ルドルフと別れてから数時間後、トレーナーの仕事を終えた俺はその疲れた足取りで寮に帰る。
「ただいまー」
「おかえりトレーナー君、今日は君にしてはかなり頑張ったのではないかね?」
「まあね、今日はよく眠れたから集中することが出来たよ」
俺を出迎えたのはソファに座りながら紅茶を飲むシンボリルドルフだった。彼女はこの部屋を自由に出入りできるようにしている。というのも合鍵を渡してるのは今のところシンボリルドルフだけだしな……目的は同衾と言ったところだろうか。すると急にルドルフが神妙な面持ちをしながら俺に伝える。
「そうだ、君宛に手紙が届いてたんだ」
「え?」
と言いルドルフはその手紙を渡すわけでもなく、その手紙の表面を目の前に突きつけてきたのである。
差出人は『国民年金基金』だった。問題はその差出人の少し右上にある『年金振込通知書』という単語に俺の宛名。つまり俺が年金を受け取っているということなのだ。
「……それを今すぐ返せ」
「おっと失礼した。これは返すとしよう、立ち話もなんだ、座りたまえ」
俺はルドルフの手からそれを受け取るとその封筒を開けることなく机の上に置き、その後何も言わずにルドルフの隣に座る。
「さて、答え合わせをしようか」
「……」
「君は、統合失調症を患っている。それが結論だ」
「へぇ、根拠は?」
「理由は4つ、まず1つ目はその通知書、トレーナー君の年齢は21歳、そこから察するに障害年金か遺族年金またはそれ以外だ、遺族年金はまず有り得ない、君の家族は既に調べあげ、訃報がないことは既に確認済み。そして特殊な一時金を受け取るとしてもどのみち障害年金を受け取っている証拠になる。次に前見た病院の予約票、一瞬見た時に病院名と担当医を記憶しておいたのを実際に問い合せたんだ、そしたらその医者は精神科医という事が判明した。3つ目に薬の種類だ、君は内服薬は現在眠剤しか持っていないが、君は前に採血と言い二の腕のパッチを見せてくれたことがあったね、それがまさか嘘だったとは、調べてみたら採血は基本的に肘の内側で君が行ったのは皮下注射か筋肉注射ということになる、そして次の診察日から察するに持続は3ヶ月間。『注射 精神病 3ヶ月』で検索したら一件だけ該当する薬剤があった、それがゼプリオンだ。ちょうど君が自白した薬剤の名称の一文字目とも一致している。そして最後にその薬の効能または効果の所に統合失調症と表示されている。これが決定的証拠だ。反論はあるかな?」
俺はルドルフに対して呆れたような顔をする。ここまで推理してくるなんて思いもしなかったからだ。
「正解だ」
俺はポケットから財布を取り出し中に入っている1冊の手帳をルドルフに指で弾いて渡した。
「障害者手帳……」
「まあ、色々あるけど大体こんな感じだな」
「君が精神障害者であることを黙っていた理由を聞かせてもらおうか」
「後ろめたかったから……じゃダメか?」
「駄目ではないが、もし私の方から聞かなかったらどうしてたのだ? 隠し通すつもりだったのか?」
「そのつもりだったよ、実際に今このような問答になってしまうからね」
ルドルフの問いかけに素直に応える俺を見て彼女は小さく笑う。しかしそれは決して馬鹿にした笑いではなくむしろ尊敬のような眼差しをしていたように思う。実際俺は彼女の推理通り精神疾患を患ったまま生きている。俺自身なぜこのような病になったのか分かっているが今は割愛させて頂く。
「では私はこの事を隠し続けなければならないのか……残念だよ」
「世の中には差別が蔓延っている、特に日本はね。だから俺の方から言うことはしなかったんだよ」
「それは私との関係の悪化を恐れてのことかい?」
「そうだ」
そう答えると、今度はルドルフの方が大きく溜息をついた。そしてそのままソファに横になって天井を見つめ始める。そして数秒経った後に俺の顔をジーッと見つめながら口を開く。
「トレーナー君、私が君に抱いている感情を知っているだろう」
「ああ、最悪の場合逆に打ち明けて関係を壊そうとも思っていたほどさ」
「最悪というのはどういう状況を想定していたんだい?」
「急に結婚しようと言ってきたり、俺を襲おうとしてきたりとかさ」
「要するにそれに失敗した場合は素直に私のモノになってくれるという事だね?」
「ダメだ……ルドルフの発想力に全く勝てる気がしない……」
するとルドルフは俺を押し倒して上から馬乗りになると、右手を俺の胸元に当て左手首を掴んでくる。その表情からは普段見ることができない余裕の無さが見て取れた。俺はそれをただジッと眺めるしかなかった。
「トレーナー君、改めて告白させてくれ。ずっと前から好きだった。君の優しさに、君の包容力に惹かれていったんだ」
ルドルフの顔を見ると真っ赤になっていた。いつもの威厳やカリスマ性のカケラも感じることはできない。だがその顔は紛れもなく俺が好きになり恋をしたシンボリルドルフの姿そのものでもあった。
「俺も、君が好きだ。だからこそ俺に縛られた人生を送らせてしまうんじゃないかって怖くなった、だから俺は逃げようと思った、それなのにルドルフはそれさえも許してくれなかった」
「君は私に夢を見せてくれる存在だ、それに何よりも君が居なければ今こうして生きていけるはずがないじゃないか、君は自分がどれだけの価値を持っているのか理解していないようだな」
ルドルフは頬を紅潮させながら俺の耳元まで口を近づけて呟いた。
「逃さない、絶対逃しはしない」
ルドルフの瞳には一点の曇りもなかった。そこにはもう恐怖しか感じられなかった、ルドルフはウマ娘であり人間より遥かに強い、そんな相手に本気で追いかけられれば捕まる事は目に見えている。つまり詰みの状態だ。そして俺はルドルフの手を振り払うとルドルフの目を真っ直ぐに見据えて答えた。
「いーや、絶対に逃げ切ってやる!」
と。するとその答えを聞くと同時に満面の笑みを浮かべるとルドルフは立ち上がり俺から離れていく。そして窓際に移動すると外を見ながらこう言ったのだ。
「ならまずはその根性を叩きなおしてあげないといけないな、覚悟は良いかトレーナー君?」
「良くないです!」
「あっ!」
俺は速行で寝室に逃げ込み、ドアノブを全力で動かないように手で固定する、俺の方を向いていないかつ反射神経は人間とほぼ変わらないルドルフは不意をつかれてしまったせいで上手く開けられずにイラついている。
下手にドアノブを壊してしまうという前科をつけたくないルドルフの心理を逆手に取った俺の勝利である。
『クソ!何故だ!? 何故こんなにも思い通りにいかない!! 私は一体何を間違えたというのだ!!』
「人選かな?あと女の子がクソって言っちゃいけないよ!?」
さらにドアノブに対してだけは全体重以上の力をかけることが出来ないことを考慮しこちらは臨機応変に力を加えている。
さて……詰んだ。
ドアノブを回されないように全力を割り振っているせいでスマホを使って警察を呼ぶ手も使えない。
俺の部屋の家具の配置は完全に覚えられているし、ルドルフにかかれば俺がどこに隠れようと一瞬で見つかってしまうだろう。これは本格的にヤバい、俺は人生最大の窮地に陥っていた。どうすればこの状況を切り抜けられるだろうか。
『もしもし警察ですか?今私シンボリルドルフのトレーナーがドアの奥で発狂して……』
「開きました、ですのでどうか早まらないでください!!」
そして俺の必死の努力の結果があっさりと突破されてしまったのである。
「さあ、楽しい尋問タイムの始まりだ。言いたいことがあるならば何でも言ってくれたまえ」
ルドルフは笑顔のまま、まるで死刑宣告を告げるかのような言葉を口にした。その瞬間俺は死を悟った。
「警察や病院に薬物を投与され軟禁され監禁され拘束されるくらいなら死んだ方がマシです」
「私はトレーナー君が死ぬくらいなら薬物を投与して監禁して拘束して生き長らえさせた方が私にとっては得になると思うのだがね?」
「当たり前のことを淡々と言うのやめよ?本当に怖いから、ルドルフがそういう事言う時大抵の場合俺に非があるの知ってるんだからね?」
「別に今実行しようという訳では無いんだ、せめてそれを帳消しにするくらいの色をつけて貰わないとね」
「じゃ、じゃあもし俺が死んだらどうするつもりだったんだ?」
俺の問いに少しだけ考えた後にルドルフは答える。そしてそれが俺にとって衝撃的であったことをこの先も決して忘れることは無いだろう。
「ネクロフィリアも少しはいい体験にでもなるとは思っているよ」
「さてはお前俺を火葬する気ないな?というよりその前にルドルフに食われる未来しか見えないんだけど!?」
「ふっ、あはははは!!やっぱり君は面白いね。安心してくれ私がちゃんと責任を持って飼うよ、勿論一生かけて幸せにしてみせるさ。君を私の伴侶として迎えてみせるとも、君には私以外に相手はいないからな、それに君だって私の事を愛しているだろう?」
確かに俺はルドルフを愛している。だからといって俺の気持ちとルドルフの気持ちが同じかと言えば必ずしもそうではない。だからここで否定するべきだ。
「俺は君が好きだが、それは恋愛感情とは違うものだと思うんだ。俺が君に抱いている感情は尊敬に近い物だ」
「へぇ、なら尚更好都合だ。君はこれから私の事だけを好きになってくれればいい、私無しでは生きていけなくなるほどに、君はもう既に私から離れられない身体になっているということだよ」
「そ、そんなはずはない!現に今もこうして平静を保てているし、君のことは嫌いになったわけでもない!」
「ああ、その点に関しては問題無いよ、君は今正常だからな、ただ単に私の愛情を受け入れられなかったり恐怖心を抱いてしまっただけの話だ。しかし大丈夫だ、すぐに慣れる。私達はお互いが居なければ生きていけないのは事実なんだ、それを認めれば後は楽だ」
そしてルドルフは一歩また一歩と俺に近づいてくる。俺はもう後が無い、逃げることも出来ずルドルフの言葉を聞いているしかないのだ。
「ま、待ってくれ、俺はまだ……!!」
俺の言葉を遮るようにしてルドルフは口づけをする。そして俺が逃げないように両腕を抑え、そのままベッドに押し倒されてしまう。そして舌まで絡めてきた。普段のルドルフならこんな強引な事はしないはずだ、だからこそ俺は恐怖を感じたのだ。
「怖がらないでくれトレーナー君、今のは挨拶のようなものだ、何も君を傷つけたりなんてしないよ。君にキスしたいと思っただけだ、それ以上は何もしない」
ルドルフは優しい笑みを浮かべたまま、ゆっくりと唇を離すと今度は俺を抱きしめながら耳元で囁くようにこう言った。
「トレーナー君は可愛いよ。他の男なら間違いなく君の魅力に気づくことも無く無碍にしているだろう。だけどそんな君の良さに気づいて私は君を手放すことなんてできないんだよ。さあ私と一緒に寝ようじゃないか、今夜はとても冷えそうだ」
「うん、じゃあ俺も眠剤飲んで寝るから先に寝ててよ」
「ああ、わかったよ。お休みトレーナー君」
俺はルドルフが寝室から出ていくとスマホの画面を確認する。そこにはしっかりと110の文字が表示されていたのだった。
『つい先程あなたがシンボリルドルフさんに通報されたのですが大丈夫ですか?』
「あー、うん。大丈夫じゃないけど多分解決したと思うよ」
『良かったですね』
「ありがとう。あっ、それとさっきの通話で何か言ってなかった?なんか色々聞こえたような気がしたんだけど」
『特に何も言っていませんでしたよ』
俺はスマホを切ると同時に大きなため息をつく。まさかあんな展開になるなんて思ってもいなかった。いや、正直予想出来たのであれば俺も覚悟が出来ていたことだろう。
俺はルドルフに好意を抱いている。だがそれはきっと彼女と同じ気持ちではない。だからといって彼女が怖いかと言われれば答えはノーだ。彼女は俺に対してそういった行為を無理強いしたりは絶対にしないだろう。だからルドルフが俺に求める事というのはあくまで彼女の欲求を満たすだけなのだ。
だから別にそこまで悩む必要も無いのかもしれない。だがやはりどこか引っかかっているものがあるのだ。何故ルドルフは俺に対してだけあのようになってしまっているのか。その理由は分からないが、もしその謎を解くことが出来れば、あるいは俺とルドルフの関係は改善できるのではないか? しかし、今俺に出来る事は無い。ならばとりあえず明日に備えて今日は早く眠ることにしよう。俺は電気を消すとルドルフと一緒に眠りについたのであった。