残り続けた。
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「前理事長から一応は聞かされていたので気構えをしていたが、まるで柳のような男だったな」
「はい、私も少し驚きました」
前理事長によって決められた、次代の理事長になるための条件。
水野銀次に、トレーナを続けるための条件を説明する時。
たづなは、何かあれば新理事長の盾になる。
そんな気持ちで身構えていた。
だが、条件を聞いても水野銀次の様子は全く変わらず。
むしろどこか、安堵したようにも見えてしまった。
未だに水野銀次については何も分かってはいない。
しかし、注意深く観察していて、一つだけ気がついたことがある。
彼は謹慎を言い渡されてからの一年間。
ただひたすらに学園とウマ娘たちの為に、尽くしていた。
他の人間職員からの評判は確かに良いものではない。
だが、彼のおかげで救われた、そして助けられたウマ娘も、少なからず存在する。
その様子を、たづなは何度も目にしてきた。
つまり恐らくではあるが、水野銀次のウマ娘への想い。
少なくとも、ウマ娘と接する時に見せる、その優しさだけは本物であると。
確かに客観的に見れば、水野銀次が学園やウマ娘にもたらしてくれたものは大きい。
手段はともかく、そのことには深く感謝している部分もある。
そしておそらくとてつもないであろう、彼のトレーナーとしての能力を証明する機会が失われることに対して、残念に思う部分もある。
しかしその一方で、たづなはどこかほっとした気持ちを抱いていた。
それは『栄光』か『破滅』のどちらかを必ず選ばなければならない。
そんな状況を回避できたように感じたことから湧き出た安堵だった。
だがその数日後。
担当するウマ娘が決まったと、契約書類の受理を求めて現れた水野銀次。
愉快そうに弾んだ声で話すその様子は、数日前の枯れ木のような姿とはまるで別もの。
たづなはあの時、話をした誰もが語っていた『黒い光』のことを思い出した。
なぜならいまの楽しげな様子とは真逆の、ひどく重い決意をしたようにも見える、その瞳。
そこには確かに、どす黒く輝く太陽の如き光が宿っていたから。