幻夢劉という密猟者は、もとを辿ればごく平凡なハンターだった。
狩猟記録は平凡を極め。歴史に名を残すこともなく数多に埋もれていく名もなき狩人の1人。
幻夢劉が持つ小太刀は駆け出しハンターの頃から使っている剥ぎ取りナイフを鞘に納めたもの。
自分の仄暗い感情を抑えるために、鞘をあつらえた。
転機が訪れたのは、狩人として死力を尽くした狩りの後だった。
キャンプ送りにされた当時の幻夢劉が狩猟地に戻ると、そこには密猟者の集団が自分以外の3人を殺害し仕留めたターゲットの剥ぎ取りをしているのを目の当たりにした。
あれだけ手強かったモンスターも。
あんなに強かったモンスターを狩猟したハンターたちも。
こんなにもあっさり死ぬなんて。
呆然と立ち尽くす幻夢劉はその場で密猟者の集団に見つかったが、幻夢劉は死の危険を免れた。
『…、っぶっ、……あはははははははは!!!』
何故なら幻夢劉は、仲間と呼んでいたハンターたちの死を前にして大笑いしたからだ。
──だってなんかの冗談かと思うだろ?あんな英雄たちがこんなゴミみたいな密猟者に殺されるなんて。
嘲りを大いに含んだその嗤い声は力尽きたハンターたちの流した赤い血が大地に広がり、死臭の満ちる場所に高らかに響いた。
そうして、かつて平凡だった狩人は転がり落ちるようにして密猟者に身を落とした。
けれど、その程度の話なら、密猟者であれば別に珍しくもないもの。
一人の狩人が流されるままに密猟者として生きてきて、とうとう【劉】と呼ばれるまでになっただけの、それだけの話。──
灰色の空からサァサァと降り出した雨で、幻夢劉の幻惑の鱗粉はまるで意味を成さなくなった。
大きく飛び退いた幻夢劉の立つ位置は雨京の間合いのギリギリ外を掠っていて、ここから一歩でも踏み込めば、雨京は獲物を見つけた獣のように攻勢に出るだろう。
そんな事は分かっている。幻夢劉は密猟者としても狩人としても死線はそれなりにくぐって来ている。
だから【劉】を狩るために策を練るのだ。
幻夢劉はポーチの中から煙玉を取り出して、中空に放って小太刀で叩き斬る。
途端に広がる煙が充満し、視界を白く埋め尽くした。自分の指先まで見えなくなる、まるで濃霧のような煙幕がふわりと広がりその場を覆った。
「…、…!」
「隊員さん、自分の風下に注意しときな。」
ヤチルが姿を煙に隠した幻夢劉に警戒をしていると、すぐ近くから雨京の声が届く。
その声音は期待に満ちた愉悦が滲んでいた。
「煙に巻くのは俺たちにとっちゃ常套手段でね。匂いで気付かれたくない非力な俺らは風下を取りたがるんだよ。」
密猟者の常套手段をヤチルに教える雨京は、どこか得意気に声を弾ませる。
首か、目か、それとも左胸か。
幻夢劉が狙うであろう致命的な一撃を想像しただけで、雨京は身体の芯を熱く昂らせる。
──刹那
雨京が軽く大太刀を一閃すると、甲高い剣戟の音が響き渡る。
「!?」
「チッ、」
音に驚いたヤチルが身を竦ませるのと同時に、奇襲が失敗したことに苛立った幻夢劉の舌打ちが煙の中に消えていく。
「……ながーい禁欲生活のおかげかな。しばらく嗅いでなかった血の匂いがお前さんの場所をくっきり教えてくれてるよ、幻夢。」
雨京の目は幻夢劉に染み付いたかすかに香る血の匂いに導かれて、煙の中に隠れたはずの幻夢劉の姿をしっかりと捉えている。
それは雨京に対して幻夢劉のあらゆる奇襲が無意味だという事を証明していた。
サァサァと降る霧雨が幻夢劉の張った煙幕を洗い流す。
身を隠す手段を失った幻夢劉は、煙幕が晴れると同時に自前の小太刀を構えて雨京に向かって突進した。
大太刀と小太刀のぶつかり合う、甲高い剣戟の音が響く。
雨京は大太刀で幻夢劉の小太刀の刺突を受け切ると、そのまま鍔迫り合いになだれ込んだ。
ガチガチ、ギリギリと刃が全力で押し合う。
神無雨京は長身ではあるが痩躯だ。
故に力で押し合う鍔迫り合いにもつれ込めば、かなりの割合で押し負ける。それは平均的な体格の幻夢劉にすら劣るほどで。
それを分かっていながら雨京は幻夢劉との鍔迫り合いに興じていた。
雨京が密猟者であった平素なら避けていたであろう武器での組み合いに、強い違和感を感じた幻夢劉は背筋が薄ら寒くなるのを感じた。
ふと、雨京の顔が目に入る。
口角を吊り上げて、薄く開いた口から白い歯がチラリと見えている。幻夢劉を覗き込む瞳孔は、小太刀の剣閃を一筋も見逃すまいと、爛々と開いている。
──嗤っている。
同じ劉でありながら雨京が醸し出す悍ましい圧力に気圧され、幻夢劉は怯んで飛び退き間合いを取った。
しかし、雨京は幻夢劉が己の間合いから逃げ出す事を許さなかった。
幻夢劉が飛び退いた距離を一足で追いすがり、間合いを潰すと同時に大太刀を水平に振り抜く。
「ッ、」
雨京の殺意を持って放たれた大太刀を、幻夢劉は体をのけ反らせ紙一重で躱す。大太刀の刃先が僅かに掠ったが、装備の上を少し撫でた程度で済んだ。
次いで耳に届いたキン…、という恐ろしく静かな納刀の音に幻夢劉は全身が粟立つのを感じた。
──抜刀術・居合
鞘に納められし大太刀が抜き払われる瞬間、幻夢劉は崩れた体勢から身体を捻り、無理やりポーチから閃光玉を放つ。
弾けた閃光玉から強い光が広がり雨京の視界を一瞬で灼いて、その動きを止めた。
ターゲットの視界を奪った筈の幻夢劉は慌てて飛び退いて間合いを取り直す。不穏な気配に動悸が高鳴っていくのを感じていた。
雨京は興奮によって開いていた瞳孔が仇となって、視界は確実に奪われた。……筈だ。
優位に立った筈の幻夢劉の視線の先で、雨京は奪われた視界の中、納刀の姿勢を崩さなかった。
口元にはうっすらと愉悦の笑みを浮かべている。
構えて、動かず。
何が来ても己の方が速く斬れると言う絶対的な自信を持って雨京はその場で静止した。
幻夢劉の耳には脈打つ自分の心臓の音がうるさく警鐘を鳴らしている。
このまま無策で踏み込めば返り討ちに合うと、本能が囁いている。
(くそ…っ、分かってんだよ。そんなことは。)
幻夢劉は心の中で悪態を付くと、息を細く吐き出して呼吸を整えた。
これがもし、脈震劉や極点劉であったなら雨京の視界を奪った時点でケリがついていたのだろう。
それが容易く想像できてしまって、幻夢劉は気持ちを腐らせる。
劉としての純然たる力量の差がそこにはあった。
雨京とまともにやり合えば自分が負ける事など、幻夢劉は身に染みるほど解っている。
だから、次の策を練る。
「……どうした、幻夢?俺の命を取りに来ないのかい?」
アイテムポーチを結んでいたベルトは、大太刀の刃先が掠りもう使い物にならない。
ならば極力軽いほうが良い。
幻夢劉はポーチから道具を取り出すとベルトごと投げ捨てる。
圧倒的な力量の差があったとしても、雨京の目が使えない今こそが好機なのには変わりなかった。
幻夢劉はポーチから取り出した音爆弾を雨京に投げつける。視界を奪ったのなら、さらに聴覚も奪うまでだ。
自分が常に有利に立ち回る、それが狩人というものなのだから。
投げ付けられた音爆弾を、視界を奪われた中で雨京は容易く斬り落とす。その瞬間、鼓膜を突き刺すような衝撃音が響き渡った。
「…ッ、」
モンスターに使用することを想定している道具だ。肉体が人間でしかない雨京には過剰な威力を持っている。
そして幻夢劉は追撃の手を緩めなかった。
本来ならば人間の肉体に使うことを想定していない物を、目と耳を奪われた雨京に対して使用した。
強い閃光で眩んだ目は若干の陰影を捉えるまでに回復しただろうか。
勢いよく飛んでくる物体を──それが袋状だったのは後に気付く事になるが──条件反射で斬り捨てると内容物が雨京に降りかかる。
抜き払った大太刀を再度納刀しようとして、異変はすぐに現れた。
「ア、…が、……ッ」
ヒュウヒュウと雨京の喉の奥から上手く機能しなくなった肺が慌てて呼吸をする音が聞こえる。
姿勢は崩れて膝を付き、前のめりに倒れた雨京の痩躯は筋肉の痙攣によって不規則に身体を跳ねさせた。
幻夢劉は奥の手として、モンスターから採取してあった麻痺毒を雨京の不意を突いて浴びせることに成功した。
──これなら首を獲れる。
幻夢劉は小太刀を握り直し、麻痺毒に犯され立ち上がることもままならない雨京にゆっくりと近付いた。
此処から先の逆転は、もうない。
「……それじゃ、お前の命を貰うよ。雨京。」
柔らかな首筋を狙って振り下ろされた凶刃は、しかし硬い感触にぶつかって阻まれた。
「…やらせるわけ、無いでしょう…!?」
差し込まれた長い木で出来た警棒は巡視隊員から奪った最初の武器。
それを、桜色の髪の女が握っている。
「巡視隊の一番槍、舐めてんじゃないわよ…!」
第14話です。よろしくおねがいします。