※アステルリーチのプロフィールなどは後書きに掲載致します。
あの一件から数日後、家から少し離れたところにある行きつけの喫茶店の扉を開く。カランカランとベルの音がなり、店のマスターが一度ちらりとこちらを見るが、相手が私だとわかるとまた視線を元の場所に戻した。
その様子をよそにして、私は店内を少し見渡しながら目的の人物を探し出す。目線を巡らせると、会話の聞こえづらい店の奥の窓際にその人物はいた。
「松島さん!お待たせしました!」
「あら?早かったですね?約束の時間までまだあるのに…」
「それを言ったら松島さんだって同じですよね?」
「いや〜、私だって来たところなんですよ?」
こっちが電話して会えるように約束したから早めに来たのに……まぁ、テーブルの上を見るにまだ何も無いので来て間もないのは本当のようだ。
松島さんの対面に座って今日呼び出した理由を話そうとするが、「まぁまぁ、焦らず注文してからにしましょうよ」と言われては引き下がるしか無かった。
「…ご注文は?」
「フルーツジュースとミックスサンド1つずつお願いします」
無愛想な雰囲気の喫茶店のマスター。見た目の怖さも相まって勘違いしそうだが、非常に心穏やかな優しい人だ。趣味は園芸、最近は若者への受けを狙ってキュートなスイーツ作りに没頭しているらしい。
ここの品はどれも美味しいが、街角の一角にある小さな喫茶店だから知ってる人は少ない。静かに考え事をしたい時や本を読む時のお気に入りの場所だ。
「それで?私に相談ってこの前の日曜日にトレセンであったことかな?」
「何で知ってるんですか…」
「そりゃあ私だって記者の一人ですからね。そういう情報を得るのは得意なんですよ?」
松島さんがその情報を持っているとは…。この前の日曜日のことを生徒会や理事長経由で得たとは思えない。考えるとするならば、あの日トレセンにいたウマ娘達と考えるのが妥当だろう。
休日とはいえ生徒会によるコースの全面貸切になれば、理由を探ろうとするウマ娘が1人や2人いてもおかしくはない。
松島さんも月刊トゥインクルで働いている記者だ。トレセン学園内に顔見知りのウマ娘がいたところで、さほど不自然じゃない。
「それで?悩んでることってなんですか?あなたは私の良き理解者ですからね、なんでも聞きますよ?」
「じゃあお言葉に甘えて…」
今日松島さんをここに呼んだのは、少し悩みを話したかったからに過ぎない。私がトレセンに行くべきか行かないべきか…他人に判断してもらうべきものじゃないと分かっていたとしても、やっぱり誰かに話さないと自分の中で決断できない気がしていた。
私は話した。この前あったレースのことやこれからのこと、またレース前とレース後で私の気持ちが少し変化していること、そして…
「なんであんなにお母さんは私にトレセン学園に入学するように勧めるんでしょうか?」
これが私の中で一番重要な疑問だった。
私のお母さんの戦歴はそれほど多くない。ウマ娘の脚はガラスの靴と呼ばれるほど弱く、その中でもお母さんの脚は特に脆い部類だった。
現役時代ではレースの度にほかのウマ娘より長く期間を空けていた。だから、何度も何度も『引退』の2文字を世間が密かに囁かれていた。けど、そんな噂をものともせずにお母さんはGIの冠を四つも獲得した。
そんなお母さんが何でも私をトレセン学園に何故入れたがるのか?それが私の中で唯一分からない事だった。
松島さんはん〜?と首を回しながら数秒考える。こんな質問をお母さんはもちろんのことお父さんも無理だ。かと言って、周りに言える人がいるのか?と言われればいない。
ウマ娘関連の情報に秀でていて、尚且つ私が連絡できる人物となれば松島さん一択だった。
「やっぱり、現役時代が関係してるかもですね〜」
そう言いながら松島さんはカバンから手帳を取り出して、中身を見せるように机の上に置いた。書かれてあったのはお母さんの現役時代にチームを組んでいたウマ娘達をインタビューした内容だった。
「これ、十数年前にあなたのお母さんが引退した後で、当時のチームについてインタビューした時のコメントでね。近々、また似たような記事を書くつもりだったから参考にしてたんですよ」
お母さんが現役だった当時の様子……後輩メンバーのほとんどが『走りに感動した』とか『この人のチームだったら強くなれる』といった内容ばかりだったが、私の一番目を引いたのは…
『でも、あの人に憧れる子が何人も学園やめてたんですよ』
と、書かれたコメントだった。
トレセン学園の在籍生徒数は約2000人だが、トレーナーの数はそれよりも遥に下回る。トレーナーに選ばれなくて学園にいられないウマ娘がいるのもまた事実。
だが、このコメントが意味するのは『理想を追い求めた結果、心が折れた』ということだ。
私の母という理想を目の前にして、憧れを持つ子が幾人もいる。でもその全員がお母さんと同じようになれるとは限らない。勝てない現実や伸びない実力に絶望して心折れる子がいる。
「…厳しいですね、レースの世界って」
ぽつりとそう私は呟いた。分かっていたはずなのに、こうして考えてみると生々しいとしか言いようがない。
「その中には高校からトレセンに来た子もいるけど、あまりのレベルの違いに数ヶ月で学園を去った子もいるみたい。そういう子を見てきたからこそ、あなたのお母さんは中学であなたをトレセンに行かせたいんじゃないのかな?」
話を聞く限り、私が高校生の時に夢を諦めないよう道を示してるように聞こえるが、少しだけ何かが足りない感じがする。
でも、これ以上は自分で考えるか直接本人に聞くしかない。他人に答えを求めても本当の正解が見えそうにない。
「ありがとうございました、松島さん。あなたのおかげで少し整理がつきました」
「いいんですよ。困った時はお互い様、それこそ私と気が合うあなたの役に立てて嬉しいですよ」
空になったグラスを机に置いて私は立ち上がった。まだ完全に解決した訳では無いが、自分の中で燻っていたものを吐き出すことが出来た。ならば、あとは私自身の問題だ。
帰り際に松島さんの分のお代も払おうとしたが、「自分の分を子供に払わせるなんてかっこ悪いよ」と止められた。でも、こうして休日に呼び出したのは私だし、何より私の気が収まらないということで渋々納得してくれた。
私はマスターにお代を渡すと、松島さんへ一礼して店の扉を開けて出ていった。その背中を見送った松島さんはメニューを手に取り…
「アイスコーヒー…私の代金で」
と、マスターに注文するのだった。
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私が父の名前を知ったのは、初めてレースに負けた時だった。
『やっぱり、レイゴウノルンみたいにはいかないかぁ…』
思えば、私の分岐点はあの時からだった。今まで自分の中で冷えていた“心”が燃え始めて、いつか辿り着いて追い越したいと願った。だから、私は変わった。
振り返ってみれば、自分勝手なワガママに過ぎなかったと思う。厩務員の人にも騎手の人にも多くの迷惑をかけた。
それでも勝ちたいと思ってしまった。レイゴウノルンという高みを超えたいと願い、がむしゃらにレースを走ったのは今でも覚えている。そして、無理をしすぎた脚が折れてレース中に事故死した。
私が前世の記憶を取り戻したのは3歳の時で、その時は驚きと困惑で言葉が出なかったな。ウマ娘としての生まれ変わったチャンス、前世とは同じにするわけにはいかない…とひたすらに努力を重ねた。
トレセンへと入学し、選抜レースで大差をつけて勝利して最強のチーム『リギル』に入った。だが、それだけでは私の心は満たされなかった。
父を…レイゴウノルンを超えることこそが、私の走る目標だった。
トレセンに入学してから数ヶ月がたった頃。カフェテリアであるテレビ番組を目にした。トレセンからも近めのスポットを紹介する番組だったが、正直私にとってはつまらないものだった。
だが、不意に映った1人のウマ娘に私は絶句した。大手スポーツメーカーのジャージを来ながら河川敷を走る芦毛のウマ娘。
私の内なる何かがざわめく。あれが私の目標であり、目指すべき頂きにいるウマ娘だと、まるで魂が叫んでいるみたいだった。
その日から私は徹底的に調べ尽くし、あの芦毛のウマ娘が前世の父である“レイゴウノルン”とわかった時は喜ばずにはいられなかった。
だから、私は動いた。あの父と1度だけでも競い合いたいという興奮を胸の内に抑えながら、自分が利用できるもの全てを使って父とのレースまで漕ぎ着けた。
もちろん勝つ気満々だった。これまでトレーニングにも手を抜かずに周りのウマ娘の誰よりも強かったはずなのに、それでも勝てなかった。
(私が磨いてきた加速も末脚も何一つ通用しなかった…)
私の持ち味だった加速と末脚を持ってしても、あの脚には通用しなかった。恐らく、レイゴウノルンの今のレベルはトップスターレベルのウマ娘と実力は引けを取らないはずだ。
今の私がどれだけハードワークをこなそうとも越えられない壁、つまり成長の限界を超えないとあの怪物と対等に渡り合うことは出来ないだろう。
(悔しくないわけないだろッ…)
ガンと鉄の手すりに両手を叩きつける。手加減はしているのでひしゃげてはいないが、じんわりと硬い感触が手に返ってくる。
(前世越しに掴んだチャンスだった。でも…私がどれほど努力しようが勝てるビジョンが見えない…)
圧倒的な実力差とあの時感じたプレッシャーを思い出して、勝てる未来が見えないことに絶望する。このまま、夢も目標も何もかもが沈んでいくと思われた時…
ピトッ
「ひゃっ!!?」
ひんやりとした冷気がほっぺにくっつくと、らしくもない悲鳴をあげてしまった。バッ!と冷気がした方を振り向くと…
「プッ、アハハ!『ひゃっ』って、驚きすぎでしょ!」
両手に冷えた缶をふたつ持ちながら、私の反応に腹を抱えて笑っているレイゴウノルンの姿があった。
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喫茶店からの帰り道に、いつもトレーニングで使ってる河川敷の近くにある橋の上を通った時だ。
(あれ?あいつ何してんだ…)
その橋の上で黄昏てるアステルリーチの姿を目にした。その瞬間、私の頭の中にビビッ!と閃きが舞い降りる。
(そうだ!この前してやられたばっかりだし、今度は私が仕掛けてやる!)
そう思い立つと私はすぐに自動販売機へと向かい、自分が飲む用とアステルリーチ用の冷たいジュースを一本ずつ購入して、驚かしに戻ったのだが…
「…」
「ごめんって…機嫌直してよ」
正直、ちょっと笑いすぎたと思う。いやだって、あのアステルがあんな驚き方したらツボに入るじゃん?ギャップというかなんというか…まぁ私のツボに刺さったわけなんだけど。
ムスッとしたままオレンジジュースを飲む姿に笑う余裕すらない。こいつは“する”のはいいが、“される”のは嫌らしい。ちょっとワガママだと思う。
でも、その不機嫌がさっきのイタズラだけが原因という訳では無さそうだ。例えるなら…
「そんなに私に負けたのが悔しかったのか?」
「ッ…」
図星だったのか、ぷいっとそっぽを向いてしまった。意外と負けず嫌いなんだな…あんな軽い態度してるのに。
自分の苦悩を見せない仮面を被っていても、中身は随分と負けず嫌いの頑固者のようだ。そういうところは私の知ってる“アイツら”に似ているな。
「……私はあんたに勝ちたかった。でもあのレースで負けた…潔く認めるよ。私じゃあんたには勝てない」
ようやく口を開いたかと思えば、アステルから出てきたのは諦めの言葉だった。あのレースで実力と技術の差を思い知ったからこそ出てきた言葉だというのはしっかりと伝わった。その上で言わせてもらおう…
「なに勝手に諦めてんの?何度でも挑んできたらいいじゃん」
「えっ…」
私の同世代達は1度も私からの勝利を諦めたことは無かったぞ?少なくとも、私と張り合うアイツは常に私の座を狙ってきてたからな。
レースを重ねる毎に強く、速くなっていくアイツらに1度も「諦めろ」とか「無駄」なんて言葉を送ったことは無い。だって、全員が私を超える可能性を秘めている“ライバル”だからだ。
「いいか?1度競い合ったらお前も私の“ライバル”だ。レースに歳も実力も関係ない…お前の全てで私に
これが私の送れるメッセージだ。負けを味わったことの無い私が言えたことではないが、大きな壁を越えた先にある“化け”というものを私は何度も経験した。
アステルにも可能な事だ。今、彼女に足りないのは経験値だけ。その条件さえクリアすれば、こいつは大きく化けるだろう。
当のアステルは呆れたように手を額に当てながらため息を1度吐くと、顔を横に向けて真っ直ぐ私を見つめた。
「ほんと無茶なこと言うよ。でも、そうだね…諦めるのはまだ早いかな」
スゥ…と少し大きく息を吸うと、ビシッとこっちに人差し指を向けて、私を指し示す。
「あんたに勝つ!それも“最高の舞台”で最高のコンディションでね!だから、それまであんたは誰にも負けるなよ!」
「ああ!全力で私を潰しに来い!」
夕日が暮れていくこの瞬間、私とアステルリーチは一つの約束をした。これが後に『伝説のレース』と呼ばれる勝負への第一歩であることは、今は誰も知らない。
『アステルリーチ』 性別:雄
生年月日:◻️◻️◻️◻️年 9月12日
没年:◻️◻️◻️◻️年 6月26日
勝ち鞍:『皐月賞』 『日本ダービー』 『天皇賞・秋』 『有馬記念』
芝:A ダート:F
適正距離:短距離『G』 マイル『F』 中距離『A』 長距離『A』
脚質:追い込み『G』 差し『G』 先行『A』 逃げ『B』
逸話:元は大人しい性格だったが、初めてGIIで敗北した後に一変。厩務員や騎手にちょっかいをかけたり、言うことを聞かなかったり等の気性の荒っぽさが見え始めた。
好き嫌いは父親譲りであまり無かった。
亡くなった原因はレース中の事故死、◻️◻️◻️◻️年の宝塚記念にて骨折による転倒で死亡。これには多くの競馬ファンも動揺を隠せずにいた。
2つ名:『孤高の彗星』
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投稿の間隔が長く開いてすみませんでした!理由は前書きに記載した通りです。少し執筆を休みたかったのと、テストが被ったのでそれを利用して休ませてもらいました。
次、最後に1話だけ挟んでから本編を動かしていこうと思っています。
内容的には少し短めになるかもしれませんが、そこはご了承ください。