折れた枝、墜ちる鳥
サァサァと降る雨は上がったが、太陽はいまだ姿を見せず。吹き抜ける風に濡れた身体が芯まで冷やされる。
巡視隊の一番槍である桜色の髪の少女ヤチルは、密猟者の男に殴られた頬の痛みをそのままにして。
今しがた制圧した密猟者・幻夢劉に縄をかけた。
殴られて腫れてきた頬は熱を持ち、ジンジンと鈍い痛みを訴えているが、それよりもやらなければならないことがある。
ヤチルの傍らには移送途中の霖劉・神無雨京。
はからずもハンターズギルドの天敵である【劉】が2人ここにいる。
密猟者である神無雨京は自由を許された状態のまま、ヤチルの次の行動を待った。
ヤチルは1度、竜車に戻ると長旅に備えた荷物の中から医療キットを抱えてくると、雨京に大太刀で殴り飛ばされて意識を失っている幻夢劉の傍らに膝を付いた。
幻夢劉の防具の隙間を縫って刺し込まれた小太刀は放置しておいたら失血で幻夢劉が死ぬ。
幻夢劉の傷の手当を始めようとしたヤチルに、雨京が呆れたように声をかけた。
「…放っときゃいいのに。」
──どうせ獣だ。死んでも構わないだろ?
雨京の言葉の裏には、隠された愉悦が滲んでいる。
返答期待せず発した言葉だったが、ヤチルは律儀にも雨京に返答した。
「……私は、巡視隊の隊員です。…巡視隊は、密猟者を捕まえるのが仕事です。」
口の端を歪ませてニタリと嗤い、二の句を告げようとした雨京の言葉は遠くから響いてきた蹄の音に飲み込まれる。
「…、……」
硬く強靭な蹄の音は遠く、けれどしっかりと響いていて、目的地がここだという事を知らせている。
ヤチルも蹄の音に気が付いたのか、幻夢劉の傷の手当ての手を止め顔を上げた。
程なくして霖劉移送の担当をするヤチルの元に駆け付けたのは、頭に強靭な一対の角を備えた草食獣ガウシカに乗った、同じ巡視隊に所属する──
「……メタルタさん、どうし…」
「クラスナ女史、君に帰還命令が出ている。」
ガンランス使いのメタルタが緊急の伝令を持って、ヤチルに隊舎へ戻るよう促していた。
【劉】の移送任務はハンターズギルドの中でも重大な任務の筈なのに、何故。
ヤチルはメタルタの目を見据え、その理由を尋ねた。
「何故でしょうか。霖劉移送の任務はまだ終えていません。」
「こちらで重要な案件が発生した。……霖劉移送の任務は信号弾で火急を報せ、ドンドルマの方から応援を寄越してもらう。」
メタルタはヤチルの目から逃げるように視線をそらし、信号弾に弾を込める。
監視気球に信号弾で強引に合図を送ろうとしたメタルタの腕を傷だらけになったヤチルが止めた。
「待ってください!何故ですか!?理由が無ければ納得できません!!」
「理由なら今、君が1番身に沁みているだろう!?」
我を通そうとするヤチルに思わず大きな声を出したメタルタは「……すまない。」と謝罪した。
1度言葉を切り、息を大きく吸い込むと重苦しい吐息とともに言葉を紡いだ。
「…………巡視隊隊舎裏の水路から、…コハク・オウガ隊員が遺体で発見された。」
……あぁ。とヤチルの唇からは納得とも嘆きともつかない音がこぼれるだけで。
「既に霖劉移送の任務に就いていたクラスナ女史が単独で出発していたことに驚いた隊長が、後を追い連れ戻すように俺が命じられた。」
メタルタの伝令の声が酷く遠くに聞こえていた。
「……君だけでも、無事で良かった。ドンドルマから応援が到着するまでは俺が護衛として君に付く。心配はしなくていい。」
伝令を終えたメタルタは改めて信号弾で監視気球に合図を送ろうとしたが、その腕を再度ヤチルが止めた。
「……クラスナ女史。」
「分かっています。でも待ってください。」
ワガママじゃありません。とヤチルは強い意志を持ってメタルタに懇願した。
「霖劉移送の任務中に、密猟者・幻夢劉から襲撃を受けこれを制圧しました。……その際、幻夢劉に深手を負わせてしまったんです。」
「………。」
「このままでは、貴重な情報源である幻夢劉を死なせてしまうかもしれません。……せめてドンドルマまでは私に移送の担当をさせて下さい。」
メタルタはヤチルの強い意志を持つ視線からふいと目をそらす。
「メタルタさん…!」
「俺は………。……俺は君の護衛をするよう隊長から命令を受けただけだ。」
君の好きにするといい、と小さく呟くとメタルタは周囲を警戒しはじめる。
その際に野放しにされている雨京への睨み付けも忘れなかった。
「……何事も無かったのなら大人しく竜車に戻れ、霖劉。」
「はいはい、隊員さんの仰せのままに。」
長く場に留まっていても良いことはない、とメタルタはヤチルに言い聞かせると手当を終えた幻夢劉を雨京が乗り込んだ竜車の荷台に積み込んだ。
ドンドルマまでは竜車の足でどんなに急いでも一昼夜はかかる。メタルタが乗ってきたガウシカも一緒に竜車に乗り込んだため、中は非常に狭苦しかった。
ヤチルの傷は走る竜車の中でメタルタが処置をした。白く柔らかだった頬は赤く腫れて痛々しく、唇からは出血している。
消毒をし、軟膏を塗ってやり、氷結晶を小さく砕いて氷嚢を作ってやった。
「……クラスナ女史、傷が痛むだろうが少し休むといい。俺が周囲を警戒する。」
精も根も尽き果てて、ヤチルは答えることもできずにただ頷いた。
足を折り畳んで先に休んでいたガウシカの背にもたれかかり、眠れはしなかったがヤチルは目を閉じて身体を休めた。
竜車が走る振動の中、明け方に優しく身体を揺り起こされヤチルは自分がいつの間にか眠っていた事を自覚した。
「クラスナ女史、そろそろドンドルマに到着する。……そこで飛行船のチケットを取って早急に街に帰還しよう。」
「………、…はい、了解です。」
メタルタの声に起こされて、目を擦ると皮膚が引き攣れた。幻夢劉に殴られた頬が強く痛む。コハクが喪われた世界の夜は明けてしまった。
ドンドルマに到着するとメタルタは憔悴しきったヤチルを竜車に置いて、ハンターズギルドに駆け込んで伝令を済ませる。
霖劉移送の任務をドンドルマの巡視隊員に引き継ぐとヤチルの手を引き、飛行船に乗り込んだ。
伝令の為に走らせたガウシカと、竜車を一昼夜休みなく走らせた御者のアイルーも一緒に街に帰還することになった。
街に帰還して、すっかり散って葉桜になった並木通りを歩きながらヤチルは隊舎に戻った。
事のあらましを隊長に報告して、街を離れていた間に起きた事件について知らされる。
ヤチルは改めてコハク・オウガ巡視隊員の訃報を受け取った。
葬儀は既に済ませたらしく、ヤチルには実感がない。
ヤチルはその足で隊舎の長い廊下を抜けて、扉を1枚くぐり中庭に出る。
柔らかな下生えを踏み締めて中庭を突っ切ると一般には開放されていない場所に辿り着いた。
広い空間が開けた場所の、そこは墓地で。
今は真新しい墓標が1つ増えている。
「…、…」
真新しい墓標の前に立ち、刻まれた英雄の名を震える指でなぞった。
──使命に身を捧げし英雄、王牙琥珀ここに眠る。
「……い、つも……」
開いた口から出た声はからからに枯れて乾いていた。
「……いつも、私のほうが、現場に駆け付けるの……速かったじゃないですか………」
声に気持ちを乗せたら、もう堪えきれなかった。
堰を切ったように涙の粒が溢れて、あっという間に前が見えなくなった。
「……どうして、先にいっちゃったんですか……!」
零れる涙を拭っても、拭っても心の底から悲しみは湧き出て枯れることは無い。
「……おいてかないで、くださいよぉ……!!」
孤独になってしまったヤチルの嘆きを、桜色の髪を飾る青い琥珀の髪留めが静かに見守っていた。
しばらくそうして悲しみに身を任せていたヤチルの足元に、小さな生き物がもそりと動いた。
目線を向けてみれば、街に一緒に帰還した小さな御者のアイルーが色とりどりの大きな花束を抱えてふらふらと歩いていた。
小さなアイルーは花束を墓標の根元に備えると、真っ赤に晴らした目を潤ませてヤチルをついと見上げた。
「泣いたらだめニャ。」
ぐすんと鼻を鳴らし、うるうるとしたつぶらな瞳でアイルーはヤチルに訴えた。
「泣いたら、コハクくんが心配して起きちゃうニャ。」
「……、……」
白と黒の柔らかな毛並みが今はしょげてぺっそりとしている。
「コハクくん優しいから、ヤチルちゃんが泣いていたら心配しちゃうニャ。……だから、泣かないでニャ。」
「…、…ぅん。……」
小さな御者アイルーに諭されて、ヤチルは泣いてしまって溶け落ちそうな目を擦って涙を引っ込ませた。
そんな折だった。
親しい人の死を悼むヤチルの前に、ハンターズギルドに多大な貢献をした者のみが着用を許された隊服をまとった隊員が姿を表した。
『ヤチル・クラスナ隊員はこちらだろうか。』
第16話です。よろしくおねがいします。