【本編完結】恋人にしたい殿下と何も知らないトレーナー&SP隊長   作:渚 龍騎

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8 When I close my eyes, I can feel you

 

 

 

 

 

 静謐な部屋の中で、口角から漏れる笑いが静かに響く。それは口を大きく開けて笑うような音ではなく、歯止めが効かずに口から漏れるニヤケだった。

 端的に表すのなら「えへへ……」。その笑い声が、二時間以上に及んで鳴り続けていた。

 

 ベッドに寝転がりながら、長方形の箱に丁寧に保管されているネックレスをずっと眺めている。ネックレスは四葉のクローバーを模して作られ、室内の灯りでさえも反射させて美しい輝きを放っていた。

 その輝きに魅力されてか、少女は延々とネックレスを見つめて、抱き締め、妄想や記憶に耽った。

 

 

 

 四葉が織り成す意味──それは〝真実の愛〟だ。

 

 

 

 四葉の一つ一つには、意味が込められている。希望、誠実、愛情、幸運──全てが幸福を願って込められた燦然たる想いばかり。

 こうも四葉のクローバーに幸福の意味が込められるようになったのは、諸説ある。元々アイルランドでもシャムロックとして伝えられているのは、四葉ではなく三つ葉──かつては〝三位一体〟を三つ葉のクローバーに例えて語り継がれ、そこに珍しい一枚の葉が増えることで〝幸福〟の意が込められるようになった。

 

「ふふ、ふふふ……えへへ……」

 

 更に、四葉のクローバーの花言葉は『私のものになってください』だ。つまりこれは、告白同然の行為。

 当然だが、トレーナーはそんな花言葉を知らない。シャムロックの耳飾りや、クローバーモチーフの勝負服などクローバー好きな彼女が喜んでくれると思って買ったもの。恋愛感情は一切含まれていない。

 

「あはは……」

 

 ニヤケが止まらない。口角が盛大に上がり、自然と笑みが溢れてしまっているウマ娘──ファインモーションは、ただただネックレスを眺め続けていた。

 ネックレスを貰った日、彼が真剣な顔で送ってくれた言葉と共に、あの光景が今でも鮮明に蘇る──蘇れば、更にニヤケが増した。

 表情筋は仕事を放棄して、口角と頬は共に繋いで、それはもうだらしなく緩んでいる。

  夕陽(クレナイ)はもう既に暗黒へと変えているのにも関わらず、彼女の頬は赤く滲みを見せていた。

 アイルランドが誇る王家のファインモーションはどこに行ってしまわれたのか──今そこにいるのは、ただ恋に焦がれる『少女』のファインモーション。

 

「んふふー」

 

 陽気に鼻歌すら歌い、狭いベッドの中を転がって往復しながら、そのまま踊り出してしまいたくなる。だがそれは、ネックレスを抱き締める事で抑え込んだ。

 えへへと笑うこと6回、ネックレスを抱き締めること16回、ニヤけること29回、妄想に耽ること30回、トレーナーに言われた言葉を繰り返すこと38回。2時間という間で、ファインモーションはそれだけのことを何度も続けていた。

 

 やがてファインは思わず妄想を弾けさせ、盛大にニヤケながら声を上げた。

 瞬間、机に向かって静かに読書をしていたルームメイトが、鋭い眼差しをファインに移し──、

 

「──うるさいぞ!」

 

 癇癪を見せたルームメイト──エアグルーヴはファインに向けて怒りを乗せた言葉を投げる。だが、注意されたファインは反省の色を見せるどころか、そそくさと彼女の横に駆け寄り、笑顔でその手に握った長方形の箱──ネックレスを大々的に見せた。

 

「グルーヴさん! 私ね誕生日にこんな素敵なネックレスを貰ったの!」

 

 因みに、エアグルーヴに自慢するのは本日四回目である。それも全て同じ表情、同じ声色、同じ仕草で。

 普段は部屋でそれほど騒ぐような性格ではないファインが、それはもう喜色を全面的に滲ませ、だらしない程のニヤケ顔を浮かべている。そんな彼女に対して、グルーヴは苦笑するしかなかった。

 

「それはもう四回目だ……」

「それだけグルーヴさんに嬉しさを伝えたくて!」

 

 鼻歌を響かせ、ファインは気持ちを踊らせるように、一度くるりと回ってからベッドに倒れ込んだ。

 基本的に他人の喜びを邪魔しようと思っていないエアグルーヴだが、かれこれ二時間以上も同じことを繰り返されては、流石の女帝であっても厳しい。

 寧ろここまで耐えた己を褒め称えたい──そんなことまで考えるほどだった。

 

「はぁ……いったい誰から貰ったんだ?」

 

 聞いて欲しそうにしているファインに、グルーヴは溜め息を漏らしながら問い掛けた。

 いつもなら笑顔を浮かべるか、顎に靭やかな指を置いて考えるファインだが──今日は様子が違った。

 頬は何故か紅に染まり、視線は左右に泳ぐ。挙動不審な態度を見せるファインは、言葉に詰まりながらも答えた。

 

「えっとね……大切な人から、なの……」

「────」

 

 無言。思考が無意識に沈黙を選択し、エアグルーヴはファインモーションの表情から考えを知り得ようと思考を巡らせていた。

 大切な人──人によっては意味も対象も変わる。友人として、知り合いとして、ありとあらゆる物事に成り得る。だからこそ誰を対象としているのか分からない。ましてや顔の広いファインモーションなら尚更だ。トレセン学園だけでなく、世界にまで広がる。

 だが、ファインが浮かべている表情──頬を赤くして、だらしないほどのニヤケ顔。ネックレスを抱き締めながら身体をくねくねと動かす様は、朗らかにただの大切な人ではない。故に、エアグルーヴの脳内に現れたのはたった一人。

 

「……あのな、ファイン。お前も分かってると思うが、学園内での恋愛行為は禁止だ」

 

 淡々とその事実を語り、エアグルーヴは本を閉じてファインを見つめる──ファインが恋をしているのかまでは分からない。だがしかし、貰ったネックレスを抱き締めたりしている時点で想像はついていた。

 王家の子女たるファインモーションに近付いてネックレスを渡せる存在は、トレーナーか彼女の友人以外いない。それに他人からの贈り物は全て大切にするファインが、これほどまでに情緒をおかしくしているなら、友人以上の存在なのだと簡単に想像できる。

 最も身近で、ずっと側にいて彼女を支えてくれる存在である。それならば────たった一人だけだ。

 

「どうして恋愛が禁止になっているの?」

「恋愛は不純そのものだからだ」

「…………不純……」

 

 ファインの純粋な疑問に向けて、グルーヴはさも当然の如く答えた。

 恋愛にうつつを抜かして、勉学やトレーニングに身が入らなくなっては元も子もない。劣情を抱かれ、身心共に傷付く可能性もある。だからこそ、学園で恋愛は禁止されているのだ。

 ファインは顎に自身の靭やかな人差し指を置き、うーんと呻りながら考えた。

 

「でも大切な人がいたら、その人の為に頑張ろうって、いつもよりも凄く力が出ると思うよ?」

「それは一部だけだ。確かにそんなウマ娘もいるかもしれないが、全てではない」

 

 自身の体験談を語るファインに対して、グルーヴは現実を突き付けるかの如く淡々と答えた。

 ふーん、と鼻を鳴らし、ファインはわざとらしく視線を斜め上に向け──、

 

「でもグルーヴさんは、その一部でしょ?」

「たわけ。私はもちろん──は?」

 

 理解して、グルーヴは吐き出しかけていた声を止める。そして笑みを浮かべるファインを見つめ、彼女がさらっと問い掛けた言葉を理解できずにいた。

 

「やっぱり! グルーヴさんにも大切な人がいるんだね!」

「ち、違っ……! 私はあいつのことをそんな風には……っ!」

 

 瞬間、女帝は気が付いて口を抑えた。

 転瞬、王女はその言葉を逃さなかった。

 

「グルーヴさん、あいつって誰のこと?」

 

 唇を噛み締めるエアグルーヴに、どこで覚えたのか卑しい表情を浮かべるファインモーション。

 グルーヴの頬は赤く染まり、そんな彼女の挙動を見逃さなかったファインは更に畳み掛けた。

 

「この前ね、グルーヴさんが自分のトレーナーと温泉旅行に行ったって聞いたの」

「んな……っ!?」

 

 エアグルーヴの端正な顔立ちが崩れる。いつもは凛々しく引き結ばれている口は、信じられんとばかりにパクパクさせ、頬を染める紅が表情全てを塗り潰していた。

 

「恋愛行為は禁止なのに、自分のトレーナーと二人きりで温泉旅行に行くのは不純じゃないの?」

「あれは……っ! あいつの慰労が目的であって! わ、私は、距離感を弁えているぞ!」

 

 風の噂程度にしか聞いていなかったファインだったが、グルーヴが慌てて弁解する挙動を見て、完全に確信した──トレーナーと慰労以外の目的もあって温泉旅行に行っている。

 ファインモーションは恋愛対象であるトレーナーに対しては掛かり気味になるが、その他の相手にはそこそこ(したた)かだった。

 

「おかしいなぁ……それって、言い訳にしか聞こえないよ?」

「おまっ……! 揶揄うのもいい加減にしろ!」

 

 声を荒げたグルーヴに、ファインは「はーい」とただ一言で返事をした。

 エアグルーヴの珍しい一面を見れたファインモーションは、彼女も大切な人がトレーナーであることを確信。温泉旅行なら問題ないと思考の隅で考えていた。

 なにせ風紀を保つべき生徒会の一員が、二人きりで温泉旅行に行っているのだから何も問題はない。

 

 

 

「温泉旅行かぁ……」

 

 

 

 窓の外を見つめ、エアグルーヴの荒らげる声を他所に呟いた。

 

 

 

 ◆◆◆◆

 

 

 

 消灯時間が迫る中、エアグルーヴがトレーナーと二人きりで温泉旅行に行っていたことを知ったファインモーション。

 彼女は思考を巡らせながら部屋を出て、廊下をゆっくりと歩く。いつもは騒がしい程に活気づいている寮も、消灯時間が迫れば自然と廊下は静寂な空間に変わり果てていた。

 いくつもの扉の前を通り過ぎ、中から消灯時間まで談笑を楽しむ声が微かに聞こえる。だが廊下に響くのは、ファインモーションが履いたスリッパの音だけ。

 

「うーん……」

 

 呻り、共用スペースのソファに腰を下ろす。手には彼から貰った大切なネックレスが入ったケースと、スマートフォンのみ。

 なんで部屋を出て来てしまったのか、自分でもよく分からない。エアグルーヴの読書を邪魔すべきではないと感じたのか、それとも一人になりたかったのか、温泉旅行のことを──彼のことを考えていたら部屋を出ていた。

 消灯時間までには部屋に戻らなければ、エアグルーヴが心配する。それに自分自身を護衛するSPたちの生活サイクルが狂ってしまう。だから長居はできない。

 

 ケースをそっと開き、中から姿を見せた綺麗なネックレスをぼんやりと眺める。そしてスマホのトークアプリを開いて、一番上に出てきたのは当然トレーナー。殆ど毎日、消灯時間の前には彼と他愛もない会話を通話越しにしていた。

 新しく発見したこと、友人たちと施した会話のこと、生活の中で見つけた悉くを、彼に話す──ただそれだけ。

 

 普通の人からすれば当たり前のことでも、ファインモーションには特別なこと。彼女は、それら全てを楽しげに話す。トレーナーは聞き流すことなく、それら全てを真剣に聞く。

 

『今日ね! 一人で初めてカップラーメンを買ったの! お湯を沸かして、溢れないように注いで──』

 

 あらゆる場面で、大喜びを見せるファインモーションに対し『変な所で笑う娘』と認識する者もいた。

 だがしかし、トレーナーは違った。

 

『──おめでとう! じゃあ今度は、俺の分も作って貰おうかな?』

 

 いつだって、彼は他人と認識が違っていた。

 ファインモーションを〝変〟と認識するのではなく、それが〝真〟であると考えていた。

 どれだけファインが当たり前のことを喜んで報告しても、トレーナーは決して面倒臭がらず、それどころか一緒に喜び、微笑んで返してくれる──だからこそ、ファインも彼との通話が楽しくて仕方がない。

 彼の優しさに、どれだけ心が救われて来たのか分からない。いつまでもその優しさに浸っていたい。

 

「最近、電話してないな……」

 

 ふと振り返ってみれば、最後に通話をしたのは一週間以上も前。それ以来はメッセージを送り合うだけ。

 消灯時間まではあと十分近くある。彼はよく夜更かしをしているから、恐らくこの時間も起きている。最近は仕事が忙しくて、いつもよりもはやく寝ている可能性はあった──いつだって彼の目の下には隈がある。

 

 毎日完璧なトレーニングメニューが練られるのも、彼が夜遅くまで試行錯誤して作っているから──申し訳ない気持ちに、圧し潰されそうにもなった。

 だが彼は、自分がそうしたいからと言って、決して手を抜かない。だからこそ、自分はトレーナーの努力に答えようといつだって全力で挑んだ。

 それでも、それはあくまで自己満足でしかない。

 

「トレーナーは、私の為にずっと頑張ってくれてるのに……私は、なにかを返せたのかな……?」

 

 ────いや、きっとなにも返せていない。

 レースの結果が残っても、私は彼から貰ってばかりで、なにも恩返しをできていない。

 

 ────声が、聞きたい。

 そんなことを思ったら、メッセージを打っていた。

 

『トレーナー、まだ起きてる?』

 

 送ってから一分も経たず、既読の二文字が視界に映り、トレーナーからの返信が返ってきた。

 

『起きてるよ』

 

 たった一言。メッセージだけでは、他人の感情を読み取ることは難しい。けれど恐らく彼は、突然のファインモーションのメッセージに心配げな表情を浮かべているに違いない。

 その想像が正解かのように、続いて『どうしたの?』のメッセージが送られてきた。

 

『久しぶりに電話しよ?』

 

 仕事中かもしれない。わがままなお願いなのは百も承知。それでも、彼の声が聞きたい。

 既読が目に映り、彼からのメッセージが返ってくるまでの時間が長く、時計に視線を移しても数秒しか経過していない。そして更に四秒が経って、メッセージが返ってきた。

 

『そういえば最近してなかったね。もちろん、いいよ』

 

 最後の三文字が映り、了承を得られたファインはすぐさまスマホの光る画面をタップ。表示が切り替わり、ワンコールの後に彼との通話が繋がった。

 ウマ娘がスマホを耳に当てて通話をするのは難しい。だからスピーカーに切り替えて彼の声を待った。

 

『もしもし? 聞こえる?』

 

 少しの機械らしさと雑音が混ざりつつも、彼の声ははっきりとしていて、就寝中に起こしてしまったのではないと理解した。

 安堵の息を漏らして、ファインは「聞こえるよ」といつもの声色で返した。

 

『急にどうしたの?』

「トレーナーの声が聞きたかったから」

『俺の声を? そっか、俺も今ファインの声を聞きたかったんだ』

 

 スマホの奥から聞こえた優しい声に、ファインは思わず「え」と声を漏らして目を見開いた。

 思いもしなかった言葉はファインモーションの思考を停止させ、物事の認識を全て遅らせて伝達する。そして開いた唇は上下にパクパクと空回りして、途切れ途切れの音となっていた。

 

「あ、え、あー……そうだったんだー……」

 

 ようやく出た言葉を、スマホのマイクが拾っているか分からない。だがしかし、そんなことよりも彼女の脳は別のことでいっぱいになっていた。

 

 

 ────トレーナーと、同じことを思ってた。

 

 

 声が聞きたいと、自分自身だけでなく彼も。

 互いに互いの声が聞きたいのだと思っていた。

 離れているのに同じことを思うなんて、やはり一心同体なのは間違いではなかった。

 彼は恐らく恥ずかしさなど感じていない。そんな人なのは分かっている──しかし自分は違う。

 同じことを思っていたことが嬉しい。飛び上がってしまいたいほどに嬉しかった。

 けれど、通話の繋がった状態のスマホがある故に、なんとか抑え込んだ。

 

「トレーナーは、今なにしていたの?」

 

 平然を装い、ニヤける表情は見えていないから隠さずに問い掛ける。通話の向こうから、彼女の表情を知らないトレーナーが「俺はね」と切り出した。

 

『夜空を見上げていたよ。美しい満月だったから、ついぼんやりと眺めてたんだ』

「月……?」

 

 うん、と短い返事が返ってきて──、

 

『月は綺麗だよ』

「え……っ!?」

 

 言葉を聞き、ファインは驚愕の声を上げた。

 それは、愛の告白────などではない。

 日本人は直接的な愛を語らない。そんなことから明治の文豪、夏目漱石は『月が綺麗ですね』とでも訳しなさい──と言った逸話がある。しかしそれを裏付ける明確な証拠はない。だが時代は、それを愛の告白として語り継いだ。

 ファインモーションも、その逸話を知らない訳ではない。この国で知識を蓄える内に、その言葉を言われてみたいとまで思った。

 ニュアンスこそ違うが、いまの彼女にとってその発言は全て同じこと。

 当然だが、トレーナーはそんな愛の意を込めてなどいない。単純に月が綺麗で、思わず呟いていた言葉だ。

 

『月は、綺麗だけど嘘つきだ』

「どうして……?」

 

 動揺していた感情から、彼の言葉を理解できずに疑問を浮かべた。

 嘘もなにも、月が真実を語ることなどない。

 トレーナーは息を吸ってから「だって」とゆっくり答え始めた。

 

『自分では輝いていない。太陽の光を反射して、真の自分を隠しているんだから……』

 

 ふとファインは窓を開けて、夜空に輝く月を見上げる。月は嘘の光を纏って、暗闇に染まる東京の景色を照らしていた。

 地球から約38万キロも離れ、鏡のように太陽の輝きを反射する存在。自分では決して輝いていない──言われてみれば、確かに月は嘘つきだと言えた。

 だが彼は「でも」と一言を付け足し──、

 

『太陽よりは信用できるんだ』

「なんで?」

 

 意味がよく分からなかった。

 太陽は辺りを照らし尽くして、光をより彼方へと届ける。それでいて月は太陽の光の反射でしか輝けない。それよりも、なにが信用できるのか分からない。だが彼は、悩むことなくすぐに答えた。

 

 

『──見つめることができるから』

 

 

 聞こえた言葉は、ただそれだけだった。

 太陽は、自分を隠すことなく、己の力で輝きを纏っている。その輝きは、周りをも照らし尽くす。明るさを与えられるものこそ太陽だが、見つめることは決してできない──その輝きが強過ぎるから、真なる自分が見えない。

 月は、自分の力ではなく、太陽の光を反射することで輝きを纏う。その光は淡く、暗黒に包まれる静寂を柔らかく照らす。暗闇に瞬く光こそが月──誰かの助けがあってこそ輝く存在なのだ。

 全てを一人で成し遂げる太陽よりも、誰かと共に成し遂げる月の方が親近感も湧く。

 

「見つめることが……」

 

 ────思わず、納得してしまった。

 難しい言い回しな気もするが、それでもかなりロマンチックな言葉だと思った。

 

『誰かの助けがあって輝く──誰だってそうだ。一人でなにかを成し遂げることなんてできない』

 

 俺も同じだ、彼は短くそう言った。

 見上げた月は、静かに大地を見下ろしている。けっして揺るぐことのない淡い輝き。一人では決して輝くことができない。だがそれでいて、誰かの助けで得られた光は、寂寥なものよりも圧倒的に美しい輝きへと変化する。

 

 

 ────嗚呼、なんて憐憫(れんびん)な光なのか。

 

 

 きっと月と太陽は、恋人のように大切な関係なのかもしれない。太陽の輝きを得て、月は光を纏うことができる。恐らくそれは、私も同じようなもの。

 彼がいなければ、輝けなかった。

 この駆け抜けた〝光〟の意味を、何も知らずに終えてしまうところだった。

 ────私は、いつも貰ってばかり。

 

「ねえ、トレーナー?」

 

 ん、と短く返ってきた。

 視線を落とし、ゆっくりと時間をかけて言葉を選別する。数拍の間が空いて、ファインは静かに口を開いた。

 

「私は、キミから色んなものを貰ったよ。キミのおかげで、私は光のように美しく輝けたと思う」

 

 沢山のものを貰った。

 沢山のことを知った。

 知って、知り得て、教えてもらって、彼からは数え切れないほどのものを貰った。

 彼と会えなければ、それらを知ることは決してなかった。

 

「あんなに楽しいことはないよ。キミと一緒で、私は本当に色々なものを貰ったんだ……」

 

 声が小さくなり、ファインは「だけど」と付け足しながら言う。

 

「私は、キミになにかを返せてる……?」

 

 貰ってばかり──ネックレスの入った箱を握り締めて、ファインは輝きに満ちた月に背中を向ける。壁に寄り掛かり、ずるずると力なく床に座り込んだ。

 通話から返ってくるはずの彼の言葉が、まだ届かない。彼は「うーん」と呻り、やがて──()()()()()

 

「え…………?」

『はははっ。あー、ごめんごめん』

 

 彼は笑って、謝罪を述べた。

 侮蔑や嘲笑ではない。心の底から面白く感じていた笑いのようだった。

 笑う彼に対して、なにが面白いのか理解できなかったファインは、呆然とする他ない。

 

「どうしたの……?」

『いやホントごめん。改めて考えてみたんだよ、俺が君に貰ったものをね。そしたら本当に沢山のものを貰ったんだなって──』

 

 まずは、と話を切り替えて──、

 

『──君から〝光〟を貰った。君の駆け抜ける姿が、俺の何もなかった暗闇を照らしてくれた』

 

『──君から〝楽しみ〟を貰った。君が楽しげに語るものは、聞いていてこっちまで楽しくなるんだ。この電話だって、楽しみの一つになってるよ』

 

『──君から〝勇気〟を貰った。最後まで諦めず、あらゆることに全力で駆ける姿を見て、俺も頑張ろうって気持ちになるんだ』

 

 トレーナーは続々とファインから貰ったものを語る。これでもかというほどに幾つも告げられ、聞く度にファインは顔を赤くして覆っていた。

 きっと今の彼は、月を見上げながら優しげな表情をしているのだろう。カメラで見なくても、直接見ることができなくても、彼の表情は()()()()()()()()()()()()

 

『まだまだあるよ。この三年間で君から貰ったものは幾つもある。それはもう延々と語れるぐらいに』

「で、でも、形に残るようなものは……」

『確かに俺が語ったのは抽象的なものばかりだ。君は意図していなかったかもしれないけど、それでも俺は沢山のものを君から貰った』

 

 ────本当にずるい。

 ファインモーションはスマホを片手に、ネックレスの箱を強く抱き締めた。

 

『形にも残っているよ。大切なのは、自分じゃなくて相手がどう思っているかだ。君がどう感じていようと、俺は君のことを大切に想っているから』

 

 ────月の(くだり)だってそうだ。

 いつだって彼は、そういうことを当然のように語る。どうしてそんな恥ずかしいことを平然と語れるのか分からない。自分の言葉が、相手をどれだけ恥ずかしくさせているのか、彼はまったく分かっていない。

 

 ────そして本当に、彼は優しい。

 恥ずかしくとも、同時にそんなことを思った。

 何も渡せていないのに、何も返せていないのに、彼は私から色んなものを貰ったと、優しく言ってくれる。きっと彼は、ずっと損ばかりをする人だ。

 

「キミは、本当に…………」

 

 ────本当に、優しい人。

 

『ん? なにか言った?』

「ううん、なんでもないよ」

 

 彼のことが、好きで良かった。

 これだけ想っているのに、どうして彼は気付いてくれないのか。この想いが永遠に続けばいい──それを言葉にして伝えるのは、また今度でも。

 彼の表情が見えなくても、瞳を閉じれば分かる。

 

「ねえ、トレーナー?」

 

 短く反応を示した彼に、ファインはネックレスを眺めながら柔らかく笑った。

 

「明日、買い物に付き合ってもらってもいい?」

『もちろんいいよ。何を買うの?』

「キミへのプレゼントだよ」

 

 電話の向こうから「え」と声が漏れた。

 珍しく彼は困惑しているようだった。

 いつも恥ずかしくさせられている仕返し。これで彼の表情が見れたなら尚更良かったのだが、今はこの恋心の為に尽くしたい。

 

『俺へのプレゼントって、俺は別にいらないよ』

「私からのプレゼントは受け取ってくれないの?」

『いやそういうことじゃ……』

「ならお願い。私がそうしたいの」

 

 静かに染まる。無言になった空間で、スマホから流れる砂嵐のような音が響いた。

 やがて、スマホの向こうから音が聞こえた。

 風が吹き抜けて、カーテンが揺れる。カラン、と狭い空間で硬質な何かがぶつかる音が響き、続いてトレーナーの声が聞こえた。

 

『分かった。それじゃあ、君のプレゼントを楽しみにしているよ』

「庭園とか欲しい?」

『うーん? それは規模が大き過ぎるな……』

「ふふ、冗談だよ」

 

 私は、なにも彼に返せていないと思った。

 与えられてばかりの存在なのだと──けれど、彼は私から沢山のものを貰ったと言ってくれた。

 しかしそれだけでは、私の心は満たされない。私が意図していないものではなく、しっかりと面と面を向かって彼に今までのお返しをしたい。

 

「キミはなにが欲しい?」

『そうだなあ……欲しいものって言われると、特に思いつかないんだよね』

「無欲だね。もっと欲しがらないと!」

『そう言われても……』

 

 うーんと呻り、トレーナーは声を上げた。

 

『なら、ファインとの時間が欲しい』

「え……!?」

『適当に、目的もなく、ただいつものようにファインと一緒にいる時間が欲しいんだ』

「そっか……」

 

 ポツリと呟いて、ファインは笑った。

 形に残るものを渡したいのに、彼はいったいなにを言っているのか。一緒にいる時間なんて、今までもあった普通のことなのに。

 

 ────きっとこれが、彼にとっての特別。

 私が普通のことを特別のことのように感じるのと同じで、彼は私にとって普通のことを特別のように感じていた。

 

「分かった! いつものように普通で、それでいて無上の時を過ごそうね」

『うん、そうだね』

「あ、でも! プレゼントは他で渡すから!」

『はは、ありがとう、ファイン』

 

 嘘を纏った月の輝きが、静寂なる暗闇を照らす。

 誰もいない空間で、恋焦がれる一人の少女を見下ろして、二人の笑い声が暗闇に溶けていった。

 見つめた月の輝きは、心地の良いものだった。

 この至上の幸福が永遠に続けばいい──だけどそれは、()()()()()()()()

 もう少し先へ────。




月は嘘つきって言葉を使いたくてぶち込みました。

感想評価があれば是非よろしくお願いいたします。

トレーナーの過去とか、二人の過去とかいる?

  • どっちもいる
  • なくてもいいかな
  • 二人の過去だけ
  • トレーナーの過去だけ
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