【本編完結】恋人にしたい殿下と何も知らないトレーナー&SP隊長 作:渚 龍騎
今回はただ二人がデートするお話だす。
あと、アンケートに答えていただきありがとうございます。二人の過去については、最初にちょっと取り入れるような形でやっていって、入らない分は番外編みたいな形にするつもりです。
いつもは幸福に感じられた歓声が、今では心を蝕む。それがあまりにも苦しくて、顔も上げられない。
全力で
壁にもたれ掛かり、彼女は顔を覆った。
最後の
だから、全身全霊で走り抜けた──その結末がこれ。誰とも顔を合わせられない。
みんな、私を信じてくれた。
それなのに、私はみんなを裏切った。
嗚呼、私は、私は────どうしたらいいの。
内側から込み上げる感情が、目尻に浮かび上がる。だがしかし、それを溢れさせるのは許されない。誰よりも、まず自分が許さない。
信じてくれたみんなを裏切り、全てを伝えてくれた彼の全てを水の泡にした。
────失望させた。
────裏切った。
やはり私は、みんなが言う『殿下』なんて器ではない。どうするべきなのか、今ではなにもわからない。
なにもかも、ここは何処なのか、なにをしていたのか、まるでなにも分からなかった。
「ああ、私は、私は……っ」
我慢が限界に達して、思わず嗚咽が漏れた。
覆った顔に浮かぶ手のひらが濡れる。目尻に溜まった煌めきが、拭い続ける手から段々と逃れて、頬に軌跡を描く。それはなによりも明るかった心から現れる苦しみそのものだった。
悔しくて、悲しくて、苦しくて、もういっそのことこのまま消えてしまいたい。
「ファイン」
ふと名前が呼ばれ、ファインモーションは慌てて流れる涙を力強く拭った。
心配をかけない為に、取り繕った笑顔を浮かべてトレーナーの顔に視線を移した。
「トレーナー、ごめんね。私、また──」
負けちゃった──そんな言葉が口から出ようとして、それは遮られた。
「え……?」
彼に、強く抱き締められた。
言葉が遮られたのは、彼の胸に押し付けられていたからだった。背中に手を回され、トレーナーよりも一回り小柄なファインが、彼の胸の中に収まった。
なにが起きているのか状況を理解できないファインは、胸の中でトレーナーを見上げる。彼の表情は見えないが、どこか温かい感覚がそこにはあった。
「よく頑張ったね、ファイン」
「────っ!」
まるで慈しむように、優しく耳元で囁かれた。
たったその一言で、それだけの言葉が、ファインの内側に建てられた堤防を決壊させた。
壊れ、破れ、散って、溜め込んでいたものが外へ噴き出す。それは恐怖と悔恨から封じ込めていたつもりで、欠片も消せなかった激情のすべてが────、
「今は、俺しかいないから」
その一言が、限界まで押し留める激情を押した。
「ごめん、なさい……トレーナー……っ。私、また、負けて……! 今度は、今度こそはって、頑張ったのに……みんなに、なにも答えられなかった……!」
感情を制御できなかった。
今までなかったくらいに、欠片の制御もできない。
一度爆発したそれは堰を切ったように溢れ出して、なにもかもを知らない色へと盛大に塗り潰していく。
「わたし、どうしたら……!」
ふと彼の腕に力が込められた。
耳元で囁かれるように、優しい声で彼が呟いた。
「どうもしなくていい。我慢もしなくていい。ただこの際、思ってること全部吐き出していい」
その一言によって、全てが────壊れた。
「私が、もっと強かったら……っ! 誰も悲しまなかったのに、みんなの信頼を裏切った……!」
「勝負ってのは、全員が喜ぶものではない。君は誰の信頼も裏切ってないよ」
────言った。
「みんな速かった……! 全力で走ったのに、まったく追い付けなかったよ……!」
「そうだね。君も、みんなも速かったよ」
────言った。
「疲れたよ……もう、歩きたくないよ……」
「なら、少し休もう」
────全てを言ってしまう。
なにもかもを曝け出す。奥底に押し留めていたものを、抑え込んでいた事実を、誰でもない彼に見せる。今まで誰にも見せたことのない自分を、たった三年にも満たない付き合いの人に──どうしてなのか、そんなこと今の思考では考えられない。
「私を、見捨てないで……どこにも、行かないで……私、また、頑張るから……!」
「大丈夫だファイン、よく聞いて」
瞳に大きな涙を浮かべて、懇願するように見上げるファイン。その表情はあまりにも悲しそうで、震える子犬のような、しがみつく思いでトレーナーを見上げていた。
「心配しなくていい」
トレーナーはファインの顔を真っ直ぐに見つめ、その黄金に煌めく翡翠を映しながら、真剣な顔を浮かべていた。
「誰も君を見捨てたりしないから、大丈夫」
ファインを抱き締めて、彼は言った。
「君の努力やなにもかも見てきた。君は俺にとって大事な
胸の内が、熱い。
抱き締めたファインが、トレーナーの胸に顔を押し付けて、その表情は隠している。息遣いが熱く、擦り付けられる額が、頬が熱い。なによりも、彼女の瞳から流れる涙が、一番熱い。
「ファイン」
爽やかな笑顔で、優しげな表情で────、
「俺はいつだって、君の側にいるから」
その瞬間、歓声に掻き消される泣き声が嗚咽混じりに響く。だがそれは、どんな音よりも大きくて、初めて彼女が見せた弱さの一つだった。
◆◆◆◆
蹌踉めく。
慣れない歩き方で左右に蹌踉めき、向かって歩く人間とぶつかっては頭を下げる。普通に歩けばすぐに着く場所も、この歩き方では距離が遠くなって中々着かない──それなら普通に歩けば良いのだが、できない理由が彼には存在した。
雑踏の喧騒とは別に、耳元から陽気な鼻歌が聞こえる。横に目を向ければ、彼女から花のような香りが漂っていた。
普通に歩けない理由はその彼女にある。
機嫌が良いのか、ウマ娘特有の耳がピコピコと動き、彼女のさらさらな尻尾が勢い良く横に揺れている。ウマ娘の感情を読み取るのに、彼女たちの耳や尻尾を注視するのは良くあることだが、今の彼女はそんなことをする必要もないほど分かりやすかった。
「んふふ……」
表情や尻尾などを見なくても、さっきからずっとそんな笑い声が聞こえてくるからだ。
彼女は自身のトレーナーの腕を抱き締め、更には密着させるように身体をぴったりと寄せていた。
トレーナーとて彼女に抱き締められるのは悪い気はしない。だが、誤解を招きそうな体勢であることに間違いない。ましてや相手は、世界でも有名なファインモーション。色々と問題にもなりかねないが──、
「えへへ……トレーナー! あそこに美味しそうなパフェが売ってるよ!」
指を指しながらファインは笑みを浮かべた。
────彼女が楽しそうなら、それでいい。問題なんて後で考えればいい。今は彼女に楽しんでもらえることが先決。彼女の喜びが自分の喜びでもある。すぐ側で、彼女の笑顔が見れるのなら。
「それじゃあ食べに行こう」
「私が買ってくるよ!」
「任せた」
率先して小さなお遣いを申し出たファインに、トレーナーは立てられたメニューの中から一つを選んだ。
お金を渡すとファインは満面の笑顔を浮かべてから、足早に売店へと向かう。店員との一連のやり取りを施して、店員がファインの言動に困惑する表情が見て取れたが、数分の後に二つのクレープを手に取って戻って来た。
「一人で買えたよー! はい、トレーナーの分!」
「流石だね、ありがとう」
笑顔で報告して差し出されたクレープを手に取り、トレーナーはベンチへとファインを促してから二人で並んで腰を下ろした。
クレープを食べながら、ファインを一瞥。柔らかな唇を開いて、小さな口でクレープを食べる。その度に笑顔を浮かべて、味の感想を呟いていた──といっても「美味しい」の台詞ばかりではある。だがそれでも思うことが一つあった。
────いつ見ても、笑顔が素敵だ。
彼女が笑っている姿は、周りをも明るく照らす。まさに輝く光のような存在。
今まで彼女の幾つもの表情を見てきたが、やはり笑顔が彼女には最も似合う。殿下である時、曇った時、怒った時、泣いた時、どれを見ても一番は彼女の笑顔だ。それをずっと見ていたい。
純粋無垢な笑顔──満面に喜色を湛えて、緩やかに結ばれた口元が綺麗にほころぶ。
思わず見惚れてしまうほどに美しい姿に、トレーナーは笑みを浮かべて、彼女の口元に視線が移った。
「トレーナー? どうしたの?」
柔らかく水を含んだような朱色の唇から、少し離れた位置に白いクリームが付いている。彼女はそれに気付いておらず、トレーナーの様子に首を傾げていた。
殿下でいる時の彼女は精悍な表情と、勇猛な眼差しでこそいるが、トレーナーといる時は表情豊かな少女でいる。安心しているというべきか、稀に見せる少し抜けている姿は、やはり少女なのだなと思わせる。
「動かないで」
そう言われて、ファインは不思議に思いながら動きを止める。トレーナーがゆっくりと顔を近づけ、手を伸ばしていった。
目を見開き、トレーナーの顔が近づいて来るのを驚愕しながら見つめる。顔を背けられず、その場から逃げることもできない──なにせ後頭部の辺りに手を添えて、抑えられている。拒もうとも、本能がそれを遮っていた。
まさか、こんな人目の多い場所で、これほどまでに大胆なことをされるとは夢にも思っていなかった。
「ん……」
ファインは身を任せて、唇を僅かに彼に向けながら瞳を閉じた。
こんなことになるのなら、もっと気を使ってリップでも塗れば良かったと後悔した。
数秒が経って、柔らかな唇に重ねられる優し気な口付け──は一向に感じられず、口角の辺りに指が触れてトレーナーは「よし」と口を開いた。
「もう取れたからいいよ」
「…………え?」
困惑して、ファインは瞳を開いた。
もう既に眼前にはトレーナーの顔はなく、いつもの距離感に戻っている。彼は自身の指を見つめ、その指に付いた白いホイップクリームを食べてしまった。
放り込まれる指先、包み込む口先、滑らかに吸い込まれるクリーム。トレーナーは何かを気にする訳でもなく、放り込んだ指先をハンカチで拭った。
────それは私がやる側──!
いくつか見てきた恋愛ドラマや小説では、気になっている男性の頬に付いたクリームを取って、女性がそれを食べる──その構成こそがテンプレート。決して男性がやるものではない。
そんな思考に駆られながらも、ファインモーションの脳内にツッコミよりも上回る羞恥心が襲った。
なにせクリームを取るだけのトレーナーの行動を、キスされるものたと勘違いしてしまったのだから。本来は自分がやってトレーナーを羞恥心にドキッとさせるはずが、まさかの展開に戸惑いを隠しきれない。
なにより勘違いしてしまった自分が恥ずかしくて仕方がない。クレープを片手にファインは顔を逸した。
「ファインは綺麗なんだから、もう少し気を使わないと」
恥ずかしさに覆い被されるファインに向けられた一言は、彼女の羞恥心は一瞬で静まる。僅かな熱が身体に灯ってはいるものの、ファインはトレーナーに対して目を細めた。
「ど、どうしたの?」
ファインの表情を不思議に思いながら首を傾げたトレーナーを見つめ、彼女はぷいっとそっぽを向いた。
「キミのそういうところは嫌い!」
「え……」
片頬を膨らませて、拗ねるような表情を滲ませたファインにトレーナーは訳も分からず困惑する他ない。なんだか珍しく怒っているようにも感じるが、トレーナーはなにも理解できなかった。
ただ自分の発言に間違いがあったのかと思考を巡らせ、ファインに謝罪を述べることしかできずにいた。
「ご、ごめん……俺、なんか……」
言葉に詰まり、自覚はなくとも本気で肩を落としているのが見て取れる。そんなトレーナーを一瞥してから、ファインはくすっと僅かに笑った。
トレーナーの鈍感さと、デリカシーの無さは考えものだが、それもまた彼。良い所もあるが、悪い所も当然ある。好きな所を挙げればキリがない。
「トレーナー」
彼を呼び、瞳を見開いた瞬間に狙いを定めた。
彼が右手に持っているクレープへと、顔を寄せて一口食べる。困惑するトレーナーを他所に、彼が持っていたクレープを味わった。
頬張った所為で口元に付いたクリームを指で取り、ファインはそれを舐めた。
「これでお愛顧だよ」
やってやったと言わんばかりの表情を見せるファイン。トレーナーは驚きと困惑に目を見開いていたが、やがては思わず吹き出して笑いを溢した。
「さあ、行こう」
トレーナーに差し出された手を見て、
「でも、食べ歩きは行儀が悪いって聞いたよ?」
「うーん……たまにはそういった悪いこともしてみよう。誰も怒ったりしないさ」
「あははっ! そうだね、それじゃあ行こ!」
差し出された手を取り、引かれるがままに立ち上がると、トレーナーに連れられて行った。
最初に向かったのは映画館──彼女が観たいと言ったのは、世間でいま騒がれているホラー映画だった。
「マジで? これ観るの?」
「とってもマジだよ。みんな凄い怖くて面白いって! さあほらはやくいこ!」
ファインに腕を引かれるが、トレーナーは頑なに向かおうとしない。顔を引き攣らせて、ファインとは逆の方向へと身体を引いていた。
「あ、こっちの恋愛映画も面白そうだよ!」
「ダメ、今日はこのホラー映画にしよう!」
「いや、それはちょっと……」
「どうして?」
トレーナーは口ごもる。視線を逸して、なにかを隠すように言葉を呑んだ。
頑なに拒否し、男性はあまり選ばないであろう恋愛映画にでさえも縋り付いて、ホラー映画を見ようとしていなかった。
ファインは顎に手を置いてから「あ、そうだ!」と声を高くしてトレーナーを見つめる。柔らかな瞳を少し鋭くし、更には腰に手を当てながら、
「貴様〜、私のお願いが聞けないと申すのかっ!」
その言葉を聞いて、トレーナーは一歩退く。
────それは、かつて一度ファインに言われたことのある彼女なりの頼み方。ツンデレのような、いやわがままなお嬢様というべきか、その言い方の方がしっくりくる。ましてや相手は殿下たるファインモーションなのだから、もうそれは本物でしかない。
そしてトレーナーは────、
「聞いてくれないのなら、一人で寂しく観に行っちゃうんだからねっ────ちらり」
「──かしこまりました!」
────その頼み方にめっぽう弱かった。
楽しみにしているファインの為ならと、自身を奮わせた。
ファインに連れられ、トレーナーは二人でチケットを買い、ポップコーンとジュースを持って映画の上映を待つ。二人は並んで席に座り、映画を楽しみにするような会話をしていたが、やはり上映が始まると同時にトレーナーの思考は最初に至る──なぜ、大嫌いなホラー映画を見ているのか、と。
約二十数年の人生で、好きなものはこれといって特にない。趣味も僅かな映画鑑賞と読書をするだけで、それを趣味と呼べるのかも分からない。だから、好みはまったくないと言ってもいい。
だが一つ、大嫌いなものは存在する。
────それは、ホラージャンル全般。
「…………終わった」
呟いたと同時に、スクリーンから絶叫が轟く。
基本的に好き嫌いが存在しないトレーナーの、唯一の弱点にして大嫌いなもの──それがホラージャンル。お化けやゾンビ、その他諸々の霊現象が本気でダメなのだ。苦手であり、怖くて仕方がない。
理由は、説明のできない存在と、なにが起こるのか分からない状況が苦手と言っていい。
もしも〝世界の終わり〟と〝ホラー映画〟を選べと言われたのなら、三時間は悩んだ後に渋々ホラー映画を選択する。そんなレベルでホラーが嫌いなのだ。
それほどまでにホラー嫌いな人間が、閉鎖された暗闇の空間で約二時間のホラー映画を鑑賞する──それがどんな意味をするのか、考えるのは容易だった。
「あ、あ、あ、最悪だ……」
「トレーナー、大丈夫?」
心配げな表情を浮かべて、ファインはトレーナーの顔を覗き込む。彼の視界に端正な顔立ちの少女が映り込み、首を傾げていた。
「あの青白い顔が頭から離れない……」
盛大な音と共に、スクリーンにいきなり大きく現れた青白い女性の顔。あれが出た時は、心臓が飛び出るかと思い、奥底から込み上げた声を必死に堪えた。
あくまでも自身は大人で、隣にいる少女は担当ウマ娘。その状況を脳内で必死に巡らせて耐えようと努力したが、映画が終わった後の疲労は果てしない。
疲労困憊。館内に流れる大音量の絶叫や、悲鳴の連鎖で頭が痛い。瞳を閉じれば、あの不気味な顔が浮かんで、誰もいないのに視線を感じてしまった。
心臓が保たない。
「ごめんね、私が無理に頼んだから……」
「いやいや気にしなくていいんだ。ファインは悪くないよ。あんな
そこまで不満を吐き出して、トレーナーはファインが驚いたような顔をしているのに気が付いた。
眉を寄せ、ファインに首を傾げた。
「どうしたの?」
問い掛ければ、ファインは「ううん」と首を何度か横に振ってから、不思議に思ったことを口に出した。
「キミがそんな言葉を口にしたの、初めて聞いたから」
「え、そんな言葉って……」
思い返して、トレーナーは頭を抑えた。
「ごめん。何年も前に、汚い言葉は口にしないと決めてたんだけど、こんなところで出してしまうなんて……しかもファインの前で」
トレーナーになると決めたあの日から、汚い言葉は決して言わないと心に誓っていた。
汚い言葉は心を蝕み、気分を害する。誰かとの楽しみや、夢を描く場所ではそれらを壊しかねない。それが主な理由ではあったが、トレーナーとしてはもう一つの理由が大きかった。
「ホントごめん」
気分を害して、楽しみを壊す──恐れていたことが起こり、トレーナーは視線を落として謝罪を述べた。
元々気を付けていたことではあったが、最近は気が緩んでいたのかもしれない。それに、聞かれた相手がファインモーションだ。
王家の存在ならば、そんな言葉を使う者は決して側に置きたくないだろう。彼女も、
一番嫌われたくない人に嫌われる──絶対に嫌だ。
許してほしい──そんな甘いことを思いながら、ファインの言葉を待っていると、彼女は笑顔で笑った。
「あははっ! 謝らなくてもいいよ! 今までキミから聞いたことなくて驚いただけなの。いつもとは違うキミを見れて、とても新鮮な感じだったよ!」
笑うファインに対して、トレーナーは困惑を隠し切れないが、忘れていたことを思い出した。
────嗚呼、そうだった。
ファインモーションは、そういう娘なんだと。そんなことで誰かを嫌うような娘ではない。もし言葉遣いが汚くて嫌うなら、エアシャカールにだって近付かない。彼女は他人の外側を見るのでなく、奥底にある内側をよく見ている──繊細で、愛嬌があって、聡明な彼女だからこそ、誰とでも仲良く、些細なことにも気が付く。それがファインモーション。
「もうホントに、君って最強だよ」
「ふふ、それならキミは最高だよっ」
互いの心内を吐露して、二人は笑った。
全てを楽しみ、日々を胸に刻む彼女と、全てを支え、日々を共に進む彼。差し伸べられた手を取り合って、この三年間を共に過ごして来た。
「そうだっ! 今日はここまで来たのだから、一緒にプリクラ撮ろっ!」
「プリクラ?」
手を顔の横で組むファインの思いがけない言葉に、トレーナーは首を傾げた。
「良いけど、俺プリクラ撮ったことないよ?」
「いいのいいの! 折角だから、ね!」
ファインに引かれるがままに、二人はゲーセンへと向かい、騒々しい内でプリクラ機の中に入った。
辺り一面が真っ白の空間。雑踏の喧騒と、ゲーム機の大音声が入り交じっているのが布一枚を通して聞こえる。そしてプリクラ機の中には、カメラとタッチパネルが設置されていて、入るなりすぐにお金を入れたファインがタッチパネルを慣れた手つきで触れた。
「プリクラ、よく来るの?」
「スカーレットちゃん達とよく来るんだー!」
ファインの後ろから覗き込むと、彼女がトレーナーの腕を抱き寄せた。
「あのね! スカーレットちゃんたちが言ってたんだけど、カップルはチューして撮るんだって!」
「あー、そうなんだ……え?」
腕に抱き着かれながら聞き流すようにして、タッチパネルの画面を眺めていると、ファインが強調した言葉に引っ掛かった。
視線を向けると、ファインは笑顔を浮かべていた。
困惑するトレーナーに対して、笑顔を浮かべるファインは、尋常ではないほどに掛かっていた。
笑顔の裏で顔を真っ赤にしながら、焦りに焦って後には引けない状況になってしまった。
この狭い空間で二人きり。もしこの場でキスをしてしまえば、距離はより一層縮まる。そうなれば後は流れに身を任せて、このままめでたくカップルだ。
それに今は隠れている故に、SPたちの監視の目も届かない。ならば尚更。
お気付きだと思いますが────、
────ええ、掛かっています。とても。
カップルのことなど、周りから聞いた程度の知識しかない。どれが普通で、どれが異常なのか知らない。ましてやプリクラ機の中でキスをしながら撮るカップルは、いるにはいるが全員がそうしているわけではない。そして当然ながら、ファインモーションはそんなこと知る由もない。
「ちょっと、ファイン? 顔が近い、かな……」
息がかかるほどに近く、赤く滲んだ頬と宝石の如き瞳が視界いっぱいに映り込む。近寄られる度に、後退りをする。だがこの狭い空間では逃げられる場所もなく、直ぐに壁に追い詰められた。
顔を背けた瞬間、勢い良くファインが離れた。
「あははっ! もちろん冗談だよっ!」
そういって笑いながら「ごめんね」と口にしたファイン。トレーナーは本気でキスされるのではないかと思い、冗談だった事実に安堵するべきか悔しむべきか、心の内で葛藤していた。
なんとも言えない気持ちにされたトレーナーに対して、面白がるように笑みを浮かべていたファインだが、彼女の心の内は笑顔なんて余裕は一切なかった。
キスをしようとしてやめたのも、トレーナーを揶揄う為にしたのではなく、
だがしかし、彼の顔を眼前まで寄せてからファインは戸惑い、躊躇して、怖気づいてしまった。
冷静に判断した思考は、脳内に焦りと羞恥を一気に全身へと駆け巡らせ、ファインになんであんな大胆なことをしようとしたのか千悔の念に駆らせた。
「それじゃあ撮ろっ」
「そ、そうだね」
いちはやく今の出来事を忘れようと、二人は身体を寄せ合ってカメラの方へと視線を向けた。
眩い閃光とシャッターの切られる音。そして陽気な声の鳴る中で、二人は初めての青春を撮った。
印刷された写真には、仲良く写る二人の姿がある。満面の笑顔を浮かべる二人。一人は写真に慣れてない様子で、もう一人は全力で写真を楽しんでいる姿。そこに幾色もの落書きが施された写真──それを取り出し口から取ると、ファインはその写真を見つめてふと笑みを浮かべていた。
「どう? よく撮れてる?」
「うんっ、バッチリだよ!」
はい、と渡されたプリクラの写真を、トレーナーはありがとうの言葉と共に受け取った。
「プリクラって、何人もいて楽しめるものだと思ってたけど、二人でも楽しいんだね。一緒に撮ってくれたのがファインで良かった」
手に持った写真を眺めて、トレーナーはそんなことを呟いていた。
プリクラなんて、自分は一生撮らないものだと思い込んでいたが、いざ撮って見ると中々に楽しかった。
楽しめたのはファインのおかげかもしれない。滅多にない体験をさせてくれた彼女には感謝しかない。
「ありがとう、ファイン」
「えへへ、また撮りに来ようねっ!」
「もちろん」
初めてかつ、楽しい思い出を撮った二人がゲームセンターを出ると、遠くから声が聞こえ、そちらの方へと顔を向ければ、一人の少女が駆け寄って来た。
「朝のお兄さんっ!」
「あ、君は──」
駆け寄って来た少女はトレーナーの手を取るなり、何故か懐いている様子で「あのときはありがとう!」と感謝を声にしていた。
「トレーナー、この子は?」
「えっと、ファインとの待ち合わせ場所に向かう途中で、この子が迷子になっててさ。お母さんのところまで連れて行ったら、懐かれちゃって」
「え、それじゃあ時間に遅れた理由って……」
「この子のお母さんを探してたんだ」
当然の如く吐き出された言葉。トレーナーは少女と視線を合わせ、なにやら楽しげに会話をしている。「また迷子かい?」と冗談混じりに問い掛けたり、優しげな表情で少女を見つめていた。
「そうだったんだ……」
────知らなかった。
「ねえ、トレーナー? どうして助けようと思ったの?」
それは嫌味などではない。単なる疑問。
普通は殆どの人が面倒事に巻き込まれたくないが為に、困っている相手がいようと無視をする。無論、ファインは無視などしないが、大抵に人物はスルーして通り過ぎていく。そして手を差し伸べる人は、相手が困っているからと理由を持った優しさで助けようとするが──。
問い掛けられたトレーナーは、少女の手を取りながらあたかも当然の如く答えた。
「別に理由なんかないよ。ずっと昔からそうやってきた。ただそれだけだよ」
目を見開き、また思い知らされた。
ずっと感じて来たトレーナーの優しさ。それは私だけではなく、誰にだって同じもの。私が特別だから優しくしてくれるのではない。彼は誰にだって優しい。理由なんてない。
────彼にとっては、それが普通なのだ。
少女に対して笑みを見せるトレーナー。彼を見つめて、ファインも思わず微笑んでいた。
そして小さく、誰にも聞こえない声で呟く。
「──そういうところだよ」
私が、キミを好きな理由は────。
◆◆◆◆
「あの時はありがとうございました!」
「いえいえ、彼女が無事でなによりです」
少女の元に駆け寄って来た母親が、何度もトレーナーに向けて頭を下げていた。
「お礼といってはなんですが、これを」
母親は肩に下げていたカバンから数枚の紙を取り出して、トレーナーに渡す。それは今商店街で行われている『大福引祭り』の福引券だった。
「いやいやいや、お礼なんていいですよ。気にしないでください」
「いえ、なにも返せないからこそ受け取っていただきたいのです」
でも、と躊躇うトレーナーの手を取り、母親は半ば無理矢理に福引券を握らせた。
「本当にいいんですか……?」
「もちろんです」
申し訳なさそうにしているトレーナーに向け、ファインは笑顔を滲ませながら、
「折角のご好意なのだから、受け取りましょう」
「……そうだね。ありがとうございます」
感謝を伝えて頭を下げると、母親は「いえ」と明るく答える。そして母親に背中を軽く叩かれた少女が、明るい声で「ありがとうお兄さん!」と笑顔を浮かべた。
「ばいばい」
去っていく親子に手を振りながら見届け、トレーナーは手に握らされた福引券を見つめた。
「主婦の魂とも言える福引券を……」
「そんなに大切なものなの?」
「もちろん。買い物をしてついてきた福引券で、懸賞が当たったのなら実質それは無料になる」
家庭を支える主婦にとっては、とても有り難みのある一枚。魂といえば大袈裟かもしれないが、それほどの価値があるのは確かだ。
トレーナーの語った熱弁に、ファインは手を叩いて「なるほど」と納得していた。
「それじゃあ、引きに行こっか」
「そうだねっ!」
確か特賞は『温泉旅行』だったか──。
例えそれが当たらなくとも、他の懸賞も良いものばかり。引かなければ損になるだけでなく、あの母親のご好意を無駄にすることになる。大切に一枚ずつ引いて行こう。
神に祈りながら、歩みを進めていく。
二人を照らす光は、遍く空を染める紅だった。
「おい、嘘だろ……」
そんな声が、鈴の音と共に響いた。
トレーナーの過去とか、二人の過去とかいる?
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どっちもいる
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なくてもいいかな
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二人の過去だけ
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トレーナーの過去だけ