身に覚えのない「妻」と「娘」を名乗る不審バの狭間に   作:しゃちくらげ

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記憶の混濁と不審バ。


「不審バ」

 

 

 

「えーーっ!」

 

耳元で放たれた大声に、思わず仰け反りそうになる。

幸か不幸か、身体は動かなかったが耳が痛い。

 

呆然と目を大きく開き、驚いたように固まるウマ娘。

こちらも驚いていると、ばたばたと人が雪崩れ込んでくる。

 

……白衣?

 

どうにも自分の置かれた状況が理解できなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

酷い目に遭ったらしい、というのが、自覚の無い私の阿呆じみた感想だった。

ぽかん、と開いていく口を中々閉じることができない。

 

「医師です」と仏頂面で名乗る白衣の男性の話では、どうやら事故に遭ったらしい。

道路に飛び出して、黒塗りの車にはねられ、ついでにアスファルトに強かに頭を打ち付けて1週間ほど昏睡状態になっていた、ということらしい。

 

「へー、そうだったんですか」

 

なんて。

若干消毒薬の匂いが鼻につく病室で語られたその話に対して、私は阿呆そのものの返答しか返すことができない。

気が付いたら病院のベッドの上で、いきなりこんな話をされても困る、というのが正直なところであった。

 

意識がまだ混乱しているかもしれないので、暫くは様子見で入院とのことだが、さて入院費など持ち合わせがあっただろうかと明後日の方向での心配ばかりが頭を占めていて、医師の話もろくに頭に入ってこない。

 

一応のところ、立ち上がるにも問題がなさそうだということで検査を行ったりもしたが、外傷以外の面では至って健康とのこと。MRIなんて初めて受けた。

余計な病気が見つからなくて良かった。知らない間に重病を患っていて突然倒れた、といったような事にならなくて本当に良かった。

夢があるのだ。こんな道半ばで倒れてもいられない。

 

 

 

「頭の傷以外は打ち身や軽度の内出血程度です。脳にも出血などは見られませんから、じきに退院できますよ」

 

最終的に医師から語られたのは、私をほっとさせてくれるような言葉だった。

頭の傷は怖いので、何日か様子見であることは変わらないらしいのがただ残念だった。

 

それにしても。

 

「一週間程度昏睡してたということですが、今日って何日ですか? まだ3月ですよね?」

 

そう、そこが気になる。

混乱させないためなのか、一週間程度とかなりふんわりと伝えられはしたものの、健康面にほとんど問題がないとなれば気になるのは生活の方だ。

何故かって、今年就職するのだ。

入社式から入院して欠席というのはちょっと洒落になっていない。

 

「……落ち着いて聞いてください。今日は、4月16日です」

 

医師から伝えられたのは、予想の外にある数字だった。

 

「……はい?」

 

3月ではなく4月?

しかも16日?

となると、一週間どころか一か月近く昏睡していたことになるのだが。

 

間違えて伝えた?

しかし何度も一週間と繰り返し聞かされていたが。

 

「え? 一か月近いじゃないですか? ……どういうことですか?」

 

思わず身を乗り出してしまう。

大変だ。そんなに寝ていただと?

私の入社はどうなった?家の事は?確か普通にコンビニに行こうとして……。

 

「落ち着いてください。あなたのことは職場も承知しているとのことですので、ご心配なきよう。……とはいえ、記憶が混乱しているようですね。やはり、数日様子を見ましょう」

 

医師は淡々とそう告げると、後程看護師から説明があると言って病室を出て行ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

「……参った。どうしよう……」

 

頭が痛い。

頭に触れれば、何やら果物でも包むようなネットの感触と痛み。

脳には問題ないとはいえ、出血はしていたらしく何針か縫ったとのことなので、外傷自体はまだ癒えていないということだろうか。

 

何分、入院など初めての経験なので自分が今どういう状況に置かれているのかさっぱり理解が追い付いていない。

 

大きく息を吸って、吐く。

もう一度、吸って、吐く。

 

メンタルコントロールの一種だ。ただの深呼吸とも言う。

とはいえ、こういうものは効果があるからこそ推奨されているのだ。

 

ゆっくり呼吸を繰り返していくうちに、徐々に落ち着きを取り戻していく。

 

どのみち今は動けないのだ。考えろ。

先ほど医者の先生は「職場は承知しているから安心しろ」と言っていた。

ということは、就職先のトレセン学園が何かしら措置を取ってくれているということだ。

入社前、しかも1か月近い入院で、意識が無かったとなれば連絡が付かなくなっていた期間があるということだが、幸いにして誰か学園側に一報を入れてくれたということだろう。

まあ、恐らくは両親だろうとは思うのだけれど。

 

……。

…………。

 

ふと落ち着いてみると、やる事が無いという事に気が付いた。

準備を整えて入院したのであれば本などの娯楽を持ち込んでいた事だろうし、意識があったなら見舞いに来る(であろう)家族にでもお願いすればいい。

 

だが、現実は突発的な事故による入院に加え意識不明だ。

つまり、何もないに等しい状態である。

 

入院というのは、入院したことのない人間からすればちょっとした憧れを伴う単語だったような気もしたが、頗る暇であるという事だけは十二分に理解した。

 

一度落ち着いてみれば、見えていなかった物が見えてくるようになる。

いや、スピリチュアルな要素としてではなく、視野の問題として。

 

部屋は広い……とまでは行かないが、白い壁に、床など各所に木の色が配された清潔な雰囲気。

恐ろしい事に、どういう風の拭きまわしなのかカーテンなども吊るされておらず、他の入院患者の気配もない。完全に個室である。

 

ベッドの対面には、妙に真新しいというか、最近のタイプのようなテレビが設置されている。

……あるにはあるのだが、テレビカードは当然の様に購入していないため、使えない。

宿泊サービス業ではないので当然ではあるが、世知辛いことこの上ない。

後で看護師の人にでも聞いてみることにする。

 

16日なら、桜花賞は終わっているだろうが皐月賞がそろそろだ。

それまでに退院できればいう事なしだが、退院できないにしてもせめてクラシックの初戦は見ておきたい。

 

ベッド脇を見れば、キャビネットなどの什器類。

ちょこんと上に置かれた見舞いの品と思しき花が、この部屋で唯一生活感というか、人の気配を感じさせるものだった。

 

しかし、花か。

誰が持ってきてくれたのだろうか。

両親は花よりも漫画などを差し入れてきそうだし、心当たりがびっくりするほどない。

何故か個室を使わせてもらっているし、もしかすると病院側の物かもしれない。

 

……。

…………うん。他に特に変わった点はない。

まぁ、ただ入院しているだけらしいので特段おかしなことがあっては困るのだが、あっと言う間にまた暇になってしまった。

 

どうしたものかと考えていると、ドアがノックされる音が響いた。

 

「どうぞ」

 

「失礼します」

 

入室を促せば、看護師が入ってきた。

恐らくは入院に関する説明か何かだろう。

それに続くようにして、先ほど目にしたウマ娘が入ってきた。

 

……気にはなっていたのだが、一体誰なのだろうか。

私の家庭にはウマ娘なんていなかったし、なんなら子供は私一人しかいない。

従兄弟たちがウマ娘と結婚したなんて話も聞いていないから、親族の誰かという線はないだろう。

そもそも、親族の誰かだったとしても血縁の誰かしらが同行してくる事だろうから、見知らぬウマ娘が紛れ込むような余地はない。

 

考え込んでいる間も、看護師による入院に関する諸注意等は進んでいく。

 

「以上になります。何かご不明な事はありますか?」

 

不明も何も、申し訳ない事に栗毛のウマ娘が気になっていてあまり聞いていなかった。

とりあえず、テレビカードと消灯時間の事だけは分かった。

 

「大丈……」

 

「記憶が随分と混乱しているようだけど、概ね私が把握したから問題ないよ」

 

回答しようとして、言葉を被せられてしまった。

何故このウマ娘が返事をしているのだろうか。

 

「はい、わかりました。もし容体が急変などしましたら、ベッド脇のナースコールを押してくださいね」

 

「だそうだよ。君は変に我慢するところがあるからねえ……」

 

「あ、はい」

 

え?

勢いに押されて思わず頷いてしまったが、そもそもあなたは一体誰なのか。

したり顔で頷いているところ申し訳ないのだが、本当に誰なんだろうか。

不審ウマ娘……いや、不審バ?

病室に入り込んで弱っているところに付け込むタイプの不審バというのはついぞ聞いたことが無いが、病院のセキュリティは一体どうなっているのだろうか。

 

そして。

予想のしないところから、その疑問に対する回答は齎されることとなった。

 

 

 

「ふふ、しっかり者の奥様がついていらっしゃるので安心ですね。それでは失礼します」

 

 

 

 

 

 

 

は?

 

奥様?

 

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