まえがき
後編です。
あたしとなみみさんは、毎日のようにつながって、まったりお話して、ゆるーく遊んだ。
古い写真を見せあったり、あたしのお気に入りの音楽をふたりで聴いたり、なみみさんが好きな昔の恋愛ものの映画を見たり……いわゆるデートだ。
あたしは、いつの間にか、なみみさんとスムーズにコミュニケーションができるようになっていた。なみみさんのメッセージを理解するのは、とっても簡単。難しく考えないで、そのまま受け止めればいいんだ。
あたし自身も、言葉だけではなく、
ある日の夜。 *1
あたしは、なみみさんに、今日の昼に行った中華料理店の話をしていた。
あたし 「麻婆豆腐、こんな味だったよ! 【 麻婆豆腐の味 + 香り + 舌触り 】」
あのお豆腐のなめらかさは、
なみみ 【 オイスターの香り + うらやみ + 魚介系のうまみ 】
自慢に聞こえちゃったかな? 確かにおいしかったけど……。
あたし 「辛すぎて舌が痛かったよ。 山椒がビリビリでね……」
あの焼けるような辛さは、感覚交換のリミッターに引っかかる。たぶん、なみみさんには伝わっていないだろう。
なみみ 【 唐辛子の味、強め 】
なみみさんに味覚をいたずらされて、舌にあの辛みが戻ってきた。 *2
あたし 「わあぁ! やめてやめて!」
記憶が新鮮だから生々しい。
なみみ 「 ごめん 【 牛乳の味 】 」
牛乳で辛さがマイルドになった。なみみさんの、こういうとこが好き。
あたし 「 ……んふふっ 【 感謝の気持ち + バニラミルクシェイクの味と香り 】 」
思わず笑ってしまう。
なみみ 「 いやし 【 猫のゴロゴロ振動 + ハートマーク 】 」
それ好き!
あたし 「 ほっ! 【 ハートマーク + 布団のぬくぬく 】 」
返してくれるかな?
なみみ 【 猫の後頭部のにおい + ハートマーク 】
キャッチボールだ!
あたし 「 やっ! 【 ハートマーク + バラの香り 】 」
さあ来い!
なみみ 「 よいしょっ 【 鋭利な好意 + ハートマーク 】 」
うっ!! 奥まで届いたぁ………負けるもんか!!
あたし 「 これでもっ、くーらえーーっ!!! 【 ハートマーク + 生焼けの恋心 】 」
あれ? あたし、今 何を投げた?
なみみ 「えいっ! 【 ハートマーク + リンゴの味と香り + ハグの感触 + ??? 】」
とんでもないの飛んできた!!
あたし 「うわわっ!!」
がしっ!! っと衝撃がきた。すごく重い球だ。
こぼさないように、全力で抱きしめた。
え? なにこのエラー。
あたし 「なみみさん……今、なにを送ったの?」
とりあえず、分からないふりをした。
…………これって、まさか…………サプライズ?
……ダメだ……ふるえてきた…………いきなり、なんてものくれるのさ…………。
信じられないほどうれしくて……熱くて、ぽろっと、見えない涙が出た。
なみみ 「あ……あぅ……【 ひんやりした不安 】」
大丈夫、がっちり受け取ったよ。ちゃんと伝わったよ。なみみさん。
あたしも勇気を振り絞って、『 不明な感情 』を、ちょっぴり盛って返信した。
体感で3分ほどの沈黙。
あたし 「なみみさん?」
なみみ 「 」
なみみさんが、無になっていた。
なみみ 【 】
……ハングアップした?
『不明な感情』を死ぬほどミラー増幅して、ふたりで沼の底の天国まで沈みたいなぁ……。 *3
うーん……あたしって、レズビアンだったのかな?
いや、もしかして、なみみさんは男なの?
まあ、どっちでもいいか。あたしが大好きなのは、女でも男でもなく『なみみさん』だから。きっと、なみみさんも同じ考えだよね。
あたし自身の性別も、ぼやけて曖昧になってきた。ときどき、自分が女なのか男なのか分からなくなる。脳と脳が恋に落ちたんだから、関係ないんだ。そんな制約は。 *4
なみみさんと出会ってから、一か月ほど経った。
今日もふたりきり。
なみみさんが収集した猫写真を見続けて、あたしはフリーズした。渋い顔の猫が、すっごくかわいいんだけど……10万枚超えてるっぽい……。高速スライドは頭が痛くなるよ……。
なみみ 「あきた?」
くしゃくしゃ頭をなでられた。同時に、涼やかな風を感じて、シャンプーのにおいがした。
あたし 「やぁ! 飽きてないよっ!」
嘘はすぐバレる。あたし、なみみさんに対しては、セキュリティを ゆるゆる にしてるから。
突然、バサッ! っと、ふたりの周りに白い幕が降りて、試着室のようなお部屋ができた。
一瞬、柑橘系の香りがした。酸っぱくてほろ苦い…レモンの皮は、にやりとした不敵な笑い。
もともと ふたりきりなのに、こんな強引なステルス化までして……。
あたし 「隠れて何しようっていうの? 変なことはやめてね?」
あたしはそう言ったけれど、期待感で胸がいっぱいになって、ニヤニヤしてしまった。
あたし 「うぷっ!」
プツプツプツっとしびれた。ギラギラでめまいがする……この感覚、知ってる……。
なみみさん、
あたし 「だめだよなみみさん!! リミッター切ると怒られるよ!!」
感覚交換では、『痛み』や『憂鬱』などの危険なモノはブロックされるし、『快感』や『好意』などには上限がある。これは、ゆるい所だと知識があれば解除できちゃうけど、法的にはグレーゾーン……いや、ほぼ違法行為なんだ。 *6
リミッター解除したってことは、 “伝えたいものは全部伝わる” ってことだ。快感も、苦痛も、よろこびも……本当に変なことされちゃうよ……。期待感がますます膨らんでいく……。*7
くんくん……これはなんだろう?
なみみさんが、甘じょっぱくてスパイシーなにおいを送ってきた。ニンニクっぽさがあるけど、ミントのような香りも混ざっていて複雑だ。……ちょっと臭い。これ嗅いだことあるような……。
あたし 「なあに? この変なにおい」
なみみさんから、画像が飛んできた。
ああ……やっぱり……。
カメラにおしりを向け、しっぽを上げる猫の写真だった。
あたし 「とんでもない変態だよ……なみみさん……」
なみみさんの、縮こまる心臓や、震える熱いカラダの感覚が、キュンキュン伝わってきた。あたしまで恥ずかしくなってくる。
あたし 「そんなキュンキュンするほど恥ずかしいのに、なんでこんなこと……」
なみみさんは、何も言わずに、あたしにぺったりくっ付いて、にゅーっと広がった見えない腕で、ぎゅーっと強く包み込んでくれた。
脳の芯が熱くなって、ほわほわ不思議な気分。このにおいには、野生的なフェロモンがたっぷり含まれているのだろう。人間のおしりに臭腺はないから、想像で作っちゃったんだね。
あたしは、星がキラキラした楽しい気分を返信した。遠慮せずに、たっぷりと。
空気が震えた。なみみさんがくすくす笑った、と感じた。表情も声もないけど。
なみみさんが嫌なにおいを送ってくるのは、イラっとした時だ。でも、この複雑なにおいは好意だ。送る側は勇気が必要で、受ける側は覚悟が必要な、とてもとても特別な好意だ。
がんばってくれたお返しに、あたしの、とっておきの恥ずかしい部分を見せてあげよう。それを見ても感覚交換を切らないなら、なみみさんは本気だ。
非表示にしていた裸のココロ。その一部を、なみみさんにさらけ出した。
20秒ほどのフリーズ。
あたし 「軽蔑したかな? あたしのこと」
醜いよね。あたしのココロ。
答えは返ってこない。
見えない細い指が、あたしのココロの古傷をまさぐり、くぱっと開いて、つぷっと侵入した。
あたし 「うくっ!」
その指は、ファスナーのようにココロの裂け目を開いて、レコード針のようになぞっていく。
あたし 「んうぅっ、くううぅーーー……」
むずがゆくて、とっても恥ずかしいけど、ちょっぴり痛みが効いてて気持ちいい……。
あたし 「ぷふっ! ふふふふっ!」
くすぐったくて、うれしすぎて、笑いが我慢できない。
なみみさん、よく分かってるね。
古傷をなぞるのは忘れないため。癒えかけた傷口を開くのは、罪悪感と快感が欲しいから。
なみみ 「……じっとしててっ……んふふっ……」
初めて聞いた、鈴の音のような笑い声に、大脳の表面がくすぐられる。
あたし 「あはははっ!」
なみみ 「……くっくっ……んぅぅ…………」
なみみさん笑うの我慢してる! かわいいなあもう。
あたしは、見えない両腕で抱きしめた。なみみさんの傷だらけのココロを。
あたし 「う゛っ!!」
脊髄に激痛が走った。
なんなのこれ!! あたしよりも、ずっとずっと、ボロボロじゃないっ!!
痛々しい……けれど、歯を食いしばって直視した。
鉄パイプのような太い棒が、なみみさんのココロにグサッと刺さって、裏側まで貫通していた。
抜いてあげなきゃ!!
あたしは、ほとんど無意識に、棒をつかんだ。
あたし 「つっ!!」
痛い痛い痛い!! やけどしそうなほど冷たい!!
表面に無数に生えた ささくれが、ナイフみたいに刺さった。がんばって引っ張ったけど、耐えきれずに手を放してしまった。
苦い線香みたいなにおいと、震えが伝わってきた。なみみさんも、すごく痛かったんだろう。
あたし 「ごめん、ごめんね……」
棒のささくれが釣り針みたいになって、なみみさんのココロの傷に引っかかっていた。さらに厄介なことに、棒に思考回路が結び付いていた。この醜い異物は、なみみさんのココロに癒着しているんだ。無理に抜いたら傷口から悲しみが噴き出して、ココロが砕けてしまうだろう。
その棒以外にも、ガラスの破片のようなものが、あちこちに突き刺さっていた。それは、耳をふさぎたくなるような酷い『言葉のトゲ』だった。
無理やり引き抜いて残った穴や、裂けてしまった傷や、治りかけの かさぶた もあった。
あたし 「誰!? 誰がこんなひどいことしたのっ!? あたしのなみみさんにっ!!!」
何があったのかは想像がつく。人の世は、とてもとても残酷だから。
なみみさんになでられた。柑橘系のにおいがした。甘酸っぱくて苦味混じりの……グレープフルーツは苦笑いだ。
あたし 「笑いごとじゃないよ……」
あたしは、小さな言葉のトゲを一つ一つ抜いて、溶かしていった。『そうじゃないよ』、『気にしないで』って。癒すなんてできないけど、やれることはやる。トゲに触れると指がチクッと痛い。血がにじむ。それがちょっとうれしい。
なみみ 「っ! んっ」
ぷちっ、ぷちっ、と言葉のトゲを抜くたびに、なみみさんが、ぴくん、ぴくん、っと反応する。
なみみ 「ぴっ! んぷっ!」
ものすごくかわいい。あたしのサディスティックな部分が刺激される。
けだるく、色っぽいお姉さんを演じてみよう。似合わないと思うけど。
あたし 「イタイのスキなの? んふ……きもちイイの?」
フレッシュな桃の香りがした。なみみさん、お肌がぬるぬるしてて、えっちだよ……。
さっきまで、SとMが逆だったのにね。どっちも楽しいよ。相手がなみみさんなら。
なみみさんとあたしは、親兄弟や恋人にさえ見せられない部分を、いじくり合った。
なみみさんの、生々しいかさぶたを剥がして出てきたのは、血ではなく、琥珀色のとろとろした液体だった。甘い香りがする。パンケーキによく合いそうな……。
口に指を突っ込まれた。ほんのり甘くて、メープルシロップの香りがした。あたしは、甘みの中の深い深い悲しみを、飴玉みたいにじっくりと味わった。舌は甘いけど、胸がズキズキ痛い。
苦い薬に甘い味を付けるのと同じだ。やさしくて乱暴なのが、なみみさんらしいな。
……わたしのために甘くしてくれたの? いやいや、そんなはずない。
悲しみが甘い汁になったのは、そうしないと生きていけないからだ。
カリカリで血のにおいがする苦いかさぶたに、芳醇で甘い悲しみのシロップ。
涙がぽろぽろ出る……。
今、キスしたら、死ぬほどおいしいね。
なみみさんが欲しい。ひとつになりたい。
ふたりの間にあったガラス板が溶け落ちた。ふたりが、マーブル模様みたいに混ざり合った。自我が曖昧になって、天国へ昇るみたいにしあわせ。
ふたりの心臓が、太い血管でつながって、機関車の重連のごとく協力して血液を巡らせた。ふたりの心拍がぴったりシンクロした。アクセルをベタ踏みすると、トクン、トクン、トクン……から、ドッ、ドッ、ドッ、ドッドッドッドッドドドドドド……と、加速していく。ハーレーダビッドソンのエンジンみたいな鼓動だ。 *8
血液が熱湯みたいだよ!! 気っ持ちいいーー!!
全てをさらけ出した本気のふれあいは、気持ちいいだけじゃない。すごく恥ずかしくて痛い。なみみさんが、そこまで許してくれるのがうれしい。
理解不能な感情とか、えっちな五感とか、悲しい思い出とか、ぜんぶ全部ふたりで
なみみさんのココロは、途方もないカオスだ。記憶の端っこを見せてもらった。
……………… こたつの眠気 ………… ふわふわの猫の毛 ………… 心臓をえぐる言葉 ………… 映画館のにおい ………… ぬれた靴下 ………… 笑うロボット ………… いじめを受ける自分 ………… 飛行機の音 ………… 誰かの遺体 ……………………
大半が、言葉にならない抽象的な何かで、あたしが解析できたのは、わずかな断片だけだった。
よく見ると、情報が細かな木の枝のように流れていた。几帳面だけど難解すぎるよ。
これを文章にするのは重労働だろう。だから、ボディータッチや におい を使うんだね。
意外なことに、なみみさんの
辺りに広がる、美しいココロを眺めた。
…………うーん……やっぱり複雑でよくわからな……
あたし 「ごほぁっ!!!」
突然、強烈な羞恥心に感電して、気絶しそうになった。
『 はじめての キスの音 』 が、鍵付きのガラスケースに飾ってあったから。
『 なみみさんの中の あたし 』が、リビアヤマネコの絵みたいに、美化されていたから。
あたし、あたしは、こんな……こんなに良いにおい じゃないよっ!
……どうにか気持ちを落ち着かせた。背中に変な汗……なんて流れてないよ。
ガラスケースには、不自然な空白があった。『キスの音』の隣。ここに収まるべきものが無い。
あたしは、ちょっぴりからかうように言った。
あたし 「なみみさん、あたしが贈った『 不明な感情 』は、どこに隠したのかなー?」
3秒ほどの間があった。
なみみさんから、 “赤ちゃんが何かを口に入れようとしているイラスト” が送られてきた。『 子供の誤飲に注意 』のマークだ。 ごっくん 、と飲み込む効果音が鳴った。
あたしは一瞬考えた。
あたし 「ぷふーっ!! あはは!! あははははっ!!」
涙が出てきた。
あたし 「なみみさっ!! たっ、食べちゃだめだよぉ!! あははははっ!!」
そりゃそうだ。腹の底に隠したら見つからないね。
あたし 「くくっ!! ふはははっ!!」
変なとこハマった。腹筋こわれるぅ……腹筋なんて無いけど。
なみみ 「……んふ、ふふふっ、くふふっ……」
やっぱり、チャーミングな笑い方だね。
ふたりで死ぬほど笑って、いっぱい泣いて、泣いて、泣いて泣いて泣いて、枯れるまで………
気がつくと、ふたりはふたつに戻っていて、見えない手をつないでいた。ベタ踏みだったアクセルが戻って、ドキドキがスローダウンしていく。荒い呼吸を整えた。肺も心臓もないのに、おかしいね……。
あとには、とっても心地よい疲れが残った。
感覚交換にリミッターがかかっている理由がよく分かった。これは危険すぎる麻薬だ。使いこなせれば極上の娯楽になるけど、強すぎる刺激に慣れてしまうと、現実では満足できなくなる。それに、悪用すれば人を殺せるし、事故が起きると廃人を生むらしい。
名残おしいけど、お別れを言おう。
あたし 「とっても……よかったよ。今度は……オフラインで合おうね 」
さらっと言えた。特別な言葉。
なみみ 「 Y 」
声ではなく、文字の「 Y 」 だった。
たった1バイトの返信で泣いちゃうなんて……あるわけないでしょ? なみみさん。
ひんやり硬い感触を、なみみさんの薬指に贈った。
雨に濡れた土のにおいがした。
翌日。
なみみさんと通話できなかった。通信エラーではなく、ユーザーが存在しません、って……
どういうこと? 昨日約束したのに、なんで消えちゃったの?
連絡先が分からないから、パブリックスペースに伝言を残した。大昔のやり方だ。
『なみみさん、またつながろうね。大好きだよ』という言葉に、甘いコーヒーの香りを添えて。
あたしは、もう1年ほど、なみみさんに会っていない。あの後ネット中を探したけれど、アクセスの痕跡すら見つからなかった。誰に聞いても、“そんな人知らない” って言うんだ。
無駄あがきだって分かってる。砂浜に埋もれた婚約指輪を探し出すようなものだから。時間が過ぎれば過ぎるほど、どこで落としたのか思い出せなくなるんだ。
ときどき、じわっと涙が出る。これは禁断症状だと思う。あたしの脳がなみみさんを欲しているんだ。欲しくて欲しくてたまらないんだ。
傷が癒えないように、毎晩なみみさんを思い出して、
なみみさんの顔は見たことがない。笑った時の熱まで覚えているのに。
なみみさんの背丈は知らない。抱きしめられた感動が残っているのに。
なみみさんの歳は分からない。古くて斬新な料理がおいしかったのに。
なみみさんの性別は忘れた。あの照れくさい においが好きだったのに。
きっとまた、ぽわっ と現れるよね。
でも、なみみさんとあたしが、オフラインで会うことはないだろうな。
なみみさんは、たぶん……あたし自身だから。
暗転。
あとがき
読んでいただきありがとうございます。
設定が多いため、次話(第3話『あとがき・設定』)まるごと使って書きます。
なぜか『あとがき・設定』の後に、第4話『エピローグ』があります。
[ 初投稿日時 2022/04/22 20:04 ]