本作は『私の先生はこういう考えだよ』というのを表したものとなります。
前半は銃の専門家の先生で、後半は普通の先生です。
#3 銃を持つ先生、持たない先生
銃を持つ先生
月曜日の早朝、空井サキは当番であるかに関係なくシャーレへと足を運ぶ。
所属先であるSRT特殊学園亡なき今、自転車操業の便利屋68よりも悪いと言わざるを得ない経済状況と、中止された再開発計画による立ち退きで周囲の住民は少ないものの、民間人が普通に出入り可能な子ウサギ公園にあるRABBIT小隊のベースキャンプでは射撃訓練に制限がかかる。
そこで先生の厚意に大人しく預かって、シャーレ内にある射撃場を利用することで練度を維持しつつ、弾薬や銃器の整備にかかる費用を浮かしている。
「(今日も時間きっかりか。いいじゃないか)」
先客がいる事を射撃音で知ったサキは、自身が持つ≪RABBIT-26式機関銃≫と
先客は
備え付けの双眼鏡で的を覗くと、弾のほとんどは頭か胸を正確に撃ち抜いていた。
「(……カービンでよくやるな)」
サキが関心していると、彼女に気づいたのかあるいは弾切れか銃声が止んだ。
射手の方を向くと、銃を台に置きイヤープロテクターを外すところだった。
「おはようサキ」
「おはよう。……いつも思うんだが、先生になる前なにか銃を扱う仕事でもしてたのか?」
「さてね」
身長一八〇の長身、着痩せして一見華奢に見えるが触るとゴツゴツした無駄のない筋肉を持ち、赴任してしばらくはサボっていたが最近はスミレやシロコに影響されて二日に一回はウェイトトレーニングを欠かさないらしい。
サキは一度シャワー室でパンツ一丁の先生を見た事があったが、体力がないというのはキヴォトスの住人基準だと認識を改めざるを得なかった。
彼女はいつの間にか彼を『シャーレの先生』という信頼できる大人であると共に、魅力的な異性として少なからず意識するようになっていた。
……臭いフェチだったり少々変態じみた所がたまに傷だが。
「隣のレーン使うぞ」
「いいよ」
二脚を開いて機関銃を台に載せて構え、射撃場の最大距離である五〇メートル位置に立ち上がった的を狙い撃つ。
構造が複雑で重く気分屋の銃だが、サキの手で入念に整備されたそれは優れた性能をいかんなく発揮し、単射・バースト射撃ともに弾丸は吸い込まれるように狙った箇所に穴を開ける。
一方の先生も、銃をアサルトカービンからテーブルに置いてあった
言葉はなく、しばらくの間規則的な銃声が室内を支配する。
シャーレの仕事に追われる先生が射撃訓練を行うのは週に最低一回、月曜日の午前五時に起きて四〇分の体力トレーニングののち、汗を拭いて午前六時から七時まで射撃訓練と使用した銃のメンテナンスを行う。
後はシャワーで汗と汚れを落として朝食を取り、出勤時間までゆっくりしたあと通常業務に入る。
まるで
「(先生が昔何をしてたのか、気にならない訳じゃないが……)」
彼のこの行動パターンを知っているのは今のところ
先生との距離が露骨に近いミヤコや他の生徒ですら知らない、自分だけの秘密だった。
……
銃の分解清掃を終える頃には、時計の針は午前七時を指していた。
時間通りである。
サキはシャワー室の前で彼を待ち構え、出てきたところを捕まえた。
「先生、少し気になった事があるんだが」
「なんだい?」
サキは彼から匂うシャンプーの香りに少しドキリとさせられた。
自分だってここを使う時には使ってるじゃないかと変な気持ちを抑えつつ、質問をぶつけた。
「先生はさ、……自分で銃を持って戦う、とか考えた事はあるのか?」
質問を聞いた先生は心底驚いたように目を見開いた。
「サキ。逆に聞くけど、SRTの教範には『司令官が積極的に最前線に出て戦う』という教えがあるのかい?」
「そんなものある訳ないだろ。もしそうなら初めから作戦が破綻してるか末期戦の状況だ」
指揮官先頭という言葉があるが、それは指導者の絶対的なカリスマや畏怖によって組織が成り立っており、そうしなければ部下がついてこない場合に適用される事が多い。
最前線で暴れるツルギとやや下がった位置でハスミが部隊の指揮を執る正義実現委員会、内外ともにヒナの存在で支えられているゲヘナの風紀委員会が代表例だ。
現場で直接指揮を執るのは分隊長や小隊長といった下級指揮官の役割であり、中隊長以上は安全が確保された後方で全体の指揮に集中させるのがセオリーである。
もっとも、銃弾程度ではびくともしないキヴォトスの住人に当てはまるかと言われると疑問が残るが。
「私が前に出ないのはそういう事だよ。基本に沿って自分のポジションを守ってる訳だ」
「まあそうだな。お前は私たちと違って脆いからな」
サキは視線を先生の左脇腹近くへと移した。前に裸を見た時に、そこに不自然な縫合の痕が残っているのを見つけていたからだ。
「じゃあどうしてサキはそんな事を聞いたの?」
「……お前の性格なら、何かあれば自分から首を突っ込んでいくと思ったんだ」
先生は『生徒みんなの味方』を公言すると同時に、まっとうな理由で困っている人を見過ごせないお人よしでもある。
シャーレの部員生徒がその場にいない時でも何かがあれば駆けつけ、そしてトラブルに巻きこまれるのは様式美と言ってもいい。
「武器はシャーレに取り入りたいあちこちの学園が出してくれてるし、あれだけの腕があるなら一人や二人ぐらい私たちがいなくとも対処できるだろ?」
先ほど先生が撃っていたカービンは彼と縁が深いミレニアムが提供したもので、同じように使っていた自動拳銃も主にゲヘナで広く普及しているタイプである。
シャーレの銃器保管庫の中には他にも様々な学校から寄贈された銃が保管されており、どれにも『私が提供しました!』と主張するように校章が目立つ位置に刻まれている。
「立ち話もなんだし、場所を移そうか」
……
二人は居住区の休憩室に移動すると、椅子に座り先生が
「どうして私が自分で銃を撃って解決しないのかだっけ?」
「ああ」
揃ってジュースを一口飲む。
「まず一つ。子供の『もめごと』にいきなり大人が暴力を持ってして割りこんだら、私は本格的に嫌われるだろうというのがあるね。
みっともないし、頭ごなしに押さえつけられても納得できる事じゃない。だから話し合いで解決できるならそれに越した事はない」
「それはそうだが、話し合いで解決できなかった時に先生が銃を使わない理由にはならないだろ?」
些細なことでもすぐ銃弾や爆弾による応酬が始まるキヴォトスにおいては、『銃を持っているのに撃たない』という選択肢はない。
「……」
その言葉にしばらく押し黙ると、先生は意を決したかのように口を開いた。
「怖いんだよ」
「……へ?」
サキは彼の言った言葉を理解できなかった。困ってる人のためならどんな鉄火場にも迷いなく飛びこむ先生が『怖い』とはなんなのか?
「私の故郷……キヴォトスの外では、人に対して銃を使うことは相手の命を奪う覚悟が必要なんだ。
君たちが簡単に死ぬ事はないと頭では分かっていても、人にむかって引き金を引く事に躊躇いがある」
「お前、自分が本当に殺されそうな時に抵抗する気がないとか言わないよな?」
「もちろん万策尽きた時には迷いなく撃つよ。君たちが都合よく助けに来てくれるとは限らないからね」
先生はぐいっと一気にジュースを飲み干すと、どこか遠くを見ているような目で窓の外を見た。
「ただね、当たり前のように人を撃つようになったら、それが癖になっていつか過ちを犯すと思うんだよね。
私が一生をキヴォトスで過ごす保障はどこにもない、むしろ全てが終わったらお払い箱になる可能性だって十分にある」
彼のありふれた茶色の瞳は虚空を映していた。
「だから相手の強弱は関係ない、私は人を撃つのが怖い。
正当な理由も権限もなく人を撃つ、そういう人は殺人鬼と呼ばれるんだ」
「……」
もしかすると彼は先生になる前に銃を撃つ仕事をしていて、そこで人を殺めた事があるのかもしれない。
温厚な普段の彼からは考えられない心の闇の深さと、『先生が将来的にキヴォトスを去る』可能性を意識させられる形となったサキは背筋が凍るような感覚を覚えた。
初対面の時こそ状況が最悪だったのもあり『地獄に落ちろ』とまで言い放ったが、今となっては彼がいないキヴォトスでの生活など考えられないからだ。
「……先生、あのさ」
「ふふ。怖がらせてごめんね」
困惑が顔に出ているサキに先生は笑いかけた。
「自分から
私は連邦生徒会長に頼まれただけじゃなくて、好きでここに来たんだからね」
先生はそう言って立ち上がり、何本か多く買っておいたジュースが入った袋をサキに手渡した。
「あまり遅くなるとミヤコたちが心配するよ? 私も朝食がまだだしね」
「あ、ああ」
二人は居住区を出てシャーレの正門前まで歩を進めた。
「なあ先生」
「なんだい?」
「先生には私たちがついてる。それを忘れるなよ」
「うん、ありがとう」
サキはニヤリと口元を笑わせ、ベースキャンプへと戻っていった。
先生はその背中が見えなくなるまで見送った。
このあとジュースを持って帰ったせいでミヤコ達から詮索され、秘密にしていた先生の射撃訓練の話がバレることになるとは、色々な感情で頭がいっぱいだったサキは思ってもいなかった。
銃を持たない先生
「本官が活躍するにはどうしたらいいでしょう?」
当番のキリノは依頼先での小休憩中に、普段から抱えている悩みを改めて先生に話した。
「やっぱり射撃の実力をなんとか改善するしかないと思うのですが」
「あー……。うーん」
「そこで言い淀まないでください!」
先生は解答に困った様子で首を傾げた。
「キリノの銃の才能は……料理に
「いやいやいや! それ全然誉めてませんから! このままじゃ警備局への転向どころか、シャーレで足を引っ張っちゃうじゃないですか!」
オーバーアクション気味にペットボトルを振り回すが、先生は首をかしげたままだった。
キリノの志望先とは異なる生活安全局への配属。
その原因となった彼女の射撃の実力は、もはや天災的とも言える。
狙った対象に当たらないだけならともかく、近くに無関係な人間がいたり相手が人質を取っていると弾道がねじ曲がって確実に誤射をしてしまう。
先生の思いつきで訓練中に検証した結果、最初から人質を狙って撃てば犯人に全弾命中するという結果が出たほどだ。
ミヤコとの交戦経験から『銃口の動きから射線を予測して正確な回避をを行う』相手には逆に弾が当たると判り、シャーレの仕事で戦う事がある戦闘ドローンやオートマタ相手には優位に立てるようになったが、相手が回避行動を取らないといつも通りである。
「むー……努力が実らないのは正直つらいです。皆さん素晴らしい実力ですし、それに比べたら……」
目尻に涙を浮かべるキリノ。普段底抜けのポジティブ思考の彼女でも、やはりつらいものはつらいようだ。
「うーん。
じゃあさキリノ、私が銃を持って戦えばいいんじゃないかな?」
「えっ?」
キリノは予想外すぎる言葉に呆気にとられ、涙がすぐに引っこんだ。
「だってさ、皆と比較してキリノが一番下だって言うなら、更に下がいればいい。
それなら私が前に出て戦えば解決するじゃない?」
先生が銃を使うどころか、持っている姿を誰も見たことがない。
キヴォトスの住人と外の世界からやってきた先生との間には、防御力回復力などの身体的格差だけでなく『引金の軽さ』も根本的な違いがある。
本人が武力行使に慎重な面もあるが、銃を持っていれば相手が『いつもの調子で』反射的に撃ってしまう可能性がある。
それを避けるために周りから『護身用に銃を持て』と言われても決して銃を持とうとしない。キリノは以前そう聞いていた。
「そんなのダメですよ!」
「どうして?」
「先生の身に何かあったら、取り返しがつかなくなります。
変に噂が流れてるせいで不良ぐらいなら向こうから逃げてくれる事もありますけど、犯罪者は司令塔である先生を積極的に狙ってくるじゃないですか」
空の左手を、先生がかつてサオリに撃たれた箇所に添える。
「先生の役割は武器を持って戦う事ではなく、私たちを導くことじゃないですか」
「……ふふっ」
「?」
先生が突然笑い出したを見て目を見開く。
「キリノ、君はちゃんと答えを見つけてるじゃないか」
「え?」
「シャーレは戦うだけが仕事じゃない。
どんな些細な事でも困ってる人がいたら手助けに行ったり、学園同士とか人同士とかの厄介ごとには知恵と勇気を集めて立ち向かう。
キリノ、君が普段ヴァルキューレの仕事でやってる事や、今やってる依頼と同じだよ?」
母校で普段やってる事と言われても、今のキリノにはいまいちピンと来なかった。
「豚汁の話だけどさ」
「へ!? どういう、ことでしょうか?」
だがいきなり料理の話に飛んだ事に驚きを隠せない。
「豚肉、にんじん、ゴボウこんにゃくネギ豆腐とか、自己主張が激しい材料を味噌とかで煮込むじゃない?
でも完成品はどれも自分の持ち味が効いててどれか一色の味じゃない」
先生が昔見た喩えではけんちん汁だったが、シャーレにおいてはこちらの方が適切だろうという考えがあった。
「味噌が私で、具はキリノたちかな。
肉がこんにゃくの代わりを務められないのと同じで、色んな子たちがそれぞれの個性を活かし、私がそれをまとめ上げて一丸となる。
それがシャーレという『料理』だよ」
そう聞いてキリノの脳もようやく言葉の意味を理解した。
「自分には自分の役割がある?」
「うん。たまに空回りする事もあるけど、キリノは困ってる人の話をちゃんと聞いて物を捜したりお世話をするのが得意じゃない?
それに銃撃戦に市民が巻きこまれた時も、安全なところまで素早く誘導したりするのはハスミやイオリには出来ない。
彼女たちなら『できるだけ早く脅威を退ける』事が周りの安全に繋がると考えるだろうしね」
世の中には"適材適所"という言葉がある。
ガサツで短気なネルに興奮した犯人との言葉による交渉をさせる、後方支援に特化したアコやヒマリを最前線に出させるとか、人見知りで古書館に引きこもりがちなウイにアイドルの真似事をさせるなど、不得意な分野を訳もなく無理やりやらせても本人の能力を活かせないまま失敗するのは確実である。
なんでも一人にやらせるのではなく、必要な能力を持った人同士が足りないものを補い合えばいい。
先生が言う事はそういうことだった。
「母校での出世はともかく、シャーレでは自分が一番じゃなきゃダメなんだ! とか考えなくていいんだよ?
誰もが一番で誰もがビリでもあるんだから」
そう言って先生はキリノの頭を撫でた。
「……射撃の腕の話なのに役割の話にするとか、それは論点のすり替えですよ」
「そうかな? 元はといえばキリノが『自分はシャーレで一番下なんだ』って言い出したからだと思うけど」
頭をなで続けながら、先生は左手に巻いた腕時計に目をやった。
「さて、休憩は終わりだ。行こうキリノ」
パッと頭から手を放し立ち上がる。キリノは少し名残惜しそうな表情を浮かべた。
「もう……」
歩いてゆく先生の背中をムスっとした顔で追いかけるキリノだった。
「ところで、先生の射撃の腕前って本当のところはどうなんですか?」
「……アーケードゲームをやったぐらいかな」
「素人さんじゃないですか!」