────────【ターボエンジン×
ゲートが開いた瞬間に領域が発動した。
それはツインターボの響かせるエンジン音。
彼女の持つ、破滅逃げの第一歩。
サイレンススズカやスマートファルコンにも劣らない、先頭への執念が、逃げへの信念が生んだその領域。
その領域は、スタートダッシュの成功を確約し圧倒的な初速を生み出す。
今日の有マ記念で出走する逃げウマ娘は他にもセイウンスカイ、メジロマックイーンなどがいたが、スタート時の加速はツインターボに譲る。
譲らざるを得ない。
かつてベルモントステークスで、スタートダッシュを極めたスマートファルコンを見た立華が「これほどのスタートダッシュはサイレンススズカ以外には見たことがない」と評したことがある。
その評価自体は間違っていない。彼女たちのスタートは間違いなくすべてのウマ娘と比較しても随一の珠玉のものだ。
しかし、それは領域を抜いた話。
領域込みであれば、その二人の最優にツインターボが肩を並べる。
先頭を走るツインターボ。その存在は他のウマ娘にとって脅威になる。
しかしそれは、一般的に強い逃げウマ娘へ向ける類の注意ではない。
────いつものように逃げ切れず逆噴射するだろう。意識する必要はない。
────万が一逃げ切ってしまったらオールカマーの二の舞だ。あれを捉える走りをしなければならない。
2択の思考。相手がスズカやアイネスなど、強さがはっきりとしているウマ娘ならば覚悟を持てるが、逆噴射の可能性が高いことで逆にそこに油断が生じる。
ある意味で幻惑のかく乱と言えるだろう。ランダム性が彼女の強さをなお深めていく。
「…だよねぇ、そうくるよねぇ~…!だからこそ、私もやりやすくなるんだよねぇ…!」
そして、そんな凄まじいスタートを果たしたツインターボの4バ身ほど後ろをキープしながら走るのはセイウンスカイ。
彼女もまた同じレースを走る逃げウマ娘としては極めて厄介な存在となる。
前述したツインターボの強みが走りの結果から生まれるランダム性だとすれば、セイウンスカイはその走りの道程にランダム性を生む。
すべての動きに意味がある。
意味がなさそうな動きにすら、意味があるのかと錯覚する。
それをすべて意識して描くセイウンスカイだからこそ、トリックスターの二つ名が許される。
今回の有マ記念において、逃げウマ娘の後ろを走る全てのウマ娘は、ツインターボの直球ストレートとセイウンスカイの幻惑の変化球による二通りの牽制を受けることが確定した。
有マ記念らしい混沌が始まろうとしている。
「ああ…わかってはいましたが、まったく苦労させてくれますわ!だからこそですが…!」
大逃げするツインターボと、その4バ身ほど後ろを走るセイウンスカイが逃げウマ娘ならば、このウマ娘はその逃げ集団と先行集団を結ぶ間を走っていた。
メジロマックイーン。
名優とまで呼ばれる強者たる彼女が、己の最も得意な位置をキープすることに成功していた。
この世界線では、彼女はその魂の叫ぶままに天皇賞春を2連覇し、3連覇目をライスシャワーに阻まれ…その後、繋靭帯炎という大きな怪我を発症した。
しかしチームスピカのトレーナーである沖野や友人たちの助けもあり、また、トウカイテイオーの夢を、奇跡の走りを目の当たりにしたことで奮起した。苦しいリハビリを乗り越えて、彼女の脚は復活。
その後はシニア級として年に1,2度ほど重賞レースなどに出走し、勝ったり負けたりしていた……そのため世間一般の評価としては、怪我を乗り越えたことは喜ばしくも、全盛期を過ぎてしまっている、という認識であった。
そのスタミナも天皇賞春を全霊で駆け抜けたころよりも落ちているだろう。
恐らくはこのレースが引退レース。ドリームリーグへの移籍か、文字通りの引退となるのかはまだ発表されてはいないが、名優の花道たる最後のレースになるであろうこの有マで、好走は難しいかもしれないが、それでも彼女を応援するファンの声は多かった。
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メジロマックイーンが、怪我を乗り越えられた理由。
一足先にドリームリーグへ移籍した最大のライバルたるトウカイテイオーを追わず、シニア級に残った理由。
それは、彼女自身にも強い自覚はなかったが、間違いなく一つの想いがあったからだ。
(有マ記念……ここで、わたくしは───
その確信にも似た想いは、しかし、はっきりと言葉にすることはできない。
かつてメジロマックイーンが走った有マ記念、そこでダイサンゲンに差し切られた悔しさへのリベンジと言う意味合いもあるのかもしれない。
だが、それよりも、何か大きな、言葉に出来ない理由。
誰かと、とても大切な約束をしたような、そんな気がして。
だからこそ、彼女はこのレースに全てを懸けた。
この一年、ほぼ全てをこの有マ記念のための鍛錬に費やしている。
作戦も練りこみ、気迫も十分。
肉体的なピークは確かに過ぎているのかもしれない。
しかし、精神的なピークは間違いなく今。
勝つために。目の前を逃げる
引退レースの決着は、勝利こそがふさわしい。
わたくしは、勝つためにここにいる。
「さぁ、参りますわよ……長距離ならわたくしの距離ですわ。スタミナ勝負では負けません!」
メジロ家の傑物が、更なる闘志をもって前を走る二人の牽制を、焦りを拒み、駆けていく。
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続いて先行集団だが、普段のレースと比べると少々様相が異なっていた。
今回出走するウマ娘は、先行を得意とするウマ娘が少なく、どちらかと言えば差しが得意なウマ娘が多い。
強いて言えばヴィクトールピストがどの作戦も選べるため、彼女がその集団の中で先頭となっていた。
そしてそのすぐ後方、このレースの中軸にして有力ウマ娘が集うそこ。
ああ、諸兄らに最も理解を得られる表現で表すと、やはりこうなる。
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「わかっちゃいたけど…!!ヴィイちゃんも、フラッシュちゃんも…!」
このつぶやきはメジロライアンのものだ。
牽制による勝負よりも、どちらかと言えば豪脚で捻じ伏せることを得意とする彼女が、同世代のライバル二人からの圧を受ける。
スタートしてまだ最初のコーナーにも入っていないのに。
牽制を仕掛けるのを得意とするヴィクトールピストから、全方位へ牽制と焦りが。
最後のコーナーと直線に備えるための位置取りの牽制をエイシンフラッシュが。
共に、周囲のウマ娘に気持ちよく走らせるかと全霊で睨みつけていた。
「…くっ、重い…っグラスちゃん!」
そして続く呟きはスペシャルウィーク。
こちらは、己の1バ身後ろを走るグラスワンダーへ向けたモノ。
わかっていた。
グラスワンダーがマークを得意とするウマ娘であることは、彼女のライバルたるスペシャルウィークは当然に理解していた。
グラスワンダーと共に走るGⅠレースは随分と久しぶりである。
久しぶりに受けた、刺し殺されるかのようなその感覚は一切衰えていることはなく。
いや、むしろ、より強く。
そして当然に、その圧がスペシャルウィーク一人に向けて放たれてはいない。
他のウマ娘も全員が強敵。全員が鬼のような強さを持つ優駿。
だからこそ、グラスワンダーのその圧は全方位に向けられている。
もう一歩、加速の為に踏み出したらわかっているなと言わんばかりの圧が、『焦り』を生む。
スピードの他、スタミナも存分に削り抜くことで最終直線で己が差し切る。
怪物二世はシニア級の引退レースと見据えていたこの勝負を、後悔のないように。
恐らくは同じように引退レースと考えているだろうスペシャルウィークに負けない様に。
無論、全員に対しても。
グラスワンダーは、己が一着を取るために駆ける。
己の持てる全てを捧げて勝利をその腕に抱くために、
そして、その後ろ、集団の後方あたりにウオッカがおり、さらに後ろの追い込みの位置にゴールドシップがいた。
この二人もどちらかと言えば牽制を主とするウマ娘ではない。
チームスピカのウマ娘はそれぞれ、己が牽制を仕掛けるわけではなく、相手の圧を堪え、受け流し、そして己の豪脚で勝負するウマ娘が多い。
それが彼女たちチームの人気の理由であり、それを見る観客を大いに沸かせることになる。
そんな二人が今、想いを一つにしていた。
(………嘘だろ、ネイチャ先輩…!?あんた、そこまで!?)
(おいおいおいおい……オイオイオイ、こりゃよぉ…!!会長並みかぁ…!?)
今、二人の前を走るナイスネイチャが、
(────コーナー……今)
一睨み。
ナイスネイチャのその一睨みで、先頭を走っていたツインターボの脚色が一瞬衰える。
タイミングが絶妙。その後ろを走るセイウンスカイがそれに驚き、一瞬動揺した。
メジロマックイーンがその隙を見てセイウンスカイとの距離を詰めるがむしろそれにより混沌が生まれる。
そんな先頭の変化にヴィクトールピストが気付いた瞬間に、思考をブラせるために更なる圧がナイスネイチャから捧げられる。
その牽制、極めて重い。
特にヴィクトールピストは最初のコーナーを抜けたあたりで発動するであろうその領域に至られる前に削らなければならないため、この瞬間はネイチャの全力のそれが注がれる。
ヴィクトールピストの脚ががくんと削られた。
それに反応してスペシャルウィークが彼女を抜かすかどうか思考を始めた瞬間、
先行焦り。ナイスネイチャによるものだ。
後方から聞こえる足音から逃げたくなるような、掛かり気味になる心をどうにか抑えるスペシャルウィーク。彼女もまた歴戦だ、それに素直に頷くほど弱くはなかった。
だが削れる。そういうことをされた時点で、スピードが、スタミナが、削られる。
しかしてそんなスペシャルウィークの様子に気分が良くないのはグラスワンダーだ。
もちろんグラスも牽制に長けている。誰が何のためにスペシャルウィークに仕掛けたか、理解はしている。
だが、その下手人であるナイスネイチャが己の隣で。
(─────!ネイチャ、さん……!)
わざと、己にその唇の切れ端をみせつける様に、にやりと。
────こらえた。
ああ、
このやり取り、それだけでグラスワンダーにとっては屈辱だ。
ナイスネイチャは何もルールに違反はしていない。
だが、明らかにこの一連の流れで、己の心を僅かに逸らせた。
私のスペちゃんに何をしてくれてやがる。
そんな様子を見ていたエイシンフラッシュが、重ねてライバルへの圧をかけようと、その己の傲慢さすら感じられる走りから生まれる『独占力』を放とうとした。
放とうとしたが。
それは、放とうとするだけにとどまった。
目の前でナイスネイチャが、一瞬早く、同じ技術である『独占力』を発動したからだ。
それは全域に重ねての圧を加えるとともに────コーナーを走っていく中で、ちらり、とナイスネイチャが振り向いた。
それは、蕩ける様な笑顔で、明らかにエイシンフラッシュを見て。
(───────ヤラないの?気持ちいいよ?)
(───────ッ)
同調行動と呼ばれる、人間やウマ娘に見られる心理学的な行動がある。
目の前の人や周囲の人が何かの動作を行うと、無意識でそれと同じ行動をとりたくなるというものだ。
例えとしては、人が欠伸をするとそれが移ったり、腕を組むと自分も腕を組みたくなるようなもの。
それが、この大一番のレースの最中、独占力と言う己の大きな武器を引きずり出すためだけに、ナイスネイチャから仕掛けられた。
何かを狙っている。
エイシンフラッシュはそう判断し、安易にナイスネイチャに併せて独占力を放つことを止めた。
だが、それすらもナイスネイチャの手の内だったか?
己が出さなかったことに満足するような、拍子抜けするような、どちらとも取れないため息を一つついて、ナイスネイチャが前に振り向き直るのを見届けた。
全力疾走の最中に振り返ったというのにその歩様、息は欠片も乱れていなかった。
慣れている。
明らかに他のウマ娘と比較しても心理戦に慣れている。
……いや、彼女がそういった牽制のやり取りに慣れていることは、このレースを走る誰もが知っている。
それは独占力を受けて己のポジション取りに苦悩するウオッカも、その後ろ、最後尾を走っているというのに見事に追い込みに対する牽制を飛ばされたゴールドシップも同様だ。
彼女たちもすでにこの時点で、前方のウマ娘達の一連の流れを見せられた時点で彼女の牽制の内に入ってしまっている。
(明らかに夏頃のレース映像よりも切れ味が上がってやがる!クソッ!!絶対
ゴールドシップが内心で愚痴をこぼす。
ナイスネイチャのレース映像も、勿論研究の為に事前に見ている。
特に今年の小倉記念、彼女がレコードを出したときの走りは見事なものだった。
スピード自体も伸びている。今日も間違いなく、伏兵として侮れない存在であった。
だが、この有マ記念というレースの上で。
ナイスネイチャの才能が満開の開花を見せていた。
それは、かつて『絶対』の二文字を背負って走っていた、7冠ウマ娘の皇帝にすら届き得るほどの支配力。
八方、つまり360度万遍なく睨みつけているかと思うほどの展開のコントロール。適切なタイミングの圧。
間違いなく、あのレースの影響のせいだ。
ファン感謝祭。
ゴールドシップも参加した、サブトレーナーウマ娘で走ったエキシビションレース。
あのレースでは、ナイスネイチャも走っていた。
初めて、真剣なレースで共に走る事になったであろう、シンボリルドルフのその戦術を間近で見た。
ルドルフだけではなく、かつてトゥインクルシリーズを走る中で牽制を得意とするウマ娘達…フジキセキ、スーパークリークの走りも間近で見た。
そしてアメリカの英傑たるサンデーサイレンスの走りも間近で見た。
その経験が。
ナイスネイチャに、新しい学びを与えすぎている。
そもそもだが、あのレース、ナイスネイチャは三着に入っている。
それは彼女らしい順位と言えばそうだ。おなじみ三着と言うやつで、流石ネイチャ!と同級生などからは揶揄されていたそのレース結果だが。
冷静に、落ち着いて考えてみてほしい。
あの面子で三着は尋常ではない。
最高速では劣る己が三着に滑り込めるほどの牽制、位置取り、レース展開を読み切る走りをナイスネイチャは身に着けていた。
そしてそのレースで得た経験で更にその策略に深い味わいを出して、存分にこの有マ記念で抽出する。
粘ついていそうなほどの空気の重さを纏いながらレースは展開されて行く。
ナイスネイチャによる全体への牽制に、セイウンスカイ、グラスワンダー、ヴィクトールピスト、エイシンフラッシュらの圧が絡み合い、走るウマ娘全員に今年の全てのレースの中で、最強最大の負担が強いられている。
しかし、だからこその有マ記念。
だからこそ年末大一番の大舞台なのだ。
そして、そんな夢の舞台を全力で駆ける優駿たちの織り成すレースはまだ始まったばかりだ。
誰もが己の勝利を求めて、ただひたすらに駆け抜ける。