【本編完結】恋人にしたい殿下と何も知らないトレーナー&SP隊長   作:渚 龍騎

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遅れてごめんなしゃい


16 その舞は、遍き咲き誇る花のように

 

 

 

 ────歌が、聞こえた。

 

 

 

 沈み行く太陽が、真紅の光を灯して遍く公園の地を黄昏に染める。流れ行く時の中で、二人の影が重なりながら、ゆらりと音楽と共に舞った。一歩をお互いに歩んで、互いに互いの身体を託しながら、一人は彼女にリードされていた。

 取り合った両手から、お互いの体温を感じる。

 寄せ合った身体から、お互いの鼓動を感じる。

 近付けあった顔から、お互いの吐息を感じる。

 どれもこれも温かくて、眠りの中にいるような心地良さがそこにあった。

 

 永遠にこうしていたいと願う。この二人だけが描く空間を、ずっとこのまま感じていたいと想う。願い、想い、感じ、数多の感情が押し寄せて、彼の手を強く握り締めた。

 

「おっと……」

 

 バランスを崩した彼の態勢を支える。

 時折に見せた彼の困惑した表情。彼女(レディー)が魅せる踊り(ステップ)は彼を惑わす。それでも彼女はリードし続け、甘えるかのように彼の身体に寄り掛かった。

 誰かの介入はない。なにかの邪魔も入らない。たった二人きりの空間で、吹き抜けた風が髪を靡かせる。その感覚があまりにも爽やかで、彼が彼女のステップに必死についていこうと、真剣な表情の中で稀に困惑と焦りを滲ませていた。それでも彼は置いて行かれぬように、彼女に身を任せながら一歩を踏み込んだ。

 蹌踉めいた彼の手を取った。

 

「キミにも、苦手なことがあったんだね」

 

 王族の一人である彼女──ファインモーションは、社交場におけるダンスは一通り踊ることができる。これも他国の人間との交流を図るため、父親や隊長から教えてもらったもの。ファインモーション自身も、覚えが良く、センスも輝いていた故に、ダンスの腕は一流といっても過言ではない。そんな彼女のセンスを以てしても、彼は盛大に足を引っ張っていた。

 数秒の間、踊った感想として、相手(トレーナー)はファインモーションですらも苦笑するほどにダンスが下手である。それはもう踊ってみて、痛いほど感じられた。

 

「俺は広く浅いにわか知識を持ってるだけで、運動はこれっぽっちもできないんだよ……」

 

 昔は病弱だったから、と言い訳をしてトレーナーはファインモーションに身体を寄せる。蹌踉めく度に支え、トレーナーが足を引っ張る度にファインモーションは修正を施した。

 トレーナーの下手なダンスを支えながらも、ファインモーションがなにか不満を漏らしたり、苛立ちを見せるようなことはなかった。ただトレーナーを支えられることの喜びが大きく、戸惑いの表情を見られることが愛しく思えていた。

 数年が経って、ようやく彼の新たな一面を見れたことがとても嬉しかった。

 

「運動というよりも、トレーナーはリズムを取るのが苦手みたいだね」

「そう、かも……うわっ……」

「あら」

 

 蹌踉めいたトレーナーを支えると、ファインモーションと身体が密着する。見下ろす彼の表情を見上げ、ダンスの流れが時間と共に止まった。

 吐息すらも交わる距離で、トレーナーが息を吸って口を開いた。

 

 

 

「いつの日か、君をリードできるよう努力するよ」

「それは楽しみ! じゃあそれまで待ってるねっ!」

 

 

 

 ああ、と返事をしたトレーナーの額に、ファインモーションは顔を寄せて額を付ける。二人の影が黄昏の色に染められ、色濃く背景に映り込み、それらがゆっくりと重なっていった。

 終わりを迎えた今年のファン感謝祭──遠くから聞こえる喧騒の中で、二人は二人だけの空間を創り出して、誰も知らない誰もいない世界で緩やかに踊った。

 

 

 

 ◆◆◆◆

 

 

 

 今回のファン感謝祭において、トレーナーが目を付けていたイベントとは体育館で行われる物だった。

 それまで体育館では、様々な催し物がウマ娘たちによって開催されていた。

 

 テイエムオペラオー、フジキセキを筆頭に開幕された演劇──ロミオとジュリエット。

 初演は概ね1595年前後、ウィリアム・シェイクスピアによる戯曲。14世紀のイタリアの都市ヴェローナにて、代々対立する名家モンタギューとキャプュレットで生まれたロミオとジュリエットが、禁断の恋を叶えるが為に駆け抜ける恋愛悲劇。詳しく知らぬ人でも、その最後が齎した悲劇と台詞は多少なりとも聞いたことがあるのではないだろうか。

 トレセン学園やファンによる人気も博しているこの二人だけでなく、多数の人気ウマ娘を起用して演劇が開幕される。それは体育館で行われるイベントでも一世一代の大イベントといっても過言ではない。

 

 当然の如く、体育館は人でごった返していた。

 これだけの大イベントではあるが、トレーナーが目を付けているのはそれではない。しかし、学生の演劇とは思えないほどの素晴らしい演劇だった。

 テイエムオペラオーやフジキセキだけでなく、他のウマ娘もどれだけの努力を重ねたのか、圧倒的な演技力はトレーナーやファインモーションを含め、目を見張るものがあった。

 

「みんな凄かったね」

「だね」

 

 演劇が終わり、ファインモーションがふと呟いた。

 次のイベントが始まるまでの間──観客たちには休憩が与えられ、椅子から立ち上がる者もいれば、そのまま次の舞台の準備を整えるものもいた。

 ごった返した人混みに押し返されてしまわないように、トレーナーとファインモーションは体育館の壁に寄りかかりながら動かずに立っていた──とは言っても、トレーナーから離れないために、ファインモーションは彼の服の裾を僅かに握り締めていた。

 

「あのキャスティングはオペラオー自身が集めたらしいけど、ファインは声をかけられなかったの?」

 

 君のジュリエットが見たかった、と僅かな願望と不満を声に募らせるトレーナーに対し、ファインは微笑してから終幕された演劇──体育館の前方へと視線を向けた。そこでは片付けと同時に次の幕へと繋げる準備を施すウマ娘たちが忙しく動いていた。

 

「ううん、声はかけられたよ。でも参加できないと思ってたから、断っちゃった」

 

 数週間前、テイエムオペラオー直々にファインモーションへ申し出があった。だがしかし、その時はまだファン感謝祭にファインモーションが参加できるか分からない状況であり、断る他なかった。

 それを聞いたトレーナーは、頭を抑えて後悔した。

 

「チクショウ! もっとはやく交渉してれば、ファインのジュリエットが見れたかもしれないのにっ!」

 

 訳の分からない悲鳴のような声を上げ、本気で悔しがるトレーナーに、ファインモーションは苦笑しながらも、確かに演劇はやってみたかったと心の隅で僅かに留めた。

 きっと、僅か数秒しかない役なのだとしても、トレーナーは誰よりもファインモーションを褒め称えるのだろう。そんな未来が、容易に想像できていた。

 その為だったら、演劇はやりたかった──それがファインモーションの本心であり、願望でもある。できなかったのは本当に残念だった。

 

「でも、あの舞台に立ってた皆も凄かったよ。私の立つ場所なんてないと思うな」

「そんなに自分を()()することないさ。()()だけに」

 

 その瞬間、目の前で立ち上がったナイスネイチャが吹き出し、更には体育館の前で指示を出していたシンボリルドルフの視線がこちらに向いた。

 笑いを堪え、ぷるぷると肩を震わせるトレーナー。そんな彼を見つめて、ファインモーションは僅かに片頬を膨らませると手を伸ばし────、

 

「あいたたたたたっ!」

 

 トレーナーの頬を摘んだ。

 渾身のギャグと言わんばかりの納得の表情(ドヤ顔)を見せていたトレーナーは、苦痛の声を上げて頬を引っ張られるがままに身体がファインの方へ引き寄せられた。

 

「もうー! いま私、真面目な話してたんだよ?」

 

 少し上手いと思ってしまったが。

 

「ごめんごめん、言わずにはいられなくて」

 

 トレーナーは横目で、腹部を抑えながら笑いを堪えるナイスネイチャを一瞥。傑作だと思ったんだけど、と呟いてからファインモーションの頭に手を置いた。

 

「でも、君ならどんな役だろうと見てみたかったよ」

「ラーメン大使の役とかないかな」

「どういう役なの?」

「ラーメンをいっぱい食べる役だよ!」

 

 あるわけない、と当然の如くツッコまれたファインモーションは明るい声を上げて笑った。

 頭の上に置かれた手がウマ娘の柔らかな耳の間をゆっくりと、瞬く間に溶けていくさらさらな髪を撫でる。その感覚が心地良く感じられると同時に、僅かな恥ずかしさがファインモーションに巡った。

 

「トレーナー……嬉しいけど、みんなの前では流石に恥ずかしい、かな……」

「あ、ごめん、つい」

 

 無自覚で頭を撫でていたトレーナーが、その手を引っ込める。頭に残っていた暖かな感覚が名残惜しく、ファインモーションは赤く滲んだ顔を伏せながら自身の頭に手を置いた。

 

 言ってしまったことを後悔するべきか否か、ここが公の場所でなければと心の底から思ってしまう。彼が自分を子供のように扱っていることは許せないが、そこは頭を撫でてくれたので免除する。どうにかして、子供ではなく大人の女性(レディー)として、彼を振り向かせることはできないのか──顎に手を置いて、ファインモーションはその聡明な頭を悩ませた。

 

「次が始まるね」

 

 そう言われて、ファインモーションは視線を戻す。壇上に下ろされた幕が、ゆっくりと徐々に上がりきったそこには二人のウマ娘がいた。

 一人はくせっ毛なのか分からないが、外にハネた漆黒の髪を腰の辺りまで伸ばし、葵い帽子とバラが特徴的なウマ娘──ライスシャワー。そしてもう一人は、ライスシャワーと似た色の髪を編み込み、更には耳に花飾りを施したウマ娘──ゼンノロブロイ。

 二人は手に持った本を開き、緩やかに、そして穏やかな声色を美しく響かせて語り始めた。

 

「あー、朗読劇か……」

 

 演劇の次なる劇は、ライスシャワーとゼンノロブロイによる朗読劇だった。

 ライスシャワーとゼンノロブロイ。この二人は幼さが残る小柄な容姿に反して、その実力は折り紙付きだ。二人とも物静かで自己主張が激しい訳ではないが、こういった朗読劇にこの二人は適任とも言える。

 ライスシャワーは内気で臆病とされているが、それは彼女の優しさから現れるもの。そのミニハットに付けられた青いバラを見ても分かる通り、彼女自身絵本が好きで、ゼンノロブロイもトレセン学園の図書委員を務める愛書家だ。夢を開花させる為に奔走する二人の姿は、いずれなる〝英雄〟のようでもあった。

 この朗読劇に美しい音色のような声を持つ愛書家の二人を超える逸材はいないだろう。

 

 二人が朗読を始めたのは、グリム童話によって収録された『ヘンゼルとグレーテル』だった。

 中世ヨーロッパに起こった大飢饉(だいききん)を伝える為に描かれたとされる童話であり、さきのロミオとジュリエットによる悲劇とは打って変わった作品でもあった。

 貧しかった木こりの夫婦の子供であるヘンゼルとグレーテルが、貧困を理由に両親に捨てられてしまい、森の中で途方に暮れているとお菓子で建てられた家と老婆を見つけた──それがこの物語のあらすじ。

 

「いつもは内気に見えるライスシャワーも、生き生きとしてるように見えるね」

「絵本の大好きな心が、凄く伝わってくるよ」

 

 ロミオとジュリエットに比べて、それなりのアクションや動きがある訳ではない。登場人物もライスシャワーとゼンノロブロイ、そして数人のウマ娘のみ。衣装も簡易的なものだけだが、全員の堂々とした姿や声の色が、トレーナーとファインモーションを含めた観客の心を完全に掴んでいた。

 

 二人の表情や声の強弱によって、迫力もさることながらその情景がありありと浮かんだ。美しい音に囁くような声が、更なる舞台へ観客を引き込んでいた。長いようであっという間に過ぎた朗読劇が終わり、最後にライスシャワーやゼンノロブロイたちが壇上に並んで丁寧に、ゆっくりと頭を下げた。

 拍手が巻き起こり、彼女たちと観客を遮るが為の幕が下ろされていった。

 

 ヘンゼルとグレーテルが見つけたお菓子の家に住んでいた老婆とは、子供を食べる魔女であり、ヘンゼルが食べられそうになるが、グレーテルによって魔女を討伐。お菓子の家に隠されていた財宝を持って、二人を捨てたことを悔やんでいた両親のもとに帰還。裕福になり、幸せに過ごした。

 ロミオとジュリエットの悲劇と変わり、ヘンゼルとグレーテルは幸せな結末(ハッピーエンド)で終わる──トレーナーだけでなく、他の観客もライスシャワーたちの朗読劇に感嘆の声を漏らしていた。

 

「朗読劇──はっきり言って眠くなると思ってたけど、そんなことまったくもってなかった」

「昔お姉さまに読み聞かせをしてもらったことがあるけど、二人とも本当に上手だったね!」

 

 二つの劇の感想を述べあったトレーナーは「さて」と呟いて手を叩く。トレーナーの本来の目的は『ロミオとジュリエット』でも、『ヘンゼルとグレーテル』でもない。確かにこの二つは素晴らしいという言葉以外が見つからないほどの出来だった。だがそれでいて、トレーナーはこの時を待っていた。

 

「トレーナー?」

「ごめんファイン、俺用事があるからちょっとだけここで待ってて」

「え、用事って……」

 

 聞くよりもはやく、トレーナーはファインモーションの疑問を他所にそのまま駆けていった。

 遠退く背中は瞬く間に観衆の海に呑まれる。本来トレーナーと離れてはならないはずなのだが、トレーナーの姿はなくなり、いつの間にか隣には見慣れた黒服に身を包んだSPの隊長が立っていた。

 

「隊長、トレーナーはどこに?」

 

 数秒の無言の後、隊長は淡々とした口調で「私も存じません」と答える。だがその声色からは、漠然とした感覚だったが嘘の色を感じられた。

 生まれてからの長い間の時間を共にしたのだから、隊長がどれだけ隠していても、嘘か真かを判別することは誰よりもできる──隊長もそれは同じ。

 

「今回は、本当にありがとうございます隊長」

「いえ、トレーナー殿がいなければ、私はなにかをしようともしていませんでした」

「それでも、行動してくれた事に変わりはありません。ここまで楽しいイベントに参加できるなんて、思いもしませんでした」

 

 トレーナーだけではない。隊長には、数え切れないほどのワガママと迷惑を掛け続けて来た。この歳になってからは、できる限りその迷惑をかけずにいようと思っていたファインモーションだが、隊長の想いもまたトレーナーと変わらない。

 トレーナーも隊長も、ファインモーションを第一に考えている。彼女の笑顔や生活を守り、繋いでいることこそが、彼らの幸福でもあった。

 

「隊長は、トレーナーがどうして私のためにそこまでしてくれるのか聞いていますか?」

 

 問い掛けられて、隊長は鼻で息を大きく吸った。

 隊長がファインモーションに尽くす理由。それは昔から何度も聞いたことがある。だがトレーナーに関しては、彼の口から僅かに聞いたことがあれど、誰かに告げた本心は知らない。

 最近はなんだか分からないが、トレーナーと隊長は二人でいることが多い気がしていた。トレーニングの前や後で、二人がなにかを話している所を何度も目撃したことがあった。

 見つめていると、隊長の口角が僅かに上がったような気がした。

 

「トレーナー殿は『寂しさに慣れてほしくない』と、殿下にはずっと笑っていてほしいと言っていました」

「ずっと、笑って…………」

 

 告げられた言葉を、ファインモーションは口の中で呟く。反芻した言葉は、優しさに満ち溢れて彼の本心を初めて知ったような感覚があった。

 

「ずるいなー……」

 

 一言だけ呟いた言葉は、瞬く間に雑踏の喧騒に包み込まれる。ファインモーションは僅かに笑みを溢してから、コホンとわざとらしく咳をする。そして隊長に向け「そういえば」と話題を切り出した。

 身体の前で上品に手を組み、瞳を閉じる。

 

「最近、私に隠れてトレーナーと会っているようですが、いったいなにをしているのですか?」

 

 問い掛けに、隊長の眉が一瞬だけピクリと動いたのを、ファインモーションは見逃さなかった。

 前述していたが、最近は何故かトレーニング終わり等の時に隊長の姿を見ないことが多く、それでいてトレーナーの様子もどことなくおかしく感じられ、偶々見かけたのが、トレーナー室で二人きりでいる瞬間だった。

 なにを話しているのかまでは分からなかったが、どこか仲良さげな雰囲気がその空間に席巻していた。その時に渦巻いた感情と、心を締め付けられるような感覚は決して忘れない。それが尊敬している隊長相手であっても────。

 

 平然を装って、トレーナー室で何度も二人が出会っていたことを隊長に突き付けた。

 辺りの喧騒が吹き抜けていく中で、隊長が沈黙を選択。そのまま数秒が経って、ファインモーションは隊長を逃しはしなかった。

 

()()トレーナーとなにをしていたのですか?」

 

 ファインモーションが一歩を詰める。隊長は一歩下がる。詰めて、下がり、そして隊長の背中に壁が当たり、逃げ道を完全に塞がれてしまった。

 

「私に隠れて、二人だけでなにをしてるのですか!」

「それは……殿下といえど、言えません」

「え……もしかして、二人はもう私には言えないほどの関係に……っ!?」

 

 違います、とファインモーションの勘違いに悩むことなく即答で答える。だが、あながち間違いではない。現状トレーナーとの関係は答えられない。ファインモーションが考えるそういった恋仲の関係ではないが、彼女には言えない理由があった。

 

「次のイベントが始まりますよ」

「話を逸らさないでください!」

「次は殿下も参加する催しです」

「……え? でも私はそんなこと……」

 

 参加に応募した記憶などない。そんなことを思うよりも先に、隊長に背中を押されてファインモーションは一歩前に出る。振り返り、隊長を見つめたがなにかを言われる訳でもなく、ただゆっくりと頷かれただけだった。

 なにが行われるのかも理解できず、なにも知らずにウマ娘たちの中へとすぐに呑み込まれてしまう。辺りを見渡して見ても、隊長の姿は見えるが、ただそれだけで手を貸してくれるような雰囲気ではなかった。

 困惑となにが起こるのか分からない僅かな恐怖の中で、体育館内に耳を劈くようなマイクの甲高い音が鳴り響く。そして司会者らしきウマ娘が声を張り上げた。

 

『今年もやって来ました! ダンスパーティー!!』

 

 ダンスパーティー。去年にも開催されたこのイベントは、その名前の通り、参加者が曲に合わせてダンスを踊るといったもの。誰かがなにかを競う訳でもなく、ただただ気ままに優雅にその舞を披露する。誰でも参加できる訳ではなく、応募した者のみが踊ることを許可されるが、一部例外がある。それは参加したウマ娘本人が許可すれば一般の方も参加して踊れるという特別ルールがある。

 だが、ファインモーションはそれを参加した覚えなどない。たとえ参加できるのだとしても──、

 

「私の相手はだれ……?」

 

 二人で一組となって参加しなければならないこのイベント。ファインモーションの相手はいったい誰なのか。できることならば、大切な彼(トレーナー)と一緒に踊りたい。だが彼はどこに行ってしまったのか分からない。

 去年はファン感謝祭の参加は許されず、このイベントを見ることすら叶わなかった。だがしかし、去年は参加できないことがそれほど悲しくもなかった。

 なぜなら────、

 

 

 

 ──『人が多いから参加できないんでしょ?』

 ──『それなら人気のない所で一緒に踊ろう。俺、踊ったことないけど、それでもいいなら』

 

 

 

 ────愛しい彼(トレーナー)が側にいてくれたから。

 差し伸べられた手が、あれほどまで嬉しいとは思いもしなかった。感情にぽっかりと空いた寂しさが、彼の優しさで埋め尽くされる。沈み行く太陽が、遍く世界を紅に染め上げて、燃えるような景色がある中、たった二人で誰かの邪魔が入ることもなく、緩やかに舞った。

 初めて見た彼の新たな一面。初めて知った彼の苦手なこと。たった二人でも、あの時間が狂わしいほどに愛しくて、咲き連ねる花々が風に吹かれる度に、同じように揺れ踊った。

 あの時のように、また彼と舞い(おどり)たい。だがそれは、単なるワガママで、彼に強要するべきことではない。彼はダンスが苦手なのだから。誰であっても苦手なことはやりたくないのが本能だ。

 

 きっとこのあとに隊長が踊ってくれるのかもしれない。トレーナーはダンスが苦手だから、見栄えが良くなるようにも、殿下としての立場を保つためにも〝殿下の私〟のために──そんなことどうでもいいのに。

 辺りを見渡して見ると、他のウマ娘たちはそれぞれのパートナーと手を取って踊り始めようとしていた。

 その光景が眩しくて、ふと視線を落とした時──、

 

「──ファインモーション殿下」

 

 声が聞こえた。

 爽やかに、鼓膜を軽やかに叩く聞き慣れた声。振り返った先には、見慣れた(求めていた)彼の姿があった。

 彼は左手を後ろに廻して、下から右手を差し出す。そして僅かに首を傾げながら笑みを見せた。

 

 

 

俺と踊っていただけませんか(Ar mhaith leat rince liom)?」

 

 

 

 慣れない言語。覚束ない発音。それでいて、差し伸べられた手や見つめてくる表情(カオ)は自信に満ち溢れている。その手を見下ろしてから、視線を上げて彼の表情を交互に見つめた。

 再度その言葉を理解して、喉の奥から困惑の満ちた「え?」という声が漏れてしまった。

 

「で、でも、トレーナー、ダンス踊れるの?」

「無論問題ないよ。この日のために、君には内緒で努力を重ねたんだから」

 

 至極当然のように、トレーナーは答えて紳士的な態度を変えずにファインモーションを見つめる。嬉しさが感情の荒波を押し切って込み上げて来ていたファインモーションは、その喜色を表情(カオ)に滲ませながらゆっくりと手を伸ばした。

 ────「はい」と、喜んで受け取って。

 

 

 

 その終わりは、悲劇か、はたまた喜劇か。

 天井からぶら下げられた照明が、人混みで溢れかえった体育館を照らす。数多の光と影が混じり、廻り、それらは風に吹かれる花のように舞っていた。

 

 

 

 ◆◆◆◆

 

 

 

 暖かな体温が密着した身体と、取り合った手から感じる。かつてよりも遥かに洗練された踊りは、リードされていた過去とは違い、上手くファインモーションをエスコートしていた。

 

「上手になったねトレーナー!」

「この日のためにも社交ダンスを習ったり、隊長にも教わったりしてたんだよ」

 

 それでだったんだ、とファインモーションは呟く。最近、妙に隊長とトレーナーの様子がよそよそしく、二人でよく出会っていたのはその為だったらしい。

 どれだけの努力を重ねてきたのか、この短い時の中で流れた踊り(ダンス)だけでもよく理解できる。乱れていたリズムも、今では同じように取ることができている。なにもかもが、上手くできていた。

 手を引かれ、笑顔を交えながら、緩やかに回る。天井から照らされた淡い輝きが、行く先を照らした。

 

「隊長は教えるのは上手いけど『殿下と踊るなら、様々なダンスを覚えていただきます』って、大分しごかれたね」

「あははっ! それで頑張ってくれたんだ! どんなダンスが踊れるようになったのか教えて?」

 

 リードする者、エスコートする流れが変わる。ファインモーションに手を引かれ、トレーナーは彼女の動きを追うようになる。それに気付いたトレーナーが、直ぐさま足を組み替え、ファインモーションの身体が倒れると背中に手を回した。

 右手は彼女の手を握り締めたまま左手は背中を支えている。呆けている彼女を見下ろしながら「今日は俺がエスコートするよ」と、微かな笑みを見せた。

 胸の奥底で、なにかが一気に跳ねるような感覚があった。見上げる彼の表情は、天井から落ちる光によって影で濡れている。輝きを背に受けて見下ろす彼は、どこか大人びた雰囲気があって、いつもとは違ったなにか────端的に言うならば、かっこよく見えた。

 

「ファイン大丈夫?」

「………………うん、大丈夫…………」

 

 そう思った瞬間、トレーナーの顔から視線を逸らしてしまう。さっきまでなんとも無かった感情が、どこからともなく湧き出るように溢れて、つま先から頭頂部まで駆け抜けていった。ただ駆け抜けるのではなく、全てが表情(カオ)に溜まってしまって────、

 

「なにが、踊れるように……なったの……?」

 

 段々と小さくなっていく声。トレーナーは描き消されてしまう声を聞き逃さず、柔らかく答えた。

 

「色々だよ」

 

 爽やかに答えたトレーナーに向けて、ファインモーションは自身のこの感情を隠すために、僅かな意地悪を承知でダンスの名前を淡々と羅列し始めた。

 

「タンゴ」

「習ったよ」

「マンボ」

「できる」

「ルンバ」

「もちろん」

「チャチャチャ」

「んん」

「パソ・ドブレ」

「あー、うん」

「メレンゲ」

「炒飯を食べる時に使うよね」

「……それは蓮華(レンゲ)

 

 淡々と羅列していくファインモーションに、トレーナーは即答で答えていったが、最後の方になっていくとトレーナーの反応がおかしくなり、微妙なものへと変わっていた──どうやら、中には習っていないどころか知らないダンスもあるらしく、トレーナーは僅かな知ったかぶりと強がりを見せていた。

 ────流れが変わる。態勢が入れ替わり、くるりと回って見せて、ファインモーションはトレーナーの身体を支えるようにして手を回した。

 

「それじゃあ、waltz(ワルツ)は?」

 

 社交ダンスにおいて、最も有名といえるダンス。それこそが円舞曲(ワルツ)。農民が踊っていた〝Weller(ヴェラー)〟と呼ばれるダンスから成立したのがワルツだ。

 ゆっくりとしたリズムで、足を滑らせるようなステップで旋回する。これだけ聞くと簡単なように感じられるが、互いに手を取り合いながらリズムに乗るのはそれなりの技術が必要となっていく。

 トレーナーはファインモーションの手を引き、お互いの位置を入れ替えると急な動きに驚いた彼女の口から「きゃっ……」という短い悲鳴が聞こえる。そして彼女を見下ろしながら────、

 

「──試してみる?」

 

 僅かに眉を上げて試行を促すトレーナー。ファインモーションは直ぐに態勢を起こしてからトレーナーの手を強く握り締める。密着した身体と、息が掛かるほど近くの顔。高鳴る鼓動がもはや自分のものなのか、彼のものなのか分からない。だが、自分の方が明らかに感情が昂っているのは間違いなかった。

 望んでいた展開、求めていた大切な人、全てが手に入る時間。ファインモーションに込み上げる感情は、明らかな恋と喜色の色で満杯になっていて────、

 

「それじゃあ見せて、キミの努力の成果を──」

「仰せのままに。あっと言わせちゃうよ」

「それは楽しみっ」

 

 ゆらりと、ゆっくりな時間が流れる。リードするトレーナーのステップに合わせる。ふと見つめた彼の表情は至って真剣で、いつもは気怠げな眼差しが強く前だけを見つめていた──そんな彼の真剣な表情(カオ)が愛しくて、頑張ってくれていることが本当に嬉しかった。

 

 慣れないこと、苦手なことを理解していながら、トレーナーはファインモーションの為に克服する努力を重ねた。舞いながらも、その努力が目に見えてくるほどトレーナーのダンスは上達していた。

 

「トレーナー?」

「ん、どうしたの?」

 

 真剣な眼差しは、未だに遠くを見つめていた。

 体育館に流れる緩やかな音楽が、空気を圧迫する。溶けていくように、柔らかく響き渡る。その過ぎていく(リズム)に合わせながら、ファインモーションはトレーナーを見つめた。

 その黄金の瞳には、彼以外のなにものも映らず、思考は既に彼のことでいっぱいになっていた。

 

「…………キミは、どうして私のためにここまでしてくれるの?」

 

 苦手なことをも克服して、無謀なことにも真っ向から挑戦する。我が身を振り返らず、ただただファインモーションのために、その全てを捧げて道を示した。

 彼が真面目だから、彼が優しいから、彼が真摯的な性格だから。それだけではない。なぜ彼がそこまでのことをしてくれる理由が分からない。理屈も、道理も、なにもかもが分からない。そこまでする彼のメリットはあるのか、それすらも不明だった──だからこそ、なぜ自分の身を削ってまでファインモーションのために行動するのか、その理由を知りたかった。

 

「俺が、なんで君にここまでするのかねえ……」

 

 問い掛けられて、トレーナーは改めて自分がなぜここまでしているのか思考を巡らせた。

 担当ウマ娘だから、大切な愛バだから、そんな単純なものではない。改めて考えてみると、自分の行動原理がなんであるのかまったくの不明であることに気がついた。ただ言えるのは────、

 

「君の──ファインの隣に立つための努力はしていたい。はっきり言うと、俺ですらも、なぜここまでするのかイマイチよく分からないんだ」

 

 僅かに苦笑しながら、トレーナーは言った。

 なりふり構わず、為せば成るという精神がある。だがしかし、その精神を燃やす理由が分からない。それでもトレーナーは「けど」と言葉を繋いで、これだけは間違いないという意思を表情に表した。

 

「大切な君のためなら、どんなことだってやり遂げて見せるさ」

 

 その言葉にはウソも偽りも存在していなかった。

 ただの強がりですらもない。確固たる意思が、その声に込められている。たとえどんな無理難題を告げられようと、彼はその命すらも削って、それを成し遂げる──そのあまりにも真摯過ぎる矜持を、彼はその奥底に灯していた。

 

 ────嬉しかった。

 

 私のためだけに、そこまで行動して、言ってくれることが、嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。

 踊りながら、思わず笑ってしまって、彼の困惑した表情が眼前で見える。心の底で思ってしまった感情が「嬉しいなぁ……」と言葉になって吐露した。

 私のためにここまでしてくれる人など、他にはいない。だから告げるべき答えはただ一つだけ。

 

「それなら私は、いつまでもキミの大切な存在で有り続けられるように頑張るよ」

「たとえ転びそうになっても、俺が君を支えるから、振り返らずに先に進めばいいよ」

「ありがとう、トレーナー」

 

 それと、と言葉を紡ぎ、ファインモーションは彼に顔を寄せた。

 

「これからも、よろしくねっ!」

「こちらこそ」

 

 遍く花が咲き踊る中で、夕焼け色に似た輝きが落ちる。二人の影が重なり、額に額を寄せながら、二人の笑い声が微かな音楽に乗って溶けていった。

 握り締めた手は、更に強く。佳境を迎えたファン感謝祭は、ファインモーションにとっても最高にして至高の思い出となって、その胸に刻み込まれた。

 

 

 ロミオとジュリエットが、その身を寄せて──、

 

 

 




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