『呪詛師殺し』に手を出すな   作:Midoriさん

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雨の中で拾ったのは、かつての相棒だった。


第壱話

「ん?」

 

雨がよく降る日だった。

仕事を終えた帰り、ふと何者かの気配を感じて脇の路地を覗きこむ。

そこには人間とおぼしき黒い塊が倒れていた。

 

「何でこんなところで……」

 

何となく気になり近付いていく。

黒い髪に黒いシャツ。ズボンまで黒だ。

体格からするに男。

そこまでなら酔っぱらいが寝ているのかと思ったが、男との距離が縮まるにつれて鉄臭さが鼻をついた。

すっかり嗅ぎ慣れてしまった血の臭い。

しゃがみこんでよく見ればシャツの前面──肩から脇腹にかけてざっくりと鋭い刃物で斬られた傷が見えた。

このあたりの治安は悪くないはずなのだが。

とりあえず救急車と警察でも呼ぶか──そう思い、肩にかけてある鞄から携帯を取り出したところで手が止まった。

その理由は男の顔──正確にはその口元だ。

口の右側に刻まれた一筋の傷。

体の傷とは違う、もっと古い傷。

その傷を持つ人物を私は一人知っている。

 

「え……嘘でしょ」

 

まさかと思い、顔に張り付いた前髪を避けてやる。

そして、その顔が露になった瞬間、驚きと懐かしさで思わず身体が強張った。

そこにあったのはよく知った顔だったから。

 

「甚爾……」

 

忘れかけていた記憶が、ふと頭をよぎる。

彼と最後に会ったのはいつだったか。

久しぶりに一人で朝を迎えたあの日の前夜か。

そこまで思い出して小さくため息が零れた。

今更そんなものを思い出すことになるとは考えもしていなかった。

 

「最悪……」

 

赤の他人なら救急車と警察を呼んでオサラバだったのに。

さて、どうしたものか。

 

──そもそも何でこんなところに……。

 

考えに耽りそうになるのを頭を振って一旦やめる。

雨に流されているが相当出血しているようだ。

長く悩んでいる時間はないらしい。

苛立ち混じりに雨で湿気た髪をガシガシと掻く。

 

「あー……ホントにこの男は」

 

何の因果の巡り合わせだ。

よりにもよって自分の家の近くで倒れているとは。

偶然たどり着いたのか、それともわかっていてここまで逃げてきたのか。

昔からそうだった。

ふらっと現れては、またふらっと消える。

それが彼だ。

色々思うところはあるが仕方ない。

邪魔な傘を閉じて腕に掛け、何とか肩を貸して半ば引きずるようにして家のほうへ歩き出す。

 

「面倒なことになったなぁ……」

 

◆ ◆ ◆

 

ベッドの脇に腰を降ろしてコーヒーの入ったマグカップを傾ける。

後ろに顔を向ければ、さっきよりは幾分落ち着いた顔で眠る男。

止血はしたし、彼の回復力なら大丈夫だろう。

派手に出血はしていたが、内臓まで傷ついていなかったのは幸いだった。

 

「何で戻ってきたんだか……」

 

マグカップを一旦机に置いて、男の顔を覗きこむ。

昔に比べて少し痩せたか。

禪院甚爾──裏での通り名は『術師殺し』。

主に暗殺の報酬や賞金で荒稼ぎしている裏では名の知れた殺し屋だ。

呪力を完全に持たないという天与呪縛──ある種の特異体質により、呪術師に感知されず暗殺を行うことができ、対呪術師としては他の殺し屋より飛び抜けた成果をあげている。

また呪力がないという制限の対価に、人間離れした身体能力や五感を持っている。

バカみたいな脚力で目視できないスピードで縦横無尽に駆け回るし、警察犬顔負けの嗅覚でターゲットを追跡したりする。

いつだったか、目的地までのショートカットと言って水面を走って向こう岸まで渡っていたときはさすがに顔がひきつった。

 

──あのころは色々やってたなぁ。

 

顔を見ているだけで昔の思い出がぽつりぽつりと蘇ってくる。

『術師殺し』と呼ばれる彼と『呪詛師殺し』と呼ばれる私──二人で『最凶』と呼ばれていたころが懐かしい。

大抵は別々だったが、ごく稀に組んで仕事をすることもあった。

 

──『稀に』が『たまに』になって『たまに』が『ときどき』になって。家で作戦会議をするようになって。気付けば入り浸るようになってたな。

 

全く情がなかったわけではないが、少なくとも恋だの愛だのいうようなキレイな関係ではなかった。

彼に仕事を手伝わせることと日々の護衛を条件に、私は食事と寝床を用意してやる──そんな利害の一致で成り立っていたに過ぎない。

 

──それにしても何の前触れもなくいなくなったよねぇ。

 

ある朝起きれば、既に彼の姿も、置いてあった荷物もなくなっていた。

仕事道具からシャツの一枚に至るまで彼の物は全てなくなっていて、一人で過ごしていたときと同じガランとした部屋に戻っていた。

 

──そう言えば別に追いかけたりしなかったっけ。

 

ああ、出ていったんだ──その程度のものだった。

薄々思っていたのだ。

彼に首輪は似合わない。

ちょっと懐いたからと飼い猫になれるような男ではないと。

そう思い、探すことも追うこともなかったのだが。

なぜ今更戻ってきたのか。

こればかりは本人が起きてから尋ねるしかないだろう。

 

「恵……」

 

「ん?」

 

眠ったまま、不意に甚爾が『恵』と口にした。

恵──女の名前か。

それを聞いて、ああ、とまた一つ思い出した。

コイツは根っからのヒモ男だったと。

街をぶらついたり、適当に入った居酒屋だったり、とにかく色々なところで顔の良さと話のうまさで女を引っかけては、その女の家に数日から数ヶ月転がり込む。

そして金なり服なり貢がせるだけ貢がせて、関係が面倒になればまた別の女のところへ。

どうやら今は恵という女のところへ転がり込んでいるらしい。

 

──私とは最初から出会いかたが違ったからなぁ……。

 

ヒモだったことを思い出したついでに、彼と最初に出会ったころのことがふと頭に浮かんだ。

他の女達と同じように、引っかけた引っかけられたくらいの平和な出会いならまだよかったのだが、生憎、私達の場合は──

 

「ん……」

 

「あ、起きた」

 

眠っていた彼が目を覚ましたことで記憶が中断される。

 

「君、相変わらずしぶといね」

 

「あ……? ああ、オマエか……久しぶりだな」

 

「あ、私のこと覚えてたんだ。とっくの昔に有象無象の女達の中に埋もれてたと思ってたよ」

 

「何でオマエが……」

 

「家の近くで倒れてたから拾ったの。止血だけはしておいてあげたよ」

 

「倒れてた……?」

 

まだ自分の状況が理解できていないのか、甚爾はぼんやりした表情のまま。

傷を負って相当朦朧とした状態で何とかあの路地まで逃げてきたのだろう。

少々記憶が飛んでいる部分があるらしい。

 

「多分、仕事でトチったんでしょ。珍しいことに。しばらく裏で噂も聞かなかったし、行方眩ませてから何やってたのか気になるところではあるけどさ」

 

言いながら机の上のマグカップに手を伸ばしかけて、ふと先ほどの言葉を思い出した。

 

「ああ、そうだ。寝てるときに『恵』って言ってたけど。今の彼女?」

 

その途端、甚爾の目が、ハッ、と見開かれた。

傷にも構わず起き上がると、そのままベッドから出てどこかへ行こうとするので、慌てて彼の肩を押さえて止める。

 

「ちょっ……いきなり動いたら傷が開く──」

 

「どれくらい寝てた」

 

「え? えーと……一時間くらいだね」

 

腕時計を見せると安心したように甚爾の身体から力が抜けた。

どういうことだ。

恵という名前を聞いた直後にこの動揺。

そしてなぜか気にしたのが時間。

気になることは多いが、とりあえず甚爾をベッドに座らせる。

超人的な回復力をもつ甚爾と言えど、まだ傷を負ってそれほど時間も経っていない。

下手に動けば傷が開いてしまう。

 

「そんなにその恵さんが心配?」

 

「いや、恵は……──っ!」

 

いきなり動いたことでやはり痛んだのか、甚爾は俯いて黙りこむと、包帯の上から傷に手を当ててしばらくそのまま動かなかった。

痛みもあるのだろうが、甚爾は目を瞑って何か考えている様子だった。

秒針が三周回ったところで、少し落ち着いたのか甚爾は静かに息を吐く。

 

「……女じゃねぇんだよ。俺のガキ」

 

「君、子供なんて作ってたの?」

 

「悪いかよ……色々あったんだよ」

 

俯いたまま甚爾は顔を上げようとしない。

 

「一応聞くけど奥さんは?」

 

「アイツは……」

 

「あー……そういうことね。大体察した。とりあえず今住んでるところの住所教えて。私がその子回収してくるから」

 

言い淀んだ彼の態度で何となくわかってしまった。

長年の付き合いがあるというのはこういうときに便利だ。

住所の書かれたメモを受け取り、ついでに甚爾が連絡用に持っていた携帯の番号を登録しておく。

 

「悪い」

 

「いいよ」

 

乾かしてあったジャケットを手早く羽織り、家を出る。

雨はもう止んでいて、夜の闇が辺りに広がっていた。

 

「日向の側は私達には眩しすぎるんだよね」

 

闇に紛れて動くくらいがちょうどいい。

さっきの甚爾の表情。

あの顔を私はよく知っている。

大切なものをなくした人間の顔だ。

私の元を離れてから彼にどんな心境の変化があったのかは知らないが、どうやら彼は真っ当に生きようとしたらしい。

裏の闇ではなく日向の側で生きようと。

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そして私と同じように現実を思い知った。

ああ、自分は裏の世界の人間なのだ、と。

一度裏に浸ってしまえば、それはそう簡単には拭えない。

裏で過ごしていた過去が断ち切れない鎖のように己を縛り、もがいたところで引き戻そうとしてくる。

昔から何かと気が合ったが、そんなところまで似なくてもよかっただろうに。

小さくため息が零れる。

何はともあれ、とりあえずは彼の子供を迎えに行くとしよう。

万が一、何かあれば寝覚めが悪い。

メモを見ながら私は闇の中へ歩を進めた。

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