「うわああああああああああん!!ああああああああん!!!」
ウララの涙、中山のパドックで何度も見てきた光景。
何度目か知れぬこの光景に、薄い瘡蓋が覆われ始めていた俺の心がまた深く抉られる。
この傷を消してはならぬと責めたてるように。
「あああああ!!ああああーーー……!!」
いつか。
いつか、この涙を笑顔に変えるために。
あらゆる理不尽をねじ伏せて、俺はまた世界線を超えていく。
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自分が世界の理から外れたと知ったのは、初めて担当となったウマ娘、サイレンススズカが秋の天皇賞で勝利した後。
その後に続いた記念レースのURAでは、惜しくも準決勝敗退。
だが、新人トレーナーとしては誇れる成績でもあった。
「負けて、仕舞い…ましたね」
スズカの言葉に、すまない、と謝意を述べ。
気にしないでください、と彼女が笑う。
…もちろん、勝ちたかった。
勝ちたかったけれども、この成績でも十分な成果。
それに、彼女の脚はいまだ健在。
一時期の不調も乗り越えて、これからいくらでも先頭の景色を見ることができるはずだ。
『これからも、頑張ろうな』
そう、お互いに笑顔で話しながら、土手を歩く。
これから先も、ずっと、彼女と共に歩んでいきたい……そんな、トレーナーらしからぬ思いも芽生えた、
その時だ。
不意に視界がぼやけた。
眩暈かな、と思ったがどうやらそうではないらしい。
いや、それどころではないらしい。
スズカが、こちらをどうしました?と言いたそうに見ている…が、違和感はさらに強まって。
そして、ふと気が抜けると、まるで幽体離脱でもしたかのように、自分とスズカの姿が視界に写った。
…まさか?突然死?
そんな思いが脳裏をよぎるが……目の前の、視界の中の自分は、「なんでもないよ」とスズカに言う。
びっくりしましたよ、私が脚に不安があった時みたいな顔でしたから、とスズカが返す。
笑い合う自分とスズカの姿。
それを眺める自分の意識。
そしてその意識すら薄れていき─────
───気が付くと、3年前の。
新人トレーナーである自分が、担当ウマ娘を決める場面に、戻っていた。
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慌てた。
当然慌てた。
タイムスリップにしては、唐突が過ぎるし、また突然がすぎる。
スズカと共に歩みだした自分と、こうして3年前に戻っている自分の意識。
まるで、昔見たアニメのような、世界線を超えたような光景に……恐怖と、動揺が走った。
「…あら~?どうしました、トレーナーさん?顔色が悪いですよ~?」
そんな自分に、声をかけてきたウマ娘がいた。
彼女は青いドレスを身に纏い、豊満な胸に心配そうに手を当てて、こちらの顔を覗き込んできた。
スーパークリークだ。
名前は当然知っていた。彼女もまた、才能あふれる注目のウマ娘だからだ。
そんな子が、とても心配そうにこちらを見てくる。3年前に戻った自分を。
ああ、いや。と空返事を返した。
…詳細など、説明しても頭のおかしい人としか見られまい。
努めて冷静になろうとしながら、動揺を隠せぬ顔をクリークに向けた。
「…あら~、あらあらあら~♪」
どうやらその顔がクリークのどこかに突き刺さったらしい。
この人にします~、と間延びした声で言ったクリークは、自分を担当のトレーナーとしてしまった。
これが、自分の記憶の中で二人目のウマ娘の育成だ。
ただし、他の新人トレーナーと違い、自分にはサイレンススズカと共に過ごした3年間の経験がある。
長距離を得意とする彼女の育成に多少の違和感は在れども、コツはつかんだ状態だ。
途中で、クリークの原因不明の不調などもあったが、それらも乗り越えて、クリークは見事有マ記念で1位を修めた。
その勢いのまま、長距離となったURAの舞台では、まさかの優勝。
新人トレーナーの快挙。スーパークリークの快挙。
クリークがURAを優勝したときの光景は、これからどんなに世界線を跨ごうとも、忘れることはないだろう。
…そう。
また、世界を跨いだ。
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スズカの時と同じだ。
URA優勝後に、彼女と土手を歩きながら今後について話していると…また、視界がぼやけ始めた。
何もかも焼き直しだ。
目の前に、自分の意識で眺める自分とクリークが、談笑しながら歩き去っていく姿。
それを見送りつつも……また、自分の意識は3年前に。
世界で俺の意識だけが何度もループする。
いや、コピーしているのか?スズカと、クリークとともに、その先を歩く自分もいて。
何かの呪いだろうか。
スズカを育てていた時に、マチカネフクキタルの崇めるシラオキ様の像を誤って壊してしまったのが原因だろうか。
ただ、そんな巻き戻しも、3度、4度と続けば……慣れる。
慣れたのだ。
常人では発狂してしまいかねないこんな状況に、しかし自分は救いがあった。
それは、担当するウマ娘達の笑顔。
色んなウマ娘たちが、色んなレースに出て、色んな笑顔を見せてくれる。
そして、意識は分かれども…彼女たちと、共に先を歩いて行く自分もまた、確かに存在している。
ならば、これも悪くはないだろう。
3年という永遠の牢獄にとらわれる、1/2の自分。
手塚治虫の八百比丘尼の話のような、限られた時間を永遠に繰り返し、しかし満足を得るこの感触。
悪くは、ない。
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その後、色んなウマ娘の担当となった。
ゴールドシップ。
ウマ娘にも色んな奴がいるのだと知った。ただ、彼女とバカをしていた時間は、かけがえのないものだった。
スペシャルウィーク。
彼女の前向きで、優しく、朗らかで…そして、レースではその意思が力を持つかのように勝利を求める光景に、流星の煌きを見た。
メジロマックイーン。
彼女の誇り高く輝く姿に見惚れた。メジロ家の当主として、そしてライバルに打ち勝つ強さを見て、その強さに退屈すら覚えた。
ナイスネイチャ。
彼女の抱えるコンプレックスを払拭するために、二人三脚で挑んだ。手作りしたメダルの数と、彼女の勝利への想いは、きっと忘れることはない。
他にも、色んな脚質の、色んな距離適性の、色んな性格のウマ娘たちを担当した。
3年間、付きっ切りで彼女たちが求める勝利の景色を見せるために、微力ながら、全身全霊でトレーニングを組んだ。
URAにも、それぞれの適性に合う距離のレースで、何度も優勝させてやることができた。
自分の肩書は、相変わらず新人トレーナーだが。
経験だけは、どんなトレーナーよりも多く。
そして、ウマ娘たちの性格や特技も知っている。
今ならどんなウマ娘だって、レースで勝たせて、笑顔にしてやれるだろう。
そんな、ガラス細工の虚構の自信が組みあがったころ。
また新しく、初めて担当になるウマ娘の育成を始めた。
「ハルウララ、がんばりまーす!!」
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彼女の名前はハルウララ。
優しい名前と、優しい心を持った、小さなウマ娘だった。
他のウマ娘を育てている時から、彼女に興味は持っていた。
彼女はトレセンにいるウマ娘の中ではとても珍しく、芝のコースを苦手としている。
半面、ダートは得意なようで、オグリキャップやエルコンドルパサー、タイキシャトルを担当している時にマイル以下のダートレースで姿を見かけた。
恐らくは、短距離~マイルくらいの距離を得意としているのだろう。
小さな体をいっぱいに使って走り、たとえ負けても楽しそうに観客席に手を振る彼女は、とても明るい子だった。
ただ、その頃から感じていた雰囲気。
負けても、笑顔で観客席に手を振れるその心。
…そう、手を振れてしまう。
つまりは、負けることが彼女の中では織り込み済みの事実だということ。
…諦め癖が、ついてしまっている。
他のウマ娘を担当していた時のウララに対する自分の感想は、それだった。
だが。
今の自分なら、彼女を勝たせてやれる。
短距離のレースの勝ち方なら、サクラバクシンオーに厭というほど教えられた。
ダートの勝ち方なら、エル、オグリ、タイキに圧倒的なパワーと共に教えられた。
勝たせてやることができるはずだ。
練習が嫌いな様子はないし、走ること自体はとても楽しいというウララなら。
絶対に勝てると。
そして、さらに咲き誇る笑顔を、見せてくれると。
そう、思っていた。
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「ウララね、有マ記念の一着をトレーナーにプレゼントするんだ!!」
脳髄が焼かれる様な、一言。
まるで呪いだ。
呪いの祝詞だ。
この一言。
この一言を、聞いてしまったがために。
俺は、自分自身を永遠に許せなくなってしまった。
初めて担当になって、いくつものダートレースで勝利を重ねてきた。
無論、差し戦法での勝負に絶対はない。
何回か砂のハヤブサ相手に敗北する事はあったが、それでもGⅢ以上の重賞レースで一着を取ったこともある。
とても順調に彼女は育っていると、そう思っていた。
人気も着実に上がっていき、後援会ができるほどになっていた。
色んなひと悶着もあれど、出走したいと言っていた有マ記念に出られるようになり、順風満帆。
勝てるとは思っていないけれど、記念のレースだ。
ウララも、出走して大観衆の前で走ることで喜んでくれるだろう。
そんな無責任な考えが、一瞬で打ち砕かれた瞬間だった。
「だって、ウララが勝てば、後援会のみんなも、トレーナーも、よろこんでくれるもんね!」
この一言に、数拍の間を空けてから、
『……ああ!』
乾いた返事を返した。
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無理だ。
俺にはわかってしまっている。他のウマ娘の速さが。
何度も、何度も他のウマ娘を育ててきたから。
シニアの有マに出走するウマ娘たちの、仕上がり具合が分かるから。
俺にはわかってしまっている。ウララが長距離と芝のレースを大の苦手としていることが。
ダートなら、短距離やマイルなら勝機はある。
だが、芝は…長距離は、無理だ。
俺には、わかってしまっている。
ウララは、どうやっても、勝てないと。
それでも。
それでも、ウララに初めて芽生えたこの気持ちに、無理だとは返せなかった。
『ああ。ウララなら、きっと勝てるさ』
そう答えた。
そう答えた自分の言葉に、責任を持たなくてはいけない。
何度も繰り返す自分だからこそ持てる責任を。
零してはならない。弱音を。
諦めてはならない。勝利を。
逃げてはならない。この、うららかな笑顔から。
正面から、向き合うのだ。
この、涙から。
「うわああああん!!ああぁぁーーーん!!!」
慟哭が中山レース場のパドックに響く。
そこは、レースを終えたウマ娘たちを出迎える場所。
これまでに、クリーク、ゴルシ、スペ、マックイーン、ネイチャ、タキオン、ルドルフ、エル…数えきれないくらいの、ウマ娘たちを迎えて。
そして、笑顔と共に、勝利の喜びを分かち合っていた、その場所で。
「あぁぁーーーーん!!うわぁぁーーーーーーーん!!!」
桜色の瞳から大粒の涙が零れる光景に、俺は声が出せないでいた。
経験豊富な新人トレーナー?
どんなウマ娘も笑顔にできる?
有マ記念への記念出走で、喜ぶだろう?
───死んでしまえ。
こんな、浅学菲才の、無責任なトレーナーなど。
言葉が出なかった。
ただ、夜露の滴る桜の花びらを、そっと抱きしめることしかできなかった。
……弱い。
俺は、弱い。
担当するウマ娘の、天真爛漫な彼女の。
ウララのたった一つの望みを、叶えてやれないほどに、俺は弱い。
その慟哭を聞いて以来。
有マ記念でウララを勝たせるために、己のすべてを賭けることを決意した。
何度、この3年間を繰り返すことになろうとも。
きっといつか、君を笑顔にしてみせる。
突破時の継承元
①スペシャルウィーク(芝☆3)―ナイスネイチャ(芝☆3)メジロマックイーン(長距離☆3)
②ゴールドシップ(長距離☆2)―ナイスネイチャ(芝☆3)メジロマックイーン(長距離☆3)