【本編完結】恋人にしたい殿下と何も知らないトレーナー&SP隊長   作:渚 龍騎

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今回はお蔵入りのはずだった隊長のお話です。
視点がかなりごちゃごちゃになっているので、お蔵入りにしようと思っていたのですが、取り敢えず投稿をして修正は後で施すつもりです。


20 とある隊長の苦難

 

 

 

 高い壁に囲われた中庭。吹き抜けになった空が青々としている。流れて行った風がやけに心地良く、髪や服だけではなく、庭園に生えたシャムロックたちを撫でていって、爽やかな感覚が駆けて行った。

 シワ一つとしてない漆黒のスーツに身を包んだ彼女は、あまりにも狭い空間を全力で駆ける少女を見つめていた。天真爛漫な笑顔、無邪気な姿、思わずこちらも微笑んでしまうような笑い声が、爽やかな風と共に吹き抜けた。

 

「殿下、ちゃんと足下を見ないと──」

 

 草花の上で、舞うようにくるくると回った少女に向けて、()()は注意を促す。だが最後まで言葉を紡ぐ直前で──少女の体勢が崩れた。

 目を見開く。逡巡の判断で動き出し、神速の如き踏み込みで、彼女は風のように駆け出す。スローモーションで映じた視界で、彼女の思考は少女をただ助けることのみを考えていた。

 走りでは間に合わない。故に、一歩を大地に叩き付けて重心を前に──逡巡を押し切って飛び込んだ。

 

 衝撃。痛みが全身に駆け巡った。

 草や泥の臭いが鼻につく。冷たい土の感触が身体の前面部に流れて行ったが、それすらも思考の端へと追いやって、寸前で抱き抱えた少女の安否を確認した。

 

「殿下! お怪我はありませんか!?」

 

 泥塗れで傷んでしまったスーツ。一目でボロボロになっていると見えた女性に比べ、少女は地面に転ぶ前に抱き抱えられて無傷。汚れの一つすらなかった。

 少女を抱き抱えた彼女は、心配げな表情を少女に向けている。そこに浮かれの色などはなく、至って真剣な色が強く現れていた。表情が分からず、いつも強面で、雰囲気から怖さが滲み出ていた彼女から、今回はただただ心配だけが強かった。

 

 怪我はない────少女が頷き、彼女は思わず笑みを溢しながら「良かった」と吐露した。

 抱き抱えた少女を地面に下ろし、膝を曲げて視線の高さを合わせる。息を漏らして、怒りや呆れの色は微塵も見せずに少女の肩に手を置いた。

 

「殿下、元気なのはとても良いことですが、もっと自分を大切にしてください。殿下にお怪我があったら、私は悔やんでも悔やみ切れません」

「たいちょー、ごめんなさい……」

 

 素直に謝罪を述べて、頭を下げた少女に向けて、たいちょーは少女の頭を優しく撫でた。

 

「いえ、私は殿下の安全をお守りするのと同時に、生活を充実させるのが使命です」

 

 なので、とたいちょーはゆっくりと立ちたがって、少女に優しく手を差し伸べた。

 

「殿下は今できることを全力で成さって下さい。それを私が、全力で支えさせていただきます」

 

 土塗れの汚れたスーツでありながら、たいちょーは爽やかに笑う。それが、少女にとって初めてたいちょーの優しさを感じた瞬間でもあり、新たな目標を描いた時間だった。

 

 

 

 ◆◆◆◆

 

 

 

 はじめは、彼の存在が気に入らなかった。

 

 

 

 そう、ずっと私は殿下のお側にいてきた。

 殿下のお父様よりも側にいて、殿下の成長を見守ってきた。違うと分かっていても、我が子のようにも感じて、今まで何年もずっと殿下を守り続けて来た。

 それなのにぽっと出てきた男に取られる──それがどれほどの苦痛だったか、いま思えばそれは自分にはできなかった事をやり遂げた彼を羨ましく思って、自分を憎んでいただけなのかもしれない。

 

 私は、殿下が幸せであればそれで良かった。

 

 殿下がトレセン学園に入学できるように、お父様のもとに駆け込み、殿下がウマ娘として走れるようにも掛け合った。だが許されたのはトレセン学園への入学のみ。殿下はそれでいいと言ったが、あの時の取り繕ったような悲しみの笑顔は忘れられない。

 

『貴方に、何ができると言うのですか?』

 

 私は、彼の性格が気に入らなかった。

 愚直ながらに真っ直ぐ突き進むその性格が。

 私ですらできなかったことを、彼は絶対にやり遂げると大言壮語を語った。

 

『俺は俺のできることをやるだけです』

 

 私は、彼の瞳が気に入らなかった。

 精悍な表情から浮かばせるあの揺らぎない確固たる意思。覚悟を決めたあの強い瞳が。

 

『軽率な考えはおやめいただきたい、トレーナー()

 

 あの表情が。

 あの意思が。

 あの覚悟が。

 あの笑顔が。

 あの態度が。

 あの眼差しが。

 あのすべてが──なにもかもが気に入らなかった。

 私にはなにもできないと諦めた事を、彼は掘り返して、それを成し遂げようと立ち向かった。

 

『軽率なのは、何もしないことですよ──隊長』

 

 そう言って皆、壁に直面すると直ぐに諦める。だが彼だけは、真っ向から立ち向かって、最後の最後まで諦めようとしなかった。殿下本人ですらも諦めようとしていた道を、彼だけは最後まで信じて切り拓いた。

 護衛の仕事に私情を挟むのは間違っている。そんなことは重々承知だった。

 

 

 

 ────本物の善人など存在しない。

 

 

 

 故に、全てを疑って殿下をお守りしなければならない。軽々な考えだけで殿下を預ける訳にはいかない。根底から疑って、心の底から信頼できるのか見極めなければならない。だがしかし、あからさまな敵意を向けているのにも関わらず彼は────、

 

『俺はトレーナーです。僅かでも走りたいと願うウマ娘がいるなら、俺は全力で支えて背中を押します』

 

 臆することなく、真っ直ぐに言い切った。

 一瞬の躊躇いすら発露させず、彼は真っ直ぐな瞳を向ける。嘘偽りの色は微塵も滲んでおらず、精悍な表情が色濃く席巻していた。

 その真剣な眼差しは、見たことがある。かつて、まだ希望や未来を信じていた頃の私自身を担当したトレーナーも、同じような瞳をしていた。

 だから────、

 

 

 

 

 

 ────彼を信じてみようと思った。

 

 

 

 

 

 いま思えば、それは失敗だったのかもしれない。

 軽蔑、呆れ、哀れみ、それでいて慈しみが混じった眼差し。それが向けられる先にあるのは、一人のウマ娘とそのトレーナーが言い争っている場面だった。

 内容はいたってはしょうもない。

 

「なんで一緒に来てくれないの!?」

「絶対イヤだ! どうせ怖い場所にでも行くんだろ!? 行きたくないッ!」

 

 端的に言うなれば、ウマ娘はトレーナーを肝試しや怪談に誘っているが、トレーナーが頑なに拒否している状態だった。

 

「大丈夫だよ! 全然怖くないって!」

「その台詞は嘘の時だ! 絶対に嫌だ!」

 

 ね? しょうもないでしょ?

 もはや言い争っているとかでもない。珍しく主であるファインモーションが声を荒げているのを聞き、急いで駆け付けに来てみればこの有様である。最初は、仲睦まじい関係の二人が喧嘩をしているなど信じられず、すぐにでも仲介に入ろうとしたのだが、話の内容を聞いて、その考えも消えた。

 かれこれこの()()()()は十分以上も続いている。どちらも折れる様子はない。

 

「────」

 

 アイルランドが誇る王族のファインモーションが、一般人トレーナーとしょうもない話で言い争っている。馬鹿にしている訳ではないが、端から見たら実に微笑ましい姿でもあった。

 隣にいたファインモーションの友人が、苦笑の滲んだ表情で視線を向けて来た。

 

「あれ、止めなくていいんですか?」

「ええ、まあ、仲良さげでなによりです」

 

 呆れの色が強くなる。隊長は溜め息を漏らして、ふと苦笑をその表情(カオ)に浮かべた。そしてその表情は、やがて思わず吹き出して微笑んでしまっていた。

 

「なんで行ってくれないの、少しだけでもいいでしょ!? トレーナーの怖がる姿を見たいの!」

 

 ああ、とうとう本音が出てしまった。

 殿下、それでは尚のことトレーナー殿は付いてきてくれるはずがありません。人を疑うことを苦手とする殿下では、上手い嘘をついて相手を欺くことはできない。

 

「なんで分かってくれないんだよ! 怖いものは怖いんだ、かっこ悪い姿なんて見せたくないんだよ!」

 

 あーあ、とうとうこの人も本音を出した。

 トレーナー殿、それを言ってしまったら尚のことかっこ悪いことに気が付いてください。この調子では、更に二人の口喧嘩の勢いが増していくだけでは──。

 

 

 

 だがしかし、それでもまあ────、

 

 

 

 二人の喧嘩を遠くから見つめて、隊長は笑った。

 夢を捨て、運命を愛して、自分を隠して、その気持ちに嘘をついて、殿下は〝殿下〟としての道を歩んでいた。敷かれたレールの上だけを歩み、それでいて殿下は自身の運命を恨むことなく、祖国の礎になる覚悟を持って進み続けていた。

 いつの日からか、殿下が心の底から笑う姿を永らく見ていない。感情に任せて、誰かに無理強いをすることも、自分の意思を押し通すことすらなかった。

 そんな彼女が今は貪欲に、ワガママに、怒りすらも見せて、感情を露わにしている──いつの日か見なくなっていたそんな当たり前のことが、彼と共にいることで少しずつ見えるようになっていた。

 

 それもこれも、彼がいたからか──隊長は「ふ」と笑って、部屋の陰から姿を現す。ゆっくりと歩んで行って、今も口喧嘩を続ける二人の間に割って入った。

 

「お二人とも、いい加減にしてください」

 

 その言葉を最後に、二人は潔く「はーい」とまるで親に怒られる子供のように謝罪を述べ、二人の初めての痴話喧嘩は幕を閉じた。

 

 

 

 ◆◆◆◆

 

 

 

 殿下が恋をしているのは、なんとなく気付いていた。普段との様子があからさまに違っているように感じ、注意深く観察していたら、分かりやすかった。

 

 寮に戻った際、殿下は部屋の中に誰もいないことを確認すると、トレーナー殿の名前を叫んで枕に抱き着いていた。それはもう普段の殿下からは考えられないようなニヤケ顔で。

 

「殿下……?」

 

 始めはよそよそしい態度だったが、最近は距離感もバグっている。トレセン学園には、トレーナーとの距離感がイカれているウマ娘も少なくはない。その中に殿下の名前が加わるのも時間の問題だろう。

 なにせトレーニング中に限らず、トレーナーと一緒にいる際は、違和感なく自然にトレーナーにピッタリとくっついている。顔の距離も近い。

 

「殿下……」

 

 更にはトレーナーの隣に立っている時、かなりの頻度で彼の脚に尻尾を巻いている。ウマ娘にとって尻尾同士を絡ませたり、特定の相手に尻尾を向けて巻く行為は、特別な感情を抱いている相手にしかやらない。

 この前は、彼へのプレゼントに庭園かクローバー畑を捧げようとしていた。

 

「殿下……!?」

 

 殿下の愛は、思わずこっちが苦笑してしまうほどに大き過ぎる。常識を知らず、まともな恋をしたことがないからこそ、ファインモーション殿下の愛は暴走している──というより、それだけの愛を向けられてトレーナー殿はなぜまったく気が付かない?

 鈍感と言うレベルではない気も…………。

 

 

 

 殿下がトレーナー殿に恋をしていると気付き始めたのは、殿下と友人たちの雑談を聞いた時だった。

 寮での共用スペースにあるソファー。殿下とそのご友人二人は並んで座っていた。三人からは時々笑い声も聞こえ、さぞや楽しい話をしているのだろうと耳を傾けた時────、

 

「ファインは気になる人とかいないの?」

 

 瞬間、隊長の耳がピクリと声の方へ向いた。

 

「色んな国のお偉いさんとかと会ったりするんでしょ? その中に気になる人とかいなかったの?」

 

 いま思えば、殿下には普通の生活を送れるように安全ばかりを考えて配慮していたが、そういった色恋沙汰に関しては考えたこともなかった。殿下からかっこいい人物の話をされる訳でもない。殿下のタイプはどんな殿方なのか、気にならないと言えば嘘になる。

 隊長は柱の陰に隠れ、息すらも潜めて食い入るように耳を傾けた。

 

「うーん、いままでそんなこと考えたことなかったからなー……」

 

 顎にその靭やかな指を置いて、ファインモーションは唸る。友人はファインモーションの好きな人物が気になるあまり、それを食い気味に見つめていた。

 

「一人ぐらいいるでしょ!」

「そんな目で見たことなかったから……」

「まあ、仕事だもんねー」

 

 すると友人の一人が「じゃあじゃあかっこいい人とかは!?」とかなり食い気味にファインモーションに問い掛ける。煌めきを帯びた瞳がファインモーションを戸惑わせ、彼女は唸って思考を更に巡らせた。

 悩むのも無理はない。なにせファインモーションは箱入り娘として、外の世界から断絶されて生きていた。こうして世間に出て来ても、一般的な常識は知らず、なにより恋など経験したことがない。

 

「この前会った大使館の人はすごく良い人だったよ。かなりエスコートしてくれたかな……」

「うわあ、レベル高っ……」

 

 エスコートといっても、デート的な意味ではなく仕事上での話である。端的にいうなれば恋愛感情は、どちらも微塵も含まれていない。

 

「もっと身近な人だと、誰が理想的?」

「身近で理想的な人?」

「そうそう、やっぱファインが仕事で会う人はレベルが高過ぎるから、身近な人で!!」

 

 更に困惑。だが、ファインモーションには唯一憧れている人物がいた。

 誰にでも優しく。

 前だけを見据えて。

 誰よりも諦めが悪く。

 誰よりも考えていて。

 いつの日か、彼のようになれればと軌跡を描いて。いつの日か、彼のことばかりを考えるようになって。

 身近な人──隊長は、同性だから。

 そうなるといるのはたった一人だけ。ふと過ぎった彼の姿を思い浮かべて、ファインモーションはゆっくりと声にしようとした直後────、

 

「トレ……」

 

 あれ、おかしい。名前が出ない。

 トレーナーの名を呟こうとして、ファインモーションの鼓動が早鐘を打ち始める。普段はなにも感じずに何度だって呼べる彼の名前が、いまになって喉に引っ掛かって声にならない。顔に熱が灯り始めて、ファインモーションは俯く。そしてゆっくりと深呼吸をしながら、途切れ途切れにその声で、その名を囁いた。

 

「トレ……ナー……」

 

 瞬間──二人の友人が「え」と顔を見合わせ、陰に隠れていた隊長は口をあんぐりと開けた。

 

「殿下……いやいやいや、え、うそ……」

 

 あの反応、あの表情、あの声色。

 トレーナーへの想いに初めて気がついた反応。トレーナーだと語ろうとして真っ赤に染まった表情。そして恥ずかしさを隠すように囁いた声色。「いやまさかまさか」と隊長は首を振った。

 

「確かに最近の殿下は、妙にトレーナー殿との距離感が近いように感じましたが……」

 

 わざわざトレーナーの隣に立ったり、座ったり、トレーナーが見ているトレーニングノートやスマホを覗き込むように身体を密着させて、より一層身だしなみに気を使ったり、トレーナーの笑顔を見て彼女も笑って────あれ? 思い当たる節が多過ぎる。

 

 

 

 ────この時に初めて、ファインモーションはトレーナーに恋をしていると気が付き、隊長もそれを知ってしまった。

 

 

 

「私は彼に──トレーナーに好意を寄せています」

 

 ファインモーション本人から告げられた衝撃の事実。知っていた故に大して驚くことはなかった。なにせあの日からずっと注意深く観察していると──それはもう分かりやすかった。

 だろうな、とまで確信しきっていたとはいえ、彼女本人の口から聞いて確証が得られた時の隊長の心は昂ぶっていた。

 護衛の隊長という身分(ゆえ)に、自身は色恋沙汰などできるはずもなく、ファインモーションの安全のことしか考えてなかった為に、世間でも大分疎い。だからこそ、青春をいま満喫して、恋を楽しんでいるファインモーションの恋に興味津々だった──隊長といえど乙女。心はまだまだ若い。

 

「いえ、寄せているじゃなく……好き、です。彼のことを考えると、なんて言ったらいいのか……胸の辺りがすごく、バクバクするのです」

 

 嗚呼、これは完全にやってる──見つめる先の殿下の頬は、ほんのりと赤みを帯びていて、瞳も焦点が合わずに右往左往している。恐らく、トレーナーのことを考えているドキドキと、私に話すことの羞恥心から表れている色だろう。だがしかし、いままでどれほどの男性と出会っても、ただ愛想良く振る舞っていた殿下が、ここまで乙女の顔をしているとは、どんな卑怯な手を使ったのだ()()()()()は。

 

「どの辺りが好きなのですか?」

 

 純粋な質問ではない。トレーナーのどこが良いのか分からず、それ以外に意地悪も含まれた質問である。その問い掛けにより、ファインモーションの表情(カオ)はみるみる赤くなっていった。

 

「…………言わないと、ダメですか……?」

 

 そしてようやくファインモーションの口から告げられた言葉。隊長は聞くなり逡巡を押し切って答えた。

 

「──ダメです」

 

 隊長が答えれば、ファインモーションは恥ずかしさを堪えて微かに唸る。そして数十秒の後に、ファインモーションは口を痙攣させるように動かしてから、大きく息を吸ってゆっくりと答えた。

 

「私は、彼の──全部(すべて)が好きです……」

 

 あー、そうきましたか。やはり愛が大き過ぎる。

 全部、全部と来たか──殿下の表情を見るに、好きな部分を探すと更にそれが連鎖の如く倍増し続けて、どれが好きなのか絞れなくなっているようだ。

 これほどまでに彼のことが好き過ぎると、いずれその愛が爆発して大惨事を招くのではないだろうか。そうならないためにも、私が殿下の愛を制御しつつ応援するほかない。

 

 

 

 こうして、隊長の苦悩は始まった。

 

 

 

 プレゼントの際は、なにかとクローバー畑や庭園を捧げようとするファインモーションを止める。ぼんやりとトレーナーの顔を眺め始めたら、なにか話題を振る。トレーナーへの愛が溢れてそれが誰かに気付かれそうになった時は、その人物をどうにかして遠くへ誘う。何度も、何度も、ファインモーションの愛が他人にバレぬように隠蔽し続けて来た。

 

 その過程で、ファインモーションがトレーナーと結ばれるように助言も与えた。だがそれは悉くトレーナーの鈍感っぷりに砕き壊されてしまった。

 

「やっぱりトレーナーは、私のことなんとも思ってないんでしょうか……」

「そんなことないと思いますよ、殿下」

「だったらどうしてトレーナーは、私の気持ちに気付いてくれないのですか!?」

 

 トレーナー殿が鈍感だからです。

 まさに当たり前のことだが、ファインモーションもそれにはあまり気づいていない様子だった。トレーナーとウマ娘は一心同体、人バ一体と言われるが、そこまで一心同体にならなくても良いのでは……。

 

「ですが、トレーナー殿に対する策略はかなり使い果たしてしまいました。私もこういった色恋沙汰には疎いもので……」

 

 隊長はファインモーションの恋を全力で応援するつもりだが、なにせ隊長自身も経験豊富な訳ではない。まともな出会いがあった訳でもなく、取り敢えずといった作戦で挑んでいた。

 空いた時間に恋愛物を読み漁ったりもしていたが、その努力も虚しく鈍感トレーナーの前では砕け散った。数日前に読んだ漫画の主人公によく似ている。結局は好意に気付いてもらえなかったヒロインが、主人公に詰め寄って声を荒げていた。

 

「うーん、困りましたね」

「うぅ……すいません隊長、こんなことまで頼んでしまって……」

「いえ、殿下の幸せを願うのも私の仕事です」

 

 とはいえ、万策は尽きた。

 いくら主のファインモーションの頼みとはいえ、隊長一人で考えるのには無理があった。誰かの手助けでもあればと、思考を巡らせていれば、手帳を持った一人の男性が歩み寄って来た。

 

「ファインモーションさんですよね。私はこういうものです」

「ご丁寧にありがとうございます」

 

 差し出された名刺をファインモーションが受け取り、それを眺めると男性は記者であることが分かった。彼は懐から手帳とボールペンを取り出して「お話をお聞かせ願いないでしょうか?」と問い掛ける。直ぐに隊長が間に入り込んだ。

 

「取材はちゃんとした手続きをするか、正規の場所にしてからお願い致します」

 

 圧を加えるように、隊長は精悍な表情から鋭い眼差しを向ける。だが彼は動じることなく頭を下げた。

 本来ファインモーションは王家の子女。来たる記者一人一人対応する時間もなければ、もしもの時を考えて然るべき場所でしか取材は受けないのだが、隊長の肩を叩いて、ファインモーションが一歩前に歩み出る。優しげな表情を浮かべては答えた。

 

「この後、予定はありませんから少しだけなら良いですよ。どういった取材なのでしょう?」

「感謝いたしますファインモーション殿下」

 

 感謝を述べた記者は手帳を幾らか捲り、質問がファインモーションに向けられて投げられた。

 

「簡単な質問です。それではまず、トレーナーとはどこで知り合ったのでしょうか?」

「コンビニのイートインスペースです」

「コンビニ? なにかのご冗談では……」

 

 いえ、と真剣な表情を浮かべたファインモーションを見て、記者は困惑しながらも納得。普通ならば、王家のウマ娘がコンビニで出会ったトレーナーと契約を結ぶとは考え難いだろう。

 

「契約はトレーナーからでしょうか? まさかコンビニの時にでも……?」

「数日後にトレーナーから話がありました」

 

 そうして、いくつかトレーナーに関する質問を答え続けた。疑うことを苦手とするファインモーションは、至って普通に質問に答えていたが、隊長はどこか漠然とした違和感を感じていた。

 投げられる質問の殆どがファインモーションに向けてのものではなく、なぜかトレーナーに関するものばかりだった。それも彼の表情を見るにトレーナーへの印象は悪いのか、軽蔑の色が強く描かれていた。

 

「そういえばファインモーションさんは、一時期不調の状態が続きましたね」

 

 その言葉に、今まで笑顔だったファインモーションの整った眉が僅かに動く。それは有マ記念を堺に、思うような結果を残せなくなっていた時の話──ファインモーションだけでなく隊長も、それだと瞬間で理解した。

 日々の思い出を胸に刻み続けるファインモーションでも、その時の話はあまり思い返したくないものでもある。今では思い出として胸の中にしまっていても、そう簡単に触れられたくないことだった。

 

「あれはトレーナー側に問題があったと考えても? 今考えればあのような名もないトレーナーよりも、貴女ならもっと優秀なトレーナーを雇えたでしょう。なにか理由があってのことですか?」

 

 ファインモーションは黙る。

 

「それともなにか弱みでも握られて?」

 

 違う。トレーナーはそんなことしない。

 

「見た目も冴えない男って感じですし、少し調べてみましたが、彼の父親はろくでもない人間のようですね」

 

 これだけ言われても尚、ファインモーションは黙っている。隊長はゆっくりと彼女の方へと視線を向けると、普段はまったく怒りの感情を見せないファインモーションが、珍しく憤慨しているようだった。

 目を眇め、笑顔を浮かべていた表情は暗く、そこにいつものファインモーションはいなかった。

 これはまずい──本能でそれを察知した隊長は無理に割って、話を遮った。

 

「申し訳ありませんが、これ以上は──」

 

 そこまで言って、隊長の腕が僅かに引かれる。振り返ると、ファインモーションが今まで見たことないほどの真剣な表情を浮かべており、隊長は目を僅かに見開いてから伏せる。そして何も言わずにファインモーションの背後に下がった。

 

「なにか私のトレーナーに不満でも?」

「不満というより一般論ですよ。なぜ貴女のような逸材が、優秀なトレーナーを雇わず、これといってなにもないトレーナーを選んだのか疑問なのです」

 

 ファインモーションが答えるよりも前に、記者は次から次へと質問を投げた。

 

「彼の父親は家庭内暴力を行っていたらしいですよ。そんな人の血を引き継いでいるトレーナーほど危険な人間はいないでしょう」

 

 そんなこと、トレーナーはやらない。

 

「それに彼は幼少の頃に病弱だった。それを理由に休んで、トレーナーはまともなトレーニングを組んでいなかったのでは?」

 

 違う。

 

「貴女にはもっと相応しいトレーナーがいるはずですよ。彼なんか捨てて、新しいトレーナーを探してみては?」

 

 そこまで吐いた記者は、ファインモーションがなに一つ答えずに無言を貫いていることに溜め息を吐いた。まるで侮蔑の嘲笑を混ぜながら吐き続けた質問は、最早トレーナーに対する嫌味どころのレベルではない。過去を持ち出して、トレーナーを陥れようとする侮辱ばかりだった。

 確かに名もない一般人をトレーナーに持っている時点で、ファインモーションに対する苦言は少なくなかった。優秀なトレーナーはもっと他にいると、言われることも多かった。だがそれでも、ファインモーションは彼を選んだ。

 

 なぜなら────、

 

「私には、彼以外のトレーナーは考えられません」

 

 ────彼が、ファインモーションを見つけた。

 

「確かに彼は新人のトレーナーでした。しかしそれは私も同じです」

 

 走ることが許されなかったファインモーションは、窓からそのレースを見ているだけで、その場がどんな場所であるのか、足を踏み入れたことすらなかった。

 

「彼は無知蒙昧な私に、なにもかもを教えてくれました。私の決められていた運命に、新たな光を照らしてくれたのです」

 

 ファインモーションは、胸に手を当てて瞳を閉じる。その表情は穏やかで、僅かに笑みすら浮かべていた。

 

「トレーナーは優秀です。私が残した戦績をお忘れですか? この軌跡はトレーナーがいたからこそのものです」

 

 トレーナーがいなければ、走ることすら叶わなかった。

 この世界を見ることができず、新たな夢や新たな(ライバル)に出会うこともなかった。私が諦めそうになっても、トレーナーは最後まで諦めず支えてくれた。

 

「トレーナーのお父様がどうあれ、トレーナーはトレーナーです。私は彼を心から信じています」

 

 あの優しさを知っている──自身の利益など考えずに、誰にでも優しく手を差し伸べるあの優しさを。それがあったからこそ、何度も心が救われた。

 

「トレーナーは、自分の容量を超える努力を重ねています。トレーニングメニューも、その時その場で、事細かに書かれ、しっかりと練られています」

 

 トレーナーの目の下には、よく見ると隈がある。トレーナー室に赴いて見れば、飲み干されたエナジードリンクの数々や、数値化されたあらゆるものが置かれている。それだけで、トレーナーがいかに努力しているのか理解できた。

 

「私のことを悪く言うのは構いません」

 

 ですが──と、ファインモーションは更に一歩前に踏み出す。それによって強きに出ていた記者が一歩退いた。

 

「私のトレーナーを悪く言うことは許しません。もちろん他の方々も同じですが」

 

 更に一歩前へ。

 

「トレーナーの優しさも、あの表情(カオ)も、あの声も、あの諦めの悪さも──なにもかもを含めて。私は彼を信頼し、敬っています」

 

 ファインモーションは言い切る。

 

「過去、経歴、そんなこと関係ありません。私のトレーナーは彼しか考えられないのです。彼がいたから、いまの私がここにいます」

 

 あくまでも怒りは表さず、静かで強い声色が記者を叩く。ファインモーションが次から次へと答えていき、隊長は思わず微笑んでしまっていた。

 

「もう一度いいましょう──彼のことを悪く言うのは、私が決して許しません。彼のことをなにも知らずに言っている時点で言語道断です」

 

 そこまで吐き出して、記者はなにも言い返せなくなり、悔しむように唇を噛み締めてから駆け足にその場を立ち去る。その背中を見つめていたファインモーションは、深く溜め息を吐いてから、無言で隊長の胸に頭を埋めた。

 

「殿下、よく耐えましたね」

 

 怒鳴らず、怒りを露わにせず、あくまでも殿下としての威厳を保ち、冷静に対処した。周りの手は借りず、たった一人でやり遂げた。

 隊長は胸の中に顔を埋めたファインモーションの頭を柔らかく撫でる。ファインモーションからはなにも聞こえない。ただただ息を荒くする彼女の鼓動と、熱い息が胸の中で感じられた。

 

 

 

 ────殿下、私は殿下のそういうところを尊敬しているのです。

 

 

 




感想評価があればよろしくお願いいたします。

あと今後の更新などは、変な呟きと共に私のツイッターアカウント@hokattya258でお知らせしていますので、ぜひ興味があればよろしくお願いします。

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