「よ、アイネスフウジン。奇遇だな。…話がある」
「…立華トレーナー?」
俺は最終週の選抜レース、その最終レースである芝1600mに出走登録を済ませたアイネスフウジンを見つけて声をかけた。
今日に至るまでに、アイネスフウジンを掬うための準備は整えてきた。
彼女は急に声をかけられ、しかしその相手が見知った男、自分の事情を漏らしてしまった俺であることに気づき、若干眉根を寄せている。
「何?…もしかして、この間の話の続きなの?」
「そうだ」
「そうだ、って……前も言ったでしょ。同情なら、やめて」
はっきりと、前の話の続きをする、と断言する俺に、アイネスフウジンは辟易して一歩、距離を取る。
前にも言ったはずだ。感情的な同情で選んでほしくはないと。
選ぶなら、結果を見てからにしてほしいと。
そんな思いが見て取れる、一歩半の距離。
だが俺はすでに決意を固めている。この程度ではひるまない。
肩に座ったオニャンコポンがニャー、と鳴くのを指先で軽くたしなめながら、言葉を続ける。
「ああ、前も聞いた。そのうえで、これは俺の我儘だ」
「我儘?」
「そう、我儘。…俺は、君ほど走れるウマ娘が、事情があるにせよ…デビューできない、レースを走れないなんて許せない。そう思った」
「…何言ってるの?」
「君は走れるウマ娘だ。きちんと鍛えれば勝てるウマ娘だ。俺が君を見て、そう判断した。───だからまず君をこの選抜レースで勝たせる。そしてメイクデビューも勝って、重賞レースも勝って、GⅠレースも勝たせる。俺にはそれができる」
俺はまくしたてるように、言葉を並べた。
並べた言葉に嘘は一切ない。
アイネスフウジンならできると思っているし、俺なら出来ると思っている。
ウマ娘と本気で話をするためには、絶対に嘘はつかない。俺の信条だ。
「…………言葉では何とでも言えるの。でも、貴方は新人のトレーナーでしょ?」
アイネスフウジンが、俺のその言葉を受けて、さらに距離を取った。
当然だ。俺はまだ何の実績も上げていない新人トレーナー。
そんな奴が、甘い話をして一方的にまくし立てているのだ。
警戒するのも当然というもの。
「……あたしはレースに向けてウォームアップしてくるの。……もう、邪魔しないで」
ここまではまぁ、想定通り。
だから俺は、プラン通りに事を進める。
「…言葉じゃ信じられないよな。そりゃそうだ。だから、脚で語ることにする」
「……どういうことなの?」
「第5レースの芝2000m。第6レースのダート1600mを必ず見てくれ。俺のアドバイスを受けていた子たちが走る。君の同級生の、エイシンフラッシュとスマートファルコンだ」
「…え!?フラッシュちゃんとファル子ちゃん!?あの二人が!?立華トレーナー、貴方、何を…!?」
「アドバイスしただけさ。その結果を、今日、レースで俺に示してくれることになってる」
「…あの、二人が…?」
アイネスフウジンは、目の前のトレーナーの口から急に友人の名前が飛び出してきたことに驚きを隠せないでいた。
しかもその二人はあのエイシンフラッシュとスマートファルコン。
二人とも…前回の選抜レースで結果を出し切れず、くすぶっていた…と、記憶している二人だ。
しかし、二人ともしっかりとした子だ。特にエイシンフラッシュは大人びており、警戒心もひとしおだろう。
そんな彼女たちが、この胡散臭いトレーナーのアドバイスを受けた…?
「そのレースの走りを見てくれたら、改めて声をかけるよ。その時は俺の話を聞いてくれると嬉しい」
「…………」
「ああ、ウォームアップだけど、走りすぎないようにな。柔軟を多めにやったほうがいい。走っても1000mを1本までにしておくんだ」
「……そんなことはわかってるの」
ウォームアップにまで口を出してから、俺は一度アイネスフウジンの前から立ち去った。
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「なんなの……?」
アイネスフウジンは、一言で表すなら、いら立っていた。
今日の選抜レースは絶対に負けられないレースだ。
あの人に言われなくても、想いは強いつもりだし、時間が取れない中でも自分なりに練習をしたつもりだ。
家族のためにも、絶対に、
「それに、1000mを1本だけって…?訳が分からないの…!」
確かにあのトレーナーの言う通り、自分は練習不足であり、スタミナはまだ少ないことを自覚している。
そのため、1200mを3本くらい流す程度でウォームアップは済ませようとは思っていた。
だが、あのトレーナーは1000mを一本にしろという。
それだけしか走れなくては…フラストレーションがたまってしまうのではないか?
しかも、気になる一言を置いて行った。
第5レースと、第6レースを見ろって?
そのレースに出走する、フラッシュちゃんと、ファル子ちゃんを見ろって?
「そのレースを見て、何かが変わるっていうの…?」
大切なレースの前だというのに、もやもやがさらに積み重なっていく。
見ろと言われれば…まぁ、自分のレースまでは時間もあるし、友人二人の大切なレースである。見に行くけれど。
それで、何かが変わるというのだろうか。
あの二人の、走りが、あたしに何かを見せてくれるというのだろうか。
もやもやとした気持ちが晴れないままに、アイネスフウジンはゆっくりと柔軟からウォームアップを始めるのだった。
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第5レースが間もなく始まろうとしていた。
「ふぅ……大丈夫、落ち着いて……toi、toi、toi…」
ゲート前で、エイシンフラッシュが気持ちを静めるために、子供のころからのおまじないをつぶやく。
緊張からではない。
高揚感を、武者震いを止めるためのおまじない。
先ほどから…走りたくて、走りたくて、仕方がない。
…そういえば、前のレースではこのおまじないすら忘れていた。
それほど、調子が悪かったのだ。それに気づかぬままに出走した1週目の選抜レースを思い出す。
敗北の苦い味。
校舎裏で流した涙。
そして、新たなる出会い。
「……トレーナーさん」
先ほど、肩にオニャンコポンを乗せている彼に会って、出走前に一言だけ言葉を交わした。
『見ていてください』
『ああ、見てるからな』
その一言だけで、胸が暖かくなったのを覚えている。
今の私は、一人じゃない。
…二人でもないけれど。
三人。きっと、今日が終われば四人。
みんなで、トゥインクルシリーズを…
「誇りある、勝利を」
『───────さぁレースは終盤!先頭はいまだローズストーク!しかしここで素晴らしいコース取りでエイシンフラッシュが伸びてくる!直線を向いてエイシンフラッシュが止まらない!止まらない!!圧倒的な速度だ!まさに閃光の末脚で今ローズストークを差し切って先頭へ!』
『だがまだ加速する!これは強い!圧倒的な強さだ!!加速を続けたまま今!!ゴォールッッ!!見事な末脚を見せましたエイシンフラッシュ!第5レース、強さを見せつけたのはエイシンフラッシュです!』
『おおっと!?タイムが出ました!これはなんと、今年の選抜レース芝2000mの最高記録だ!ヴィクトールピストの記録を抜いてエイシンフラッシュが最速に名乗りを上げたっ!!』
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続く、第六レース。
「……うん。やっぱり、なんだか……こっちのほうがファル子に合ってる☆」
とんとん、と軽くその場でジャンプして、砂の感触を足裏で味わう。
ダート1600mのレース。
これまでの選抜レースとは違い…ダートのレースを選択したスマートファルコンは、目の前にダートのコースが広がる光景を見て…驚くほど心が落ち着いていることを自覚した。
芝のレースを走る前とは違う。
私が、ここで走ることに、私の体が納得している。
魂が
トレーナーに見せてもらった、フェブラリーステークスのレースの光景を思い出す。
ダートを走るウマ娘達。全力で応援する観客。勝利の景色。ライブの盛り上がり。
みんな、とってもキラキラしていた。
私も、ここがスタートライン。
いつか、私もあそこへ。
「だから、走るよ」
先ほど話したトレーナーとは、2,3言話して…あとの想いは、全部走りで伝えることにした。
私はダートのレースを走ることを選ぶ。
トレーナーは芝も走れるようにしてくれるって言ってくれたけれど、やっぱり私は、ダートを走ることが得意なのだ。
それを改めて自覚して、前向きにさせてくれたトレーナーに……私が、どれくらい走れるのか。示したい。
見せつけたい。
こんなにすごいウマ娘を、見つけてくれてありがとうって、伝えたい。
私は、このダートに
「見ててね」
『───────すごい、すごい脚だスマートファルコンッ!最終コーナーを曲がり終えて既に後続とは5バ身以上の差がついている!後ろの子たちは間に合うのか!?差が…差が、さらに広がっていっているぞ!』
『追いすがるウマ娘よりも!逃げるスマートファルコンのほうが速いっ!!!何というパワー!何というウマ娘だ!!!今ッ!コース上に、砂のハヤブサが舞い踊る!!!後続をぶっちぎったまま、1着でゴォーーールッッ!!』
『何ということでしょう…ダート1600m、そのレースをただ一人逃げ切ったスマートファルコン!こちらもダート1600mの最高記録…いえ!
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呆然とした。
二人の、レースを見て……魅せられた。
その魂の輝きを魅せられた。
見事なレース運び。強い走り。絶好調。記録更新。
そんな喝采が周囲からは上がっている。
だが、アイネスフウジンが魅せられたのはそこではない。
彼女たちは、楽しそうに走っていた。
そして、勝ちたいという想いが溢れていた。
今のあたしに、ないもの。
走るのが楽しくなくなったのは、いつから?
負けられない、と思って走るのは、なんで?
あたしは。
あたしは──────
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「……二人とも、見事なレースだったな」
「…………」
俺は、第6レースが終わり…二人の走りを見届けたであろう、アイネスフウジンに後ろから声をかけた。
圧倒的な走りを見せつけた、俺の愛バ達。
彼女たちは、確かに、脚で、走りで答えを示してくれた。
勝ちたい。
貴方と、勝ちたい。
そんな思いを、俺は二人から受け取った。
そして、それを見たアイネスフウジンは、何を感じ取ってくれただろうか。
「…アイネスフウジン。君は、何のために走るんだ?」
「…!」
俺はアイネスフウジンが振り返るのを待たずに、問いかける。
彼女の、心の奥底を。本当の気持ちを、自覚させるために。
それは、ウマ娘すべての原風景。
「あ、あたしは……あたしは、勝たないと学園にいられなくて…」
「違う。俺が聞きたいのは、そんな
「あ、たしは!家族のために、負けられなくって…!!」
「違う!俺は、アイネスフウジン!君の
「あたしは…あたしはッ!!」
「──────
「勝ちたい!!フラッシュちゃんや、ファル子ちゃんみたいに…!思いっきり、レースに臨んで…全力で、走って!勝ちたい!!そう、勝ちたい…!!そのために、あたしは走ってる、んだ…!!!」
声色に涙の音が混ざりながらも、本音を口にするアイネスフウジン。
涙を零しながら振り返る彼女を見て、美しい、とただその感想が浮かぶ。
そうだ。
どんなウマ娘も…勝ちたいという想いで、走る。
それを忘れては勝てない。まず、それを彼女に思い出させてやることができた。
「…勝ちたいの!トレーナー!あたしを勝たせて!全力で、走るから…!!」
「──待ってたぜその言葉!」
一歩半の距離が、縮まる。
アイネスフウジンを見据えて、俺は彼女とようやく正面から向き合うことができた。
「勝とう、アイネスフウジン。君が全力で走って、俺が君に策を授ける。必ず、君を最終レースで勝たせてみせる」
「お願いするの。あたしは貴方を信じる。貴方が見定めた、フラッシュちゃんとファル子ちゃんの走りを信じる。だから……あたしを勝たせて」
彼女の、輝かしい原石のキラメキを、俺が磨き上げて見せる。
俺たちは、最終レースに向けてミーティングを始めるのであった。