チャンピオンズカップ当日の、その控室で。
俺は、俺の胸に顔を埋めて腕に納まるファルコンの頭を、ぽんぽんと優しく撫でていた。
「むふー……☆」
この状態になってから5分ほど経っている。
つい先ほどオニャンコポン吸いを済ませたところだが、重ねて彼女から心音を聞きながら撫でてほしい…といういつものおねだりに俺は応じて、こうして胸の中に彼女の頭を抱えている。
しかし、こう、いつもより随分とその時間が長い。
なんだか俺のことまで吸ってませんか?俺は猫ではないのですが?
「……ファルコン。そろそろ充電できたか?」
「…うん!バッチリ☆!!」
ようやく顔を離したファルコン。その顔はベルモントステークスの時の様な、絶好調のそれを見せていた。
ううん。やっぱりあのアメリカ遠征以来、なんだかこう、彼女は甘えることが多くなってきているような気がする。
SSの言う、本能が刺激されたというやつなのだろうか。
別に俺自身は甘えてもらえているということで嬉しい部分はあるのだが、しかしもしかすれば次からはアイネスもこうして甘えてきてしまうのか?
しかしSSは特に甘えるような様子は見せてないし。ううん。よくわからん。
「今日のレースはダートを走る優駿が勢ぞろい…って感じだな。そして、その中でも一番人気は君だ。誰よりも警戒され、マークを受ける立場にある。君はクラシックにして既に王者の位置に立ったんだ…そんな君が、誇らしいよ」
「うん…わかってる。けどファル子、負けないからね。誰が相手でも逃げ切って見せるんだから…だって私は逃げ切りシスターズのリーダーだもん!!……勝つよ、絶対に」
「……ああ。俺も、君が一番に駆け抜けてくるのを信じてる。…行こうか。世界の次は、日本の栄光を掴みに行こう」
「うん!」
俺は彼女の手を取り、立ち上がらせて、最後にじっとお互いに見つめあった。
ファルコンの目には、砂の栄光を、砂の上では誰にも前を譲るつもりはない…という熱い魂が溢れていた。
彼女の魂が、勝つのだと叫んでいる。
今日の私は誰にも負けないんだと。
その瞳を見て、俺も彼女の今日の勝利を確信し、そうして最後にもう一度だけ頭を撫でてやった。
「…最近ちょっとファルコンさんが抜け駆け気味じゃないです?」
「なの。もうちょっとでライン超えなの。わからせてやる必要があるの」
「………はァー。アオハルしてんなお前らァ……」
何故か今日のレースには出走しないというのに殺意の籠ったような眼をする二人が小声で何か話しており、SSが大きなため息をついていたのだが、生憎俺の人間の耳では何を喋っているのか聞き取ることはできなかった。
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さて、そうして控室を離れて、チーム4人でゴール前の位置にやってきたところで。
そこで俺は、世話になっているトレーナー二人と出会った。
「お、立華クンか。お疲れさん」
「立華さん…まぁ、見るならここだよな、当然。お疲れさん」
「北原先輩、初咲さんも。お疲れ様です…考えることは同じですね」
苦笑と共に、そこに近づいていく。
みんな、ゴール前で己の愛バが駆け抜けてくる姿を見たいのだ。
もちろん俺だってそうだ。大きなレースであれば、ゴール前は大体トレーナーやそのチームのウマ娘が集う場になる。
観戦に来ているファンの皆様も、そのあたりは分かってくれているため、有名なチームやトレーナーがそちらに近づくと道を譲ってくれたりする。ありがたいことである。
「今日はカサマツダートメンバー全員で挑むことになったからな。卑怯とは言わないでくれよ?」
「言うわけないじゃないですか…それだけファルコンの事、高く評価してくれてるってわけですしね。逆の立場だったら俺も全員でファルコンをマークさせますよ。…もちろん、その上で俺のファルコンが勝ちますけどね」
「言うじゃねーか立華さん。うちのウララだって忘れないでくれよ?俺なりに、全力で仕上げた…砂の隼を相手するのに恥ずかしくないくらいにはな」
「勿論。ウララだって今や世代を代表するウマ娘の一人だもんな。クラシック世代のダートウマ娘の最強を決める時がようやく来たね、初咲さん」
「おいおい、クラシックウマ娘にダートのトップは任せられねぇよなぁ?シニア級の恐ろしさをたっぷり味わってもらわねぇと。積み重ねた年数がモノを言うんだぜ?」
「いやいや…若い力ってのはいつだって向こう見ずなんすよ北原先輩。なぁ?立華さん」
「今日の所は初咲さんに同意っすね。ただまぁ、その中でウチのファルコンが一番ですが」
「いやうちのメンバーのほうが強い!今度こそ勝つ!」
「ウララならやってくれる!俺はそう信じている!」
俺達トレーナーは、内心に愛バへのクソ重い信頼を抱えた笑顔を見せあいながら、和気あいあいとコミュニケーションをとった。
その笑顔の裏に全員恐ろしいほどのライバル心を持っているのを隠し切れていない。俺もである。
敬愛する北原先輩と親愛なる同期の初咲さんには悪いが、今日の冠はうちの隼が頂いていく。
「…何と言いますか、こう。男子って感じですね…」
「ウチのトレーナーもそうだけど、北原トレーナーも初咲トレーナーも子供みたいなの」
「うむ…年を重ねても、男と言うのは子供心を忘れられないモノらしいな。ノルンがそう言ってた」
「北原トレーナーも普段はしっかりした人なんですけどね…立華トレーナーといると、いつもテンション高くなっちゃって…」
「…はァ。男どもってのは、どうしてこんなガキなんだ…」
閃光と風神と灰被り姫とウマ娘トレーナー二人に思いっきりため息をつかれてしまった。
いいだろ別に。北原パイセンも初咲さんも親しい仲のトレーナーなんだから少しくらい自慢したって!
「ほら、ゲート前に皆さん集まってきましたよ。応援しましょう」
「む。そうだな、よし、頑張れファルコンー!!お前ならどんなにマークされても勝てる!!」
「マーチ!!ノルン!!ルディ!!ミニー!!今日まで積み重ねた練習を信じろ!!!」
「ウララァーーーーー!!お前が最高のウマ娘だーーーーー!!!頑張れーーーーーー!!!」
「………テンション高っけェ…」
SSのため息が俺たちの歓声にかき消されながら、ゲート前に集まるウマ娘達に俺たちは全力の応援の声をかけたのだった。
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スマートファルコンがレース場に続く通路を抜けて、晴天のダートに足を踏み入れる。
「………っ…!」
彼女がレース場に姿を現した瞬間に、観客席から大きな歓声が送られた。
誰もが、彼女に期待しているのだ。
アメリカで世界の頂に立ち、そうしてその後もすさまじい好走を果たす、世界最強の砂の隼を。
砂の上では、誰にも前を走らせたことがない、彼女の伝説を。
しかし。
そんな伝説を、虎視眈々と狙う者たちがいる。
砂の頂、空を舞う隼を撃ち落とさんと、ライバルたちがゲート前で彼女を迎えた。
「……ようやく、ああ、ようやくこの時が来たな…ファルコン」
「マーチ先輩…」
腕を組み、己の溢れそうな戦意を零すまいとしながら、しかし余りにも獰猛な笑顔を浮かべて、フジマサマーチが待っていた。
スマートファルコンが、チームに入ってから…初めて併走した、尊敬する先輩。
ダートを専門とする彼女と、何度も併走し、お互いに高めあっていった。
彼女が、カサマツの先輩たちが居なければ、ベルモントステークスでの奇跡はなかった。
スマートファルコンにとって、大きな恩のある相手。
だからこそ。
そんな相手と、ようやくこうしてGⅠで相まみえる日が来たことに、フジマサマーチも、スマートファルコンも、心の底から、震えるような高揚感を味わっていた。
「…ファルコン。お前は強い。今のお前は、ダートの上では間違いなく最強だろう。……だからこそ、全力でぶつかりたい。私が挑むべき強敵に、お前はなってくれた。オグリの様な存在にな……感無量だよ」
「…マーチ先輩。ファル子も、マーチ先輩と走るのずっと楽しみにしてたよ。……絶対に、負けないから」
「ああ…無論だ。私も、お前に勝ちたい……いかんな、逸ってしまう。…今日は最高のレースにしよう」
お互いに、まるで下弦の月の様に鋭く口を歪ませ、笑顔を見せる。
その笑顔は、スマートファルコンが彼女たちと初めて併走をしたときの様な、それのようで。
「こらー、二人だけの世界に入ってんじゃねーぞファルコンちゃーん!あーしらもいるんだからな!」
「こないだのJBCじゃコテンパンにやられちまったけど、あたしらも今度こそ負けねーかんね!」
「世界レコード持ちと走るチャンスなんてそうそうねーかんなー。アタシらもやる気バリバリだぜ?」
だが、そんな二人だけの世界に割って入るように、カサマツ3人組も割って入る。
彼女たちも説明するまでもないが、ダート重賞を走る優駿である。その実力は侮れない。
先日のJBCレディスクラシックでは隼に追いつくことはできなかったものの、全員が好タイムをたたき出している。
前回の負けを更なる戦意に変えて、大いなる強敵に向けて怖気づくことなく、その瞳には闘志がみなぎっていた。
「…ふふ、もちろん先輩たちも忘れてないよ!全力で来てね!ファル子、絶対勝つからね…!」
だが、それはスマートファルコンも同じ。
愛する先輩たちと、併走ではなく、大舞台で真剣勝負が出来る。
そんな状況で、アガらないウマ娘がいるだろうか。いや、いない。
「おっとぉ。藪蛇だったかー?」
「いや全力で走ってくれねーと意味ないっしょ!」
「やれるところまでやってるぜー!」
「ふふ。ああ……今日はいい日だな。楽しもう。全力でな」
「うん!今日はよろしくお願いします、先輩方!」
スマートファルコンがカサマツメンバーに礼をして、そうして改めてゲートに向き直る。
カサマツ組だけではない。そこにいる全員が、スマートファルコンに強い視線を向けていた。
誰よりも強く、誰よりも速い。今、世界の頂に立つ隼に、勝つために。
勝ちすぎると、周り全てのウマ娘が敵になる。
そして、そんな状況だからこそ────隼の魂は、燃え上がる。
勝ちたい。
砂の上で、勝ちたい。
だが、そんな共に走るメンバーの仲で、もう一人だけ、スマートファルコンに声をかけた。
「……ファルコンちゃん!こうして走るのは二回目だね!」
「ん…ウララちゃん。うん、そうだね…前はヒヤシンスステークスだったね」
ハルウララ。
彼女が、スマートファルコンに声をかけた。
「うん!あのレースで……私、ちょっと変わったんだ。あの日から…うん、ずっと、ファルコンちゃんに勝ちたかった!だから、一生懸命頑張って…ここに、来たよ!私、負けないからね!!」
「────そう、だったんだ。うん……そうだね、確かにあの日以降のウララちゃんはすごかったよね。ジャパンダートダービーでも、JBCスプリントでも…でもね、ウララちゃん」
ハルウララは、あの時の敗北で…己のトレーナーが流した涙を、笑顔に変えるために。
そして、スマートファルコンは。
「…ウララちゃんにだけは、負けたくないな。世代の頂点は、私だよ」
「っ…!……うん!ウララも、負けないよ!今日はがんばろうね!!」
覚えていた。
夏休みの、ハルウララの、ジャパンダートダービー。
己のトレーナーがおかしくなったときに、見ていたウマ娘が、彼女であることを。
嫉妬心ではない。
己のトレーナーに、ハルウララに対してそういう気がないことは流石のスマートファルコンもわかっている。
だが……間違いなくハルウララには、トレーナーが驚くほどの何かがある。
その何かに、負けられない。
世代のダート最強の名を譲らない。
私が、砂の上では最強だ。
「ふふ…あとは、脚で語るね?逃げ切って見せるから!」
「うん!!私も、差し切って見せるよ!」
スマートファルコンは、カサマツ組にも見せた、貪欲に勝利を求める笑顔を。
ハルウララは、彼女らしい天真爛漫な笑顔を見せて。
クラシック世代のダートウマ娘、その筆頭たる彼女たちは、踵を返し、ゲートに入っていく。
次々とゲートと言う名のシリンダーに装填されて行く砂の弾丸。
砂の王者を決める、今日のチャンピオンズカップ。
その頂に至るのは、どのウマ娘になるのか。
『最後のウマ娘がゲートに収まりました。今年のダートのマイル王者を決める一戦!チャンピオンの栄光を手にするのは誰になるのか!………スタートしましたッ!!』