先生が持ち込んだ『外の世界の本』に興味を示したウイはある約束を交わして本を貸してもらう。
一方で先生にはある悩みがあって……?
トリニティ総合学園の一角に存在する古書館は、その呼び名の通り古い書物を管理・保全する建物である。
そこの主である図書委員長の古関ウイは人嫌いの偏屈者で知られており、そんな彼女が連邦捜査部へ参加した時には大きな騒ぎになった。
とはいえシャーレの仕事がない時のライフスタイルに変化はない。
授業がない限り古書館へ引きこもり、書物の補修や古文書の解読作業に明け暮れている。
違いといえば、たまにシャーレの先生が古書館に訪れること。そして捜査部の仕事でできた友人と外出する事がまれにあるということだ。
……
先生の鞄から取り出されたハードカバーの古めかしい本、ウイの視線は作業机に置かれたそれに釘付けになった。
「ほう……これが『外』の古書ですか」
「
知的好奇心旺盛なウイの趣味は『古書の研究』。
その守備範囲はきわめて広く深く、シスターフッドに関わる経典の修復を行った際に、こっそり自分用の複製品を作ってしまうほどである。
そんな彼女が『外の世界』の本に興味を示さないわけがなく、ふとしたきっかけで『先生が得体のしれない本をシャーレに持ちこんでいた』と知った時の剣幕はすごいものであったという。
パラパラとページをめくって使われている言語を確認する。
「文字は……英語に似てますが、変形による差異がだいぶ大きいですね」
「これ対応表ね」
サッと差し出された用紙を受け取るウイ。
「ど、どうも。……いたれりつくせりですね」
「君なら大丈夫だろうけど、他の人には『これは外の世界の本です』って教えたらダメだよ?」
「わ、わかってますよ」
その後、二人は黙々と読書を続けた。
ウイは読み比べるうちに対応表を暗記したのか、ページをめくる速度が上がっている。傍らに置かれたコーヒーは口をつけないまま冷めてしまっていた。
一方の先生は薄めに淹れた紅茶をちびちび飲みながら、ウイから薦められた古書をマイペースに読んでいた。
ふと、ウイのページをめくる手が止まった。
「……先生」
「何かな?」
首をウイに向ける先生。
読書用の眼鏡を掛けてるウイとは逆に伊達眼鏡を外しており、普段とは違う印象を感じられた。
「先生の力の源って、なんでしょうか?」
「チカラ?」
「は、はい。チカラです」
ウイは本を閉じて席を立ち、先生の隣へと座った。
「例の『大人のカード』もそうですけど、先生の身体能力は私達が知識で知っている『外』の人とはだいぶ違うようです」
「そうかな?」
「ふ、普通の人は全力で逃げるツルギさんの足に追いつけませんよ」
「あー……」
先生はツルギがある理由で自分から逃げ回った挙げ句、電車に撥ねられた時の事を思い出した。
「エデン条約の時に負ったという怪我の治りも、これまでに残されてる外の人の記録と比べて異常に早いですし、痕跡も残っていませんでした」
「……そこに気づいちゃうか」
ウイは以前、シャーレオフィスの仮眠室で服をはだけさせながら眠りこけている先生の姿を見た事があった。
しかしその腹にも背にも、サオリに撃たれた時の傷もそれをふさいだ手術の跡も何ひとつ残っていなかった。
まるで最初からそんな事はなかったかのように。
「先生、あの本の内容といいあなたはもしかして……」
「ウイ、それも他の人には言わないでね」
「……すみません。深入りしすぎました」
先生はいつもと変わらない表情のように見えて、その目はどこか悲しそうな感情を浮かべているようだとウイは感じた。
「(そんなに嫌なのなら最初から断る選択肢もあったのに……)」
『先生の秘密を知っても誰にも教えない』、それがウイが本を見せてもらうために先生と交わした約束だった。
決して『契約』で縛るのではなく、あくまで本人の意思と自主性に任せるというのが先生らしい。
『私が本当は何者かなんて知られたら、たぶん私はキヴォトスから出ていかなきゃならなくなる』
他の学校の生徒よりも距離が近いアビドス対策委員会とですら、素性が知られれば今の関係が終わってしまうのではないかと考えるほどに、先生はそれを恐れていた。
「(……先生は私を信じてくれている。それなら私もそれに応えなければなりませんね)」
少し気まずい雰囲気が漂うが、そんなウイの内心を察して先生は口を開いた。
「君の言いたいことは分かるよ。なぜこの人なのか? ってね」
「い、いえ。そこまでは思ってません」
「……ごめん」
察したようで実は読み違えており、先生は申し訳なさそうな顔でカップを手に取り紅茶を飲み干した。
再び沈黙が支配し、広い部屋に時計が時を刻む音だけが響き渡った。
「……実を言うとね、少しだけだけど今でも『本当に私がシャーレの先生で合ってたのか?』って思う事があるんだ」
先生がポツリと漏らした意外すぎる言葉に、ウイはありえないといった感じで面食らった。
「へ? じょ、冗談ですよね?」
「冗談なら良かったんだけど……」
愛用の懐中時計を指でなでながら、先生は小さくため息をついた。
半年前。
「……い」
「……先生、起きてください」
「フェイス先生!!」
「うわっ!?」
間近で切れ味鋭そうな大声で呼ばれ、先生は深い眠りから覚めて飛び起きた。
「……あれ?」
太腿に載せた帽子を握りながらぼんやり周りを見渡すと、ここがどこか立派な建物の一室であること、声の主は目の前で呆れた顔で話す白服の女性であることが認識できた。
「……夢でも見られていたようですね。ちゃんと目を覚まして、集中してください」
「う、うん」
「もう一度、あらためて今の状況をお伝えします」
目の前の女性……否、女子高生は『七神リン』と名乗り、連邦生徒会なる組織の幹部であると自己紹介した。
「そしてあなたはおそらく、私たちがここに呼び出した先生……のようですが」
リンの言葉が自信なさげに尻すぼみになっていく。
「よう、って?」
「……ああ。推測形でお話ししたのは、私も先生がここに来た経緯を詳しく知らないからです」
「(じょ、冗談でしょ……?)」
先生は彼女の発言に狼狽えたが、どうにか表情に出さないで済んだ。
「……混乱されてますよね。分かります。
こんな状況になってしまったこと、遺憾に思います」
言葉では同情しているように思えるが、実際の態度からはあまりそう感じられなかった。
「でも今はとりあえず、私についてきてください。
どうしても、先生にやっていただかなくてはいけない事があります」
どうやらリンは先生の意見は聞かないつもりらしい。
「……。
学園都市の命運をかけた大事なこと……ということにしておきましょう」
そう言ってリンは返事を待たずにエレベーターへ向かって歩き始めた。
「(……切羽詰まってるみたいだね)」
先生は迷う事なくリンの後を追った。
……
エレベーターを降りると、リンは
そして部外者の存在に気づいた彼女達に『この人は先生であり、この事態を打開するフィクサーになってくれる』と話し、こう告げた。
「こちらのフェイス先生は、これからキヴォトスの先生として働く方であり、連邦生徒会長が特別に指名した人物です」
それを聞いて口数が多い
「行方不明になった連邦生徒会長が指名……? ますますこんがらがってきたじゃないの……」
四人の視線が先生に集まる。
「(……腹をくくるしかないか)」
手にしたままの帽子を背に隠し丸めて縮め、どこかへとしまい込んだ。
「……私はフェイス。本当の名前は明かせないけど、私でよければ力になるよ」
「『あの連邦生徒会長が、お選びになった方ですからね』。
……こうして呼ばれた私自身が言うのもなんだけど、リンは半信半疑といった感じだったね」
先生はあの時リンが言った言葉を反芻する。
一方、赴任初日の暴露を聞かされたウイは思わず立ち上がって叫びだした。
「というか、先生がここに来た経緯を首席行政官が知らないってどういう事ですか!? 連邦生徒会のナンバー2じゃないんですか!?」
「ウイ、落ち着いて。君が騒いじゃ他の人に注意できないよ」
「……」
ウイは一旦作業机に戻って、放置したままの冷めたコーヒーをひと息に飲んだ。
「……ふぅ」
気持ちを落ち着かせると掛けたままの眼鏡を外し、ソファーへ移動して再び先生の隣に座った。
「つ、つまり先生のおっしゃりたい事はこうですね?
『あの場にいて自分が『キヴォトスの外から来た先生だ』と名乗れば、誰でも良かったのではないか?』と」
しばらく無言を貫いた先生だったが、やがて口を開いた。
「……リンは私が名乗るまで『先生』の名前すら知らなかった。
確認はしてないけど、連邦生徒会長は正式な書面で話を通してなかったんじゃないかな?」
「そんな無茶苦茶な……」
「無茶をするのはキヴォトスの日常でしょ?」
先生は持ちこんだ魔法瓶からほうじ茶をカップに注ぎ入れ、ウイに手渡した。
「ど、どうも」
一口飲むと、日頃飲んでいる濃いコーヒーでは感じられないさっぱりとした苦さに頬を緩めた。
「だからね、今でも時々考える事があるんだよ。
あの場に私がいたのは間違いで、本当はもう少し後に違う先生がやってくる筈だったんじゃないかって」
背もたれに体を預け、天を仰ぐ。
「その人はもっと優秀で、どんな問題でもすぐ解決策を見つけ出して、生徒から手放しで褒められる立派な男……かもね」
ため息をひとつ。
ウイはそんな先生の姿を見つめながら語りかけた。
「……『もしも』の話を語られても、私達の先生はあなたしかいないんですよ。フェイス先生」
さっきとは逆にウイが空のカップにお茶を注ぎ、先生に手渡した。
「ありがとう」
「だ、第一、そんな曖昧な理由でシャーレの先生が選ばれたのなら、どんな極悪人だって口先ひとつで先生になってしまうではないですか」
例えば、邪魔な人間は殺すのが当然だと思っている、頭がおかしいキリングマシーン。
例えば、女は好き勝手犯していいと思いこんでいる、根っからの性犯罪者。
例えば、キヴォトスの住人を非人道的な実験の贄にしようとする、ゲマトリアの同類。
「……多元的宇宙論の話をするのであれば、私達はフェイス先生という『当たり』を引いた世界を生きているんですよ」
ウイはお茶を飲んでひと呼吸置き、話を続ける。
「で、ですから自分より優れた先生がいたかもとか、そういうのはナンセンスな話なんです。
……もっと自分に自信を持ってください」
先生の顔を見ながら、少し照れくさそうに告げる。
「……ありがとね。こんなこと考えるのはやめにするよ」
顔に笑みを浮かべながら先生は懐中時計へと目を落とし、その表情がこわばった。
「あーーっ!?」
「ひえっ!?」
「もうこんな時間!? サクラコとの約束の時間まで五分もない!」
先生はバッと飛び跳ねるように立ち上がり、扉へと駆け寄った。
「本は読み終わったら教えて! ポットのお茶全部飲んでいいから! あと片付けれなくてごめん!」
言い残すだけ言い残したら扉が閉まり、古書館は再び静寂に包まれた。
「……やれやれ」
ウイはため息をつきながらお茶を口に含んだ。
今日も平和である。