時系列はメインストーリーVol.4第一章の前半終了後、Vol.3完結後。
先生とアズサは帰りの電車を待つ間、互いに聞きたかった事を話し合う。
『D.U.第☓☓地区行き上り電車、ただいま車両故障のため定刻より二四分遅れで――』
とある自治体から依頼された小さな仕事を終えて、先生とアズサはシャーレへと戻るために地下鉄駅へと入った。
しかし肝心の電車はトラブルのためまだ来ていない。
電光掲示板によると到着は二六分後、他の手段で移動するには微妙な時間だった。
「どうする先生? 路線バスなら今から戻れば間に合うはずだ」
アズサは先生に指示を乞うが、先生はおもむろに懐中時計を取り出した。
「……待とうか。
今は仕事帰りだし、話してたらすぐだよ」
ミカの査問会後、多忙からトリニティに顔を出す機会が少なく、新生・補習授業部に授業をする機会に恵まれていない。
アズサと二人で何もない時間を過ごすのは先生にとっては僥倖だった。
……
先生がホームの売店で買ってきたドリンクを飲みながら、二人はベンチに座って他愛もない近況を報告し合う。
先生はSRT特殊学園の閉鎖に反対する生徒が起こした問題をオブラートに包みつつ話し、アズサには話してなかったロスト・パラダイスリゾートでの騒ぎや、ゲヘナの温泉開発部がレッドウィンター自治区に温泉が掘りあてた話を語った。
一方のアズサは『マシロと射撃大会に出たが撃つ的が無くなり決着がつかなかった』事や『ヒフミが戦車部から勧誘を受けていた』とか、『コハルが勘違いでハナコでもしないような格好をした』などを話した。
数週間前のあの苦難と悲しみを乗り越えた先にある平和、アズサはそれをしっかり掴み取っている事に先生は安堵を覚えた。
彼女はほとんど関われなかったアリウス分校で起きた一連の出来事は、長くなるので後でゆっくりと話すつもりでいた。
一通り話し終えると、アズサはジュースは一口飲んで先生へ向き直った。
「先生、この間から聞きたいことがあったんだけど、いいかな?」
「なんだい?」
「先生はなんで『先生』になったの?」
先生。
教師、先駆者、シャーレ及び各校の部活の顧問。
漢字ふた文字の中に様々な意味があるが、アズサのいう『先生』は教師のことであるとフェイス先生は理解した。
「ふむ……」
先生は愛用する懐中時計の竜頭をいじりながら考えこむと、少ししてから口を開いた。
「母方の大叔母が先生をしててね、小さい頃によく遊びに行ってたからその背中を見ていた。
自分の知恵を他の人に教える事、その楽しさは大叔母様から学んだと思ってる」
「今も元気にしてるの?」
「だいぶ前にね。病気もなくずっと元気だったよ」
「……そうか」
直接的な表現を避けていたが、アズサはその人がもうこの世にいない事を察した。
人は誰だって死ぬ。それが誰かに殺されたり病気で苦しんで命を落とすのでなく、天寿を全うしたという理由なら喜ばしいに違いない。
「それと君達と同じ年ごろの話かな。
私のお兄さんは冒険野郎で学校の単位取ったらすぐ旅に出ちゃうし、両親も元気で故郷に友達はいるけど、ちょっと寂しい気持ちがあった」
この人がキヴォトスに来る前の事を話すことはない。たとえ付き合いが長いユウカやアビドスの面々にも。
そのような珍しい体験をしている自覚は、残念ながらアズサにはなかった。
「将来何をするか決まんなくてぼんやりしてた時、あるおとぎ話を見たんだ」
「おとぎ話?」
「うん。遠いところから来た
感情がもたらす力の強さと危うさを知り、それが悪用されないように子供達の心を育てようと教壇に立った異邦人の話。
残念ながら彼は自分にしかできない事に集中するため、短い間で学校を去ることとなった。
だがこつ然と姿を消した彼の教えを胸に宿し、教え子達は立派な大人になった。
「何年、何十年と世代を超えてその教えと心が受け継がれてく。
そんな『彼』や大叔母様のような人になりたくて教師になるって決めたんだったな」
どこか昔を懐かしがるような微笑みを浮かべる先生。
「受け継がれる想い、か」
「逆に聞くけどアズサ、君は将来トリニティを卒業した後にやりたい事とか、あるかい?」
「……」
難しい質問だった。
アリウス分校では
何度も苛烈な体罰を受け殺されかけようとも、それに反発したアズサは一般常識に疎いながらもまだ『普通の子供』に育つことができた。
だがそれでも、将来を考えるにはアズサはまだ経験が足りなかった。
目を閉じて瞑想するアズサに考える時間を与えるかのように、天井に吊り下げられた時計の針はゆっくりと進む。
やがて意を決したかのように目を開き、先生の顔を見た。
「……アリウスでは永い間、人を殺し物を壊す術と、トリニティとゲヘナに対する憎しみを教え続けてた。でもそれは
アリウスだけじゃない、きっと同じように選択肢を奪われて未来を閉ざされた人たちがまだまだいるはずだ」
胸元のアリウス分校のバッジが蛍光灯の光を照り返して輝いた。
数千の有象無象の学園があるキヴォトスのどこで、ゲマトリアに限らず『悪意ある大人』が暗躍しているかは誰にもわからない。
「それなら先生がそうであるように、私もシャーレの先生になってそういった生徒たちに手を差し伸べる。そんな未来も悪くないと思うんだ」
「ふむ……」
先生の手の中にある懐中時計が時をゆっくりと刻む。
先生は少し悩むように虚空を見つめると、アズサへ顔を向けた。
「……アズサが目指す先だと、まず教師にならないとダメだから今よりも勉強を頑張らないといけない」
「うん」
「色んな子の考えや悩みと向き合って話し合わないといけないから、もっと友達を増やしたり色んな人と話したりして、経験を積まなきゃならない」
「努力する」
「あとシャーレはあちこち飛び回ったり山ほど書類を作らなきゃならないしとても忙しいよ? ……これはアズサなら大丈夫だね」
「今まで切り抜けてきた事と比べたら、そのぐらいどうってことない」
先生を見つめる薄紫色の瞳の奥に、確かな決意を感じ取れた。
「うん。……だから先生、私は」
『四番ホーム、電車が参ります。危険ですので白線の内側までお下がりください』
会話を遮るように、時間切れを告げるアナウンスが流れた。
それに呼応するかのように、何ごともなかったかのように時計の針は進み始める。
決意の言葉を遮られてむくれるアズサの頭を、先生はやさしく撫でた。
「アズサ、将来を決める時間はまだある。今から慌てる必要なんてないよ?」
「そうかな?」
「うん」
彼女の『姉』たるサオリは罪の十字架を背負い、悪辣な人間だらけの裏社会でもがき失敗しながら必死に『普通の人間』になるために動いている。
彼女自身が決めたことを先生はやめろとは言えない。だが表で信頼できる者たちに囲まれたアズサまでそんなに急ぐ必要はどこにもないと思っていた。
「あまり気張りすぎても長続きしない。まずは今できる事からやっていこう」
先生はゆっくりとベンチから立ち上がると、アズサに手を差し伸べた。
「道を誤らない限り、煌めく未来は君の中にある。
私はそれ支え、応援するよ」
アズサはそんな恥ずかしい言葉に苦笑いしながらその手を取る。
「……ありがとう、先生」
二人はそのまま電車に乗りこみ、シャーレへの帰路についた。
数年後、天使の翼を持った新任の先生がシャーレに赴任する……かは、まだ誰にもわからない。