【本編完結】恋人にしたい殿下と何も知らないトレーナー&SP隊長   作:渚 龍騎

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息抜きに書いていたこの作品でしたが、まさかの高評価とお気に入りの数々で驚いています。高評価とお気に入り等々本当にありがとうございます。これからも頑張りますので、よろしくお願いしまうす。


4 齎される幸福のエスコート

 

 

 

 

「はぁ……はぁ、はぁ……」

 

 

 どうして、こうなったのだろう──最初に思うのは、今現在への過程。なぜ今へと至ったのか、まるで理解できない。

 耳元で彼の荒い息が漏れ、心の奥底が震える。背中と後頭部に手を添えられ、力強く抱き締められている。遠くで何かが騒々しく鳴り響くが、そんな雑音は耳に届かない。聞こえるのは彼の息と、激しく脈打つ鼓動だけだった。

 

 彼がゆっくりと離れて、目の前の少女の瞳を真っ直ぐと見つめる。淀みがなく、しっかりと磨かれた黄金の如き宝石。それはまばたきすらもせずに、彼の瞳を映していた。

 耳に聞こえる荒い呼吸は、最早自分自身のものなのか、彼のものなのか分からない。鳴り響く鼓動も、自分のものではないのだと思ってしまう。

 

「ファイン……」

「は、はぃっ……」

 

 ふと呼ばれた名前に、思わず裏返った声で返事をする。息がかかる程に近い距離で、ファインは自身の胸に手を当てて、激しく鳴り響く鼓動をなんとかしてでも抑えようとした。

 思いもしなかった彼からの猛烈な意向(アプローチ)に、ファインの内に眠る膨大な熱が湧き上がる。

 今、目を閉じたらどうなってしまうのか──ファインの思考はたった一つのそれに絞られ、全てを支配されていた。

 王家、使命、運命、かつてファインモーションを作り描いていた全てが、何もかも塗り替えられる。

 そしてついに、有り得ない程の緊張感に包まれる中で、ゆっくりとその瞳を閉じた。

 

 

「………ん」

 

 

 

 喉の奥から漏れた声が、静寂に────。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「ねえ、トレーナー?」

 

 

 とある日の休日、静かなトレーナー室で、ファインモーションがソファに腰を下ろしながら呼びかけた。

 視線の先にいるのは、自身の椅子に腰を掛け、爽やかな香りを仄めかす紅茶を啜る彼女のトレーナー。彼は僅かな声で「ん」と反応しながら、片手でパソコンのキーボードをテンポ良く叩いていた。

 そんな彼の素っ気ない行動に、ファインは不満を抱く。そしてソファから立ち上がり、トレーナーの横に立つや否や少しばかり頬を膨らませた。

 

「聞いてるのー?」

「聞いてるよ、聞いてる」

 

 そう言いながらも、パソコンの画面から視線を外さないトレーナー。朗らかに聞いてない雰囲気で、ファインの言葉を流しているように感じられた。

 別に仕事をしている訳ではない。ただぼんやりとファインモーションのレースとライブを延々と垂れ流しているのみ。なにか意味があるように見えるが、本当に()()()()()()()()

 自身のレースやライブを見てくれているのは嬉しくも、恥ずかしさも僅かにあった。

 なにより、ファインは更なる不満を抱いていた。

 それは────、

 

 

 ────目の前に、私がいるのに。

 

 

 動画でなくとも、彼の側に自分がいる。それなのに彼がずっと見ているのは、画面の向こう側にいる皆のファインモーション。

 目の前の自分を見てくれないトレーナーに対して、ファインは彼の椅子をくるりと回転させる。そしてトレーナーと向き合い、強く一言を告げた。

 

「Féach orm!」

「……へ?」

 

 ファインの口から出てきた一秒にも満たない言葉。それを理解できなかったトレーナーは目を見開き、ポカンと口を開けて硬直していた。

 アイルランド語──ファインモーションは稀に、英語と交えて故郷のその言葉を口にすることがある。

 彼とて、伊達に彼女と三年間を共に過ごしていない。その三年間に何もしなかった訳でなく、彼女の口から出るアイルランド語や英語を理解する為、教科書や辞書などを買い、SP隊長の力添えもいただきながら、日常会話程度までは至ろうと努力をした。

 

 

 Maidin mhaith(おはよう).

 Dia dhuit(こんにちは).

 Go raibh maith agat(ありがとう).

 Ba mhaith liom ramen a ithe(ラーメンが食べたいです).

 

 

 話せるようになったと言っても、所詮は付け焼き刃程度の言葉。側にファイン達がいても彼女たちは普段日本語で話す上に、何度か画面越しに話した彼女の父親も日本語で話してくれた。

 ファインの父親に関しては、日本人であるトレーナーも理解できないような難しい日本語を使うこともある。アイルランド語を学ぶよりも、日本語をしっかりと学んだ方が良かったのかもしれない。

 兎にも角にも、アイルランド語を学んでも使う機会が滅多にない。それ故に、彼女の口から稀に漏れる言葉を聞き取れずにいた。

 

「えっと、な、なに……?」

 

 困惑のあまり言葉に詰まるトレーナーを真っ直ぐ見据え、ファインはパソコンの画面を一瞥した。

 未だに流れ続けるライブ映像。その中では生き生きと、天真爛漫に踊るファインモーションの姿がある。

 

「動画で見なくても、キミの隣には私がいるよ。正真正銘の本物がここに!」

 

 少しばかりの癇癪を珍しく見せるファインに、トレーナーは戸惑いを隠せない。少女(ファイン)の気持ちを、まともに察することのできない鈍感(トレーナー)。彼はファインの言っている意味を理解できず、あたかも当然の如く──、

 

「動画のファインも本物だよ」

 

 そういうことではない。

 あまりに理解の悪いトレーナーに、ファインは腕を組んでわざとらしく「拗ねちゃうよ?」と一言。

 それでも未だに理解できていないトレーナーは、眉を寄せて首を傾げた。

 

「なんでぇ」

「今は私の話を聞いて」

いひゃい(いたい)

 

 ファインは無理やり向き合わせたトレーナーの頬を摘み、強めに引っ張る。それはかつてゴールドシップから教わったもの──話の聞いてくれない男性を無理やり聞かせ、更には()()()()()()方法。

 痛みに根を上げる声が彼の口から漏れ出る。それが、気付いてはならないファインモーションの初の嗜虐心をくすぐった。

 

ほころではなひっへ(ところで話って)?」

「あ、そうだった」

 

 名残惜しくも感じるトレーナーの頬を渋々離して、ファインはポケットから二枚のチケットを取り出す。それを見せてから、彼女は満面の笑顔でトレーナーを見つめ──、

 

「キミの時間を、私に頂戴(くれ)ないかな?」

 

 何やら改まって告げられた言葉に、トレーナーは差し出されたチケットの一枚を受け取り、ヒリヒリと痛みが残る頬に触れながら首を傾げた。

 海を模しているのか、チケットは全体的に蒼く彩られ、その中には色鮮やかな魚達が泳いでいる様子が描かれている──それは、都内にある水族館のチケットだった。それも限定(プレミアム)ときた。

 

「水族館……?」

「そうっ! お姉さまからプレゼントで貰ったの。二枚あるから、誰かと楽しんで来てって!」

「あー、ファインのお姉さんからね……」

 

 へー、とチケットを眺める。ふと脳裏に過ったファインの姉による怒涛の如き言葉の数々。()の有名なあの女帝──エアグルーヴですら、真っ先に『逃げ』を選択して駆け出すレベル。だがそれは、エアグルーヴの場合が特別なだけでもある。

 しかしトレーナーも、ファインの姉が独特な性格であることは通話を通して知っていた。

 

『麗しのプリンセスはね──』

 

 それだけファインを愛している訳だが。

 そんな彼女がファインへのプレゼントに水族館の限定プレミアムチケット。何か裏でもあるのか自然と深読みしてしまうが、考えると頭が痛くなる。

 

「でも、なんで俺?」

 

 そこで感じた疑問を口にする。

 ファインは王家のウマ娘でありながらも、人懐っこい性格からかその友好関係は広い。

 ファイン自身がよく絡んでいるエアシャカールや、仲の良いメジロドーベルにダイワスカーレットなどの友人も多い。だがそれだけの友人を持っていながら、トレーナーを選ぶ理由が分からなかった。

 

「君の周りにはたくさん友達がいるし、なにも俺と行かなくてもいいんじゃ──」

「──キミがいいの!」

 

 続けようとして、ファインが咄嗟にトレーナーの手を取り、言葉を無理に遮った。

 真っ直ぐに彼女がトレーナーを見つめる。温かく柔らかな手を直で感じつつ、トレーナーは目を見開かせて困惑していた。

 まだ太陽が昇りつつある蒼い空。真紅(クレナイ)が染まるにはまだ早い時間でありながら、彼女の頬は赤く滲みを見せていた。

 

「あ、えっと……」

 

 珍しく見せたファインの我儘──それはあの三年間でも滅多に見せなかったもの。

 珍しい出来事の連続に戸惑いを隠せない。ファインの勢いに押されて、トレーナーは思わず頷く。それを見たファインはパアッと顔を明るくさせて──、

 

「やったね! それじゃあ早速行こ!」

「え? 今から?」

 

 トレーナーの手を引きながら「もちろん!」と、笑顔を見せるファイン。それに対してトレーナーも引かれるがまま、彼女に身を任せた。

 トレーナー室を後にして、他愛もない平凡な会話が弾み、二人は歩道のない道路を並んで歩いて行く。

 

「私ね、一度でいいからこの国の水族館に行ってみたかったんだ!」

「行ったことなかったの?」

「あまり機会がなかったんだよね」

 

 広い友好関係を持っているファインなら、一度ぐらいは行ってそうなものだが、やはり大使としての仕事もあってか、アミューズメント施設にはあまり行く機会がなかった。

 それにね、と話を続けたファインは俯き、トレーナーに背を向けると、周りの喧騒に掻き消されるほど小さい声で呟いた。

 

「…………キミと行きたかったから……」

「え?」

「ふふ、なーんでもない!」

 

 そこで、笑顔を浮かべたファインがふいに思った疑問符を、トレーナーに向けて口を開いた。

 

「ねえトレーナー? 一つ聞きたいことがあるんだけど……聞いてもいい?」

「ん、なに?」

「この間、たまたまパソコンを見ちゃって」

 

 え、と驚いた顔を浮かべたトレーナー。

 その表情から滲むのは、焦りと困惑。ファインの改まった様子から、記憶に無いが、なにかおかしな画面でも開いていたのか不安になった。

 そんな不穏な気持ちを抱きながら、固唾を飲んでファインの言葉を待ち、ゆっくりと彼女は唇を開く。

 

「〝おかえり〟ってファイルを見つけたんだけど……」

「あー、それね」

 

 トレーナーは思わず安堵の息を漏らす。

 ファインが見つけた『おかえり』のファイルは、過去にファインモーションが帰郷してしまってから、もう一度彼女の走りを、笑顔を見たい──そんな感情に埋め尽くされ、衝動的に作ったものだった。

 トレーナーは少し恥ずかしげに頭を掻き、言葉に詰まりながら口を開いた。

 

「えっと……ファインがいなくなってから、どうしてもその現実が見れなくて〝もしまた君が帰って来てくれたら〟って思わず作っちゃったんだ……」

 

 そう言って、トレーナーに僅かな恥ずかしさが込み上げる。それはまるで告白のような言葉だった。

 思いもしていなかった予想外な答えに、ファインは目を見開かせて口を覆う。身体の奥底から溢れる膨大な熱が、つま先から頭頂部まで駆け巡った。

 

「あ、そ、えっと、あはは……」

「はは……」

 

 動揺のあまりに言葉が上手く声にならず、最早ファインとトレーナーは恥ずかしさを隠そうとする心理から、空笑いをするしかなかった。

 歩道のない道路の端で──遠くから電車が線路を駆ける重苦しい音が一定のリズムで響いた。

 

「なんか、嬉しいなぁ……」

 

 ファインからポツリと漏れた言葉は直ぐに電車の音に掻き消される。トレーナーは視線を逸らして、恥ずかしさを誤魔化そうと頭を掻いた。

 

「あれ自体の中身は、俺も深くは考えてないんだ。ただ君の為を思ったら、言えなかった事とか色々書いてたからさ」

「言えなかったこと……?」

 

 問い掛け、トレーナーの足が止まった。

 ファインが振り返った先──トレーナーは真剣な表情で、ファインモーションを見つめていた。

 彼は短く息を吸い、小さく「俺は」と切り出す。

 

「──君を見た時、全てが震えた」

 

 光のなかった自分の人生が、輝き照らされたように思えた。

 身体だけではない。その志に、燦然と輝く矜持を持つ勇猛な意思。非の打ち所がないように感じた。

 三年間を共に過ごして、ファインモーションが無垢で無邪気でありながら、どれだけ聡明なのかを思い知らされた。

 

「俺よりも歳下の()が、その大き過ぎる重荷を背負って前を向いている事実に言葉を失った。可哀想だとも思ったよ、けど──」

「けど?」

「君はそれを重荷なんて思ってなかった。寧ろその運命を受け入れ、誇りにすら思っていた」

 

 祖国繁栄の礎となる運命のファインモーション。

 運命──それは、始めに決められた見えない流れ。あらゆる者たちは、無意識にその運命に流され、逆らわずに人生を謳歌する。幸福、不幸、吉、凶、全ての巡り合わせた概念。

 

「なんだろう……ああ、ちょっと待って」

 

 あの時、あの全てに想いを纏めたはずだった。しかし今から言おうとすれば、込み上げて来る想いを言葉に変換させることができない。

 むしゃくしゃに髪を掻き上げ、上手く纏まらない言葉を吐き出す。

 

「だから、君の〝気持ち〟を聞いて、全力で支えようと思ったんだよ。君こそ、俺の光だったから──」

 

 そこまで吐いて、言葉に詰まった。

 なにか違う──言いたいことが言えない。いったいなにを言いたかったのか、絡み合って分からない。

 

「つまりは、その……」

 

 言って、トレーナーは気が付いた。

 そんなことを言いたいのではない。ファインモーションに、何もかもを背負わせたいのではない。

 ただ一言。それは今までの想いと、これからに向けたたった一つの言葉だ。

 それは────、

 

 

「──()()()()()()()()、ファイン」

 

 

 きょとん、と音が鳴ったような気がした。

 ファインは間の抜けた表情でトレーナーを見つめる。そして驚愕な表情へと変わっていくと──、

 

「それって、もう私とお別れってこと……?」

「あ、違う違う! これからもよろしくって意味」

 

 慌てて訂正を施すトレーナーに向け、ファインは微かに笑い声を洩らしてから彼の前に立った。後ろで手を組み、僅かに腰を曲げて可憐な笑顔を浮かべた。

 

「もちろん分かってるよ」

 

 改めて、ファインモーションはその場で両手を前に組み、柔らかく上品な仕草で頭を下げる──礼をしながら、その柔らかな唇を紡いだ。

 

「感謝致しますトレーナー。私は、貴方と出会えて本当に良かった。これからも、私と一緒にこの軌跡を駆け抜けてくれますか?」

 

 見上げたファインの前に、トレーナーがゆっくりと歩み寄る。そして片膝を付き、ファインの靭やかな手を取った。

 その眼差しには恍惚と輝くものがある。過去も今も決して変わることのない意志の現れ。

 トレーナーにとっての光とは、たった一つ。

 燦然と煌めくそれは、いつだって変わらない。

 トレーナーはファインの手に触れながら、顔を上げて彼女を見上げると息を吸った。

 

「──もちろん。君と共に駆け抜けるよ、ファインモーション殿下」

「あははっ。その呼び方、なんかトレーナーに言われると変な感じがするね」

「俺も。新鮮だね」

 

 立ち上がり、二人は見合った。

 そして────、

 

「……ふっ」

「……ははっ」

 

 互いにおかしくて、自然と二人から笑いが溢れた。

 

「なんか恥ずかしいね……」

 

 身体の奥底から湧き上がる熱。

 決して忘れることのできない言葉の数々がトレーナーから告げられる度に、ファインモーションの脳内を徐々に支配していった。

 トレーナーの〝光〟。あの時には言えなかった〝気持ち〟を、今ここで告げられ、ファインモーションは今すぐにでも此処から逃げ出してしまいたかった。

 ただ、恥ずかしいあまりに。

 

「キミは、私のことそんな風に思っててくれたんだ」

「俺も言ってて恥ずかしいよ。けど、伝えられずに終わるよりはいい」

 

 内から溢れる熱気が、ファインモーションを心の奥底から焼き焦がす。トレーナーは羞恥から頬を赤く滲ませているが、それはファインも同じだ──いや、寧ろ彼女の方がもっと赤い。

 トレーナーに背を向け、自分の顔を手を当てる。あまりにも熱く、鼓動が早鐘を打っていた。

 平然を保つので精一杯。これ以上その言葉を浴びせられたら、もう耐えることはできない。

 

「ふぅ……」

 

 大きく深呼吸をして、激しく鳴り響き続ける鼓動を落ち着かせる。そんなファインを不思議に思ったトレーナーが「どうしたの?」と、覗き混んだ。

 

「な、なんでもないよ!」

「そう? でも、顔赤いし辛そうだけど……」

「……っ、もー!」

 

 ファインはトレーナーから駆け足で少し離れてから振り返る。その表情は花の如き可憐な笑顔で、頬は微かに赤く滲んでおり、彼女は透き通った声で笑った。

 

「ぜんぶぜーんぶ、キミの所為なんだからね!」

 

 ふふ、とファインが笑みを浮かべた瞬間──トレーナーが目を見開いて驚愕。慌てて「ファイン!」と彼女に向けて手を伸ばした。

 困惑を見せるファインが何かを理解するよりも早く、トレーナーに勢い良く手を引かれ、壁際に寄って抱き締められる──その直後に速度違反をした車が駆け抜け、耳を聾するクラクションと同時に辺りの大気が一気に吹き荒れた。

 

「はぁ……はぁ、はぁ……」

 

 呼吸を荒くするトレーナーの息が、耳元に聞こえる。肩を大きく上下させる彼に対して、強く抱き締められる自分の心臓が激しく鳴り響いていた。

 辺りに響き渡っていたはずのクラクションも、遠くから聞こえていた電車の音も、全てが掻き消されて、彼の呼吸と自分の鼓動しか聞こえなかった。

 

 ────なぜ、こうなったのだろうか。

 

 いくら思考を巡らせても、脳はなにも考えようとしない。この現状に意識が呑まれ、機能しなかった。

 彼がゆっくり離れると、息がかかるほどに近くであるのだと気が付いた。

 真っ直ぐ見つめる彼の瞳に、自分自身の間の抜けた表情が映り込んでいる。鼓動が更に早く鳴り響き、眼前の光景があの時に見た〝夢〟と似ていた。

 

 真紅に染まるトレーナー室。

 二つの影が近寄って、やがて重なり合う。視界いっぱいに映り込むのは、彼の真剣な表情。

 

「ファイン……」

「は、はぃっ……」

 

 トレーナーが優しく名前を呼ぶと、ファインは思わず裏返った声で反応してしまう。息がかかるほどに近い距離で、自身の胸に手を当てた。

 激しく脈打つ心臓──胸の奥から手の平へと、鼓動を直に感じられた。

 あまりにも彼との距離が近く、その鼓動を押さえ込もうとしたが、逆に激しさを増して鼓動は鳴り響く。

 彼との視線を逸らせず、交じり合わせながら、ファインモーションの思考は一つに絞られた。

 

 

 ────今、目を閉じたら、どうなるの?

 

 

 次第に呼吸が荒くなり、有り得ない程の緊張感が席巻する中で、ゆっくりと身を任せて瞳を閉じた。

 喉の奥から声が漏れ、なにもかもを掻き消した静寂に響き────、

 

「──離してもらえるかな……?」

 

 彼の声が、耳元で聞こえた。

 え、と間の抜けた声が自身の唇から漏れ出て、戸惑いを隠せない様子でファインは瞳を開けた。

 視線の先に映り込むのは、先程と変わらないトレーナーの顔、だがさっきまでと変わっていたのは、彼の表情に少しの苦笑が滲んでいたことだった。

 いつまでもトレーナーの言葉を理解できずにいたファインに向け、彼は視線を下の方──太腿辺りへと移す。辿って、ファインの視線も自然と下へ向けられていき──、

 

「────っ!?」

 

 目を見開き、慌ててトレーナーから離れながら「ごめんなさい!」と声を荒げた。

 顔に手を当て、膨大な熱を灯した顔だけでなく、全身から熱が溢れ出るのを感じた。

 ファインモーションが目を見開いた光景と、トレーナーの言葉の意味。それはファイン自身も無意識にやっていたらしい。

 トレーナーに抱き締められ、ファインも彼の背中に手を回していたのだが、それだけでなく──ファインの王族特有の毛質を持ったサラサラなロイヤル・テールが、トレーナーの太腿に巻き付いていたのだった。

 

「──ご、ごめんね!」

「大丈夫だよ」

 

 自身の尻尾を掴んだファインは、顔を真っ赤に染め上げながら謝罪を述べるしかなく、トレーナーも苦笑して首を振っていた。

 ウマ娘は人間と比べて、感情を表すものが多く、表情や声色以外に耳と尻尾がある。それは意図を持って制御することは困難で、感情の起伏によって浮き沈みがあり、読み解きやすいウマ娘も多い。

 ファインの尻尾が足に絡み付いていたのも、何か意味があったのかもしれないが、トレーナーにはまったく理解ができなかった。

 

「怪我はない?」

「え、えっと、うん……大丈夫、だよ」

 

 ──恥ずかしさ以外は、と言いたい気持ちを堪えて、ファインは無意識にやってしまった事をはやく忘れたくて仕方がなかった。

 穴があったら入りたい。真っ直ぐトレーナーの顔を見ることができない。尋常でないほどに恥ずかしい。

 ただ彼は自分を守ってくれただけ。決して〝夢で起こったアレ〟をしようとしたのではない。

 

「……ぁぁぁぁああぁぁぁ……っ」

 

 恥ずかしさのあまりに叫びたい。だが近くにトレーナーの存在があり、全力で抑え込んだ。

 代わりに、喉の奥から呻き声が漏れる。なんでこの尻尾を抑えていなかったのか後悔に駆られる。これが夢であってほしいと、その数分に満たない短時間で、もう既に十回以上も思っていた。

 

「ファ、ファイン……? 大丈夫……?」

「うん……大丈夫、大丈夫……」

 

 顔を覆いながらファインは何度も呟くが、どう見ても大丈夫には見えない。

 ファインは大きく深呼吸を繰り返し、鼓動の激しさと膨大な熱量を落ち着かせる。やがてトレーナーに向けて「もう大丈夫」と頷いた。

 

「ごめんね、トレーナー」

「いや、大丈夫だよ。怪我がなくて良かった」

「うん、ありがとう……」

 

 精神に会心の一撃を自分で放ってしまったが、ファインは恥ずかしさを抑え込んで笑みを浮かべた。

 どこか拭い切れていない表情(いろ)が滲む笑顔。必死に尻尾を押さえ込みながら、ファインは頬を赤らめる。

 

「い、行ける……?」

「……して…………」

 

 俯き、訥々とした小さな声。トレーナーは聞き取れず、優しく「ん?」と聞き返す。そしてファインが、突然トレーナーの手を取って顔を上げた。

 赤く染めた頬を更に赤らめて──、

 

「──責任とって(エスコートして)

「──は、はい!」

 

 恥ずかしさを滲ませ、それでいて僅かな怒りも感じ取れる表情は、ファインの頬を赤く染め上げていた。

 ファインモーションにとって、この瞬間にどのような顔をしたらいいのか分からない。無意識に飛び出た感情こそ羞恥と怒りの二つだった。

 いつもは天真爛漫に笑っているファインの珍しい一面に、トレーナーも戸惑いを隠し切れない。しかし差し出されたファインの手を取り、水族館へのエスコートを開始した。

 

 

 

 

 ◆◆◆◆

 

 

 

「わぁーっ! 水族館ってこんなに綺麗なんだね!」

 

 視界いっぱいに広がる巨大な水槽を前に、ファインが感激の声を上げる。真っ暗な室内で、蒼く揺らめく淡い光だけが、辺りを薄っすらと照らしていた。

 あまりにも巨大過ぎる水槽の中を泳ぐのは、多種多様な魚の数々。見たことあるような魚もいれば、テレビでしか見たことのない魚も泳いでいる。

 鱗に光を反射させる魚、あらゆる模様の描かれた見たことのない魚。

 こんな生き物がいたのだと、驚きを隠せない。ファインが思わず声を出してしまうのも理解できた。

 

「すごいな……」

 

 神秘的にも感じる淡い光が、水槽の中をより深い海へと錯覚させる。天敵による脅威が存在しないその空間で、魚たちは気ままで優雅に泳ぎ続けていた。

 規格外の大きさを誇る水槽を中心に、他には大小様々な水槽が設置され、魚だけでなく他の海に生きる生物も多くいた。

 トレーナー自身もそう何回も水族館に来たことはない。子供の頃に数えるほどしか来たことはなかった。

 大人になってから訪れるのは初めてのこと。それの所為もあって、トレーナーは目の前の美しい光景に、改めて感慨深く感じていた。

 

「本当にすごいね……」

「そうだね」

 

 最早そんな言葉しか声にならない。

 ふと隣にいるファインの方へと視線を向け、トレーナーは眼前の景色に言葉を失った。

 

「わあー……」

 

 規格外な大きさを誇る水槽に手を添え、ファインは声を漏らしながら水槽の中を眺めている。その黄金の瞳を蒼に輝かせて、笑みを浮かべていた。

 

「────」

 

 トレーナーが言葉を失ったのは、水槽の奥に広がる景色ではなく、隣で目を輝かせるファインモーションの姿だった。

 普段から可憐で端正な容姿を持つ彼女の姿が、淡い光に照らされて、思わず見惚れるほど恍惚と輝くものへと変わっていた。

 

「この魚たちも、この場所にずっといるのかな……」

 

 ふいにファインが声色を低くしてそんなことを呟く。その姿がどことなく悲しげに見えた。

 彼女が見つめる先は、巨大な水槽を緩やかに泳ぐ魚たちの姿。他の人から見れば広く感じる水槽も、彼女にとっては狭きものへと見えていた──否、自分と重ね合わせているのだと、トレーナーはなぜかそんな風に感じられた。

 

「ファイン……」

 

 ファインモーションは、箱入り娘として育った。

 高い石壁に囲まれた小さな庭。クローバー畑だけが輝く内の世界。ファインモーションが見たのは、たったそれだけの景色。過去に心から惹かれていたお姫様の存在と、現実はあまりにも違っていた。

 

「この子たちは、ずっとこの中に……」

 

 訥々と呟くファインモーションの手を、トレーナーはいつの間にか握っていた。

 柔らかく靭やかな手から感じられる温かな体温。状況を読み取れない彼女は、握られる手に視線を向けてからトレーナーの顔を見つめた。

 

「トレーナー……どうしたの……?」

 

 戸惑うファインの瞳を真っ直ぐに捉え、蒼く淡い光が辺りをキラキラと揺らめかせる。

 

「この魚たちは、この狭い中で見ている人たちに〝光〟を与えているんだよ。それは誰かの記憶に永遠と残り、輝き続けるんだ。だから、そんな悲しい顔をしないで」

「この中で……?」

 

 そうだよ、と頷き────、

 

「誰かの人生を肩代わりすることはできない。どんなに大切な人であっても無理なんだ。だからこそ、皆は心を尽くして絆を結ぼうとする──見ていることしかできないなら、見ていてあげればいいんだよ」

「見ていてあげるだけいいの?」

「ああ、それで良いんだよ」

 

 視線を水槽に戻して、ファインは再度呆然とその先を見つめる。トレーナーは彼女を一瞥してから、同じ水槽へと視線を移した。

 

「君が走りで皆に〝光〟を与えているように、彼らもまた、生きることで俺たちに〝光〟をくれてるんだ」

 

 彼女が全力で楽しむ姿に、誰もが見惚れた。

 彼女が本気で駆ける姿に、誰もが心を奪われた。

 あの日、URAファイナルズを勝利した瞬間──誰もが固唾を飲み、そして心からの歓声を上げた。

 それが意味するのは────、

 

「私も、あの子たちのように輝けているの?」

「もちろん、俺がその輝きを誰よりも近くで見ているよ」

 

 当たり前の如く、爽やかに笑ったトレーナー。その顔は水面に煌めく揺らめいた光に照らされ、ファインは思わずその姿に見惚れてしまった。

 視線を水槽に向けたトレーナーを見つめ、彼女は思わず笑みを溢すと、ゆっくり彼の横に寄る。そして一拍の呼吸の後に、彼の身体に軽く寄り掛かった。

 

「ファイン?」

「…………少し、このままでもいい?」

 

 トレーナーの視点から、ファインの表情は伺えない。しかし、彼女が呟いた声色はとても落ち着いていて、トレーナーは何かを問い掛ける訳でもなく「いいよ」と了承した。

 

 静謐で暗黒の空間──眼前に遍く蒼い世界だけが、二人の影を揺らめかせていた。




アイルランド語は全部グーグル翻訳なのでご了承ください。

感想評価があれば是非よろしくお願いいたします。

トレーナーの過去とか、二人の過去とかいる?

  • どっちもいる
  • なくてもいいかな
  • 二人の過去だけ
  • トレーナーの過去だけ
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