霖劉・神無雨京の出立の朝。
巡視隊のヤチル・クラスナは頑丈な竜車に旅の荷物を積み込んで、牢舎の中から出てくる霖劉を出迎えた。
罪人を護送する緊張感のある任務だというのに、空は晴れ渡り、風は穏やかでヤチルの心情とは裏腹だった。
けれどヤチルの背には暑くもないのに、緊張感からくる冷や汗でじっとりと汗ばんでいた。
ややあって、牢舎の中から痩躯の男性が陽射しに照らされ、眩しそうに目を細めながらのっそりと出てくる。手荷物は布に包まれた長物1つ。──おそらくあれが、銀の英雄から贈られた護身用の大太刀だろう。
枯れ木のような痩身の密猟者は、明るい陽の下ではどこにでもいるような一般人に見えた。
だが、それは錯覚だ。
雨京が護送車の前に立つヤチルに気が付いて、僅かばかり顔を上げて、だらりと垂れ下がった前髪の隙間から目を合わせる。
その一瞬でヤチルの緩みかけた背筋に怖気が走った。
この男は、間違いなく獣の類いだ。しかも、酷く悍ましい種類の。
雨京が与えられた大太刀を抜かないと知ってはいても、ヤチルの背筋は粟立った。
「…ん、俺の担当の隊員さんかい?お世話になるよ。」
底の見えない水面のような雨京の暗い目が、ヤチルの心臓を鷲掴みにする。
それはまるで、ヤチルが初めてハンターとして大型モンスターに対峙したときのような緊張感だった。
あの時は、巡視隊のハンター筆頭としてコハクがヤチルを庇ってくれていた。
(……、…負けるもんか。)
ヤチルは拳を握り締めると背筋を伸ばし、胸を張って霖劉である雨京と対峙した。
「……霖劉・神無雨京。貴方をベルナ村まで移送する担当官のヤチル・クラスナです。ベルナ村までの短い間ですが、貴方の身の安全は巡視隊によって保証されます。」
「あぁ、異論も要望もないよ。そちらさんの言うとおりに。」
これまでに幾度となく護送を経験してきた雨京は、ヤチルからの形式的なやり取りに素直に頷いた。
犯罪者である己が異論を出しても黙殺されるのが関の山で、雨京の要望はそもそも巡視隊の人間はおろか、ギルドナイトですら叶えることができないのが明白だからだ。
ささやかな望みすら口にすること無く、雨京は薄く嗤ってヤチルの言葉の続きを待つ。
その態度がヤチルの言葉を喉の奥で詰まらせる。
「…、……移送の途中ドンドルマに立ち寄り、補給を終えた後ベルナ村まで貴方を移送し、そこで貴方の身柄はベルナ村付きの隊員の手に委ねられます。」
「監視員の話も聞いてるよ。相違ないね。」
ヤチルは油断なく雨京と相対しているが、得体の知れない不安感が拭えない。
理解の及ばぬ獣が、人の言葉を話している。その強烈な違和感。
そこに立っているだけの、雨京からの強い圧力に挫けそうになる。
その時だった。ヤチルの肩にそっと触れる大きな手があった。
「殺気を納めろ、雨京。ここで事を構えるつもりか?」
「コハク先輩…。」
ヤチルの肩をそっと支えて、コハクは雨京を睨み付ける。
コハクの咎めるような視線を受けて雨京は口元を手で抑え、僅かに咳払いをすると、口元に笑みを刻んだまま謝罪した。
「ああ、悪かったよ。隊員さん。こちとら檻の中で禁欲生活長くてね、つい昂っちまった。」
「…、……」
雨京の下品な言い草にヤチルは顔をしかめるが、一呼吸置いて冷静に務めると職務を全うするべく言葉を続けた。
「……以上で必要事項の通達を終わります。分かっているとは思いますが、今回の移送は特別に観測船が我々の竜車を監視しています。逃走を企てても無駄です。」
コハクが見ている前で、ヤチルは情けない姿など見せられないのだ。
「異論が無ければ、竜車後方から乗り込んでください。」
「………なあ、隊員さん。」
移送の説明を終えて、あとは出立するだけとなってから雨京は竜車の造りを見て、一瞬、酷くつまらなさそうな顔をした。
「……移送するなら、俺をアレに入れなくていいのかい?」
「……アレ?」
「アレ。……このくらいの四角いやつ。」
ヤチルが聞き返せば雨京は手で四角を描く。
雨京の言うそれは小型モンスター用の檻の事だった。
ギルドナイトがまとめた調書にも『霖劉移送の際に』と纏められていたのをヤチルは思い出していた。
ここに来るまでの間に雨京は3回ほど移送を経験しているが、3回とも必ず小型モンスター用の檻に入れられ、身体を伸ばせず、まともな身動ぎすら出来ない状況で牢舎に搬入されている。
ギルドナイトはこの男を人ではなく【獣】として扱った。そしてそれは、おそらく正しい。
だが、ヤチルは静かに雨京の言葉を否定した。
「……我々は貴方を捕縛するに至った銀の英雄から、貴方の事を人として扱うよう要請されています。」
「……………。」
「貴方を人として扱いますが、貴方は【罪人】なので、護送用竜車後方の檻の部分に乗り込んでもらいます。鍵は外側からしかかけられません。逃げ出すことは不可能です。」
気を強く持ってキッパリと告げるヤチルに、雨京は酷くつまらなさそうな顔をしたがそれは一瞬の事だった。
すぐに気を取り直した雨京は掴みどころのないヘラリとした笑みを貼り付けると「わかったよ。異論はないさ。」と竜車に乗り込んで扉を閉める。
幌では無く、木で出来た荷台の扉に鍵をかけると、ヤチルの額に大粒の汗がどっと吹き出てきた。
まだ出発もしていないのに、このざまだ。
竜車の鍵をポーチの底にしまい込み、竜車から数歩離れたヤチルは息を整える。その目線の先にはコハクがいた。
「よく頑張ったな。」
「コハク先輩…。」
荒く息を吐き出して、吸い込むを繰り返すヤチルにコハクは穏やかに笑って、手に持っていた包みをヤチルに放り投げて渡した。
「ほら、やるよ。前祝いと行こうぜ。」
「っ、と……なんですか?これ。」
雑に渡された物の包みを解くと、中からは銀の台座に青い石が嵌った上質な髪留めがころりと出てくる。
「わ、……きれい…。」
「ちったぁ良いもん飾ってテンション上げて行こうぜ。……大事な任務なんだろ。」
「……はい。」
ヤチルはコハクに言われた通りに、自分の髪に髪留め──バレッタを付けると1度くるりと回ってコハクに見せた。
「どうですか?曲がってません?」
「曲がってても大丈夫。似合ってる。」
「なんだか今日は塩対応じゃありませんか?」
「そんなことねえよ。かわいーかわいー。」
ヤチルを雑に褒めたコハクはそっぽを向いて、竜車前方の巡視隊員が使う乗り込み口へ向かう。
緊張感が適度に解れたヤチルもコハクにならって乗り込み口へ向かった。
「この石、なんて名前なんですか?」
「さぁな?忘れちまったよ。」
「えー、ちゃんと覚えておいてくださいよ。」
「なんでだよ。」
「武器にもつけたいじゃないですか。すごく軽いし、綺麗だし。」
「お前ね……。」
コハクは呆れたような目でヤチルを見るが、ヤチルはどこ吹く風で前方の乗り込み口から竜車に乗り込む。
「……まぁ、思い出したら教えてやるさ。」
「約束ですよ。絶対教えて下さいね。」
「思い出したらな。」
木の荷台は中で仕切られていて、後方部分も見えるように小さな小窓が付いている。
小窓を覗かなければ、雨京の様子を見ることもない。
ヤチルは雨京からのプレッシャーから逃れたいが為にコハクに竜車後方の確認を頼むと、前方の小窓から御者に声をかける。
普段の幌とは違い、重さのある木の荷台。
荷台を引くのは、力もあり頑健なアプケロスだった。
「出発準備完了しました。出発してください。」
「任されたニャ。」
御者のアイルーがアプケロスの手綱を握る。ややあって、アプケロスが動き出した振動が伝わってくる。
ヤチルは荷台の中に作られた椅子へ腰をかけると、目を伏せて深呼吸を繰り返した。
竜車はベルナ村へ向けて、ゆっくりと走りだした。
第10話です。よろしくおねがいします。