「やっほー。久しぶりだね。坊っちゃん」
「は……?」
ひらひらと手を振る私を見て五条は固まっていた。
星漿体の件からそんなに時間は経っていないというのに、まさかとは思うが忘れられてしまったのだろうか。
「あれ? 会ったの覚えてるよね?」
「だから「は?」つったんだ。おい、傑。どういうことだ、説明しろ。オレと硝子はオマエに呼ばれてここに来たんだけど?」
「任務先で色々あってね。悟を呼んでくれって言われたんだよ。硝子はさっきの子ども達の治療に呼んだんだ」
時刻はちょうど零時。
私達は高専から離れた森の中にいた。
高専を話し合いの場にしてもよかったが、万が一、五条が暴れだす可能性を考えてのことだ。
だから五条にはこうして出向いてもらったわけなのだが、どうにも本人は相当機嫌が悪いらしい。
──相当探し回ってたらしいからねぇ……。
『最強』を自称しておいて、あそこまで一方的にやられたのだ。
五条のプライドはズタボロだろう。
「悪いけど再戦は受け付けてないよ。少し話をしにきただけだし」
「……何企んでんの?」
「んー? ちょっとしたリスクヘッジかな。君達みたいな特級が呪詛師になられると面倒だから」
「はあ? 誰が呪詛師になるって? 意味わかんねーよ」
やはり気付いていなかったか。
本来は身近にいる五条が気付くべきだったのだが。
「そういうだろうと思ったからさ、それを教えてあげるために来たんだよ。そうだね……まずは私の話から始めようか」
座りなよ、と言って私も近くの岩に腰を下ろす。
五条は警戒しているのか、すぐには座ろうとしなかったが夏油が座ったのを見て渋々といった様子で適当な岩に腰を下ろした。
「私が呪詛師を狩ってるのは別に金が目当てじゃないんだよ。わかりやすく言えば安全のため。自分を狙ってくる勢力を潰したいから」
「高専も含めてか?」
「敵対するならね。裏の人間はほとんど金とか利権目当てでしか動かないから私みたいなのは珍しいんだけど。
とりあえずそこを知ってもらった上で、さっきのリスクヘッジの話をしようか。
坊っちゃんさ、隣の彼を見て何か気付くことはないかな」
「気付くこと? あー……ちょっと痩せた気がするけど」
「この子、任務先の非術師達を殺しかけたんだよ。持ってる側の子供達を虐待してたのにキレてね」
ハッと五条の表情が明らかに変わる。
呪術規定違反──それも特級術師が。
術師なら当然その重みはわかっているだろう。
村人が呪術的な儀式などを行っていた場合でもなければ間違いなく処分の対象だ。
確認するように五条は夏油のほうに顔を向けた。
嘘だろ──そんな五条の淡い期待を「事実だ」と夏油の一言が粉砕する。
「色々積もり積もったものが爆発してね。あんな猿どものために私達は身を粉にして呪霊を祓っているのかと思うとバカらしくなった」
「────っ!」
五条が夏油に掴みかかる。
「なぁ、悟。本当に彼らはこの世界に必要だと思うかい? 呪術を知らず、守られていることも知らず、それどころか術師を迫害するような連中を生かしておく価値があると思うかい?」
「だから殺すってか!? そんなことして何の意味があるってんだよ!」
「少なくとも、あの子供達のような被害者はなくせるさ。見ただろ、二人の虐待された痕」
「っ……! それでもオマエが呪詛師になっていい理由には──」
「落ち着きなよ、坊っちゃん。殺し
「未遂……? それじゃまだコイツは……」
「呪詛師にはなってないよ」
後一歩のところだったが。
それに安心したのか、五条は一旦夏油から手を離した。
「彼みたいなタイプが呪詛師になって派手に動くと、それに乗じてロクでもないことしようとするバカが絶対に現れる。そんな面倒は避けたいから、こうして世話を焼かせてもらったわけ。ちなみにこうなった経緯なんだけど──」
私は夏油がここまで壊れることになった原因を全て話した。
星漿体の件。
上層部の企み。
そして、村での出来事も。
それを黙って聞いていた五条だが、話が終わった途端に全身から荒れ狂うように呪力が溢れ出した。
その余波で地面に大きくひび割れが走る。
「あのクソジジイども……」
「私が猿どもを殺そうとしたのは事実だよ。でも冷静になって考えてみれば、あの子供達を助けるなら村から高専に連れてくるだけでよかったんだ。なぜ私があんな猿どもや上の老害達のために手を汚さなければならないんだ」
「それに気付ける程度には落ち着いたみたいだね」
術師と非術師ということに彼はこだわり過ぎていた。
傍から見れば明らかに異常なほどに。
マインドコントロールは自分では解きにくい。
だから外部の人間が違和感に気付かせなければならないのだが。
「私なんかに構ってないで友達は大事にしなよ、坊っちゃん。この界隈で対等の友人なんて貴重なんだから」
腰かけていた岩から立ち上がる。
もう夏油は大丈夫だろう。
私の役割は済んだ。
しかし、去ろうとした私の前に五条が立ち塞がる。
「待てよ。このまま逃がすと思ってんのか?」
「せっかく若人の青春を邪魔しないように静かに去ろうとしてるのに……」
「テメェには色々と聞きたいことがあるんだよ。オレの術式を破ったカラクリとかな」
「もう私の用は済んだからね。これ以上のサービスはできないかな。「お願いします」って頭下げるなら教えてあげないこともないよ」
「ハッ……ボコって吐かせてもいいんだぜ?」
「短気だねぇ」
五条がギラギラとした笑みを浮かべ拳を握る。
だが、ここに来てどれほど時間が経ったと思っているのか。
既に術式の発動条件は満たされている。
「ぐっ……!?」
「重っ……!?」
私が術式を使うと同時に、ガクン、と二人が揃って膝を着く。
まるで上から何かに押さえつけられているように。
五条は咄嗟に術式を使い、夏油も呪力で脚力を強化したようだが関係ない。
二人が感じている重さは脳が錯覚した架空の重さなのだから。
やがて二人は地面に両手を着き頭を垂れた。
いわゆる土下座の姿勢である。
「結局頭を下げることになったわけだけど「お願いします」が聞こえないなー」
「テメェ……!」
しゃがみこんで五条の頭をツンツンと小突いてやる。
御三家という立場で、しかも『最強』を名乗るほどの五条にとって他人に頭を下げるなんてことは、これまでの人生でまずなかったことだろう。
五条の傲慢さは御三家の人間としては必要なものだ。
そうでなければ禪院家や加茂家の曲者達と渡り合えない。
だが、今回は別だ。
驕りが過ぎた。
私なんかにかまけていたせいで夏油の異変に気付かなかった。
この醜態はその罰だと思ってもらおう。
「坊っちゃんが動けないから好き勝手言わせてもらうけどさ。今回はたまたま運がよかったに過ぎないよ。紙一重の差で彼はこっちに堕ちてた。ご自慢の目はどうしたのかな。彼もそうだけど、君も何も見えてなかった。さっきあんなふうに激昂するくらい彼のことを思っていたなら、普段からちゃんと見ていれば彼の異変には気付けたんじゃないのかな」
「ぐっ……」
「目に映る人を全員助けろとは言わないよ。そんなことは誰にもできないから。でもさ、間近にいる友人の一人くらいはちゃんと見てあげなよ。ただでさえ君みたいな規格外は他人との価値観の相違で孤立する。死ぬときは独りだとしても、せめてその道中くらいは大勢のほうがいいでしょ」
術師は常に死と隣り合わせの仕事。
しかし、夏油も言っていたように、守っている非術師達は何も知らない。
知られることなく呪霊を祓い、知られることなく死んでいく。
なら、せめて自分のことを覚えていてくれるような友人の一人でもいなければやってられないだろう。
「
「……ああ、そうだ。
「悟……」
「──夏油ー、さっきの子供達だけど……何これ?」
そこで不意に夏油が呼んだもう一人が顔を出した。
硝子──と呼ばれていたような気がする。
茶髪のショートカットに右目の下には泣きぼくろ。
体格や動きからして戦闘向きではない。
治療に呼んだと言っていたから反転術式か回復系の術式でも持っているのだろう。
素早く少女を観察しながら、私はふと気になったことがあった。
──消毒液と……煙草の臭い?
消毒液の匂いはまだわかる。
しかし、まだ未成年だろうに煙草の臭いがするあたり彼女も中々にクセのある人物らしい。
「二人のクラスメイトの子かな?」
「誰?」
「『呪詛師殺し』ってわかるかな?」
「聞いたことはあるね」
「ちょっとお話ししてたら坊っちゃんが突っかかってきてさ。夏油君のほうは止めてくれなかったからついでに」
「へぇー、それでこうなってると。ウケるね」
「撮ってんじゃねぇ……!」
思ったより遥かに図太い精神の持ち主だった。
一瞬見せた警戒はどこへいったのか。
携帯のカメラでパシャパシャと友人の土下座姿を撮り始めた。
「で、コレってどういう仕組みなんです? 術式ですよね?」
「簡単に言えば、超強力な催眠術だよ。頭が重さを感じてると錯覚してるの。脳が
「あっさりバラしやがった……」
「私達がこうなってる意味って……」
「でも、そこまで万能でもないんだよね。高度な催眠をかけようとすれば、それだけ時間をかけなきゃいけない上に、相手に認識されなきゃ使えないって条件付きだし。だから不意討ちには向いてないの」
それに加えて地雷などの無人兵器には効果がない。
強力なのは間違いないが、その分色々と制限があるのだ。
「あ、さっき言ってた坊っちゃんの術式破ったカラクリは、単純に眠気誘って集中乱しただけだよ。私が破ったというより坊っちゃんが術式を維持できなくなったっていうのが正しいね」
知りたかったことはわかっただろうか。
できればこれでもう私に執着するのはやめてほしいのだが。
化物とは昔から散々やり合っている。
ここにきてもう一人──いや、二人の化物の相手をしろなど冗談ではない。
夏油も落ち着いたようだし、さっさと去るとしよう。
「一応言っておくけど、上層部の老害達を潰しても代わりのクズがその椅子に座るだけだろうからやめておいたほうがいいよ」
「待て……」
土下座の姿勢のまま五条が声をあげた。
友人の世話も焼いたし、術式の開示もした。
まだ何か用があるのか。
面倒だと思いつつも向けかけた背を一度戻す。
「心配しなくても暗示は直に解けるよ。それともまだ何か聞きたいことでもあるのかな?」
「オマエ……高専に来ないか? オマエなら頭の回転も早いし知識量も十分過ぎる。実力も……オレが保証する。術師としてやっていくなら待遇は保証するぜ?」
「飼い犬になるのはゴメンだよ。安全は安全でも檻の中での安全は窮屈過ぎるからね」
彼もいつかの九十九と同じことを言うのか。
実力を買ってくれるのは光栄だが、私は首輪を付けられる趣味はない。
仮に五条がこの腐った呪術界に変革を起こすとしても、それまでボケた老害どもに飼われることを我慢できるほど私は気が長くないのだ。
だが、そこでふと気付いた。
──いや……坊っちゃんが欲しがってるのは別に私じゃないのか。必要なのは共に変革を起こす強い仲間だ。
『最強』とは言え、結局は二人。
いくら強くても手が回らない部分がある。
だから共に動いてくれる仲間がいる。
それも二人に並ぶ術師が。
──正直あの子をあんな呪術界の魔窟に放りこみたくはないんだけど、このままだと私達を追って裏に来る可能性もあるんだよねぇ。
チラリと脳裏を過ったのは相棒にそっくりな子供の顔。
仮にも禪院家の血筋。
何も知らずに暮らすのには無理があるだろう。
──
残酷な二択だ。
もしくは
──どれも地獄に変わりはないんだよね。
その中でもマシな地獄を選ぶとすれば──
「後十数年すれば私が面倒みてる子供が高専へ入学できる歳になる。多分、血筋的にこっち側だろうから、その子を鍛えてくれるなら好きに使えばいいんじゃない?」
最後にそう言って私は森を後にする。
恵もいずれはこちら側に関わることになるのだろうが、勝手に決めてしまったのは少々まずかっただろうか。
「でも、裏で殺しに明け暮れるとかはしてほしくないからなぁ……帰ったら甚爾と恵に説明しないとね」