【本編完結】恋人にしたい殿下と何も知らないトレーナー&SP隊長   作:渚 龍騎

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12 光、それは夜空に瞬く絆の輝き

 

 

 

「美味しゅうございましたっ!」

 

 

 満足気な彼女の声に続いて、食べ過ぎのあまりに低くなった声が「ご馳走様」と呟いた。

 旅館に出された豪華絢爛な料理を食べ終え、満足感に呑まれながらも二人で食器を片付ける。そして綺麗になった部屋に布団を敷いていった。

 

「一応、布団は離しとくよ」

「えーっ!!」

「当たり前でしょ?」

 

 声を上げてがっくりと肩を落とすファイン。視界の端で彼女を捉えながら布団を離していき、部屋の隅の方まで寄せて視線を戻した。

 何故かファインは片頬を膨らませていた。

 

「もうー、折角のお泊りなんだからいいでしょ?」

「いやでもね……」

 

 ただ一緒の部屋に泊まる──それだけでもかなりの問題がある上に、布団まで隣にすれば、常識的にかなりの問題がある。だがしかしファインの言う通り、彼女との旅行は滅多にない。

 トレーナーは良識を持つ自身の意識と葛藤を繰り広げ、悩んでいると、彼女が詰め寄って来た。

 

「今日は誰も見てないから。隊長たちも別の旅館で、周りの人の目もない──この旅行だけでも、少しぐらい甘えさせて……?」

 

 服の裾を少し引きながら、上目遣いでトレーナーを見つめ、彼は様々な感情と葛藤して口ごもった。

 普段ファインは周りから〝殿下〟として慕われる傑物の存在。いつだって身の回りには友人や護衛がついている。〝殿下〟の業務や、知れ渡る〝その名〟と〝祖国〟に相応しい存在として有り続けようと努力し、彼女が本当の意味で休める日などまったくない。

 気を休めて、誰かに甘えることなどできない。

 

 

 

「キミにだけの私を、見て欲しいの……」

 

 

 

 ファインモーションは、頬を赤く染めて言った。

 見つめる先の彼の表情は、困惑を滲ませていた。

 殿下としての運命を定められた彼女には、誰かの近くで心も身体も休ませられる日など全くなかった。

 ファインモーションが、ここまで心を許す相手など、恐らくは本当に一握りの存在でしかないのかもしれない。

 トレーナーは思考を巡らせて、息を吐いた。

 

 

「分かった。でも、この旅行だけだよ」

「うんっ、ありがとうトレーナー」

 

 

 誰よりも、なによりも、これだけ心を許せる相手なんて、きっといない。皆が見ているファインモーションは、本当のファインモーションなんかではない。

 取り繕って、皆のファインモーションであろうとした姿。けれど彼の前だけは、何故か心も身体も休まる。だから隣にいてほしい。彼だけは、本当の私を見せても、ずっと側にいてくれるから──わがままで、頑固で、面倒で、しょうもない私を。

 普通ではなかった生活が、彼のおかげで特別な普通を感じることができた。

 彼の前では、本当のファインモーションでいたい。だからもう少しだけわがままでいさせてほしい。

 

「でもさ、隣にしたら狭くならない?」

「これが良いの」

 

 並べるようにして布団を敷き、立ちながら眺めていたトレーナーは不思議と首を傾げた。

 誰かと横に並んで寝る行為は、ファインモーションにとっても滅多にないもの。友人と泊まることは危険を考慮して殆ど許されず、両親とでさえもそんなことはしたことがない。

 ファインにとっては、ただ誰かと同じ屋根の下、同じ部屋で隣に並んで寝る行為は夢のまた夢──だが、その初めてが大切な彼と。

 

「ねえトレーナー! 旅行とかではみんなで枕投げをするのが定番って聞いたの!」

「あー、まあやる人はやるね」

「折角来たのだから私たちもやってみよ!」

 

 用意された枕を、ただただ全力で投げて楽しむ遊び。勝敗は存在せず、ただ相手が諦めるまで続く。それこそが枕投げではあるが、やるにあたって枕投げには様々な問題がある。

 

「けど、二人だけだとあんまり楽しめないと思うよ?」

 

 複数人での大乱闘──混沌(カオス)な空間で飛び交う枕と笑いが、枕投げを極限まで楽しくさせる。二人だけで楽しめるような遊びには思えないが、全てを全力で楽しむ彼女とでなら、それも最高な一時になるだろう。

 トレーナーは悩んでから「あと」と付け足して、もう一つの問題を告げた。

 

「ウマ娘の力で投げられたら、ここは戦場になっちまう。窓とかいろいろと危ないかな」

「それじゃあ、気を付けてやらないとねっ!」

「おお、やらないという選択肢はないのか」

 

 やる気に満ち溢れるファインに負けて、ゆっくりと腰を曲げながら枕に手を伸ばす。

 仕方ないな、なんて溜め息混じりに呟き、枕を手に取った直後──ファインに向けて軽く投げた。

 アンダースローで投げられた枕は、油断していたファインの顔に正面から当たる。柔らかな音と可愛らしく短い悲鳴が室内に響き、ゆっくりと落ちていった枕の先に、怒った表情があると思っていたが──そこに溢れていたのは喜びそのものだった。

 

「やったねっ!」

 

 彼女が全力で楽しむ姿を見れたなら、それはきっとこっちまで心が晴れるだろう。だがしかし、この枕投げを始めたこと自体が間違いだった。

 ウマ娘の身体能力は人間を凌駕している。一見は筋肉がないように見える華奢なウマ娘であっても、瓦十枚程度なら叩き割れる。そもそも人と同じ姿形でありながら、時速60キロを超える速度で駆け抜けられる肉体構造は、不思議と神秘に包まれていた。

 そこで失敗だったのは、彼女がウマ娘である事実ではない。トレーナーが自分の身体の異変に気が付かなかった事。

 

 投げられた枕を受け止めて、笑いを溢す。そして枕を振り上げたと同時に、体の違和感に気が付いた。

 ────あれ?

 力が入らなくなり、握っていた枕が布団の上に落ちる。視界の四隅から闇が迫って、やがては立つ力すらも身体から抜け落ちて行った。

 ふらり、ゆらり、瞬きを繰り返して、視界が暗黒に包まれる。三半規管が狂って、天と地が逆さまになるような感覚に呑まれ、意識が一瞬にして消え去った。

 

 

「──トレーナーっ!?」

 

 

 最後に、彼女の声が響き渡って────。

 

 

 

 ◆◆◆◆

 

 

 

 

 ────いつも、ゆめを見る。

 

 

 永遠に、ずっと彼女の側にいられたらどれだけ幸せなのだろうかと──あの天真爛漫な笑顔と、聡明で気ままな性格の彼女となら、最高な時間になる。

 母親と共にいたが、自分は幸せであっても、母は自分の所為でいつも苦痛の中にいた。だから離れた。

 父親と共にいた。だがしかし、考えられない。そんなこと、もう覚えていない。

 姉さんと共にいたこともある。けれど、彼女はただの他人で、本物の()()なんかではない。

 

 いつだって羽を伸ばすことも、緊張が解けることも、心が安らぐこともなかった。

 全力でなにかを楽しむことなんてなかった。

 本当の意味で心が休めたのは、彼女と普通に過ごしている時だけ。理由は分からないが、彼女といる時だけは普通のことも、なにも感じなかったことでさえも、楽しめることができた。

 

 

 ────眩く、燦然と煌めく兆し。

 

 

 あの日見た夢を、ずっと追いかけたい。

 あの日見た光を、絶対に手に入れたい。

 決して終わることのない夢を、夢ではなく現実として迎えたい。この夢が終わらないで欲しいと、永遠に願い続け、ずっと隣で彼女を支えたい。

 感じたことのない初めてのこの感情。胸の中で渦巻くこの思いが、まるで何なのか分からない。

 

 

 ただ、一つだけ分かるのは────。

 

 

 ゆらり、ゆらり、ふわり、ふわり、暗闇の中にある意識が、常闇に呑まれて何度も浮き沈みを繰り返す。

 いつだって此処には、何もない。茫洋と漂う意識の存在だけで、四肢も五感もなにもかもが失われて、その存在は名前だけの意識で虚空を流れた。

 これ以上、この場所にいてはならない。意識だけであっても思索を馳せて、この暗黒から抜け出す。

 道標となる眩い光──遥か先の光が、酷く輝いていて、必死にその光の正体を追い駆け続けて来た。

 その光の意味を探して、その光を掴む為に手を伸ばして、あと少しで手が届くから────、

 

 

 

 光は────

 

 

 

 それを最後に、意識が眠りという海から浮上して、覚醒の水面に浮かんで瞼を開く。

 眩い光が目覚めの瞳に酷く沁みて、潤んだトレーナーの視界に淡く煌めく黄金の瞳があった。それは直ぐ間近の眼前で、息がかかるほどの距離で、なにより目を奪われるような恍惚とした美しさで、桃色の唇がから仄かに吐息が届き──声が漏れた。

 

「トレーナーっ!」

「あー、あれ……」

 

 眼前にあったそれがファインモーションの双眸であり、息が掛かるほど近くの距離に彼女の顔があったと気付いて、自分の身になにがあったのかをある程度理解する──あの距離で慌てふためく素振りを見せなかった自分を褒め称えたいものだ。

 目が覚めて見たら、眼前に容姿端麗な少女の顔。普通なら驚きのあまりに慌てふためくが、今回ばかりは意識がそれどころじゃなかった。

 

「大丈夫……?」

 

 普段は見られないファインの表情──明るく天真爛漫に笑っていた顔が、今では心配の色が広く滲み、彼女の頬には涙の跡で軌跡が描かれていた。

 

「ああ、うん……俺どんくらい寝てた?」

「えっと、十分くらいかな……」

「そっか……ごめん、心配かけたね」

 

 トレーナーを見下ろし、ファインは横に首を振る。

 恐らく倒れた原因は、寝不足かなにかだろう。そういえば最近は、あまり長く寝れた日が無かった。

 眠れなかった理由は色々あるが──トレーナーは頭に手を当てて、自分の愚かさを痛感した。

 彼女の為だと、彼女を理由にして自分の体調管理を怠ってしまった──トレーナーとしても反省するしかない。

 

「本当に大丈夫……?」

「うん、今は大丈夫だよ」

 

 トレーナーは柔らかく笑みを浮かべ、彼の言葉を聞いたファインは「良かった」と声を漏らして安堵に口元を緩めた。

 ファインの表情を見上げて、そっと瞼を下ろす。静寂の広がる中で、彼女が不思議に呼び掛けた。

 上から投げられ、聞こえた言葉──そこで、今のファインとの位置関係が妙に角度的におかしいと気付く。ファインモーションの端麗な顔が近く、その照明に照らされた彼女を見上げていた。

 頭の下には、枕とは違った妙な感触。なにやらファインは正座をしているように見えた。

 

「あれ……いま俺どうなってるの?」

 

 問い掛け、もぞもぞと頭の下でなにかが動き、彼女の表情が僅かに変化する。それは僅かに照れ臭げな、恥ずかしさの色を頬に滲ませて──、

 

「膝枕。男の人はこうされるのが好きだって、聞いたんだけど……嫌、だった……?」

「ああ、いや、全然、大丈夫。ありがとう」

 

 この歳の恥ずかしさこそあるが、まだ完全に意識が覚醒していないことと、僅かな懐かしさが、全てを放って拒もうとしなかった。

 いったい誰がファインにこんなことを教えたのか分からないが、今日ばかりはそんなことどうだっていい。息を大きく吐き出して、ファインを見上げた。

 彼女は目を伏せていて、落ち込んでいるようにも見えた。その表情を、その頬を見つめて、目尻から一直線に、彼女の頬が濡れていることに気が付いた。

 それがなぜなのか思考を巡らせ────、

 

「泣いてた……?」

 

 ファインが視線を他所に向けて、頷いた。

 

「本当にごめん」

「……私の所為……だよね……私が、キミの優しさに甘えてたばかりに、ずっとキミに負担をかけてた」

 

 ポツリと、彼女の口からそんな言葉が出る。小さな声で、訥々と、直ぐに静寂に消えてしまい、彼女が唇を僅かに噛み締めた。

 そんなことないよ──と、言い出そうとしても次から次へと、彼女の唇から継がれた。

 

「ずっと、ずっと、いつも甘えてた。レースの時だって、困った時だって、どんな時だってキミに甘えて、キミの優しさに浸り続けて、私はずっとワガママを言い続けてきた……」

 

 本人の口からは言われていない。寧ろ、そんなこと微塵も思っていないのだが、トレーナーが倒れてしまった原因はファインモーションにあった。

 元より激務なトレーナー業に加えて、担当ウマ娘が王家の子女(ファインモーション)にして初代URAファイナルズ優勝者(チャンピオン)のトレーナーという肩書こそ、それに拍車をかけたともいえた。

 

「キミは普通の人で、私は普通じゃないから……ごめんね、トレーナー……私、なにも気が付けなくて、ずっと一緒にいたのに……大変だったよね……」

 

 彼女自身が卑しめるように、その卑屈は止まらない。そんなファインの言葉を一言一句逃さず聞きながら、トレーナーはゆっくりと手を伸ばす。彼女の頬を辿ったであろう涙の跡に手を当てると、卑屈の雨が止まって、彼女は首を傾げた。

 確かに、このファインモーションとトレーナーの関係も、周りからの目も、なによりその存在も、他者からすれば普通とは言えない。だがそれはあくまでも〝他者〟から見た光景であり、誰よりもそれを知る〝本人(トレーナー)〟がそう思っているとは限らない──なにより彼も〝普通〟ではない。

 

「ファインはさ、俺に何かをお願いされた時、いつもどう思ってる?」

「どうって……もちろん嬉しいよ」

「良かった。俺も、それと同じ気持ちだよ」

 

 え、とファインは小さく口を開いて漏らした。

 確かに、ファインのワガママには振り回されることもある。無茶なお願いも、自由気ままな性格も、数え切れないほどのあらゆるところを見て来た。

 だが、それでいて────、

 

「まあ、大変な時もあるけど、それを苦痛だと感じたことはなかったよ。君に頼まれる度、俺は嬉しかったし全霊で答えようとしたんだ」

 

 ファインモーションは唇を閉じていた。

 沈黙を選択して、トレーナーの言葉を脳裏に響かせ、頭の下にあった膝枕が上下する。見つめていると、彼女は「それでも」と口ごもりながら呟き──、

 

「私はキミに迷惑をかけ続けて──」

「──ちょっとちょっとファイン」

 

 続けようとしたファインの言葉を遮り、彼女の頬に描かれた涙の跡を指で拭った。

 今日の彼女はやけに落ち込みやすい気がする。これほどまでに気弱なものだっただろうか?

 彼女の表情は崩れかけていて、閉していた唇を噛み、大きく開かれていた翡翠の瞳が細まり、それは今にも泣きだしてしまいそうな様子に思えた。

 トレーナーは名残惜しく思う彼女の膝枕から起き上がり、ゆっくりと向き直った。

 繊細な者にかける言葉は「気にし過ぎ」なんかじゃない。

 

 ────君は、本当に優しいよ。

 

 いつもそれを思って来た。

 殿下と呼ばれる彼女は、休む暇などなくいつだって他人を第一に考えて、祖国の礎となる為に、その身を心と共に削って生きていた。

 誰にも言えない。誰にも迷惑はかけられない。誰にもワガママを言ってはならない。

 光のもとで、光の当たらない場所に居続けた彼女は、きっと暗い闇を見ていた。

 

「それでいいんだよ。君は生まれこそ特別だけど、俺が見て来た君は普通の女の子だった。友達と笑って、学んで、ライバルとして駆け抜ける──そんな君が、どこにでもいる普通の女の子に見えたんだ」

「私が、普通……?」

 

 殿下として生まれ、運命を定められた。

 王家の子女──それだけで周りからは特別な存在として語れられる。周りの目はあまりにも────。

 特別でありながら、普通であろうとも。彼の隣に立っていたいから、その為には普通でなければと、何度も思考を巡らせ続けた。

 だが、自分がどれだけ特別で、普通になろうとしていても、彼から見た私はどこにでもいる普通の女の子らしい。そうさせてくれるのは、彼のおかげだから。

 

「でも、私は、キミの特別でありたいな……」

「分かってないなあ」

「え……?」

 

 呆れるように、それでいて揶揄いを含んだ表情で、トレーナーは姿勢を直した。

 真っ直ぐに、目の前のファインモーションの瞳を見つめる。宝石のような美しさを彩った瞳を大きく揺らし、一度だけ瞬きをしてからトレーナーを見つめ、彼はゆっくりとはっきり答えた。

 

「君は、もう既に俺の〝特別〟だよ」

 

 初めて出会った時から、もしかしたらそれよりも前からなのか。曖昧な記憶ではあるが、ファインとの思い出は鮮明に残り、刻まれている。

 ────彼女の走りに惹かれた。

 ────彼女の笑顔に微笑んだ。

 ────彼女の全てに見惚れた。

 ────彼女の輝きに憧れていた。

 なにもかもが、自分にとっての特別。一心同体、人バ一体、人とウマ娘が共に駆け抜けて来たことを表す言葉──この三年間は、それだけでは語り切れない。

 

「君は普通を描こうとするけど、俺は君を〝特別扱い〟したい。俺の〝特別(ヒカリ)〟として──」

 

 ファインモーションは、トレーナーの言葉を聞いて胸を締め付けられるような感覚に陥っていた。

 特別──それは彼女の運命を定めた。

 特別だから、特別なのに、特別扱いされることは、もう普通であることができないことを表す。周りの皆と違うことが、周りの態度を変えさせ、周りとの距離を遠退けていった。

 

 ────分かっている。

 

 みんなは優しいから、私を特別扱いせず、普通の友達のように接してくれる。結局は私の気にし過ぎであることも分かっている。

 彼も、私が背負っている責任を重荷として、決して逃げずに最後まで隣にいてくれた──それは私が〝殿下〟であるからじゃなく、私が彼の〝特別〟だから。

 

 

 

 ────それが、嬉しい。

 

 ────それが、本当にズルい。

 

 

 

 彼の表情も、彼の言葉にも嘘はない。三年を共にしたトレーナーだからこその言葉で、誠実さの表れでもあるのは分かっている──そんなことを平然と言うのだから、本当にズルい。

 それが恨めしく思うのに、憎いとは思わない。喜悦の感情(いろ)が強くて、ニヤケないように表情筋を抑えるので精一杯だった。

 

「今まで〝特別〟なことを誇らしく思うと同時に、みんなと違うことを憎くも思ってた──けど、キミからもらう〝特別〟は嬉しいことばっかり……」

「俺もだよ。なにもない普通の時間が、君と過ごすことで〝特別〟なものに変わったんだ」

 

 互いに特別なものへと昇華させて、互いに互いを想って駆け抜けて来た。

 胸の内側に秘められた──恋を、愛を、彼と共に同じ想いであってほしい。それなのに、彼はこっちがどんな感情で想っているか知らない。どれだけ愛しているのか、この溢れる万感の思いを馳せて、どれだけ我慢しているのか、彼はなにも知らない。

 

 ──ただ彼と、普通で特別な幸せを紡ぎたい。

 ただただ今は恋人になってほしい──それだけなのに、なぜ彼は未だになにも知らないのか。愛を語り合うような深い関係は、恋人(それ)からでいいのに。それが、数少ない願いでもある。

 

 彼こそが私の〝光〟で、私を導いてくれる希望の如き存在。繋いで、紡いで、描いて、輝いて、私の〝光〟はトレーナーただ一人。

 〝光〟とは、いったいなにか──昔はその漠然とした問い掛けに答えることができなかったが、今ははっきりと答えられる気がする。しかし彼の〝光〟とはいったいなんなのだろうか?

 

「──キミにとって〝光〟ってなに?」

 

 渦巻く感情を抑え込み、ふと彼がずっと言ってきた疑問を言葉にして問い掛けた。

 トレーナーは「うーん」と唸るが、最初から答えは決まっている。それは幼少の頃から決して変わることのなかった、たった一つの輝き。懐かしむように、微かに微笑んだ口角からその言葉が告げられた。

 

「俺にとって〝光〟とは──〝絆〟だよ」

「絆……?」

「そう、絆こそ光だ」

 

 概念的な存在でありながら、あらゆる形に変化して、あらゆる者の力となる。想いを背負うウマ娘も、絆を受け継ぎ、その身に光として宿すことで駆け抜けていく。

 

「だけどそれは人によって変わる──俺の場合は、もう一つあるんだ」

 

 そう言って、ゆっくりと瞳を閉じた。

 絶望しかなかった無の頃に、ウマ娘を見た。

 全身全霊で駆け抜け、燦然とした矜持を持って最後まで諦めない。その姿に憧れを持ち、夢を描いて、トレーナーになると決意した。

 だから、今ここにいる──ファインモーションは、初めて出会うことのできた最高のウマ娘。

 一拍置いて、トレーナーはファインモーションの瞳を真っ直ぐに捉えた。

 

「──それは君だよ、ファイン。君は俺の光で、夢でもある」

 

 微笑んで、彼はファインモーションの手を取る。柔らかな手に重ねられ、ファインモーションは意図していなかった言葉に、ぽかんと口を開けて間の抜けた表情をしていた。

 

「正直言うと、トレーナーになるのが夢だっただけで、それ以降のことは何も考えてなかった。周りがどんどん担当ウマ娘を見つけていく中で、俺はどうするべきか分からなかったんだ。だけど────」

「だけど?」

「──君に出会った」

 

 ファインモーションと初めて出会ったあの日。あの瞬間に、運命の歯車が嵌め込まれた気がした。

 機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)が、ぽっかりと空いた一つに歯車を嵌め込むことで、運命も奇跡も、全てを蝟集させた歯車が連動して動き出した。

 

「走りたい想いを押し留め、理由を探しては気持ちを隠す君に、新しい世界を見せたかった。最初はね、それだけのことだよ」

「キミがいなかったら、今の私はここにいない……キミのおかげで、新しい景色を見れて、大事な想い出もたくさんできたよ」

 

 レースを見ている瞳は、燦然と輝いていた。

 走り抜けるウマ娘を見る表情は、まるで憧れを抱くように、無邪気な笑顔を浮かべていた。

 興奮冷めやらぬ想いが溢れて、制服のまま駆け出した姿に、思わず見惚れるような美しさがあった。

 

「初めての担当ウマ娘が、アイルランドの王家の子女とは、同期からも『バカか』って罵られたよ」

 

 ふと思い出した記憶に、トレーナーは笑った。

 釣られて、ファインモーションも笑い声を漏らす。静寂と静謐の空間に瞬く間に消えて、思い出に耽けながら訥々と呟いた。

 

「キミに出会えて、本当に良かった……」

 

 ────『君の気持ちを知りたい』

 ────『君の為なら、俺だって』

 ────『今日は少し、休もうか』

 ────『さあ、一緒に行こう』

 

 全てが記憶に刻み込まれている。思い返せば、全てが昨日の事のように感じる。それはまるで走馬灯のようでもあり、決して終わる事のない夢にも思えた。

 祖国の為だと考えていた何もかもが、彼の為にと考えるようになってしまった。

 

 誰よりもその近くにいてくれたから。

 誰よりもその隣で微笑んでいたから。

 誰よりもその側で支えてくれたから。

 誰よりもその身を捧げてくれたから。

 

 Something old(なにか一つ古いもの), something new(なにか一つ新しいもの),

 something borrowed(なにか一つ借りたもの), something blue(なにか一つ青いもの),

 and a sixpence in her shoe.(そして靴の中には6ペンス銀貨を)

 

 音が、聞こえる──流れる鼓動の音が、跳ねた。

 静かな時の巡りに、二人は見合わせる。互いの特別な時間を、二人で紡いでいく。それがお互いの幸せを願うサムシング(Something)とも言えるだろう。

 

「トレーナー」

 

 呼べば、彼は「ん」と短く反応を示した。

 

「少し、壁の方を見ててもらってもいい?」

「……? うん、分かった」

 

 僅かに困惑を見せたトレーナーは、首を傾げながらもファインモーションを詮索するようなことはせず、素直に壁の方へと座り直した。

 彼がこちらから完全に視線を外したのを確認して、部屋の隅に置かれた荷物の中を漁る──それは、渡すタイミングを計ってどうするべきか悩んでいたもの。

 このタイミングなのもおかしいと思うが、それでも今渡さなければならないと本能が語っていた。

 そして、荷物の中から一つの箱を取り出したファインモーションは、トレーナーの背後に座った。

 

「目、瞑ってて」

「え、うん……」

 

 言われるがままに瞳を閉じた。

 背後でなにかの音がする。箱が擦れて、開いていく音。彼女の静かな呼吸、うるさいくらいに鳴り響く自分の鼓動。静寂な空間のはずが、あまりに騒がしい空間だと誤認識してしまうほどだった。

 数秒か、それとも数分か、長くも短い時が流れて行き、首に冷たく軽い感触のなにかが触れる。それは紐のようで、金属で作られたなにか。

 

「はい、いいよ」

 

 柔らかにその言葉が告げられ、トレーナーはゆっくりと瞳を開く。そして違和感を感じていた首元に手を当て、何かが首から下げられているのに気が付いた。

 

「これ……クラダリング?」

 

 首から下げられていたのは、ネックレスにされた美麗な指輪──アイルランドの伝統的工芸品とも言えるクラダリングだった。

 (ハート)を中心に、包み込む両手(友情)を象って、その上には王冠(忠誠)。それはアイルランドのシンボルにもなっている指輪の一つで、結婚指輪として着ける人も多く、恋人や子供、親愛なる者への贈り物として有名なものだ。

 

「そうっ! 言ったでしょう? お返しにプレゼントを渡すって」

「ああ、あの電話で言ってた……」

「うんっ、キミとプレゼントを探しに行った時は、良い物が見つからなくて、それなら祖国のものをキミにプレゼントしようって思ったの」

 

 なるほど、と理解した様子で首に下げられたネックレスを手に取る。美しく丁寧な装飾に、きらびやかな光を反射している。それはあまりに綺麗で、まるで宝石のような輝きだった。

 

「折角ならって、キミから貰ったネックレスみたいにしたんだー!」

 

 ファインモーションにとって、かなり大胆な行動だったと自覚している。だがクラダリングは、ただ恋人だけに渡す贈り物ではなく、親愛なる友人にも向けて渡せる物──それなら、恋や愛を込めていたとしても気付かれることは低い。

 トレーナーは何も言わず、ぼんやりとクラダリングを見つめていた。

 

「あまり、気に入らなかったかな……?」

 

 何も言わないトレーナーを見て、不安に駆られるファインだったが、彼は慌てて首を振った。

 

「ち、違うよ。ただ、こういう贈り物は貰ったことがなかったから、少し驚いただけなんだ」

 

 微笑んで────、

 

「ありがとう、ファイン。贈り物(プレゼント)って、こんなに気持ちの良いものなんだね。絶対に、大切にするよ」

 

 笑みを浮かべた先──ファインモーションは緊張から開放され、安堵のあまりに思わず笑った。

 彼女の首から下げられているクローバーのネックレスが覗き、天井からの光に照らされて互いのネックレスが輝く。開いた窓から風が吹き抜けて、窓の奥に瞬く無数の星が、二人の懸想を淡く見下ろしていた。




感想評価があれば是非よろしくお願いいたします。

トレーナーの過去とか、二人の過去とかいる?

  • どっちもいる
  • なくてもいいかな
  • 二人の過去だけ
  • トレーナーの過去だけ
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