月なきみそらの獣たち   作:みのひつじ

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抜き払うは災禍の調べ

 

 

 

 

日は出ていて寒くない筈なのに、足元から底冷えした空気が這い上がってくる。

 

霖劉護送任務の途中、本性を表した密猟者・幻夢劉によって襲撃を受けた巡視隊の一番槍であるヤチルは、戦闘し劉を制圧出来るほどの精神状態ではなかった。

 

そして、極度の混乱の末に幻夢劉に唆され、竜車の中に閉じ込めていた邪悪な劉を解き放ってしまった。

 

 

霖劉・神無雨京が重苦しい雨の気配を連れて、地面を一歩踏み締める。

 

 

「…よっ、こらせっと…」

 

小型モンスターの檻に入れられてなかったとはいえ、移送用竜車の荷台は狭い。

外に解き放たれた雨京はまず1つ、凝り固まった体の筋を解すように大きく伸びをした。

 

幻夢劉に視線を向けて、欠伸を噛み殺すと雨京は実に眠たそうにガリガリと頭を掻いた。

 

「んで?……改めて聞くけど、今更俺に何の用だい?」

 

至極真面目に雨京は幻夢劉に聞いた。

霖劉としての重苦しい圧力に気圧され、大きく間合いの外まで飛び退いた幻夢劉は忌々しげに舌打ちをする。

 

「……今更だけど答えてやるさ。雨京、お前の命を貰いに来てやったよ。」

「そいつは困る。俺はベルナ村に行かなきゃならねえんでね。」

 

幻夢劉の憎しみを込めた殺意もどこ吹く風に、雨京はさも当たり前のように嘯いた。

雨京の態度は数多の密猟者から命を狙われていると言う事実をさほど大きな問題として捉えていない。幻夢劉は忌々しげに舌打ちをこぼした。

 

 

雨京は竜車の近くで解き放たれた劉の恐怖に怯え、呆然としているヤチルに声をかけた。

 

「なぁ、……なぁ、おい。」

「…、…え…?……わ、わたし…?」

 

突然に話の水を向けられたことで、ヤチルは辛うじて我に返る。雨京は雨垂れのように昏い目をヤチルに真っ直ぐに向けていた。

 

「しっかりしてくれよ、隊員さん。アンタがしっかりしてくれなきゃ、誰が俺をベルナ村に連れて行ってくれるんだい?」

「…、……ベルナ村に、……?」

 

 

──ベルナ村に霖劉・神無雨京を移送する。

 

 

それが巡視隊員、ヤチルに課せられた使命である。

ヤチルはハッと我に返る。頭にかかっていた靄のような狼狽が嘘のように晴れていく。

 

雨京を見上げるヤチルの目には、長身痩躯の枯れ木のようなシルエットがゆらりと揺れてニタリと嗤う。

 

 

「それがアンタの仕事なんだろう?隊員さん。」

「あ…!」

 

雨京の言葉に完全に理性を取り戻したヤチルは、武器を構えようとして既に幻夢劉に取り上げられていたことを思い出した。

 

(なにを、やっているんだ私は…!)

 

完全な丸腰で目前には邪悪な劉が2体、ヤチルに視線を注いでいる。これ以上ない絶体絶命の大ピンチだった。

 

「あ、貴方を、……逃がすことはしません、霖劉。」

「……ああ、そいつは重畳。」

 

虚勢を張り気勢を上げる。ヤチルに出来ることはそれだけしか無かったが、雨京は満足そうに頷いた。

 

「騙されて、惑わされて、丸腰で、理想論しか語れていねえが、そこさえ解っているなら、まぁいいさ。」

「……もしかして喧嘩売ってます?」

 

我に返ったヤチルは相変わらず窮地の中だが、この状況を打開するために必死で頭を働かせる。

せめて武器だけでもこの手にあれば、状況は格段に違ったのに。

 

ヤチルは意を決して、雨京に話しかけた。

敵に武器を奪われてしまったのなら、この際、恥の上塗りは何度だって重ねてやる。

 

「あの……霖劉。」

「なんだい?」

「……幻夢劉の制圧に、私の武器だけでも取り返してもらえませんか?」

「……ッ、………ク、……」

 

ヤチルの言葉に完全に不意を突かれた雨京はこみ上げる嗤いを噛み殺した。

よりにもよって【劉】である己にそれを頼むとは。

 

非常に愉快だ。と雨京は心地良い気分で隣に立つ桜色の髪を横目で眺めた。

桜色の髪の巡視隊員は心の強そうな瞳で己の事を真っ直ぐに見つめている。

 

 

己の事を一片も疑わない、あの『銀の目』には程遠いが……これはこれで昂るモノがある。

 

 

疑惑や疑心を責任感で上塗りし、激しく暴れまわる羞恥心を鉄の理性で抑え込む。ヤチルの心情はそういったところだろうと雨京は推測した。

 

──これに賭けてみるのもまた一興。

 

「…、…博打は、久しぶりかな。」

「え?」

「いいや、こっちの話。」

 

愉快な嗤いを堪えて飲み込み、雨京はヤチルに事情を明かした。

 

「……ただ、俺は未だ移送途中の身でね。『ベルナ村に到着してから』じゃないと護身の許可が降りてない。」

 

ベルナ村に着くまでは己はまだ檻の中なのだ。

この大太刀は『ベルナ村に着いて、無償奉仕に従事する神無雨京に与えられる物なのだ』と雨京は暗に告げる。

 

ヤチルは雨京の言葉を受けると悔しげに歯噛みし、睨みつけるような目線で雨京を見据えた。

 

──ああ、いいね。その目はそそる。

 

膝を折りたくない相手に、屈辱を感じながらプライドを明け渡すその表情。

桜色の美しい唇が僅かに開き、濡れた舌を昂る茎に這わせるが如くの屈伏。

 

恥辱に塗れた唇から、次の言葉が溢れるのを雨京は待った。

 

「……霖劉。……貴方に、抜刀を許可します。」

「……、…わかったよ、ありがてえ。」

 

ヤチルの言葉に頷いて大太刀を包んでいた布を解いて寛げると、漆黒の鞘が顔を覗かせる。柄には丹念に鞣された白い毛皮が丁寧に巻かれており、雨京の手に吸い付くように馴染んだ。

 

真新しい、まだ1度も抜刀されていない無垢の大太刀をこの手で汚す快感で、雨京の中心に欲の熱が灯る。

 

人の為であれ、と銀の英雄から善性を持って施された大太刀を護身のために使う、その偽善に己が膝を折る屈辱に雨京の熱は高まっていく。

 

酷く歪んだ快楽。

 

(……あぁ、堪んねえ。)

 

滑らかな所作で大太刀を抜いて、片手でゆるく構えた。刀身は磨き抜かれた鋼の色。

雨京の視線の先には、牙を剥いてくる元・同業者。

 

 

人の肉を斬るという行為に期待と欲が昂り、溢れそうな唾液を誤魔化して舌舐めずりをする。

 

「……ご褒美があるんなら、檻の中の禁欲生活も悪かないね。」

「今どき斬り合いに興奮すんのなんてお前だけだぜ、ド変態。」

「なんだい幻夢。俺の命を取りに来た割にゃつれないね。」

「俺はお前に苦しんで死んでほしいだけだからね。」

 

 

その時だった。

 

──ポツリ、と雫が落ちる。

 

パラリ、ハラリ、サァサァと霧に近い花時雨がその場の全員に降り注いだ。

そしてヤチルは真実を見る。

 

「……えっ?」

 

コハクの顔を借りていた幻夢劉の顔が溶けたのだ。

文字通り、溶けて落ちる。

 

ヤチルの戸惑った声に気付いた雨京が、得心が行ったように説明をしてやった。

 

「……あれは元々狩人でね。今も手を変え品を変え、誰かの友として狩りをしている劉の1人だよ。狩りでしか手に入らない夜鳥の鱗粉で化粧をして【会いたかった誰か】になりすますのさ。」

 

何か特徴があるわけでもない。ひと目見てもすぐに忘れる。大きくも小さくもない、そんな人物が幻夢劉の正体だった。

 

「雨、池、川みたいな濡れる場所は天敵でね。主に砂漠地帯をねぐらとしてるんだが、化粧道具が足りなくなるとベルナ村の辺りにひょっこり出てくるのさ。」

「チッ、ほんっとう余計な事までベラベラと…。」

 

 

雨京に変装の秘密まで明かされた幻夢劉は忌々しげに舌打ちをするが、雨で冷えていく空気に1つ呼吸を整えた。そして提案を重ねる。

 

「……なぁ、雨京。ものは相談だけど、その女を殺して戻って来る気はあるか?」

「ッ!?」

 

雨京が大太刀を抜刀して構えている以上、幻夢劉とてただではすまない。だから誘惑する。

今ならば、幻夢劉の口添えで右腕一本と【首輪】程度で脈震劉は許してくれるだろう。

 

それを見越しての提案だった。

いくら護衛が巡視隊の一番槍と持ち上げられていても、自分と雨京の2人がかりならば造作もないことだ。

 

「好きなだけ人殺しが出来る、お前にとっちゃ天国かと思うけど?」

「…、…」

 

幻夢劉の提案にヤチルの顔はサッと血の気が引いて、みるみる内に青褪める。

雨京を取り逃がすどころか、自分が惨殺されるなど夢にも思わなかったろうに。

 

「…、ク、…クカカカッ!なるほど、兄ちゃんの言ってたのはこういう事か。」

 

けれど、幻夢劉の想定していた答えは返ってこなかった。珍しく大口を開けて呵々大笑する雨京は、幻夢劉を獲物として見据えていた。

 

「なるほど、確かにつまんねえな。……断るよ、幻夢。そいつは俺の生き方じゃないんでね。」

 

それは奇しくも、かつて密猟者だった雨京の提案を一蹴した銀の英雄と同じ答えだった。

 

 





第13話です。よろしくおねがいします。
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