●あらすじ
ウイに頼まれて『キヴォトスの外』の本を持ってきた先生。
本を読むうちに気になった事を聞かれた先生は、キヴォトスへ赴任した日に起きた怪奇現象について語り始めた。
学園の成立までに複雑怪奇かつ陰惨な歴史を持ち、それを数百年の歴史と幾多のオブラートで包み隠した巨大校『トリニティ総合学園』。
先生はかの大英帝国を思わせる建造物が建ち並ぶ商店街を学園に向けて歩いている途中、授業を終えて街に繰り出した生徒の一団とすれ違った。
「ねえ、シャーレの先生って観たことある?」
「あるようなないような……ロボットだっけ?」
「違うよゴリラみたいな大男だって!」
「それも間違いですよ? 何やら得体のしれない化け物って話じゃないですか」
「それこそ嘘っぱちじゃない!」
本人を目の前にして、誰もその大人が先生だと気付かないまま通り過ぎた。
「……うーん」
先生は思わず足を止めて腕を組み、首をかしげる。
キヴォトスに来てから八か月近く経ち、シャーレは大小数え切れない依頼をこなし、数多くの大事件に関わってきた。
しかし不思議なことに、顧問である『シャーレの先生』の顔は誰にも知られる事がないと部員たちを悩ませている。
晄輪大祭において、借り物競争でユウカに観客席から引っ張り出されて以降、ほんの少しだけ改善した気がしないでもない程度だ。
「道の真ん中でなに突っ立ってるの? 先生」
「えっ?」
黒い猫耳が目前にあることに気付いて顔を下へ向けると、そこにはこちらを見上げているカズサの姿があった。
「ああごめん、ちょっと考え事をね。カズサはこれからどこか行くのかい?」
「現地集合でナツたちと……それと宇沢と一緒に。
先生は補習授業部の関係?」
放課後スイーツ部の活動に時々レイサが加わっていることに内心でニッコリしつつ、先生は質問に答えた。
「いや。今日はセイアに呼ばれてるのと、ウイに用事があってね」
「あの変人に……」
シャーレの当番で何度か顔を合わせてはいるが、カズサはどうもあの『古書館の魔術師』には慣れなかった。
トリニティ・スクエアの一角に存在する古書館は、その呼び名の通り古い書物を管理・保全する建物である。
トリニティが今の形になる前からの古書も保存されており、隠されたアリウス分校の自治区へ侵攻する際もここでルート特定に必要な資料を捜索している。
ここの管理を住込みで行っているのは、『古書館の魔術師』の通り名を持つ図書委員長の古関ウイ。
彼女は人嫌いの偏屈者で知られており、もし協力を取り付けるのであればかなりの苦労か奇策、あるいはトリニティ内部の権力に頼る必要がある。
そんな彼女が
とはいえシャーレの当番でない時のライフスタイルに変化はない。
授業時間以外、一日の大半を古書館で書物の補修や古文書の解読することに費やしている。
違いといえば、たまにシャーレの先生が古書館に訪れること。そしてシャーレがらみで作った友人と外出する事がまれにあるということだ。
……
先生はティーパーティーとの会談予定時間より早くトリニティへ到着し、ウイとの約束を果たすために古書館へ立ち寄った。
作業机に向かって座っているウイの視線は、目前に置かれた書籍に釘付けになった。
「ほう……これが先生がいらっしゃった『外の世界』の本ですか」
丁寧な装飾がされたハードカバーのぶ厚い本。ウイはそれを手に取り外観をじっくりと観察した。
「たぶん大丈夫だろうけど、
「この学園は……こういう『異端』にはかなりうるさいですからね」
「本一冊のためにミカのようにはなってほしくないよ」
外患誘致と反乱の罪と比較するのは大げさかもしれないが、トリニティという『土地』にはそれを警戒するだけの土壌が整っていた。
知的好奇心旺盛なウイの趣味は『古書の研究』。
その守備範囲はきわめて広く深く、先生と初めて会った時に受け持った『シスターフッドの前身に関わる経典』の修復作業にあたり、誰にも気づかれずに自分で読む用の複製品を作ってしまったほどである。
そんな彼女が先生という異邦人と接するうちに『外の世界』の本に興味を示すのは必然だった。
先日当番でシャーレに赴いた際、なにか得体のしれない『契約』を交わす覚悟を決めて先生に話を持ちかけたのだが、そんな事もなくあっさりと承諾されて拍子抜けする場面もあった。
パラパラとページをめくって使われている言語を確認する。
「文字は……英語のように見えますが、変形による違いがだいぶ大きいですね」
「読み方はアメリカ標準と同じだよ。これ対応表ね」
サッと差し出された用紙を受け取るウイ。
「ど、どうも。……いたれりつくせりですね」
「他の人には『これは外の世界の本です』って教えたらダメだよ? 君のためにもね」
「わかってますよ。そういう『約束』ですからね」
二人が交わした約束は極めて単純に『他言無用』のみ。
先生の保身のためではなく、『知りすぎた』ことによってウイの身に降りかかるであろう危険を避けるためだ。
先生が持ってきた本は、その『世界』の歴史・文化の成り立ちを簡単に紹介した解説本だった。
もしかしたら小学生向けの図鑑の類いかと考えたが、ウイは最初の数ページを読んだだけでその考えを捨てた。
前書きが明らかに小さな子供にではなく、その世界の『外』からの来訪者へ向けたものだったからだ。
「(やはり、先生の故郷は私たちが知る『外』とは違う……)」
エデン条約締結式の日に起きたあの混乱の中でも、安全が確保できていれば騒ぎに興味がないと古書館に籠もっていたウイだったが、ヒナタと共にここを訪れた異邦人と知り合い、シャーレに加わってからは驚きの連続だった。
個性豊かな生徒たちだけではない、先生自身にもだ。
まず、トリニティの中でも俊足で知られるツルギの逃げ足に追いつける瞬発力と持久力。次に驚異的な視力。
狙撃手を務める生徒の中には人並み外れた目の良さを持つ者もいるが、先生もまた同じだった。
眼鏡をかけているため視力に劣るかと思えば、レンズに度は入っていなかった。
何よりもおかしいのは『外』のヒトとしてはありえない、ケガの治りの早さだ。
キヴォトスの住人と比べれば紙きれに等しい防御力に関しては、常に持ち歩いている
だがそれもつかの間、ウイはすぐに『先生が撃たれて負傷し、重体の身で動き回った』という事実を知った。
ある日の昼下り、当番としてやって来たウイは執務室に置かれた書置きを読んで、昼寝をしている先生を起こすべく仮眠室へと足を運んだ。
「あ……」
「こんにちは、ウイさん」
中ではゲヘナ学園に籍を置く氷室セナが、仮眠用のベッドで眠っている先生のメディカルチェックを行っていた。
「こ、こんにちは」
医者の卵ゆえか、慣れた手付きで先生の服を脱がし診察をテキパキとこなしてゆくセナの姿をしばし眺めるウイだったが、やがてある疑問が浮かんだ。
「……あれ? 先生は二日前にセリナさんが健康診断を行ったはずでは……?」
ここ数日間の当番生徒のスケジュール表をあらかじめ確認していたウイは、身内である救護騎士団の生徒が当番になった際、すでに先生の診察をしている事を思い出した。
「はい、存じております。
……ですが、銃撃を受けた先生の処置をした身として、どうしても私自身の目でも確認を行いたかったのです」
セナは眉一つ動かさずそう答えた。
「……は? 撃たれた? 先生が?」
「先月の前半に。犯人は先生ご自身の要望によりお伝えできませんが……」
その一言だけで、負傷がエデン条約事件がらみである事は明白だった。
程よく引き締まった先生の腹の一点を指差し、セナはいつも通りの淡々とした態度でウイへ説明を始めた。
「.45口径拳銃用、
「(いやいやいや待って! その認識はおかしいですよ!?)」
ウイはショックで顔を引きつらせたが、どうにか言葉に出すことは我慢できた。
指差された箇所は弾痕や縫合痕どころかシミ一つない。
「先生は受傷から一晩と経たないうちに混乱の沈静化のため動き回られましたが、傷口が開くなどといった事にはならなかったようです。
……先生の生命力には驚かされます」
患部だった箇所を優しく撫でながら、セナは安心したように目を閉じた。
「(それも色々おかしいですって! なんで誰も止めなかったんですか!?)」
多種多様な知識を持ち、一連の騒ぎとまったく関わり合いのなかった人間ならではのツッコミだった。
こんな調子では、どこかしらから又聞きした者が『先生はロボットなのでは?』と噂を立てるのも無理はないだろう。
「(ですが、これがキッカケで好奇心を抑えられなくなったのも事実です……)」
そして今、ウイは日本とかアメリカなどといった
「(先生が何かの理由でご自分から話されない限り、これらは私だけの秘密ですね)」
その後、二人は黙々と読書を続けた。
ウイは読み比べるうちに対応表を暗記したのか、だんだんとページをめくる速度を上げていった。
読むのに集中するあまり、机の傍らに置いたコーヒーは口をつけないまま冷めてしまっていた。
一方の先生は魔法瓶に入れて持参したほうじ茶をちびちび飲みながら、ウイから薦められた古書をマイペースに読んでいた。
キヴォトスという『異世界』の書籍は先生にとっても興味深いもので、普段仕事に追われている分こういう時にこそじっくりと目に入れておきたいものだった。
ふと、ウイのページをめくる手が止まった。
「……先生」
「どうしたの?」
ソファーに座ったままウイにふり向く先生。
読書用の眼鏡をかけているウイとは逆に、先生は常に身につけている伊達眼鏡を外しており、普段とはだいぶ違う印象を醸し出していた。
「大人のカードを除いた先生の様々な力の源が、先生ご自身の生まれた世界の理によるものだと言うのは、これを読んでそれとなくわかりました」
ウイは眼鏡を外して席を立つと、冷めたコーヒーカップを持って先生の対面にあるアームチェアへと座り直した。
「ですが──」
「当ててみようか? 『なぜそんな所から私が喚ばれたのか』でしょ?」
「ええ、まあ」
先生は返事を聞くと申し訳なさそうな顔でカップを手に取り、ほうじ茶を飲み干した。
「実を言うと、連邦生徒会長に頼まれたのは間違いないんだけど、キヴォトスに来た時に記憶があいまいになっちゃって……」
「連邦生徒会長に呼ばれて、ここに来るまでの経緯を覚えていらっしゃらないのですか?」
「うん」
場を沈黙が支配し、広い部屋に時計が時を刻む音だけが響き渡った。
「それでね、困った事に……私は『シャーレの先生だと認識されない限り記憶には残らない』んだよ」
先生がポツリと漏らした突飛すぎる言葉に、ウイはありえないといった感じで面食らった。
「へ? な、何を言ってるんですか?」
愛用の腕時計の盤面を撫でながら、先生は小さくため息をついた。
「……少しだけ、
二月四日、連邦生徒会事務局。
「……い」
「……先生、起きてください」
「フェイス先生!!」
「うわっ!?」
間近で切れ味鋭そうな大声で呼ばれ、先生は深い眠りから覚めて飛び起きた。
「……あれ?」
眠気が晴れないぼんやりとした意識で周りを見渡すと、ここがどこか立派な建物の一室であること、声の主は目の前で呆れた顔で話す白服の女性であることが認識できた。
「……夢でも見られていたようですね。ちゃんと目を覚まして、集中してください」
「ごめん、ここに来るまでにだいぶ手間がかかったから……」
「もう一度、あらためて今の状況をお伝えしますか?」
「続きからで大丈夫だよ、リン」
目の前の女性……否、女子高生は七神リン。
学園都市キヴォトスの中央政府『連邦生徒会』の上級役員、最高指導者たる連邦生徒会長に次ぐ立場にある。
「わかりました。
あなたは私たちがここに呼び出した、先生……のようなのですが」
話の続きを語り始めたリンの言葉は、すぐ自信なさげに尻すぼみになっていった。
「よう、って?」
「……ああ。推測形でお話ししたのは、私も先生がここに来た経緯を詳しく知らないからです」
「じょ、冗談でしょ……?」
「こちら側で『緊急事態』が発生しまして、詳しい説明や書類の提出もないまま先生が来る日を迎えてしまったのです。
……先ほど対面した私を除いて、先生のことは連邦生徒会長以外は誰も知らない状態です」
「ええ……」
あまりにも想定外の事態に困惑を隠せない先生。リンはその姿を見て一瞬目を伏せるが、すぐ何事もなかったかのように先生を見据えた。
「今はとりあえず、私についてきてください。
どうしても、先生にやっていただかなくてはいけない事があります」
それでもリンは目の前の大人を信じる事にした。それだけ状況は切羽詰まっているということだ。
「そのために私は呼ばれたんだからね。是非もないよ」
「そうですか……。学園都市の命運をかけた大事なこと。先生にまずしてもらいたいのは、この状況の解決方法の模索です」
そう言ってリンは返事を待たずにエレベーターへ向かって歩き始めた。
「(……
先生は迷う事なくリンの後を追った。
……
エレベーターを降りて、リンはレセプションルームに先生を招き入れた。
「先生、説明の前にひとつ質問があるのですが」
「なんだい?」
「先生は銃器取り扱いの心得はありますか?」
リンはそう言うと、腰のベルトに提げたホルスターに納まる
「あるけど、銃を持ってはいないよ」
「キヴォトスでは銃器が携帯端末と同じ感覚で持ち歩かれ、銃弾をものともしない女子生徒たちは些細な事で銃撃戦を始めます」
この世界の住人は体の作りが『外』とは違う。外傷で死ぬということはまずないだろう。
「これから先生はとても重要な立場に身を置かれます。ご自分のことはご自分で守れるように、拳銃でもいいので護身用に銃を持つ事をお勧めします」
「覚えておくよ」
口ではそう言ったが、先生は銃を持つ気はさらさら無かった。己の信念に反するからだ。
リンがタブレット端末を取り出し説明を始めようとした直後、急に廊下が騒がしくなった。
『困ります! こういった案件は正式なアポイントを取って──』
『緊急性が高く、最低でも主席行政官でなければ話になりません。調停室は口を挟まないでください』
複数人の声はだんだんとこちらへ近づいていき、レセプションルームの扉の前で動きを止めた。
『リン先ぱ──行政官はいま大事な案件に対応中で……!』
『この話より重要な案件なんてないでしょ!?』
「ああ……面倒な相手が来ましたね」
リンは騒ぎの声を聞いて露骨に不快感を露わにした。
役員らしき人物の制止をまったく聞かないあたり、相手はそうとう我の強い集団であるらしい。
「リン、向こうの対応を先にした方がいいよ。このままじゃ応対してる子の身が危ない」
口論はヒートアップする一方で、このままだと向こうは物理的に殴りこんでくるだろう。
「では、お言葉に甘える事にします。……アユム! 構いません、通しなさい」
リンの一声から数秒もしないうちに勢いよく扉が開け放たれ、
「ようやく会えた! 代行! 今すぐ連邦生徒会長を呼んできて……あれ?」
ユウカの目には、リンとその近くにいる先生の姿が写った……はずだった。
その場で何かの違和感を感じて目を凝らしていると、後続の三人に押し出されてユウカの視界から先生が消えた。
「主席行政官、緊急の要件があります」
「連邦生徒会長に会いに来ました。風紀委員長が、今の状況に関して納得のいく回答を要求されています」
首をかしげるユウカを含め、四人は矢継ぎ早に所属する学園で起きている異常事態を告げ、連邦生徒会の対応と事情説明を要求した。
理由はともあれ、トップである連邦生徒会長を出せというのは共通している。
リンはそんな面々に作り笑いを浮かべ、言葉遣いに毒を隠さずに応対を続ける。先生はそのやり取りを黙って見守っていた。
「こんな状況で連邦生徒会長は何をしているの? どうして何週間も姿を見せないの?
今すぐ会わせて!」
話が平行線を辿っているのに業を煮やしたユウカは声をより大きく荒げるが、リンはタイミングを見計らっていたかのようにこう告げた。
「連邦生徒会長はいま、席におりません。正直に言いますと、行方不明になりました」
ただ一人の権限者が居なくなり、キヴォトスの中枢たるサンクトゥムタワーを連邦生徒会がコントロールできなくなった。
治安の悪化はともかく、少なくとも異常現象やライフラインの停止はそれが原因だった。
「えっ!?」
「!」
「やはりあの噂は……」
「リン、あの子がいなくなったっていうのは本当なのかい?」
ここに来て先生も口を開いたが、その瞬間リン以外の全員が驚き身構えた。
「っ!? あなたは一体何ものですか!?」
「どこから現れましたか? ここには私たちしか入室していないはずです」
チナツ、ハスミ、スズミは各々の銃を『謎の人影』へ向けた。ただ一人、ユウカだけは先生をぼう然と見つめている。
「さっきの大人の……人? 幻覚じゃなかったんだ……」
「えっ? 私ずっとリンのそばにいたけど?」
両手を挙げながらそう答える先生。自分自身がいま何が起きてるのかを理解できていない。
「銃を下ろしてください。この方は連邦生徒会長が特別に指名してキヴォトスへ赴任してきた『先生』です」
リンの説明を受けて三人は構えを解いた。だが本人がどう言おうと『突然現れた』ようにしか見えず、疑念を晴らせずにいた。
「連邦生徒会長が特別に指名ですか? この……人? 先生を?」
スズミの言葉は歯切れが悪く、同時に得体のしれない何かを見るような目を先生へ向けている。
「なぜそこに疑問符を付けておられるかは存じませんが……。
『連邦捜査部 シャーレ』、ここに集まられた皆様方なら名前をご存知でしょう?」
『シャーレ』という言葉にすぐ反応したのはハスミだった。
「連邦生徒会の下部組織として、すべての学園の生徒を無制限に部員として加入させる事ができ、キヴォトスのあらゆる場所で活動・戦闘行為が可能な超法規的機関……」
ハスミは風紀委員『正義実現委員会』の副会長として、
SRT特殊学園という類似の軍事組織をすでに持つ連邦生徒会が、なぜこのような部活を作り出したのかと
「こちらのフェイス先生は、連邦生徒会長がこのシャーレの顧問としてキヴォトスの『外』からお招きした方です」
「よ、よろしく……ね?」
これから付き合ってゆく事になる生徒たちに露骨な敵意を向けられ、少し遠慮がちに挨拶をした。
すると……
「……!」
「姿が……!?」
ユウカたちは目の前の『変化』を前に一様に驚いた。
「えっと、先生? これは一体どういうこと……?」
「どういう事と言われても。……君たち、もしかして私が見えてなかった?」
先生は真っ先に思い当たる可能性を口にするが、彼女らの証言は驚くべきものだった。
「ここに入った時、代行の隣に何か大人のような黒い人影があって……すぐに見えなくなったんですけど、先生が声を出したらまた同じようなものが見えたんです」
「私もユウカと同じく声を聞いた時に。ただ、背丈が二メートルはある、岩のような筋肉を持つ大男のように見えましたが。
……先生の本当のお姿とは正反対ですね」
ユウカとハスミの言葉に先生はわずかに目を細めた。
「私の目には表面に艶のある、白いのっぺらぼうのマネキン人形のように捉えられました」
スズミの言葉尻に疑問符がついたのはこれが原因だった。
「中肉中背、黒髪黒目の若い日本人男性のように……ですが、その」
「君、言ってみて?」
「ゲヘナ学園風紀委員会の火宮チナツです。
……こう言うと先生に失礼だと思いますが、その『男性』は人を虫ケラ程度にしか思っていなさそうな、とても不気味な雰囲気を纏っていました」
気まずそうに告げたチナツを慰めつつ、先生は腕を組んで考えを巡らせ始めた。
「先生、これはどういった現象なのでしょうか?」
「リンは私のことはどう見えてた?」
「私は最初から先生ご自身の姿で視えていました……あっ」
先生の質問に答えるうちに、リンはある事に思い当たった。
「……フェイス先生のことは『シャーレの先生』だと、あらかじめ知っていました」
それを聞いて頷く。先生も同じ結論に達していたようだ。
「この問題はこっちですぐ対策を立てるよ。
それより、私はサンクトゥムタワーの問題を解決するのに何をすればいいのかい?」
「そうでしたね……。シャーレのオフィスはここから30km離れた外郭地域に──」
「各々どこから突っこんでいいのか分かりませんが……」
ウイは手に持ったままの冷めたコーヒーをひと息に飲み干し、カップをテーブルへ置いた。
「……ふぅ。
フェイス先生、あなたは『シャーレの先生』としての概念を与えられることで、キヴォトスでの存在を確立できている。……そう仰っしゃりたいのですね?」
「それで合ってるよ」
先生は外していた伊達眼鏡をかけ直し、ウイに顔を向けた。
「それが私だけなのか、それとも『キヴォトスの外』から来た者みんなが同じなのかは分からない。
異形揃いのゲマトリアの面々が元からあの姿なのかを確かめられないし、他の異邦人と出くわすのはまれだからね。
ほうじ茶飲む?」
「いただきます」
紙コップに注がれたほうじ茶を受け取り一口。普段飲んでいるコーヒーでは味わえない、素朴な風味がウイの舌を包みこむ。
「対策というのは?」
「認識阻害的なアレに対するカウンターだね。自信はあったんだけど、それでも効果があるのは直視限定で、カメラとかを通すと効かないんだ」
「……なるほど。先生は時々テレビ中継に映ってるのに、正しい姿や風評が広まらないのはそういう事でしたか」
「結局のところ、シャーレの先生として見てもらわないと『変な大人』だしね。私って。
ああこれ食べていいよ」
先生は木の盆を取り出すと、個包装された海苔せんべいをザラザラと中へ入れた。
「では一枚いただきます」
テーブルには本を置いてないので、ウイは構わず海苔せんべいを食べ始め、先生もそれに続いた。
少しの間、ボリボリと煎餅をかみ砕く音が静謐なはずの室内を満たした。
洋風建築である古書館の奥ゆかしい雰囲気に対して、真っ向からケンカを売るような所業だ。
ほうじ茶で煎餅の味を洗い流すと、ウイは考えるうちに少し気になった事を聞いてみることにした。
「先生、もしものお話ですがよろしいでしょうか?」
「うん」
「先生が『シャーレの先生』という概念を失った時、あなたはまた姿を維持できなくなるんでしょうか?」
「うーん……」
考えた事がなかった、といった様子で先生は首をかしげて悩み始めた。
「……いや、キヴォトスで暮らしてそこそこ経つから、私そのものは大丈夫になったかな?
でも『シャーレの先生』の行き先によっては、みんなが私の事を忘れる可能性がある」
「と、いいますと?」
先生は取り出したメモ用紙に文字を書き始めた。ウイ以外にはすぐ理解できないように、あの本で使われているものと同じ英語似の言語が使われている。
「私の後任か、もしくは単純に先生を増やすだけなら問題ないよ。
でも私が連邦生徒会長に託された『シャーレの先生』という概念を、第三者が奪いとったとしたら……ね」
『シャーレの先生』と『自分』を結ぶ線の間に『第三者』の線を伸ばして、自分の側に線が切れた事を表すバツ印を入れた。
「私が『先生』としてこれまで培ってきた実績・交流・名声とか、『シャーレの先生』の全部が最初からその第三者によるものとして認識が改変される……かもしれない」
ペン先を滑らせ、『シャーレの先生』と『第三者』を囲むように線を引いて紙から離した。
「そのような事をする方が本当にいらっしゃるのですか?」
「世界は広いからね。世の中にはお金を自分で働いて稼ぐのが嫌で、逆にすごい手間をかけて小銭を泥棒する人だっている」
「そういう言い方ですと、
ここまで聞いて、ウイはその『もしも』を想像してみた。
ある日シャーレへ行くと、知らない『何もの』かが先生になり変わって我が物顔をしている。
だが自分たちは、その人物がどれだけ本物の先生とかけ離れていても、それを認識する事ができずに接し続ける。
やがて本物と偽物の違いからくる記憶のズレは、時間の経過によって都合よく改変されて無くなる。
そうすれば本物の先生は逆に『偽物』に変わってしまう。
そんな事ができる『先生』なら、生徒たちに人殺しだって当たり前の事だと思わせて、生徒を必死に正気へ戻そうとする『偽物』を始末できるだろう。
「……おぞましいですね」
ウイは想像してみて身の毛がよだつ感覚を覚え、少しぬるくなったほうじ茶をすすった。
「あくまでひとつの仮説だよ。……それに、こんな事が本当にできるんだったら、私自身『本当に本物のシャーレの先生なのか?』って話になっちゃうでしょ?」
先生はそう言いながら、懐中時計の竜頭を押しこんで蓋を開いた。
針は何事もなかったかのように時を刻み、持ち主にそろそろ会談のために用意された部屋へ向かう時間になったと示している。
「さて、そろそろ行くね。
ほうじ茶とおせんべいは全部食べていいから。魔法瓶だけ帰りに寄って持ってくよ」
立ち上がって先ほど読んでいた本を作業机に置くと、扉の前まで歩いてドアノブに手を伸ばした。
「先生」
ウイは椅子から立ち上がると、部屋を出ようとする背中に声をかけた。
「なに?」
「他の可能性の世界でならともかく、私たちにとっての先生はあなただけですよ? フェイス先生」
「……ありがとう」
その言葉を聞いて顔に笑みを浮かべながら、先生は古書館を後にした。
「……もう少し読んでから作業に戻りますか」
今日も古書館の魔術師は貪欲に知識を蓄える。
己の欲求を満たすため、そしてその知識がどこかで誰かの役に立てれるように。
シャーレの先生は『異邦人』である事を強調するのが本シリーズの執筆方針です