21世紀前半に入って人類は海面上昇による生活領域を著しく奪われた。それだけではない、突如として現れた「霧の艦隊」と呼ばれる第二次世界大戦時の軍艦が人類を海から駆逐し、人は狭苦しい陸地に閉じ込められた。それでも人は生きることを諦めていない様で未だ生活を続けている。そんな中で俺が海洋技術総合学院に入ったのは「霧の艦隊」への好奇心からだろう。幾ばくかは同類の人間はいたが他の奴らはキャリアの為だったり正義感から学院に入るのが多数だ。そして「横須賀に霧の艦艇が収容されている」という噂の真偽を確かめるために学院内で模範生となったのも「霧」への好奇心からだ。しかし運命というものはそう甘くはなく、「霧の艦艇」たる伊401を見ることは出来たものの、その後「霧」の次に好奇の対象であった千早群像とそのお仲間数人と共に姿を消してしまう。千早群像の心象を悪くして影響を及ぼさない様にと接触を最低限にしていたせいで仲間はずれにされたらしい。彼は俺のことを知らないだろうが。(もっとも観察には手抜かりは無かったので彼の事ならば恐らく誰よりもよく分かっているだろう。言っておくが彼はあくまで好奇の対象であってそれ以外の感情などは一切無い。)そういうわけで「霧」とのファーストコンタクトはとても残念な結果となった。そこから数年、「霧」…いや「蒼き鋼」は2隻の戦艦級の「霧」を引き連れてやってきた。その時俺は3隻の戦いを間近で見るために基地を飛び出し立ち入り禁止区域に入り込み観察をしていた。(流石に陸地内での千早群像と伊401と思わしき人物の接触は軍の警備と己の立場上難しかった。まあ無理を通して接触まではいかないものの少しだけ観察はしたが。)全ては「霧」と、「蒼き鋼」と、「千早群像」への好奇心のために。そうして奴らの戦闘を観れる限り見た。見たまでは良かった。恐らく千早群像による軍略構築と2隻の「霧」の兵器群はとても素晴らしかった。「霧」のメンタルモデルが一人消えて行ったのは少し残念だがもう一方のメンタルモデルはこっちに吹っ飛んで来ている。
ナノマテリアルと思われる銀砂の波と共に。
あの大量のナノマテリアルがこっちに向かっているのを見た時は感動の余り少し濡れてしまった位だ。ずっと気になっていた「霧」を構築しているナノマテリアル。その見た目、臭い、味、感触その他諸々を体感できることを考えればその他の事など些細な事だろう。
そして俺はナノマテリアルの波に飲み込まれて意識を失った。
目が覚めた時、俺は酷い頭痛に苛まれた。脳味噌が内側から無理やり広げられる様な未知の痛みだ。痛みの余り泣き叫んでしまったがあの海岸には周囲に人はいなかったしそもそも立ち入り禁止なのだから人目を気にする必要は無いだろう。問題はこの頭痛だった。通常であれば過剰な痛みが発生すれば意識を失うことになる。しかし痛みは増せども意識が薄れることはなくむしろハッキリと鮮明になりつつある。おかげである違和感に気づきつつあった。一つ目はここが横須賀のあの海岸ではないこと。二つ目は体が縮んでいること。そして三つ目は、俺の脳の中に知るはずのない情報が流れ込んでいることだ。その情報とは横須賀湾にてメンタルモデルを保ったまま此方に吹っ飛んで来ていた「霧の大戦艦級ハルナ」についてのことだった。艦艇に関することとナノマテリアルについて、全てではないがその扱いかたなどが次々と記憶として脳に刻み込まれて行く。そして情報のの流入が終わると同時に、俺は再び意識を手放した。
結果だけ言うとその後頭痛による後遺症などは無かった。そしてどうやら俺は転生というものを果たしたらしい。「魂」というものは不確かであり「霧」程に好奇心は抱けなかった。しかしこれからも好奇心を抱く可能性はないだろう。時は紀元前一世紀、かの有名なユリウス・カエサルが21世紀でのフランスに当たるガリアとせっせこ戦争している中俺は生まれたらしい。正直時間を遡り過ぎだと思った。ありきたりだが頬を抓ったが痛みはあったので夢では無いだろう、多分。兎も角2000年以上も時間を遡ったのだが生きるのが大変だった。衛生に始まり治安、衣食住、暮らしの何もかもが酷い。しかしまあ、こんな貴重な体験は「千早群像」にだって出来ないだろう。…別に彼に嫉妬しているからこんな考えに至るわけではない。その上ナノマテリアルについての研究も出来るのだからこれ程素晴らしい第二の人生を送れることには感謝しなければならないだろう。しかしこのナノマテリアル、扱いが非常に難しい。そもそも「霧」ではない俺がナノマテリアルを扱えることがおかしいのだ。知識としての情報はあれど経験が皆無の状態ではまず何から始めればいいのかが分からない。マニュアルなんてものがあるはずもなく。生活に余裕が出てからの数年はひたすら脳の情報を探るだけに費やした。そしてある程度のことは理解出来たのだが。
「絶対量が少ない……」
其処らへんの木々などを構成するには問題ない量なのだが大戦艦を再現しようとすると全く足りなかった。まず単装砲一つ構成することすら出来ない。しかも情報を元に物質を構成するので元となる情報をほとんど持っていない俺は砲を構成しようとして銀砂を生み出すことしか出来ないのだ。ついでにナノマテリアルは消費しても食事を取れば吸収し切れなかった分の余剰エネルギーがナノマテリアルに変換されてるようだが細かいことはまだよく分かっていない。さらに何かしらのロックがかかっているようで現状では情報を収集することすらできないのであった。
また、ナノマテリアルの影響なのか俺は女性として生を受けた。姿もあのとき見た「大戦艦ハルナ」に酷似している。まあ今はそんなことよりも、目の前にいる奇妙な少年をどうしようか。ボロけた布をフードのように被るこの褐色肌の少年はつい数分前いつもの様に仕事から帰る途中に俺に話しかけて来た。
「少し、お願いしたいことがあるのですが」
唐突にそんなこと言われて面食らってしまったがすぐに気をとりなおす。
「誰だ」
「ああ、これは早急でした。」
そういって俺に自己紹介をしてきたが、正直彼が担いでいるデカブツが気になってしょうがない。なぜこんな子供が持てるものでもないし、彼自身も奇妙だ。明らかにここらの生まれではない。しかも態度も年相応には程遠く俺の頭の中は久々に大量の謎が渦巻いていた。
「聞いていますか?」
「……すまない、聞いていなかった」
どうやら名前以外にも説明をしていたらしく、俺が聞いてなかったことに気づくと再び説明してくれた。
「つまり、あなたはその調律師?、とかいうのでこの街は歪みがあるから調律というものを行いたいということ?」
「物分りがよくて助かります」
彼の説明によるとこの世には存在の力というものがあるらしく、その力を紅世の徒という化け物が無作為に使うためにこの世に歪みが発生するらしい。
……正直眉唾ものだ。
「ああ、初めは信じてもらえないのは承知の上です。少しの間、私に付き合ってもらい、それで判断してほしいのですが」
暇な子供が遊びに誘ってると思った方が普通なのだが、既に彼の状況が普通でない。最近はナノマテリアルの研究も滞っていたし真実がどうであろうと気分転換になるだろう。
「いいよ、付き合う」
「ありがとうございます」
そういうと彼は軽く手を振り…
そして世界が一変した。その変化は突然だった。文字通り見えている世界が変わったのだ。人の中に在る炎、その多くは大きく揺らめいているが幾つかは今にも消えそうなほどの揺らぎだ。これが先ほど説明していた存在の力という物なのか。
「………」
彼の方を見ると、何故か目を見開きこっちを見ていた。
「なに?」
「……いえ」
とりあえず調律というのは明日行こなうことになり明日同じ時間に同じ場所で会うことになった。俺は家に帰るといつものナノマテリアルの研究をせずに今日のことを考えることにした。あのカムシンという少年(実際は千年以上生きているらしい)が言っていたことはおそらく本当だろう。彼が何をしたかは分からないが、話の中で言っていたことの真偽はよく分かった。しかしただでさえナノマテリアルという超科学があるのにこれに加えてオカルトなんてものまで現れてしまって、一体どれほどの年月をかければこのふつふつと湧き上がる好奇心を満たすことができるのやら。
『あ、あの。』
いかんな、余りの感情の高ぶりに幻聴まで聞こえてくるとは。
『あの、聞こえてますよね…?』
「(おい)」
『は、はい!』
頭の中で話しかけるように幻聴に声をかけると返事が帰ってきた。
「(なんなんだ一体。アンタは幻聴なのか、それとも違うのか)」
『は、はい。私は紅世というこことは違う世界の住人でして…』
この後も長々と説明を受けたが詰まる所今日出会った少年、カムシンの言っていた紅世の徒であるらしい。
「(それで、紅世の徒が俺に何の用だ。まさか長々と説明してから頂きますというわけでもないだろうしな)」
『じ、実はですね。あなたと契約をしたいな〜なんて思いましてですね』
「(何故俺なんだ)」
『実は私、他の王と違って争い事などが苦手でして、それでも此方の世界には興味はあったんです』
「(それで?)」
『徒として此方に来たら確実に契約者を伴う他の王と戦うことになりますし、契約者は復讐の為に徒と戦います』
「(それで紅世のことに首を突っ込みかけており且つ紅世の徒に復讐心を抱いてない俺というわけか)」
『正確には紅世のこと関して復讐心以外の強い感情を抱いた人、つまりあなたを感知したわけです』
復讐心以外の強い感情。まあ先程湧き上がっていた紅世への好奇心のことだろう。そして、カムシンが調律が終わればこの街を去ることは違いなく、再び紅世に関わる人物に会うことなど簡単なことではないはずだ。最悪、手段も分からないが記憶を消される可能性もある。そうなれば紅世について知ることはほぼ不可能になる。そしてナノマテリアルの研究も100年弱で終わるか分からず、紅世のことまで調べるとなると何年かかるかも分からない。しかしここで契約しフレイムヘイズとなれば当事者となることが出来てさらに時間の問題もなくなる。となれば答えは一つしかない。
「( よし分かった)」
『………と、ということは?』
「(フレイムヘイズになるよ)」
『あ、ありがとうございます!』
俺が了承の意を示した途端物凄い喜びようである。そしてなんの前触れもなく現れた黄色の炎が俺を包み込み、そのまま俺に吸い込まれるように入っていた。入っていく中で正体不明の喪失感が身体を駆け巡る。
「私は《局外の調》、そしてノーシーと言います。これからよろしくお願いしますね」
手元にある俺の唯一の装飾品である髪飾りから声が聞こえる。恐らくここに意識が入っているのだろう。
「私はハル。よろしく」
こうして俺のフレイムヘイズとしての新たな人生が始まるわけだが、調律というのはフレイムヘイズになっても出来るのだろうか?