月なきみそらの獣たち   作:みのひつじ

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桜、舞う

 

 

サァサァと降る雨の中、膝を付き倒れた霖劉・神無雨京の命を簒奪するべく振り下ろされた凶刃は堅木の警棒によって阻まれた。

 

「やらせるわけ無いでしょう…!?」

 

巡視隊の桜色の髪の少女が二振り一対の警棒を支柱に身体を持ち上げると、両足を揃え渾身の力を込めて幻夢劉を蹴り飛ばした。

 

「ッ、」

「巡視隊の一番槍、舐めてんじゃないわよ…!」

 

強制的に間合いを開けられた幻夢劉はヤチルを睨み付けると、ヤチルは追撃の為に既に幻夢劉の間合いを捉えていた。

 

(思ったよりも速い…っ)

 

一振りの警棒を大上段に振りかぶり、一切の躊躇なく振り下ろされる。その威力は堅木とは言え、当たりどころが良ければ大怪我をするのは必定。

 

 

だけど、これを躱せば棍を振り切ったヤチルには大きな隙が出来るはずだ。

雨京と比べれば体捌きも精彩がなく、威力だとてたかが知れている。

 

幻夢劉は心の中でほくそ笑んで、ほんの少しのバックステップでヤチルの棍を回避した。

 

ガツ、と硬い音がして棍は地面を強かに叩く。

 

「もーらった。」

 

性別に対する容赦など劉には存在しない。

幻夢劉は棍を空振って隙だらけのヤチルに小太刀を刺して終わりにしようとした。

 

しかし予想は外れて、幻夢劉が小太刀を突き刺した先にヤチルの身体は無かった。

 

 

空振って地面を叩いた棍を軸にして、ヤチルは空を舞った。重力から一瞬だけ解放された身体を空中で捻り、幻夢劉を飛び越えて、その背後へ着地する。

 

 

着地した先でヤチルは棍を二振りの警棒に分解すると、腕を交差させて構え、幻夢劉の小太刀を目掛けて渾身の力を込めた迫撃を打ち込んだ。

 

二振りの警棒を振り抜いたヤチルのほんの一瞬の隙を見抜いて、小太刀を手放した幻夢劉から拳が飛んでくる。

 

「グッ、」

 

白く柔らかな頬を強かに殴りつけられヤチルは僅かに後退するが、拳打を重ねる幻夢劉の腕を逆手に構え直した警棒で外側に逸らすように弾き出した。

 

「ッ!」

 

このまま拳打を重ねてヤチルを沈める気だった幻夢劉は、拳を弾かれた刹那に隙が生まれた。

 

がら空きになった幻夢劉の胸元に、肩から身体を捩じ込んだヤチルが腰を落とした姿勢から幻夢劉の顎を目掛けて、拳を突き上げる。

 

顎から入った痛烈な衝撃が脳を揺らして、幻夢劉は足をもつれさせて尻餅をついた。その指先に硬い感触が触れる。

 

 

 

──いいか、ヤチル。拳を握れ。

 

 

───それがお前の最初の武器で、最後の武器になる。

 

 

巡視隊に入隊して初めてそう教えてくれた人は、今ここにはいなくとも。彼に対して恥ずかしい真似は出来るはずもない。

 

ヤチルは二振り一対の警棒を組み合わせ長い棍にすると、幻夢劉を制圧する一撃のために大きく振りかぶる。

 

 

棍が振り下ろされる刹那、幻夢劉は這這の体で地面を転がり辛うじて棍を避けると指先に触れたポーチの中から指に馴染んだ道具を引きずり出す。

 

振り下ろした棍が外れたと知ると、ヤチルはそれを水平に閃かせた。

その矛先が僅かに逸れる。

 

幻夢劉はヤチルの棍が決定打を与える直前に、すんでの所で使い慣れた道具を使用した。

 

 

幻夢劉が最も使い慣れた道具──幻惑の鱗粉

 

 

幻惑の鱗粉は夜鳥を狩る事でしか手に入らなく、希少品ではあるがここで出し惜しみなどしていられなかった。

何せここで捕まれば脈震劉から見放されるだけに留まらず、極点劉からも失笑を受けるのは想像に難くなかった。

 

幻夢劉の脳内に、極点劉の声が反響する。

 

『オレは海賊。わざわざ沈むと分かっている船には乗らない。』

 

 

幻夢劉は死に瀕した獣のごとくヤチルに対して猛然と抵抗をする。自分の最も得意とする『幻惑』で。

 

 

幻惑の鱗粉がヤチルの棍に触れ、雨にも負けずにふわりと広がり、金色の霧がヤチルの身体を包み込んだ。

 

甘い幻惑の霧がヤチルに優しい夢を見せる。

 

 

 

 

──旧砂漠の硬い台地に、珍しくサァサァと雨が降っていた。

私の足元には今しがた叩きのめした密猟者と、その少し向こう側にまだ息のある密猟者が呻きを上げて転がっていた。

 

いつから灰色の空だったろうか?

旧砂漠に雨が降るなんて珍しくて、降り始めを絶対に覚えているはずなのに。

 

『おい、ヤチル。』

 

空を眺めていたら、耳に馴染んだ最も親しい人の声が直ぐ側からかけられる。振り向けば、雨で煙る霧の向こうにぼんやりと親しい人の影があった。

 

『もう仕留めたのか?流石だな。』

 

親しい人は私を褒めてくれた。

その人が偽物だということを、私は既に知っている。

 

何故なら、最も親しい人その人は、私に対して最も妥協を許さない人だったからだ。───

 

 

 

 

サァサァと降る雨の中で、金色の鱗粉を全身に浴びたヤチルは呆けたように身体を硬直させていたが、やがてゆっくりと首だけで幻夢劉の方を見た。

 

その目に異常なほどの闘志が宿っているのを見て、幻夢劉は背筋が寒くなるのを自覚する。

 

ヤチルが握り締めた棍が振り上げられるのを、やたらとスローに映る視界で幻夢劉は別のことを考えていた。

 

 

いつから、俺は道を間違えたんだろうな。

 

この女が旅の中で油断しているうちに、命を取ってしまえば良かった。

雨京が竜車の牢に閉じ込められているうちに、毒でも流して殺してしまえばよかったんだ。

 

何故、雨京に対して正面から挑むなんて───

 

 

───どうして、モンスターに対していつも正面から挑んでいく、ハンターみたいな真似をしたんだろう。

 

 

 

側頭部にヒットした棍は幻夢劉を弾き飛ばした。

ヤチルは追撃の為に構えを取るが、幻夢劉の方に既に抵抗する力と意思はなく、両手を頭の後ろで組んでいた。

 

「……ハァッ、ハァッ……密猟者、幻夢劉……!……貴方を、捕縛します…!」

 

桜色の髪をサァサァと降る雨にしとどに濡らして、ヤチルは幻夢劉を棍で抑え込もうとした。

 

 

その瞬間、地面に伸びていた筈の幻夢劉が勢いよく跳ね起き、ヤチルに襲い掛かった。

 

「ッ!?」

 

幻夢劉の正真正銘の最後の抵抗は功を奏しヤチルを地面に引きずり倒すと、少女の小さな身体に馬乗りになって顔面を殴り付ける。

 

「下手打ったなぁ!!ヤチル!!下手だ!下手!!劉に対しての態度があまりにもお粗末すぎる!!あははははは!!もう巡視隊として働かなくても良いから腰でも振って男にでも媚びとけば良いよ!!」

 

幻夢劉の高らかな勝利宣言にヤチルは顔面を殴られた痛みより誇りを傷付けられる痛みに唇を噛み締める。

 

なにより、僅かでも劉を信じようとした自分が許せなかった。

 

このまま自分が殺されても悔しさのあまり現世に留まってしまうだろう。

 

唇を血が出るほどに噛み締め、意志だけは負けるまいと幻夢劉を睨み付けるヤチルに幻夢劉は興が削がれ、ヤチルの心をへし折ってやろうと拳を振り上げる。

 

「なんだよ、その目は。大人しく怯えていれば優しくしてやったのにさぁ!!」

 

 

「いやぁ、全くもって同感かな。」

 

 

幻夢劉の激昂に答える声があった。

重苦しい雨垂れの気配を纏った長身痩躯のシルエットが、枯れ木のようにゆらりと揺れる。

 

「返すよ、小太刀。…落とし物さ。」

 

そして、防具の隙間を縫って刺し込まれる自分の小太刀に激痛が走り、幻夢劉は一気に青褪める。

直ぐ側に立つ雨垂れの気配を見上げると、見知った顔がそこにあった。

 

「…ひ、ッ…!」

 

雨を背負う劉はニタリと嗤い、鞘に納めた大太刀を両腕で構えて水平に振り抜いた。

肉を叩き、骨まで届くぐしゃりと言う音が響く。

 

ヤチルとは違い、死んでも構わないという容赦のない一閃は幻夢劉の意識を奪い、水溜りの出来始めた地面に派手な泥飛沫を上げて叩き付ける。

 

幻夢劉が叩き付けられた先で僅かに痙攣している事を確認した雨京は、地面に引きずり倒されたヤチルを見た。

 

「……生きてるかい?隊員さん。」

 

 

悔しさに歯を食い縛り、細く降り頻る花時雨に溢れる涙を誤魔化してヤチルは両腕で顔を覆う。

劉である雨京に、涙なんか見られたくなかったのだ。

 

「生きてます。勝手に殺さないでください。」

 

顔を乱暴に擦り涙を無理やり納めると、起き上がり眉を釣り上げて気勢を吐いた。

 

「貴方が居なくても、私は幻夢劉を捕縛出来ていました!」

「…ッ、クク………あぁ、そうかい?」

 

稚児がヤケクソになって吠えたような、ヤチルの明らかな強がりに雨京は不意を突かれて噴き出した。口元を抑えても嗤いが漏れている。

 

「そいつは重畳。」

 

 






第15話です。よろしくおねがいします。
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