「…………」
「どうしたの?」
ソファに座って適当な小説を読んでいると、隣に座っていた恵が無言のままジッとこちらを見つめていた。
視線の先は私の手。
「これが気になる?」
持っているマグカップをちょっと持ち上げてみせると、恵はコクリと頷いた。
中に入っているのは生姜湯だ。
チューブの生姜とハチミツを入れたマグカップに熱湯を注いだだけの簡単なもの。
どうやら見慣れないものを飲んでいるのが気になったらしい。
「飲んでみる? 生姜湯だけど」
熱いから気をつけて、とマグカップを渡す。
恵はマグカップを受け取るとフーフーと吹いて少し冷まし、恐る恐る口をつけた。
ハチミツが入っているし、それほど生姜の辛味も強くはないはずだがどうだろう。
コクン、と一口飲み下すと、普段あまり感情を表に出さない恵の瞳がパッと輝いた。
「気にいった? 全部飲んでもいいよ」
「ん」
そのまま恵はマグカップを傾けて結局残っていたぶんを全部飲み干した。
基本的に冷めているこの子が何かに夢中になるのは珍しい。
一緒に暮らし始めて数日経つが、恵は子供にしてはかなり大人しく、騒いだり泣いたりは一切ない。
楽である反面、取っ付きにくい感じでどうしたものかと思っていたのだが、好物を知れたことは進展があったと考えていいだろう。
「しかし、この歳で生姜好きとはまた渋い……」
「眠い……」
生姜湯を飲んで温まったのか。
もたれかかってきたかと思うと、間もなく寝息が聞こえてきた。
──体温高いなぁ。さすが子供。
空になったマグカップを恵の手からソファの前のローテーブルに移し、ついでに手近にあったブランケットをとってかけてやる。
そう言えば昔は、よく床やソファで寝ていた甚爾に同じようにブランケットをかけてやっていた。
顔がソックリなせいで、なおのこと当時の光景とダブってしまう。
「親子だねぇ」
「んん……」
すやすやと眠る恵の頬を人差し指の背で撫でてみると、甘えるようにすり寄ってきた。
その仕草に思わず頬が緩む。
親子とは言えこの子のほうが何倍もかわいげがある。
アイツにこんなことをすれば鬱陶しげに手を払われるだけだ。
そんなことを考えていると玄関から鍵の音が聞こえた。
しばらくして甚爾がリビングに入ってくる。
律儀に手洗いうがいを済ませてきたらしい。
「おーおー、随分懐かれたな」
「私に奥さんの代わりを期待しないでよ? 子守りなんてやったことないし」
「テキトーでいいんだよ。飯さえ食わしておけば死にゃしねぇよ」
恵の世話を押し付けておいてこの言いぐさ。
本当になぜ早く逝ってしまったのか。
甚爾を御せる人間は貴重だというのに。
──そのまま甚爾の首に鈴つけておいてくれればよかったのに。
しかし、死んでしまったなら仕方がない。
どうしたって死人は戻ってこない。
現実と向き合うことにしよう、と甚爾に目を向ける。
とりあえずの問題は甚爾と恵のことだ。
「君、しれっと居着いてるけどさ、これからどうするの?」
「あー……居心地良すぎて出ていくこと全く考えてなかったな。つーか、どうせオマエ、今付き合ってるヤツもいねぇんだろ? 男のニオイしねぇし。なら、別にいたってよくねぇ?」
「君ねぇ──」
ヒモ精神とクズっぷりは相変わらずらしい。
本当にコイツは父親の自覚があるのか。
声が大きくなりかけて、恵が寄りかかっていることを思い出して何も言わずに口を閉じる。
「ソイツ、お前にやるから家賃代わりに好きにしろよ。今からオマエ好みに育てて──」
「手ェ出すわけないでしょ」
ニヤニヤと笑う甚爾に思わずため息が溢れた。
コイツは知っているのだ。
私がなんだかんだお人好しであることを。
少なくとも、ただの子供を一人で外に放り出すような真似はしないことを。
昔の腐れ縁がここまで響いてくるとは。
「わかってんだろ。呪力も術式もねぇオレが一人で育てるより、オマエみてぇなヤツがちゃんと鍛えてやったほうが恵も幾分マシな人生送れるさ。オレの勘だが恵は
そして、私だって甚爾のことは知っている。
つっけんどんな言い方をしているが、結局、彼だって恵のことを心配しているのだ。
どうしようもなく不器用なところも変わっていない。
だからといって恵の世話を私に丸投げするのもどうかと思うが。
それに、と甚爾は続けると──
「──
「は?」
「だから追い出されたら今日から宿無し。恵と一緒に野宿だな」
あっけらかんと言い放った甚爾。
その意味を理解した途端、勝手なことをされた怒りよりも呆れが勝って頭を抱えてしまう。
本来、頭を抱えるのは甚爾のほうだろうに。
小さな子供がいる身で家を捨てたなんてありえない。
いや、わかっている。
こうやってわざと退路を断ったのを見せて、こちらの優しさに付け込もうとしているのは。
本当に憎たらしい。
オマエのことなんてお見通しだと言わんばかりの態度が。
「君なら適当に女引っかけて転がりこめるでしょ……」
「コブ付きで転がりこめるかよ。わざわざ恵つれてきて面倒までみてるオマエが珍しいだけだっての」
最後の足掻きで苦し紛れに出した案も一蹴される。
そもそも甚爾の言う通り、私が甚爾と恵の世話をしてやる義理はないのだ。
──あんなすきま風の吹く部屋に小さな子供一人置いておくほうが普通はおかしいと思うんだけど。
正しいだけでは通じないのが裏の世界。
良心、善意──表では美徳になるそれも荷物になるなら平気で捨てていくし、そもそも裏に浸かっている時点で倫理観なんてものは捨て去っている者が大半である。
甚爾は孔に様子見を頼んでいたぶんマシな部類に入るくらいだ。
「まあ、恵をここに置いてオレだけならどうとでもなるか。オマエになら任せられるし」
そう言って甚爾は笑ってみせた。
しかし私が返したのは、じとりと湿った視線。
特別なふうに聞こえるそんな甘い言葉。
裏から離れ、転がりこんでいた女達との繋がりも切ったクセに、人の懐に潜り込む手腕はちっとも衰えていなかったらしい。
──けど、そんな言葉に騙されるほど短い付き合いじゃないんだよねぇ。
信頼している素振りをみせて、しれっと恵を押し付けようとしているのはお見通しだ。
「君が私の何を知ってるっていうのかな」
「少なくとも恵を一人放り出さねぇのはわかってるさ。お人好しは相変わらずだろ。でなきゃオレを拾ったりしねぇよ」
否定できない自分が憎い。
相手のことをわかりきっているからこそ、甚爾の頼みならいいかと許してしまっている部分さえある。
それも甚爾はわかっているし、更にそれを私はわかっている。
──ずっと一緒にいたんだから。
私も甚爾も互いのことをわかりすぎている。
嫌になるほど知っている。
このまま押し付け合っても、何となく甚爾にゴリ押しされてしまうのは察しがついた。
何なら明日にでも恵を置いてさっさと出ていくかもしれない。
そうなれば割りを食うのは私と恵だ。
どうしたものかと天井を見上げて少し考える。
──私にとってのメリットは?
甚爾がいることで私にメリットはあるか。
──そしてデメリットは?
それを差し引いてもメリットが上回るか。
──いや、多分根本的にはメリットとかそういう話じゃないんだ。
合理的に考えようとしているだけ。
お人好しと言われた通り、当たり前のように甚爾の手当てをした上、恵を回収しに家まで行った。
その間、損得なんてものは考えていなかった。
ただの良心があっただけだ。
──どうにも……もどかしいね。
感情に従った割りに後から理屈を求めている。
何がしたいのか自分自身よくわかっていない。
何のために私は動いた?
何を求めていた?
──結局……ただの良心でしかないなぁ。
こうやって重荷になるというのに、未だに私が捨てきれていないだけ。
「……我ながら、お人好しすぎて嫌になる」
私の呟きに、お? と甚爾が口の端を上げた。
だが、タダというわけにはいかない。
そんなことを言えば甚爾はどこまでも搾り取りにくる。
──せめて恵のことは父親の責任を果たしてもらわないとね。
そう心中で呟いて甚爾に視線を戻した。
「家賃折半。裏の仕事でもいいから仕事はすること。死なない程度のヤツ。後、恵置いて出ていかないこと。それでどう?」
「黙って財布になってりゃいいものを……相変わらずだな、そういうところ。真面目ぶりやがって」
「ヒモ飼う趣味なんて私にはないんだよ」
べぇ、と舌を出してやっても甚爾はどこ吹く風とばかりに小さく肩を竦めてみせた。
「まあ、いいや。またよろしくな」
「はいはい」