ある日、ヴァルキューレ警察学校・生活安全局に公安局長のカンナから電話がかかってきた。
『先生が怪しい行動をしている』という連絡を受けたフブキは食べ歩きに行きたいキリノを誑かし、捜査と称したサボりのため百鬼夜行連合学院の自治区へとやってきた。
合歓垣フブキという生徒がいる。
相棒の中務キリノとは異なり、楽な仕事である生活安全局を気に入っており、怠けたりサボったりすることに意欲を燃やす不良警官でもある。
そんな彼女は常日頃からサボりの口実を目ざとく探している。
ある日の生活安全局。生徒のほとんどは出払っており、だらけてコーヒーを飲んでいるフブキ以外に数名が待機しているのみである。
愛用のポケットラジオの調子が悪くそろそろ買い替えどきかと考えていると、目の前の内線電話がけたたましい呼び鈴を鳴らした。
「めんどくさ……」
電話を取れるのは自分だけと気付き舌打ちすると、仕方なく受話器を手にとった。
「はい生活安全局」
『公安局の尾刃カンナだ。フブキか? 都合がいいな』
「(げっ……)」
名乗りを聞いた途端、フブキは顔をしかめた。
電話の主はヴァルキューレの最精鋭にして良心、公安局の責任者だった。
世界の存亡を賭けた『あの戦い』のあと彼女も連邦捜査部に加わっており、たま当番としてシャーレのオフィスへ顔を出している。
『お前かキリノに用があったところだ』
「カンナ局長、私たちまだ何もやってないよ」
『お前たちではなく、先生に関係した話だ』
「はぁ? 先生の?」
……
「ただいまパトロールから戻りました! ……あれ?」
定期巡回から戻ってきたキリノが見たのは、真面目そうな顔で割り当てられたタブレットPCに向き合うフブキの姿だった。
「どうしましたかフブキ!? 熱でも出したんですか!?」
「いくら普段サボってるからってひどくない?」
呆れ顔のフブキが指し示した画面を覗きこむと、キリノの眉間にシワがよった。
「先生が怪しい行動をしている姿があちこちで目撃されてる……ですって?」
曰く、キョロキョロと何かを探しては道端の草を見ている。
曰く、あちこちの河原や堤防で何かを探している。
曰く、ブラックマーケットに一人で出入りしている姿を見た。
連邦捜査部『シャーレ』の顧問である"先生"の挙動不審は別に今始まったわけではない。
ブラックマーケットにしても『キヴォトス人の成長記録が見たい』という好奇心から、小学生の頃のイオリの写真が入っている卒業アルバムをマーケットの売人を雇って手に入れた事がある。
先生は意味のない行動はしないタイプなので、今回も何かしらの理由があってのことだろうとはフブキも考えていた。
「(いい事思いついた。キリノにも得があるし断らないでしょ)」
だが同時に『これはサボりの口実に使える』とも考えた。
特に、やる気が常に空回りしている相棒を誑かせばより確実である。
「今日の先生のスケジュールを見たら、昼の二時ごろに百夜堂の手伝いに行くってあったんだよね。せっかくだから行って本人に直接聞けばいいじゃん」
「えっ? でも今日はシャーレの仕事の予定は……」
「カンナ局長が直々に持ちこんだ話だし、向こうとしてもさっさと疑念を晴らしてくれって感じだと思うんだよね」
そもそも対テロ特殊部隊とも言える公安局になぜ先生の奇行の話が持ちこまれているのか?
というのも、最近ヴァルキューレ公安局主導でシャーレとの合同作戦を実施したばかりで、この二つの組織がコネクションを持っているのが認知されつつある。
カンナ本人が有名人というのもあり、とりあえずイタズラ半分に電話をするという者がいるというのが真相のようだ。
「……それに」
フブキはキリノの耳に顔を寄せ囁いた。悪魔の誘いを。
「今から出発すれば百鬼夜行に着くのは昼ごろ、キリノは前々から行きたい店があるって言ってたじゃん?」
「……」
キリノはしばらく固まった後、おもむろに身支度を整え始めた。
「それじゃみんな、私とキリノはちょっと遠出してくるね」
それを聞いて近くにいた同僚が驚きの声を上げた
「ええ!? 君たちがやる書類はどうすんのよ!?」
「文句はカンナ局長にイタ電する人に言ってよ。おみやげに百夜堂のお菓子買ってくるから後よろしく〜」
ぐるぐる目のキリノの背を押し、フブキは生活安全局のミニパトが停められている駐車場へと向かった。
……
百鬼夜行連合学院自治区 某所
「うう……やらなきゃいけない仕事投げ出して来ちゃいました……」
「行くって決めたのはキリノ自身なんだからいい加減諦めなよ」
道中ずっと職務放棄に対する後悔をブツブツとつぶやくキリノと誑かしておいてそれに呆れるフブキの二人は、百鬼夜行の飲食店街へとやってきた。
昼時と相まって通りは一般人も生徒も問わず人が多く、あちこちの食堂に入店待ちの列ができていた。
「で? 行きたいって言ってた店にはいつ着くのさ?」
「えーっと……あそこの角を右に曲がって……」
キリノのおぼつかない記憶を頼りに歩みを進めてぐるぐると回った末に、ようやく目的の店の前へと到着した。
「ここです!」
「……『そば・丼物屋 三郷』?」
古い日本家屋風の建物がほとんどな百鬼夜行歓楽街の景観からはやや浮いた、どこにでもありそうな箱型の二階建ての一階。そこに店舗が入っていた。
「さあさあ行きましょう!」
「せかさなくてもいいじゃん……」
店内もどこにでもある定食屋といった内装で、良く言えば気取らない、悪く言えば周りに合わせられない空気の読めなさを感じ取ることができた。
ここまで徹底的だと最早笑いがこみあげてくる。
テーブル席に座るとアルバイトらしい百鬼夜行の生徒が注文を取りに来た。
「いらっしゃい。ヴァルキューレの人が来るなんて珍しいね」
「ゲソ丼二つでお願いします」
「ゲソ丼ふたつね? しばらくお待ちください」
キリノの注文をメモに取ると厨房へと入っていった。厨房では茶をすすっていた秋田犬の店主がキビキビと働き出した。
「ゲソ……ってことは、イカの足の天ぷらかから揚げ?」
メニュー表を眺めていたフブキは、セルフサービスの水をコップ二つに注いで戻ってきたキリノへ疑問をぶつけた。
「はい。イカの足に片栗粉とかをまぶして揚げたのを丼ものにしてるんです」
「確かにふつうの天丼よりは安いようだけど……割高感ない?」
どうも価格帯が他の丼物と大差ないことに不満なようだ。
「お待たせしました。ゲソ丼ふたつになります」
しばらくして先ほどのアルバイト店員が丼を運んできたが、二人はテーブルに置かれたそれを目を見張った。
「デ、デカい……!」
「ゲソ丼はボリュームがあるとは聞いてましたが、まさかここまでなんて……!」
まず丼のサイズが大きい。
ただ直径が大きいだけでなく深さもしっかりあり、普通の店なら大盛り用として使うものなのは明白。
それの下半分に白飯が少し密度高めに盛られ、上に三・四本で大きくちぎられたゲソのから揚げが五・六個は載せられている。
丼の端に添えられた紅しょうががゲソ揚げの海に呑まれて見えない。
後から入ってきた客が頼んだゲソ丼セットをチラリと見ると、そばは付け合せのミニサイズではなく同じ丼に普通の量が盛られていた。
「……セットで頼まなくてよかった」
「あれ食べたら動けなくなりそう……」
とにかくゲソ丼を食す。
「……揚げたてだからか食感がいい」
「ゲソがプリプリしてますね」
片栗粉ではなく市販か自家製のから揚げ粉を使っているようで、ゲソにはほんのりと下味がついていた。
その代わりに甘ダレの量は控えめだが、ゲソのボリュームを考えると飯が残ってしまうことはないだろう。
小皿で出されたたくあんも、紅しょうがと併せて口直しにうまく貢献してくれている。
「でもやっぱり量が多いよ」
「紅しょうががもう少し欲しいですね……」
暴力的ですらあるボリュームに苦しみながらも、二人はゲソ丼を美味しくいただいた。
……
『三郷』を出たキリノとフブキはしばらく周りを散策して胃にスペースを空けると、その足で次の店へと向かった。
「ねえキリノ、私そろそろ食後のドーナッツタイムにしたいんだけど……?」
「それ普通はコーヒーブレイクって言いますよね?
……あーでも次のお店でドーナツを買いますから、ちょうどいいじゃないですか」
「ふーん」
フブキは百鬼夜行で売っているドーナツに心当たりがなかった。
単純に来る機会が少ないのもあるが、和菓子屋中心の百鬼夜行においてザ・洋菓子のドーナツの肩身は狭く、あるのはキヴォトス全土に進出するドーナツチェーン店しかないとまで言われているためだ。
訪れたのはかりんとうなどの揚げ菓子の専門店だった。
店先には『店で揚げたてあんドーナツ』なる看板が立てられている。
「……いやいや確かに名前はドーナッツだけどさ、私が食べたいのは穴の開いてる方のドーナッツだよ?」
「ずっとあればかり食べてるとお腹にお肉がついちゃいますしコーヒーの飲みすぎは不眠症になりますよ? たまにはいいじゃないですか」
「食べ歩き三昧のキリノには言われたくないなー……」
反論はするが、フブキは正直なところ体重が気になってきていた。
日頃の食っちゃ寝サボり生活が祟って運動量と大量のドーナツによる摂取カロリーが釣り合っておらず、背や胸が一向に成長しないのもあって栄養がぜい肉に変換されているのだ。
最近ではドーナツは一日に二個だけと決めているが、この『ドーナツ』を食べれば先ほどの大盛りゲソ丼と相まってもう今日のぶんは食べれないだろう。
「……」
フブキはお腹に手をやり、初めて己の不摂生を後悔した。
「ほら、入りますよ」
……
店先に用意されたベンチに並んで座り、買ったあんドーナツを食べることにした二人。
件のあんドーナツはテニスボールよりひと周り小さいぐらいの楕円形をしており、砂糖の類いはまぶされていないので揚げいものようにも見えた。
市販品のようにビニール袋で包装はされておらず、コンビニのホットスナックのごとくケースにそのまま入れられていたものを紙袋に入れて渡された。
「いただきます!」
ドーナツにかぶりつくとサクッという小気味よい音が鳴り、咀嚼すれば硬すぎず軟すぎない生地がシャクシャクと音を立てた。
「はあぁ……。この食感と甘さ控えめの餡がたまらないですね!」
「グラニュー糖をまぶしてないから油を吸ってギトギトにならないし甘すぎない、ビニール詰めじゃないからふやけてボソボソにならない。なるほどねぇ」
「これなら何個でもいけそうです! あ、後で食べるぶん買ってきます!」
キリノはドーナツを一気に食べ終えると、再び店の中へと入っていった。
「美味い……これは確かに美味いんだけど……」
あんドーナツの断面をじっと見つめる。生地は少し厚めなのが食感と甘さのバランスの要因であるらしい。
残りのあんドーナツを口に放りこみよく味わうのとは対照的に、目はうつろで光が消えていた。
「(心が……心が穴の開いたドーナッツを求めてる……!)」
「……何悩んでるんですか?」
紙袋いっぱいのあんドーナツを抱えて出てきたキリノは、口をもごつかせながらこの世に絶望したかのような顔で悩んでいるフブキの姿を見て首をかしげた。
……
あちこちの店を回っておみやげになりそうなものを物色したのち、二人はようやく本来の目的地である百夜堂へやってきた。
「午後二時一七分……少し遅れましたね」
「キリノが色々買うからだよ。おみやげだらけのミニパトが警備局に見つかったら面倒なことになるじゃん」
「……さあ行きましょう!」
「誤魔化すのが下手すぎる」
「イラッシャイマセー! おお、キリノさんにフブキさんじゃないデスかー!」
扉にかかった看板が『準備中』になっていたのもあり、店内には床をモップがけ中のフィーナだけがいた。
ウミカは休日シフトのようで、先生が手伝いに来たのは人手不足を補うためでもあるらしい。
「こんにちは。先生は来てますか?」
「ハイ! 奥で委員長と一緒にお茶を作ってマス」
「お茶?」
「あれ? 二人ともどうしてここに?」
話をすればなんとやら、バックヤードから先生とシズコが姿を現した。
百夜堂の制服と思わしき和服にエプロン姿の先生の手には、むぎ茶にも見えるこげ茶色の液体が入ったポットを持っている。
「先生、とても似合っていますよ! ……ああ、実は──」
全員でテーブルを囲み、事情説明と並行して先生が作ったというお茶を試飲することになった。
「あー……そんな大ごとになってたの?」
「先生って変なウワサばかり経ってるじゃん。有名人の宿命にしても、ちょっとは周りを見たほうがいいんじゃないの?」
「うーん……」
先生は腕を組んでうなるが、今回の件はわりと自業自得であるし、第三者のイタズラで結果的にカンナに迷惑が掛かっているので弁解の言葉が浮かばなかった。
さて、件の液体の正体は『ハーブティー』である。
キヴォトスの『外』からやってきた先生にとって、この広大な土地まだまだ知らない事ばかりで、ふと住民が何気なく眺めている雑草の中に『
そこからの行動は早かった。
趣味で雑草を育てており植物に詳しいハルカや特殊な薬の専門家であるサヤに知恵を借りた。
無数の蔵書があるトリニティの図書室でシミコの案内で本を探し、ウイに頼んで古書館で薬草学に関する古書を読んだことで遂に『薬効が忘れ去られ、今はただの雑草でしかない』ハーブを見つけ出した。
シャーレの仕事のついでにあちこちを探して周り野草の生息範囲の統計を採り、使えそうな野草を決めると制作に入る。
液体の見た目はむぎ茶、あるいはたんぽぽコーヒーにしか見えないが、曲がりなりにもハーブティーとだけあって良い香りがする。
「まぁジュリやイズミじゃなくて先生が作ったものだし、大丈夫とは思ってるけどさ……」
「いただきます!」
フブキは制作側の三人へ視線を向けると、すでに当たり前のようにカップへ口をつけていた。
フィーナは味を確かめるように舌で茶を転がしてから飲みこんだが、その一連の仕草すら育ちの良さを感じさせる。
「フーム……少し苦いデスが飲めないほどじゃないデスね」
「いやー、香りはいいんですけど味が……」
「思い立っただけで私は門外漢だからなぁ。昔の教え子にこういうの作るのが好きな子がいたんだけど」
談笑する三人を見て、キリノとフブキも意を決して『それ』を飲んだ。
「苦っ……お茶というより薬みたいな苦さだこれ」
あまり好きではない味だと渋い顔をするフブキ。
「薬用茶ですかね?」
別に青汁のように飲んだら健康になる訳ではないので、これだけではただ不味いだけの飲み物である。
いざ完成したはいいが問題になったのは『味』だった。
興味本位で現れた美食研究会からの評価も、香りはともかく味は芳しくなかった。
アカリの『小さな子供が飲むのを嫌がりそうな味』というのが的確な表現だった。薬のように旨味のない苦さなのだ。
その後四人の機嫌取りのために大量の料理を作らねばならず、食材の買い出しに大人のカードを使わざるを得なかったのはここだけの話である。
「だから先生は私に監修を頼んできたってわけです!」
シズコは自信満々に胸を張り、先生のものとは別のポットを裏から持ってきた。
「抽出時間を減らして柑橘類の果汁を加えました。香りと効能は薄くなりますけど、だいぶ飲みやすくなったはずですよ?」
二人は『本当に大丈夫なのか?』と思いつつも、出されたお茶を飲んだ。
「……あ、レモンティーというかそんな感じの風味ですね」
「このぐらいなら砂糖入れたらちょうどいいかも」
さすが百鬼夜行有数の喫茶店・百夜堂のオーナーにして看板娘である。日夜新メニューの開発に余念のない彼女にとって、ハーブティーの味を整えることぐらい朝飯前なのだろう。
「……そういえば、ブラックマーケットに何の用で行ったの?」
「えっ?」
「ほら、ブラックマーケットって乱開発されてるから本物の雑草しか生えてないじゃん。ハーブ探しに行く必要あるかなーって」
フブキの疑問に思い当たる節があるのか、先生は目が泳いだ。
「……先生?」
「……ごめんなさい」
先生は何も言わずとも床に跪き、見本にしていいぐらい見事な土下座を始めた。
話を聞くと、何か月か前に限定品のおもちゃを買おうとしたが転売屋による買い占めで予約を逃してしまい、発売後のいまブラックマーケットに流れていないか探していたらしい。
「転売被害に遭ったのは同情しますけど……」
「人によっては犯人をカチコミに行きそうデスネ」
気に入らない事があればとりあえず銃撃による暴力に訴える。それがキヴォトスの女子高生ではありがちな事だ。
だが先生は良識を持つ大人なのでそんな手段には打って出ない。
「で? そのおもちゃは見つかったの?」
「見つかっておりません。……ハァ、余計な心配させちゃったなぁ」
その後先生は謝罪を兼ねて、二人が百夜堂で買うつもりだった生活安全局へのおみやげ代を支払った。
「お買い上げありがとうございます、先生♡」
シズコは満面の笑顔でそう告げた。
「これって贈収賄とかになりませんかね?」
「袖の下……私はどうせならドーナッツ詰め合わせの方がいいかな〜」
のんきに話しながらミニパトを走らせ、キリノとフブキは警察学校へと帰っていった。
なお、仕事をほっぽって抜け出した事が上司に知られてしまい、言い訳無用と二人仲良く始末書を書く羽目になったという。