星漿体──天内理子。
廉直女学院中等部二年。
両親は彼女が幼いころに事故で他界。
その後は世話役の黒井美里と一緒に過ごす。
事前に渡された星漿体についての情報を再度頭の中で確認しつつ、私と甚爾は現在、星漿体の通うミッションスクールを敷地の外から眺めていた。
「五条の坊達と合流していきなり飛び出していったと思えば学校で呑気にお勉強かよ」
「同化すれば彼女の意識はなくなるからね。最後だからこそいつも通りに過ごしたいってことでしょ」
星漿体などと大層な呼び名をしているが、要するに人身御供のようなものだ。
天内理子が天内理子でいられるのは、もう僅かな時間しか残されていない。
家族や友達と勉強したり食事をしたりする機会も二度とない。
「おい、見ろよ。コレ」
「何?」
すると、甚爾が何かを見つけたらしく携帯の画面を見せてくる。
開かれていたのは呪詛師御用達の闇サイト。
星漿体の画像の横には残り時間と賞金三千万の表示が。
「盤星教の連中だな」
「仲介屋じゃ埒が明かないから、野良でも何でも集められるだけ集めようって感じだね」
なりふり構わずといったふうだ。
どうせ同化の日まで逃げられてしまえば全てが無駄。
だからこそ時間制限をつけることで呪詛師が集まりやすくしている。
「まあ、私達にとってはある意味最高の環境ができあがったわけだけど」
サイトには廉直女学院の住所もあった。
これで呪詛師達は一斉にここを目指してやってくる。
しかし、周りに私達が待っている上に、肝心の星漿体には護衛がついている。
そう易々と出し抜かれることはないだろう。
餌はしっかりガードされている。
私達は寄ってくるネズミどもを狩るだけ。
「よっ……と」
言っているうちに甚爾がその人間離れした身体能力で隠れていた何人かの呪詛師の首を次々と切り飛ばしていた。
私は持っていたズタ袋の口を広げて、飛んできた呪詛師の首を受け取っていく。
しばらくして追加で何個かの首を両手にぶら下げて甚爾が戻ってきた。
だが、甚爾の顔は渋い。
「悪ィ。一人逃げた。式神か分身系の術式で紙袋被ったヤツだ」
「えぇー……君、やっぱりちょっと鈍ったんじゃない?」
「うるせぇ」
逃がしたところで、どうせ護衛が動くだろう。
むしろ多少は襲撃がないと不自然だ。
そう考えていたとき、屋根の上に五条と星漿体が見えた。
高速で去っていく二人の背中は、みるみるうちに小さくなっていく。
「ヤツらも闇サイトに載ったことに気付いたな」
「予定を早めて高専に行くつもりかな」
「だろうな……お?」
「あれは……お付きのメイドさんだね」
視線の先には星漿体に付いていたメイドが一人で走っていた。
呪霊操術の彼は先に相方と星漿体を追ったらしい。
「チッ……素人が」
しかし、その判断に甚爾は舌打ちを洩らした。
星漿体に五条が付いていても万が一がある。
だからこそ先に行ったのだろうが、メイドを一人にしたのは悪手だ。
今回の任務は護衛対象から目を離さなければいい──そういうわけではない。
呪詛師達は高専に指名手配されながらも単独で逃げ延びてきた者も多い。
高専から逃げられるだけの戦闘力を備えた強者達。
その狡猾さをなめてはいけない。
護衛がついていることは呪詛師達も把握している。
正面きって星漿体を殺れないなら、今度は十中八九搦め手でくるだろう。
「ほら、来たぜ」
メイドめがけて顔を覆面で覆った男達が物陰から飛び出してきた。
多少の戦闘技術はあるのだろうが、複数人の上に不意討ち。
それに今は星漿体を追うことに意識がいっている。
まさか自分が襲われるとは思っていない。
あっさりとメイドは男の一人に気絶させられてしまった。
「正攻法でダメなら人質交換……だよな」
「甚爾」
「おう」
車にメイドを押し込んで逃げようとした一味を甚爾がすかさず狩る。
覆面を剥げば、事前に資料にあった顔だった。
「あれ? この人達、盤星教の信者だよ。非術師まで駆り出してるとは、いよいよなりふり構わずやってるね」
「金にならねぇモン切っちまったな。まあ、周りにまだ何人か隠れてる気配はあるし、オレはソイツら狩ってるから、コイツは頼んだ」
「はいはい」
無造作に投げてよこされたメイドをなるべく優しく受け止める。
気絶させられただけで後は特に異常はない。
──なるべく坊っちゃんの前には出たくなかったんだけど。このまま放置しておいて拐われるのも危ないしね。
わざと放置したメイドを餌に呪詛師を釣るのもアリと言えばアリだ。
しかし、真っ先に護衛が取り返しにくるだろうし、襲ってくる呪詛師のほとんどは直接星漿体を狙うだろう。
それでは効率が悪すぎる。
──でも、このまま高専に入られたら呪詛師は手を出せないから、そこで私達の稼ぎも終わりになるんだよね。
そこまで金に執着していない私はいいが、甚爾は別だ。
最悪の場合、高専に乗り込んで星漿体の首を手土産に盤星教の三千万を取る──なんてことをしかねない。
──そうさせないためにも、もう少し稼いでおきたいんだけど……。
そう考えている間に先行していた三人に追い付いた。
紙袋を被った呪詛師はやられたらしく、五条の足下で気絶していたので、メイドを届けた手間賃に後でいただいておこう。
「お届けものですよっと」
「黒井!」
「真正面からじゃ勝てねぇから人質作戦ってわけ? ガキ一人殺すのに随分必死じゃん」
「すまない、悟。黒井さんを置いてきた私のミスだ」
──ありゃ? 何か勘違いされてるらしいね。
ちゃんと、お届けものだと言ったのに。
喧嘩っ早くて嫌になる。
力を誇示したい年頃なのだろうか。
「ミスってほどのミスでもねーだろ。取り返せばいいだけの話だし」
こちらが何か言う前に五条は呪力を練り始めてしまったし、夏油も呪霊を空間から取り出していた。
できるだけ戦闘は避けたかったのだが。
このまま逃がしてもらえるはずもない。
「つーか……オマエ、何? そのキッショい呪力の流れ。偽装とかそういう術式?」
「さてね? どうでしょう」
五条の疑問をさらりとはぐらかし、私は内心で安堵した。
術式を看破されないために私を認識した瞬間に呪力の認識を軽く操っておいたのだが、ちゃんと六眼相手にも術式の効果はあるらしい。
術式なしで相手をするのは少々面倒だと心配していたのは杞憂だった。
「ま、いいや」
五条が掌印を結ぶ。
その途端、まるで何かに吸い込まれるように前方へ体が浮いた。
──ふーん……これが無下限呪術の『蒼』か。
甚爾の脚力なら抜け出すこともできるかもしれないが、私では一瞬だけ持ちこたえるのが精一杯だ。
引き寄せられた先には拳を構える五条。
──人一人抱えて戦うのはちょっと厳しいね。
どうせ返す予定だ。
盾に使えるかもしれないが、機動力がガタ落ちするくらいならさっさと手放したほうがいい。
「よっ……と」
私を狙っていた呪霊めがけて抱えていたメイドを放り投げた。
夏油が回収に向かったのを横目で確認しつつ、目の前に迫る拳を弾く。
「お? 人質解放すれば見逃してもらえるとでも思ってんの?」
「まさか。ここで見逃してくれるほど優しくないでしょ」
後は深度だ。
五条の意識はまだ健在。
暗示が効果を発揮するには、もう少し時間がかかる。
考えている間にも、その無駄に長い手足で繰り出される殴打と蹴りを次々捌いていく。
「ねぇ、ご自慢の術式はもう使わないの?」
「うるせぇ」
「ああ、もしかして自分の周りに強い現象を起こせないのかな。自分も引っ張られるから」
「チッ……」
「図星みたいだね。でも、指向性を持たないわけじゃないだろうから……面倒だからサボってるだけ? 並の相手ならそれで十分通用するだろうし。でも、その程度で『最強』とはねぇ……?」
「
「勝ったら言ってもいいのかな?」
「ハッ……寝言は寝て言えって……ん……!?」
がくり、と五条の体勢が崩れる。
どうやら狙いの深度まで達したらしい。
今、五条は立っているのもままならないほどの眠気に襲われていることだろう。
「ぐ……何だこれ……」
「なら言わせてもらうけど。君達さぁ──」
集中が切れ、『無限』が解ける。
は? と五条の口から呆けたような声が聞こえたが、もう遅い。
襟を掴んで足を払う。
「『最強』名乗るにはまだ早いよ」
「がはっ……!?」
「なっ……悟!」
相棒が叩きつけられた音を聞いて夏油が戻ってくる。
まさか五条がやられるなど考えていなかったのだろう。
顔には焦りが見える。
「はいはい。騒がないの」
「っ……!?」
夏油が走ってきた勢いのまま前のめりに倒れ込んだ。
彼にも少しの間眠っていてもらう。
呪霊操術は手数があるため、囲まれるのはゴメンだ。
しかし、即興で組み立てた術式。
長くはもたない。
さっさと用を済ませてしまおう。
「君達にはまだ任務があるからね。これくらいで勘弁してあげる」
「テメェ……! 何しやがった……!」
足下の五条が喚くが放っておく。
今は別にやることがあるのだ。
辺りを見れば少し離れたところに星漿体が立っていた。
逃げなかったのか、と一瞬考えて、こちらにメイドがいたことを思い出す。
──彼女を置いて逃げ出せなかったわけね。
そちらは夏油が呪霊に回収させていたので問題はないだろう。
「あー……そこの星漿体の子」
「ひっ……! く、来るな!」
「別に殺さないから安心しなよ」
別に何もしていないし、何かするつもりもないのに、ここまで怯えられるとは。
しかし、それも仕方ないのだろう。
星漿体という肩書きを外せば普通の中学生でしかないのだから。
大した効果があるとは思えないが、何も持っていないことを示すために両手を広げてみせる。
そのままゆっくりと彼女に向かって近付いていく。
足が竦んで動けないらしいが、何であれ今は逃げないでいてくれるほうがいい。
ここには彼女と話しにきたのだ。
「あのメイドさん、気絶させられただけだから少しすれば目を覚ますよ。ああ、私が危害を加えたわけじゃないから、そこは勘違いしないでね」
「本当か……?」
そう言うと星漿体は明らかに安心した表情に変わる。
「届け物だってちゃんと言ってたでしょ。それなのに、坊っちゃん達が血気盛んに突っかかってくるからさぁ。私は何もしてないのに」
そのせいで余計な時間を食ってしまった。
ここにきた目的はもう一つあるのだ。
ポケットから事前に用意しておいたチケットを取り出して押し付けるように彼女に渡す。
「コレ、あげる。最後の思い出に旅行でもしてきなさい」
「り、旅行……?」
「高専でただ同化まで待つよりいいでしょ。おっと、そろそろかな」
視界の端で倒れていた二人が、ふらふらと起き上がりかけているのが見えた。
用件は済んだ。
さっさとおさらばさせてもらおう。
「じゃあね」
「逃がすわけねぇだろ!」
バックステップで飛び退いた直後、さっきまで立っていたところが『蒼』によって粉砕される。
──追加で軽めに呪力探知と視覚の認識弄っておくか。
これで逃げる時間くらいは稼げる。
倒れていた紙袋を被った呪詛師をついでに拾いながら、私は甚爾との合流地点まで急いだ。
「どこだ!?」
「クソ! 呪力が追えねぇ! どうなってやがる!」
ちらりと後ろを振り返れば、二人が悔しそうな顔をしながら辺りを見回している。
『最強』と豪語しておいてこの様だ。
二対一にも関わらず、紛れもない完敗。
初見の相手だったから──なんてことは言い訳にはならない。
もしも私が悪意のある人間だったら、星漿体は間違いなく死んでいた。
それは二人もよくわかっているのだろう。
今回はたまたま運良く見逃されただけだと。
「何かまた追われる理由を増やしたような気がするんだけど……」
一応、非術師を手にかけていないのと情報不足のため、高専での『呪詛師殺し』の扱いはグレーゾーンなのだと孔から聞いたことがある。
今回のことで敵対したと認定されなければいいのだが。
──敵対はしなくてもマークがキツくなりそうで嫌だなぁ……。
金につられて余計なリスクを背負ってしまったかもしれない。
しかし、やってしまったものは仕方がないと気持ちを切り替える。
裏にいる以上、どう足掻いたところでロクな死に方はしないのだ。
「あ、いた」
前方に甚爾を発見する。
こちらのことは全く心配していないようで、木の枝に腰掛けて携帯を弄りながら悠々と待っていた。
「甚爾」
「おう。済んだか」
「闇サイトに星漿体が空港に向かったって情報流しておいて」
「了解」
星漿体に渡したのは沖縄行きのチケット。
学院がダメなら今度は空港に集まってくる呪詛師を狩ろうという算段だ。
それにしてもなぜ沖縄なのか。
簡単なことだ。
沖縄のほうが呪詛師は少ない。
護衛二人とメイドでどうとでも対処できる。
「で、どうだった? 『最強』とやり合った感触は」
すると、甚爾がニヤニヤと笑ってこちらを見ていた。
私がここにいる時点でわかっているだろうに。
わざわざ聞きたがるあたり意地が悪い。
「んー……いずれ『最強』になるかもしれないけど、今はまだまだだね。反転術式も使ってなかったし。もしかしたら、まだ使えないのかもしれない。それに、
「
「そう。術式である以上『無限』の防御も天逆鉾の解除の対象だからね。それに彼は防御の大半をそれに頼ってる。甚爾のスピードと天逆鉾で頭か心臓潰せば勝てるよ」
今は武器庫呪霊の中に入れられている十手のような形をした短刀。
特級呪具の一つ、天逆鉾──その効果は
あれにかかれば無限のバリアや『蒼』や『赫』も解除できる。
そうなってしまえば五条は生身でやり合うしかなくなるが、甚爾相手にそれは無茶だ。
近接戦闘ならまず間違いなく甚爾が圧勝する。
「昔のオレならやったかもな」
「今は違うの?」
「半端者の『最強』とやったところで何も満たされねぇよ。オマエとやってたときのほうがまだいい」
「昔みたいに殺し合いしろって? 絶対ヤダ」
私は別に殺し合いが好きなわけじゃない。
むしろやりたくない。
昔のことも行く先々で獲物の取り合いになったから仕方なくやっていただけだ。
「くだらないこと言ってないで空港行くよ」
「はいはい」