その日の夜。
自室でオニャンコポンにブラッシングをかけながら、思い浮かぶのはアイネスフウジンの顔。
『──同情はやめてほしいの』
気丈にもそう言い切った彼女の顔が、脳裏から離れない。
同情。そういう表現もあるだろう。
確かに俺は彼女の境遇に同情したかもしれない。だが、それは決して、金銭的な問題を抱えていることへの同情ではない。
彼女が走れなくなってしまうことへの喪失感だ。
あの、疾風のような彼女の輝く逃げ足が、見れなくなる?
たまたま運が悪く、金銭的な理由が重なってしまったから、などという理由で?
……世界的損失である。
俺は、それを何とかするために…金銭的な援助ではない方法で、何かできないかと模索していた。
金銭的な支援こそ、彼女は受け取らないだろう。彼女の家族もまた同じだ。その行為に何の理由もない。
ではどうすればいいか。答えはシンプルだ。
彼女に担当のトレーナーがつけばいい。
そのためには次の選抜レースで、彼女が勝てばいい。
そうして、メイクデビューの最初の開催時期…6月までに、勝ち切れるウマ娘に仕上げればいい。
それができるトレーナーは誰だ?
俺だ。
「……けど、な。ただのわがままなんだよな、これ…」
そう、わかってるんだ。わかってるんだよ。これが俺のわがままだっていうことは。
流石に退学を悩むほどまではいかなくとも、同じようにスランプに陥り、悩んでいるウマ娘なんてそれこそ沢山いる。
勝者には栄光が与えられるトゥインクルシリーズだが、その陰に何倍もの敗者が存在しているのだ。
それらすべてを助けるなんてことは俺にはできないし、ルドルフだってできないし、たとえ三女神にだってできないだろう。
明確に勝者と敗者が生まれるこの競争社会では、大なり小なり、こぼれ落ちるものはある。
だが。
それでも。
「
俺が、アイネスフウジンと出会ってしまったのだ。
そして、知ってしまった。彼女の事情を。今にも失われそうな輝きを。
それを、掬いたい…俺の掬える範囲のウマ娘を救いたい、と思うのは…罪なのだろうか?
「なぁ、どう思うよオニャンコポン。俺は……どうすればいい?」
俺は両手にオニャンコポンを抱えて、もやもやした悩みを投げかける。
オニャンコポンからは、ニャー、といつもの鳴き声しか返ってこない。
しかし、俺にはその鳴き声が、やりたいようにやれ、と言っているように聞こえたのだ。
そう、そのように聞こえた。
もちろん俺には猫の言葉なんてわかるはずもない。
つまりこれは、
そう、俺はアイネスフウジンを救いたい。
掬いあげてやりたい。
「……だよな、OK。やれるんならやらなきゃな」
決意は固まった。
だが、その決意をした次に、考えるべき問題がある。相談するべき相手がいる。それは忘れてはいけないこと。
俺はスマホを取り出して、まだ寝てはいないだろうと、ある相手へLANEで通話をかけるのだった。
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────────────────
「………え、トレーナーさん?」
「え!なんで、こんな時間に?」
エイシンフラッシュとスマートファルコンは、エイシンフラッシュのウマホにかかってくる着信が彼女たちのトレーナー(仮)からのものであることに驚き、ベッドから体を起こす。
二人とも、寮の自室…共に暮らす相部屋でパジャマ姿で、寝る時間までのんびりくつろいでいるところであった。
慌てて通話ボタンを押すフラッシュ。
もちろん、ウマホで通話する際にはウマ耳に通話口が届かないので、スピーカーモードである。
『もしもし、フラッシュか?すまんな、こんな時間に。まだ寝てなかったか?』
「はい、こんばんは、トレーナーさん。大丈夫です、睡眠の予定時間まではまだ32分10秒ほどありました」
『そうか。…ファルコンも起きてるか?寝てたら起こさないでやってほしいが』
「起きてるよー!こんばんはトレーナーさん☆なに、私にも話があるのかな?」
電話口の向こうのトレーナーは、二人が起きていることを確認した。どうやら二人ともに話があるらしい。
このトレーナーが自分たちに用があるということは…担当の件だろうか?
エイシンフラッシュとスマートファルコンは顔を見合わせて、しかし心当たりがなく首をひねった。
『ああ、実はそうなんだ。急な話で悪いんだけどな……あー……どこからどこまで説明したもんか』
「…重要な話でしょうか?でしたらごゆっくり、お話しなさって大丈夫ですよ」
「うん、どうしたのトレーナーさん?何か大切なこと?」
『かなり大切なこと、だな。うん…先に言っておくと、なるべく怒らないで聞いてくれると助かる』
「…はい?」
「なんて?」
『んじゃ話すぞ。…実はな、家事代行を雇うことにしてな────────』
そのあとに続くトレーナーの話は、まとめるとこうだった。
猫の毛が落ちるから家事代行を雇った。
そしたら来たのがアイネスフウジンだった。
彼女の
何とか助けてやりたい。
…のっぴきならない事情、の部分に詳しい説明はなかったが、二人は察しがついた。
アイネスフウジン。同学年の、気のいい姉御肌の友人。また彼女はバイト戦士としても有名である。
バイト戦士をしている、つまり…実家が金銭的余裕があまりないことは、同級生は誰も触れないが、何となく察していた。
恐らくは、それ関係なのだろう。だが二人ともそこまで困窮の状態にあるとは知らなかった。
アイネスフウジンは日常の中で、そんな素振りを見せることはなかった。周りに心配をかけたくないがために。
『…で、だ。次の選抜レースで彼女に助言したいと考えている。勝ち切れるようにな。担当してないウマ娘にこんなことしていいのかとか、そもそも二人の担当になるつもりがあるって言ったそばから何やってんのって話ではあるんだが…どうしても見過ごせなかった。話の流れ次第だけど、アイネスが勝てば…俺がほら、担当になる可能性もありそうで…アイネスに望まれたら、俺としては……だな?えっと、やっぱり、こう、アドバイスする手前……ちゃんと見てやらないと……とは思って…………その………3人目になるんだけど、担当してあげたいと……………その、思っているんですが…………………えっと、いかがでしょうか…………二人とも?』
最終的にトレーナーの声色がどんどん弱弱しく、自信のないものになっていった。
なぜかというと、二人がずっと無言だったからだ。
特に、話の流れが見えて、3人目の担当になる、というあたりの説明から謎のプレッシャーをスマホ越しに立華は感じていた。
『………………ええ、と、ですね………』
「…………ぷっ」
「…………ふふっ、駄目ですよファルコンさん、まだ我慢……ふふ、あははは!!」
「はははっ!!フラッシュさんも笑ってるじゃん、ダメ、もう耐えられないってぇ!あははははは!!」
『えぇ何!?なんで今俺笑われてんの!?』
長い沈黙のプレッシャーにオニャンコポンのお腹を無心でモフることで何とかこらえていた立華は、しかしそのあとにフラッシュとファルコンから思わぬ大爆笑を受けてパニックになった?
なぜ?どこがウケた?
「ふふ……トレーナーさん、貴方は、そうですね、貴方という人は!本っ当に!バカですね!」
『なんで!?フラッシュからそんなに言われると俺泣きそうになるんだけど!?』
「マヤちゃんじゃないけど…私ね、トレーナーさんのことわかっちゃった☆うん、バカなんだね?」
『どうして罵倒の流れになった…?いや罵倒されても仕方ない内容だとは俺も思ってるけどさぁ!』
続いて急に見込んだウマ娘から罵倒の言葉が投げかけられ、立華はオニャンコポンの横で宇宙猫状態になっている。
そんな様子も察したのか、またくすくすと二人が笑う声が聞こえて、そして、続く言葉は。
「もう…トレーナーさん。私たちが、嫌だって言うと思ったんですか?」
『え』
「私たち、そういうトレーナーさんだから…困ってるウマ娘を見かけたら、放っておけないような人だから、信じてみようってなったんだよ?」
『…え。マジ?』
「そもそも…もうこの電話をかけてきている時点で、私たちのことを担当する気満々じゃないですか。何ですか、先日の『俺に応えを示してくれ、選ぶのは君たちだ』なんて言っていたのは。あの時のカッコいいトレーナーさんはどこに行ってしまったんです?」
『あっ急に言葉のナイフ』
「ホントにね!あ、でも事前に相談したのはファル子的には高得点かな?私には、相談も説明もな~んにもしてくれなかったもんねぇ☆」
『ごめんて。その件は本当にごめんって!』
何やら漫才のような掛け合いが始まってしまったが…立華は、二人の言葉に、安堵を覚えていた。
二人の言葉を好意的に解釈すると、つまり。
「アイネスさんのことは、私たちも存じています。とても気の良い方で、でもお忙しくしているということも」
「いつか逃げウマ娘達でアイドルグループ組むときに声かけようって思ってたんだ!でも、それが難しくなっちゃうかも、なんだよね?」
『……ああ、そうだ。俺はそんな、困っている…困っていて、それを周りに見せない、強い彼女を…助けてやりたい。それで、
「…事情は分かりました。私も応援します。アイネスさんが私たちと同じく貴方を選ぶようであれば、共に切磋琢磨する仲間として歓迎します」
「ファル子もだよ!だからトレーナーさん、アイネスさんのこと…よろしくね!」
『ああ、ありがとう二人とも…ありがとう!』
話は決まった。
立華は、身勝手な我儘を受け入れてくれた未来の担当ウマ娘二人に、心から感謝の言葉を返す。
後は結果で示すだけだ。
二人は、レースの結果で応えるために。
立華は、アイネスフウジンを助けたいという我儘を通すために。
最終週の選抜レースが、まもなく開催されようとしていた。