「はい。ちょっと待った」
村人達が術式の効果で残らず倒れたのを確認すると、するりと後ろから近付き、夏油の前に出る。
別に術式で気配を偽装していたわけでもないのにこの至近距離まで気付かれないとは。
「君が今やるべきことはそれじゃないでしょ」
「何でここに……」
夏油は驚いた顔でこちらを見つめている。
前に見たときより少し痩せたか。
顔色も悪い。
目の下にはクマが。
何よりドロリと黒く濁ったようなその目は私がずっと見てきたものだ。
──後一歩で
「後で説明するよ。今は子供を助けるのが先」
建物の中に戻ると二人の子供は変わらず互いを抱きしめ合うようにしてそこにいた。
チラリと夏油に視線をやる。
「……少し後ろに離れてくれるかい?」
二人が離れたのを確認すると夏油が出した呪霊が牢の格子を食いちぎった。
「おいで」
「「でも……」」
「君達以外は気を失ってるから大丈夫。でも長く悩んでる時間はないよ」
深い催眠をかける時間はなかったため、直に村人達も目を覚ますだろう。
囲まれたところで倒せばいい話だが、子供達をこれ以上怯えさせるのはよろしくない。
二人は一瞬顔を見合わせるも、同時に頷いて牢から出てきた。
「行くよ」
四人で鳥の呪霊の背に乗って村を出る。
こんなところに長居は無用だ。
しばらく飛んで山をいくつか越えたところで先に口を開いたのは夏油だった。
「ここなら逃げ場はない。色々と聞かせてもらおうか」
「そう怖い顔しないでよ。ここでやり合っても得なことなんてないんだから」
睨んでくる夏油に敵意はないというように両手を挙げて、ひらひらと振ってみせる。
しかしまあ、夏油が警戒するのも仕方ないことだろう。
私は彼らの『最強』の誇りに土をつけたのだから。
万が一、呪霊の上で再戦なんてことになると面倒なので素直に事情を説明する。
「私の目的はあの村にいた呪霊でも、そこの二人でもない。君なんだよ。私はここ一ヶ月ずっと君を監視してた」
「監視?」
「星漿体の件から薄々感じてたけど、君、精神的に相当やられてたみたいだったからさ。遠からず呪詛師に堕ちるヤツの目だったし」
私が止めなければ夏油は村人達を殺していただろう。
呪術規定に違反しようと構わずに。
「『弱者生存』──それが私の信念だ。信念だった」
そして夏油は語った。
弱者ゆえの尊さ。
弱者ゆえの醜さ。
それを許容できなくなっていると。
守るべきものだと思っていたのに。
そんな彼らを殺してしまっても構わないと考えた。
「数が少ないというだけで強者が弱者に埋もれ虐げられる──それが私は我慢ならなかった」
本当に
そう考えた末の行動があれだった。
「彼らは呪霊も見えず呪術も知らない。守られていることすら気付いていない。そんなヤツらのために術師が身を呈し……傷付いて……屍の山になっている。私達は、そんなことのために存在しているわけじゃない」
術師は常に死と隣り合わせ。
つい数時間前まで話していた友人が死体になって帰ってくるなんてこともある。
そうまでして呪霊を祓っても非術師は何も知らない。
呪術規定の中に一般人に呪いのことを公表しないことも含まれているからだ。
公表してしまえば間違いなく日本はパニックになる。
ゆえに仕方のないことだと言ってしまえばそれまでだし、その扱いを受け入れた上でなければ術師としてはやっていけない。
夏油は元来真面目な性格なのだろう。
術師としてある程度イカレていても、頭のどこかでそれを否定していたはずだ。
その自己矛盾に苦しんでいた。
──なら、術師なんてやめてしまえばよかったのに。いや、『術師をやめる』ということを考えられる環境でもなかったのか。
呪霊を祓い、取り込む。
それの繰り返し。
夏油の実力なら並の呪霊など一瞬で祓える。
ロクに寝てもいない思考が鈍った状態で、ひたすら単純作業の繰り返しをしていれば更に思考は鈍っていく。
逃げるなんてことを考えもしなくなる。
「夏油君さぁ……マインドコントロールって聞いたことある?」
『最強』というプライド。
『弱者生存』という信念。
『術師』としての正義感。
夏油は
一度悪い方向に傾倒してしまえば自分から破滅へ一直線というわけだ。
「ここ最近の君の任務。どれもかなり精神的にキツいものばかりだね」
肩にかけていた鞄から書類の束を取り出して夏油に渡す。
情報屋に調べてもらった夏油が受けた任務だ。
特級になってから任務の数は激増している。
それも中々に残酷な内容の任務ばかり。
壊れるのは時間の問題だった。
「精神的に弱っている。『最強』という絶対的な自信。高専という限られたコミュニティ。疲労と睡眠不足による判断力の低下。条件はこれ以上ないほどに揃ってる」
「それで私が
「確かに選んだのは君だよ。でも君は少しばかり殺すか殺さないかに拘りすぎだ。もしかしてそこに意味を見出だそうとなんてしてないだろうね?」
ぎょっ、と夏油が目を見開いた。
図星か。
さっきから世界云々語っているが、それは話の規模を大きくして個人を薄めるためだ。
夏油という個人で見れば大虐殺の犯罪者でも、徒党を組んで揃って世界の変革を謳えば正当性があるように見えてしまう。
──まさか一人で世界を変えようとは思っていないだろうしね。
『最強』を名乗るだけあって夏油には確かな実力がある。
彼が先導するなら乗りたがるヤツは多いだろう。
特に裏の連中は。
そうなれば調子に乗ったバカどもがそれに乗じて色々と面倒を起こすに決まっている。
夏油を監視しておいたのは正解だった。
「『最強』って肩書きに酔いすぎ。今の自分がどういう状態か全然見えてないでしょ」
どれだけ意味や意義を語っても今の夏油は正常には程遠い。
術師か非術師か。
今の夏油にはそれしか見えていない。
下手をすれば非術師だからと親も殺しかねないだろう。
「異常に気付けないって厄介だよね。壊れてる自覚がないから暗示を解くのも面倒だし」
「仮に……私がマインドコントロールされていたとしてそれに何の意味が──」
「はぁ……そんな簡単なことまでわからなくなってるとはね。
坊っちゃんへの
それには一番近くにいる夏油がちょうどよかった。
「まずは星漿体の情報漏洩。最高機密であるはずの星漿体の情報があっさり漏洩するなんて管理が杜撰にも程がある。意図的に上層部が情報を流したんだろうね。そして、わざと呪詛師に襲わせて君達がしくじるのを期待した。
あの後輩君二人が明らかに手に余る任務受けてたのもそうかな。あれは偶然あそこにいただけなんだけど」
術師は数が少ない。
手に余る任務を負うことも多々ある。
そう言われていれば誰もその不自然さを疑わない。
疑われたところで補助監督の伝達ミスか、到着までに変態した可能性があると言って押し通してしまえばいい。
もし星漿体が死んでいたら?
もし後輩達が死んでいたら?
もし
五条はそれでも平然としていられるだろうか。
何でもいいのだ。
五条が苦しむことになるのなら。
術師が何人死のうが、いくらでも代わりはいるのだから。
「特級である君が離反すれば処刑には同じく特級の坊っちゃんが駆り出される。君を殺すことをためらって坊っちゃんが返り討ちで死ぬならそれでよし。命令通り君を処刑しても多分彼はずっと苦しむだろうからそれでもよしってことでしょ」
「そんな……バカな……」
「君はさっき『弱者ゆえの尊さ。弱者ゆえの醜さ。それを許容できなくなっている』って言ってたけどね。強者だって尊さと醜さを持ってるよ。むしろ力があるだけに
「うっ……」
夏油が口を押さえて呪霊から身を乗り出した。
「自覚したせいで溜め込んでた諸々が爆発したかな。君は身体も精神もボロボロだよ。ご飯もちゃんと食べてない、寝てない、それなのに任務にはひっきりなしに駆り出される。それで平然と過ごせるほうがおかしいんだよ」
ここ数日、ほとんど何も食べていなかったのだろう。
胃液ばかり吐き出す夏油の背を擦ってやる。
高専の体制は正直なところ、そこらのブラック企業よりも劣悪だ。
しかし、自分が『見える側』だという特別感。
周りが自分と同類であるという安心感。
そして山奥に隔離されていることで、他と比べて『おかしい』という感覚は失われていく。
それが術師というものだと思い込んでしまう。
抜け出しにくい環境が出来上がってしまっているのだ。
「それに術式の代償もあるかもね」
「代償……?」
「んー……
「何で……それを……」
夏油は驚きを露にするが何てことはない。
いつだったか武器庫呪霊を飲み込んだ甚爾がポツリと洩らしたことがあっただけだ。
そうでなければ私も呪霊の味なんて気にしたこともなかった。
呪霊操術は取り込むために一度呪霊を飲み込まなければならない。
何百か何千か。
取り込んだ数だけ夏油はその苦痛を味わってきた。
「呪霊を体内で飼ってるのが知り合いにいるんだよ。本人は慣れだって言ってたけど、かなりマズいらしいじゃない。呪霊や呪物なんて基本的に人間には猛毒だし。実際のところどんな感じなの?」
「吐瀉物を処理した雑巾のような味……とでも言えばいいのか」
「うっげ……」
思わず顔を顰めてしまう。
よく今まで耐えられたものだ。
「坊っちゃんに相談とかしなかったの?」
「呪霊の味なんて誰も知らない。そもそも最近の悟はアナタとの再戦に躍起になって二人で話すことさえほとんどなかった」
「嘘でしょ……」
何をやっているのだあの坊っちゃんは。
私との再戦なんて二の次──いや、忘れてくれていいのに。
一度負けた相手を探している間に友人が大虐殺を起こした呪詛師になって離反しました、なんて笑い話にもならない。
「はぁ……まあ、君達のプライドをズタズタにしたのは私だし、お詫びも含めてそのあたりはどうにかしてあげよう」
「どうにかって……」
「君にはまだ家族も仲間もいる。こっち側には来ちゃダメだよ。何より私の仕事を増やさないでほしい」
いや、彼が呪詛師に堕ちれば面倒だ──なんて言ってはいるが、私は結局のところ彼を放っておけなかっただけだ。
これで何度目か知らないが、いつも通りのお節介。
かつての私のように誰にも手を差し伸べてもらえず彼が裏に沈んでいくのを見たくなかった。
「とりあえず手始めに人間関係の修復から始めようかな。君はまず周りの人間を頼ることを覚えたほうがいい」
──携帯貸して? と私は夏油に手を差し出した。