【本編完結】恋人にしたい殿下と何も知らないトレーナー&SP隊長 作:渚 龍騎
※基本的に勢いと感覚で書いていますので、誤字脱字が多かったら申し訳ありません。後日確認して分かった場合はすぐに訂正します。
────泣きたい。
今すぐにでも、この場で蹲って盛大に声を上げて泣き出したい。本能ではそう叫んでいるが、理性でなんとか堪えていた。
思い出す度に、心が締め付けられる。苦しさのあまりに、寂寥が迫りて、吐き気すら込み上げてきそうだった。
愛してる。愛してる。愛してる。愛してる。
意識の中で反芻するそのたったの四文字。時間にして一秒にも満たない音の流れ。それはファインモーションがずっと求めて、彼に望んでいた言葉だった。
だがその言葉は、自分ではなく他の誰かに持っていかれ、奪われてしまった。
分かっている。奪われたのではない。
トレーナーの愛している対象が自分ではないだけ。ただそれだけなのだから、そんなこと最初から分かっていたことじゃないか。
ずっとトレーナーには彼女が存在しないと思い込み、なんの浮いた話もない故に独身だと、自分に都合のいい解釈をしていただけ。
「────」
ただそれでも、たとえそうなのだとしても。
「──やっぱり、辛いよ……」
ポツリと漏れた言葉は、目尻から流れ落ちる雫と共に布団に染み込んでいった。
◆◆◆◆
時間は、正午を数分過ぎた頃。
待ち合わせの時間よりも三十分ほどはやく着き、トレーナーは雑踏の喧騒を鬱陶しく思いながらも壁に寄り掛かって、
腕時計を確認していると、遠くから自分の名前を叫びながら駆け抜けて来る見慣れた女性の姿があった。
「はぁ、はぁ、はぁ……ごめんね、待った?」
「いや、俺がはやく着いただけ」
「そうだったんだー! 私もはやく着こうと思ったけど、やっぱり考えることは一緒だね!」
目の前の女性は満面の笑顔で笑いを溢して、トレーナーも釣られて「そうだな」と笑った。
艶のある綺麗な漆黒の髪を腰まで伸ばし、スラッとした体型で、過ぎ去る人が一度振り返るほどの綺麗な女性だった。
「それじゃ行こ! 私こういうところに来るの初めてだから、エスコートしてよ!」
「はいはい、仰せのままに」
彼女に手を引かれ、トレーナーは呆れたような、それでも笑いを滲ませた表情で歩き始めた。
そしてその遠くから二人を見つめる不審な影が二つ。一人は黒服スーツを纏った大人のウマ娘。もう一人はサングラスとマスクを着けたウマ娘──その耳には国花シャムロックが輝いていた。
「綺麗な方ですね……」
「殿下、対象が東へ移動中です」
「はい隊長、見つからないように行きましょう」
正体は言わずもがな、ファインモーションとその護衛であるSPの隊長だ。
なにをしているのかと問われれば、逡巡の判断の後に彼女たちは尾行だと答える。対象は勿論トレーナーとその彼女と思わしき女性。
その女性は、トレーナーの腕を抱き締めるなり身体を密着させている。それを見たファインは、嫉妬心もさることながら「あんなに大胆なことを……」等と羨ましく呟いていた。
「殿下、見失ってしまいます」
隊長に呼ばれ、すぐさま足を運ぶ──角から二人の動向を眺めていく様は、さながら不審者の如き。
あの日、あの時──トレーナーが誰かに向けて言った〝愛している〟の言葉を聞いてから、ファインは全てが気になり、碌に眠れていない。そして不安に圧し潰されそうで仕方がなかった。
担当ウマ娘なら──彼の事が本当に好きなのであれば、
自分の幸せではなく、彼の幸福を。無理強いをして、略奪をして、彼を無理矢理にでも自分のものにしたところで、本当の幸福はない。何より彼が不幸に呑まれることとなる。それは本当の〝愛〟ではない。
ファインモーションが求め、望む未来は、どんな少女でも夢見るたった一つの願いだ。
────生涯を、大好きな彼と共に過ごしたい。
言葉に表すのは簡単だが、それを実行するには難しい。それに〝夢〟を諦めてはならないと彼はずっと言っていた。
〝夢〟を見るのには勇気がいる。そしてその〝夢〟を叶えるには覚悟がいると、彼から教わった。
今回ばかりは、自分を納得させる為に来た。
トレーナーの彼女がどんな人物で、自分となにが違うのか、自分自身の願いを諦める為に。
────否、ウソだ。
できることなら彼女からトレーナーを奪いたい。彼の隣にずっと立っていたい。彼の笑顔を一番近くの特等席から見て、互いに夢を語り合っていたい。
だから、そんな自分を押し込める為にも、トレーナーと彼女の
「わぁーすごいね! ねえねえあっちにもなにかあるよ! ほらはやくはやくっ!」
辺りを見渡して声を高くしながら叫ぶ彼女に対して、トレーナーは苦笑を浮かべ「はいはい」の満更でもない様子で後を追いかけた。
見ている限り、彼女は都会に来るのが初めてのようで、天真爛漫に楽しんでいる。高層ビルを見上げては喜び、スイーツやカフェテリアに感動する様は、さながら子供のようでもあった。
一方で隊長は、トレーナーの彼女に既視感を感じ、それが身近な人物であることに気が付く──無邪気に、見るもの全てを楽しむ姿は
二人は洒落た喫茶店や、様々な物が売っている雑貨屋、服屋など、あるもの殆どの露店を巡り、仲良さげな雰囲気で笑顔を交わしあっていた。
喫茶店に入れば、二人でコーヒーを飲みながら楽しげに駄弁り、雑貨屋ではトレーナーが彼女にプレゼントを買っている。洋服屋では彼女が試着室で幾つものパターンを試着して、トレーナーが腕を組みながら何かを呟いていた。
「────」
店に入り、二人の仲睦まじい姿を眺める度に、ファインモーションの内側で何かが締め付けられるような感覚に陥っていた。
怒りと苦しみに似た謎の感覚──これが嫉妬心というものなのか。ファインは頬を膨らませた。
やがて、トレーナーと彼女はジュエリーショップへと足を運び、小一時間ほど展示されたネックレス等を眺め、楽しげに会話を施してからトレーナーが一つを手に取った。
「彼女へのプレゼント……?」
窓の外からトレーナーを見つめるが、何を手に取ったのかは分からない。だがしかし遠くから伺えたトレーナーの表情は、今まで見たことないほどの優しげな笑顔を浮かべていて、いつもは鋭い目つきも柔らかくなっている。そんな彼の姿を見たファインは、頬を膨らませて────、
「あんな顔、見たことない……」
────愚痴を漏らしていた。
トレーナーのあの表情を間近で見れる彼女を羨ましく思い、更には身体の奥底から溢れる嫉妬心がファインモーションを蝕んだ。
やがて、ショップを出た二人は側にあったベンチへと腰を下ろし、トレーナーが彼女の背後へと回る。そしてトレーナーは彼女の靭やかな首に、輝きを灯すネックレスを下げた。
「はぁぁぁぁ……!?」
息を吸い込みながら裏返ったような声が自身の喉から鳴り、全身に稲妻が奔ったような感覚に襲われた。
────私、そんなプレゼント貰ったことない。
バレンタインのお返し等は貰ったことがあるが、彼女が貰っているようなそれ以上の物はない。
振り返った隊長の瞳に映るファインの表情は、あまりの驚愕に目を見開き、マスク越しでも分かるほどに口を大きく開いていた。
そんなファインが、遠くから二人の光景を見つめていると、彼女がトレーナーに詰め寄った。
「私嬉しいよ! 買ってくれてありがとう!」
女性は笑顔を浮かべながらトレーナーに顔を寄せた直後──ファインは更に目を見張った。
民衆の前だというにも関わらず、女性は大きく両腕を広げ、トレーナーの事を強く抱き締める。それだけでは終わらず、更には息が掛かるほどに顔を近づけ、トレーナーの頬に──、
「──んなっ!」
思わず声を上げるファイン。今すぐにでもトレーナーから引き剥がしたい衝動に駆られながらも、その行動は隊長によって抑えつけられていた。
「あ、あんなことを沢山の人の前で……!?」
「落ち着いてください殿下!」
夢で見ただけでも、顔から火が出そうになるファインモーションとは違い、民衆の前でもそんな恥じらいの素振りを微塵も見せない女性──あまりにも
トレーナーは呆れたような表情を浮かべながら、彼女の肩を持って離す。溜め息を吐き、何かを彼女に向けて言っているようだった。
「隊長……」
「はい」
遠くで二人の〝イチャイチャ〟を見つめていたファインは、身体の奥底から湧き上がる嫉妬心を抑えながら、落ち込んだ声色で隣の隊長を呼ぶ。そして小さく、静かに疑問を浮かべた。
「……やっぱり、男性は大胆な方が好みなのでしょうか? 私も服とか大胆になった方が良いですか!?」
「──早まらないでください! それは一定の人だけです! もしトレーナー殿がそれを好みというなら、もっと慌てたり恥じらったりするはずです。しかし彼を見てください」
隊長に促されて視線を移した先──未だにトレーナーの腕を抱き締める彼女に対して、トレーナーはどこか面倒な表情を浮かべながら、鬱陶しそうに彼女を引き剥がそうとしていた。
「あれは……?」
「分かりません。ですが、トレーナー殿が明らかに面倒な表情をしているのは確かです」
言われてみれば、確かにトレーナーの表情からは面倒臭い色が濃く滲み出ている。考えると、彼女からの大胆な行動は多くともトレーナーから行動を見せることはなかった。
元からトレーナーは積極的な性格ではない。彼女がそういった大胆な性格の可能性は高いが、それならなぜ鬱陶しく思っているのか?
何度もそういった行動をされて、トレーナーは彼女に飽きている可能性が──しかしそれなら、トレーナーが彼女に
顎に手を置き、熟考に熟考を重ねていると、ひょっこりとファインと隊長の顔を伺うように、女性が眼前に顔を出した。
「さっきからずっと私たちを見てますけど、なにかご用ですか?」
「──わぁーっ!?」
ファインと隊長は驚きのあまりに飛び退き、その綺麗に整えられた尻尾と耳がピンと伸びきった。
そんな二人の様子を見た女性は、軽く「ごめんなさい」の謝罪を付け足し笑みを溢した。
「脅かすつもりはなかったんだ。でも、その格好だと不審者でしかないかなー?」
軽く高い口調でファインと隊長の格好を指摘した女性は、瞬間的に笑顔から「それとも」と訝しみ、その柔らかい視線を鋭く眇めてから低い声色で────、
「──本当は不審者なの?」
その眼差しに射抜かれ、背筋が凍り付くような感覚に襲われる。そして本能的に危険を察知した隊長が慌ててファインの前に立ち、女性を睨んだ。
二人の獰猛な視線が交じり、ファインが固唾を飲んだ直後に遠くから声が響き渡った。
「──おい!」
「──は! トレーナー!?」
声を上げながら駆け寄って来たトレーナーが、女性の横に立って呆れたような溜め息をつく。そして彼の姿に気が付いたファインは、慌てて背中を向けて顔を隠した。
「急にどっか行くなよ」
「えへへ〜、ごめんね?」
「誤魔化すな」
ぺろっと舌を出す女性に対して、トレーナーは彼女の額を指で弾く──デコピンを受けた彼女は痛みに声を上げ、薄っすらと涙を浮かべながら額を抑えた。
「なんかジロジロと私たちをずっと見てる人たちがいたからさ。不審者かなと思ったの」
「不審者?」
言われて、トレーナーはようやく女性の背後に不審な二人が立っていることに気が付き、マスクやサングラスで顔を隠しているが、その姿に見覚えを感じて名前を呟いた。
「隊長? それにファインも?」
呼ばれたファインは肩をビクッと震わせた。
ふるふると震えながら振り返り、ファインは苦し紛れの言い訳を考えて口を開く。
「だ、ダレノコト? 人違いカナ……?」
「うん、もうファインだよね。隊長も顔を隠してないで、なにか言ってください」
「──では、私は仕事に戻ります」
逃げるようにそそくさと去った隊長。ファインは口を大きく開けて、信じられない様子で消えた隊長を見つめ、もう逃れられない窮地に立たされていた。
「それで、どうしてここにいるの?」
「えっと……それは、その……」
問い掛けられ、ファインは口ごもる──トレーナーとのデートを尾行していました、などと口が裂けても言えるはずがない。故に、ファインはその思考を巡らせて、この場を切り抜けられる言い訳を考えるが、最早詰みの状態である。
「私たちのラブラブなデートを邪魔しに来たの?」
「やめろ、ラブラブでもないしデートもしてない」
「もう私たち結婚してるようなものじゃん」
「じゃあ離婚しよう。親権は俺が持つ」
騒いで、トレーナーに否定された女性は驚愕のあまりに口をあんぐりと開けて固まる。そして更に驚愕の表情を募らせ、
「えー! まさか浮気っ!?」
「だから付き合ってないっての。勘違いされるようなことを叫ぶなこのバカ
「え……あね……?」
トレーナーの言葉に引っ掛かり、疑問を浮かべる。彼から発せられた〝姉〟の言葉──ファインの思考はその意味を探り、やがて何度か呟いて理解した。
「え、トレーナーのお姉さま……?」
「そうそう、これでもれっきとした俺の姉だよ」
抱き着こうとする姉を押し退けながら、トレーナーは顔を逸らしてそう言った。
三年間を共にしていながら、トレーナーは自身から家庭事情をあまり話すこともなく、彼に姉が存在することも、ファインはたった一言程度にしか聞いたことがなかった。
「紹介してなかったね。三十路前の俺の姉さん」
「あー! それ言っちゃダメなやつだよ!」
「うるさい。その歳でまだ弟離れできない姉さんが悪い。離れないなら実家に送り返すぞ」
トレーナーが脅せば、ごめんなさいと謝罪して即座に離れる。呆れたような溜め息を漏らしたトレーナーは、頭を掻いてからファインを自分の姉に紹介する。
「姉さん、こっちは俺が担当してるウマ娘の──」
「ごきげんようお姉さま、ファインモーションです」
サングラスとマスクを取り、丁寧に礼儀正しく頭を下げるファインを見つめると、姉は「あー!」と大きな声を上げて彼女の手を取った。
「あなたがファインモーションちゃんなんだ! やっぱりテレビで見るよりもずっと可愛いじゃん! 弟から話は聞いてるよ! 弟がいつもお世話になってます!」
あまりのテンションの高さに、流石のファインでさえも困惑を隠し切れない。姉はファインの手を握り、ぶんぶんと勢い良く上下に振りながら声を上げていた。
「さっきは不審者と勘違いしてごめんね」
「いえ、私も勘違いされるようなことをしてしまいましたので、申し訳ありません……」
「ホントに礼儀正しい! もうすっごいお姫様! 弟には勿体なさ過ぎるよ!」
トレーナーは困惑するファインから姉を引き剥がして、間に割り込んだ。
「喧しい姉でごめん。これでも普段は静かで仕事も完璧にこなす超人なんだけど、俺と会うと必ずこうなるんだ」
トレーナーは困ったような表情を浮かべ、更には苦笑しながら姉を一瞥する──周りから見た普段の姉は、格好良く頼りになる存在なのだが、弟であるトレーナーを溺愛するあまり、彼と会えば別人へと変化する。それがトレーナーの姉だった。
一言で言うなら────ブラコンである。
「この前も久々に電話してね。それでファインの話をしたら「浮気だ!」とか騒ぎ始めて、更には〝愛してる〟って言わないと、トレセン学園に乗り込むとか言ったから大変だったよ」
「…………そうだったんだ……」
ファインはホッとしていた──正確には僅かに安堵していただけで、微かな懸念が残っている。
安堵したのは、トレーナーが電話で言った〝愛してる〟の相手は彼女はでなく姉。異性としての言葉ではなく、家族に向けた愛の言葉であったこと。
懸念しているのは、例え相手が姉であっても彼女がトレーナーにした大胆な行動の数々。言葉にできない感情が渦を巻き、ファインはいつの間にか姉を油断のできない相手として認識していた。
「それで、なんで今日はお姉さまがここに?」
「弟からお願いされたの! 大切な娘にプレゼントを買いたいから、選ぶのを手伝ってってね……」
姉はトレーナーを横目で見つめながらそう語り、それを聞いたトレーナーは慌てて姉の口を塞いだ。
「プレゼント……?」
────いったい誰の?
首を傾げるファインに対して、トレーナーは顔を僅かに赤くし、頭を抑えて呻き声を漏らす。
「それ内緒なんだよぉ……このバカ姉が……」
「この前会ってくれなかった罰だよ」
「それは謝ったじゃんか……」
腕を組んでぷいっと顔を逸らす姉に、トレーナーは肩を落として彼女を睨んでいた。
ファインがあまり見たことのない表情と、態度を見せるトレーナー。それだけ大切な相手へのプレゼントなのか、ファインはまた僅かな逼迫感を胸に抑えながら、視線を落とした。
気付けば、トレーナーの服の裾を掴んでいた。
「……ファイン?」
「…………れの……」
「え?」
訥々と吐き出された言葉を聞き返されてから、トレーナーの顔を真っ直ぐに見つめ、ファインは自身の顔が赤く感じながらも──、
「…………誰のプレゼント……?」
今まで感じたことのなかった想いが心身共に蝕み、更には殆ど全てが杞憂であったことに、ファインの心は限界を迎えようとしていた。
羞恥も、感情も、なにもかもが表に来る前に、トレーナーに誰に向けたものなのか問い掛けていた。
トレーナーは口ごもり、ファインから視線を逸らして言うべきか否か悩んでいる。そして呻り、ファインの視線に負けたトレーナーがポツリと呟いた。
「────君へのだよ」
漏れた言葉は、自分のものだったか定かではない。いや、トレーナーたちが言葉を漏らす理由はない。だから恐らく、自分のものなのだろう。
見つめる先のトレーナーは、視線を逸らして僅かに頬を赤くしている。それにファインは、ただ彼の言葉を理解できず、何度も脳内に木霊させていた。
「わたし、の……?」
分からなかった。
誕生日はもう過ぎている──自分からプレゼントを渡し、お返しを貰うことはあっても、今回は彼に何も渡していない。だからこそ、なにをきっかけとしたプレゼントなのか、まるで分からなかった。
「すっっごい悩んでたよ? 服だって私に試着させた挙句、最終的には『ファインなら全部似合うよなー』とか言ってたわ」
ファインとトレーナーの間に割り込んだ姉は、意地悪な表情を浮かべてまるで憂さ晴らしの如く、トレーナーの声色を真似ていた。
「うるさいな、女性の服なんて分かんないよ」
意地悪な表情を見せて間に割り込んだ姉を無理やり押し退け、トレーナーはファインの前に立った。
そして手に持っていた紙袋から細長い長方形の箱を取り出し、彼はファインの名前を呼ぶ。ファインモーションは彼から席巻する神妙な雰囲気を感じ取り「はい」と小さく返事をして向き直った。
雑踏の喧騒すらも静寂に変える空間で、トレーナーの声が風のように流れた。
「──遅れてごめん。そして、誕生日おめでとう」
ヒュオッという風の音と同時に、ファインモーションの目が見開かれ、辺りの音が遅れて元に戻った。
状況を飲み込めない──いや、そうではないのかと何処かでは思っていたのかもしれない。しかしそれでも、驚く以外の感情は有り得なかった。
震える手で、そっと受け取る。トレーナーを見上げて、視線を箱に落とした。
「本当はもっと場所を選ぶつもりだったんだけど、バレちゃったし心配は掛けたくなかったから」
「…………開けてもいい……?」
もちろん、とトレーナーの頷きを確認して、ファインは包装に巻かれた細いリボンを解き、破かないように包装を取る。中から出たのは、包装された上からでも理解できた長方形の白い箱。ゆっくりと蓋を開けた中身の正体は────、
「ネックレス……?」
光を反射して輝く小さな四葉の
「本当に遅れてごめん。言い訳はしないよ」
ファインが帰郷したのもあり、ちゃんとした誕生日祝いをすることができなかった。それに後悔を残していたトレーナーは、せめてプレゼントだけでもと自身の姉を呼んでいた訳だが。
「いつも、君には感謝しかないんだ」
雑踏の喧騒を払い除け、トレーナーは謝罪の後に、ゆっくりとその口を紡いで語り出す。
「三年間、長いようで短かった。思い返せばそれだけ色々なことがあったよ。言葉にしようとしたら、多分この想いは語り切れない。だから、せめて形にして君に感謝を伝えようと思った」
特にこれといった功績も持たない新人のトレーナーが受け持った担当ウマ娘。彼女が背負う多大なる覚悟と運命は、新人のトレーナーには荷が重く、あまりにも無謀な挑戦でもあった。
レースに勝利する度、レースに敗北する度、その身に余る重圧が圧する。だがしかし、レースを駆ける本人はそれ以上の重荷を背負い続けているはず──だからこそ、彼女の隣に立てるように、彼女が少しでも安らげるように、自らを全力で奮い立たせた。
彼女が信じてくれているから、自分も彼女を信じ抜き、最後まで横に立っていると覚悟を決めた。
新人故の批判は多かったが、反駁もせずに彼女を支えることで、共に〝運命〟に立ち向かった。
「君がいたから、俺も頑張れたんだ。本当に感謝しているんだ──何もなかった俺に、これだけの〝光〟を与えてくれたんだから」
言って、トレーナーは柔らかく笑みを浮かべた。
「君といればどんな〝運命〟だって変えられる。今も昔も、ずっとそんな気がしてならなかった」
いや、と言葉を飲み込み───、
「〝運命〟すらも変えられたんだ」
そう、だから言いたいのはたった一言。
「──俺を、信じてくれてありがとう。そして、本当に誕生日おめでとう、ファイン」
一言では足りない。三年間を共にした感謝はきっと言葉だけでは語り切れない。初めて出会った時から、今までもずっと、そして未来でさえも、感謝の限りを尽している。
トレーナーが、ファインモーションというかけがえのないウマ娘と出会えたのは、まさに奇跡だった。
なにかが少しでも狂えば、二人が出会うことは決してなかった──だがそれでも、二人は出会った。
始まり、夢を追い駆けて全てが変わった。
繋いで、運命に抗って、絆が芽生えた。
終わり、未だ見えない先の先。訪れないで欲しいと願う最後の一時。
「トレーナー……」
内側から込み上げる何かが、ファインモーションを埋め尽くす。瞬間、彼女の頬を涙が伝った。
そんな姿を見て慌てるトレーナーが、あまりにもおかしな挙動を見せて、笑ってしまった。
目尻に大きな涙を浮かべながら、笑っていた。
「え、あ、え……? 俺、なんか傷付けるようなこと言った……?」
「ううん、ごめんね……私も分からなくて、悲しくないのに……本当は、嬉しいのに、なんで涙が……」
自分自身でも分からない涙に、困惑を隠せない。悲しみと嬉しさの相反する感情が絡み合い、嬉しくて仕方がないのに涙が止まらない。
彼の挙動に笑ってしまい、それでも瞳から溢れる涙が頬を伝って、顎から滴り落ちていった。
「ファイン……貸して」
ファインの涙が悲しみからではないことを知ったトレーナーは、彼女からネックレスを取り、背後にゆっくりと回る。そしてファインの細い首に、そのクローバーのネックレスを掛けて正面に立った。
「自分で買っといてなんだけど、似合ってるよ」
自身の首に掛けられたネックレスをぼんやりと眺め、ファインは必死に涙を拭ってから、トレーナーを見つめた──僅かな涙に顔を濡らしながら、それでいて花のように可憐な笑顔を浮かべて。
「──ありがとう、トレーナー! 私、こんなにも嬉しい誕生日プレゼント今までなかった……!」
◆◆◆◆
「ファインちゃんファインちゃんファインちゃん、ちょっと来て」
「…………はい?」
トレーナーの姉に呼ばれ、言われるがままに近寄ると、ぐいっと顔を寄せられた。
「これからは
「…………え?」
小声で囁かれ、ファインは困惑する。そんなことお構いなしに姉は「まあ分かるよ」などとファインの肩を軽く叩いて、
「気持ちは分かる。弟はニブチンだからね、もっと大胆にアタックしないと、気付いてもらえないよ?」
「──んな!?」
はは、と高らかに笑って、姉はこちらの様子に首を傾げているトレーナーを一瞥。意地悪地味た笑みを浮かべながら、冗談交じりに呟いた。
「はやくしないと、私が盗っちゃうからね」
それだけを言って、姉はトレーナーの元に駆け寄り、何かを言った後にそのまま嵐の如く去った。
「冗談なのか本気なのか分からない……」
ポツリと呟いたファインの声は、周りの喧騒に一瞬にして消え去った。
トレーナーの過去とか、二人の過去とかいる?
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どっちもいる
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なくてもいいかな
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二人の過去だけ
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トレーナーの過去だけ