crescendo《クレッシェンド》
意味:【音楽記号】だんだん強くなる
「…ネイチャにやられた、な…」
俺は最初のコーナーを抜けたウマ娘達の走り、その全員の牽制のやり取りを見てそう評した。
ナイスネイチャが、キレ過ぎた。
ツインターボを先頭にして向こう正面に入っていく彼女たちは、牽制のやり取りで全員がそれぞれ走りを削られていた。
そして最終的にその中で一番得をしたのは誰かと言えば、ナイスネイチャだ。
見事だ。見事としか言いようがないレースの支配。
牽制をかける側も、受ける側も、その全てを視界の内に収め、コントロールし、全体にまんべんなく負荷をかけていた。
恐らくはこの直後にヴィクトールピストが領域に入り、そうすれば彼女だけは牽制の圧から逃れることはできる────────が、本来はその前にフラッシュが独占力をぶつけるべきであった。
今日のヴィクトールピストは相当に気合が入っていた。事前の打合せでは彼女だけに注意を払いすぎないようにフラッシュとも話していたそれだが、フラッシュもまたゲート前でヴィクトールピストを見たことで危険度を察したはず。
いや、実際にフラッシュはヴィクトールピストが領域に入る前に独占力をぶつけようとしていた。その様子は見えた。
だが、その寸前のタイミング、これ以上はないといった瞬間にナイスネイチャが先に独占力を発動し、重ねてフラッシュに振り返って挑発していたのが見えた。
ナイスネイチャにとってはその一手は必勝の一手。
その後に同調行動でフラッシュが続けて独占力を放ったとしても、やられたという疑念がフラッシュの脳裏に浮かぶだろう。小さい棘となり思考に陰りを生む。
尤も、フラッシュは今回、ネイチャの挑発に乗らず、むしろ疑念を覚えて独占力を発動することを躊躇ったが、タイミングとしては不適切。今後発動したとしても、ヴィクトールピストだけが得をする状況になってしまう。
ナイスネイチャとしてはフラッシュとヴィクトールピストのどちらのマークを強めるかという問題でしかないため、ヴィクトールピストの危険度が上がるだけで、ネイチャは何の損もしていないということになる。
全く持って厄介だ。
何が厄介かと言えば、勿論ナイスネイチャのその覚醒じみた牽制技術もそうなのだが。
それを受けて、シニア級のウマ娘全員が──────
やはり優駿。一筋縄では行かない猛者達だ。
「う、わ…!なんか、みんな、すごくなった…!?」
「さっきまでとは違うような…!猫トレさん、あれ、何なんです…!?」
「コーナーを抜けて、明らかに全員強さが増したように感じられましたが…!?」
俺達フェリスメンバーの横で観戦していた子達…ジーフォーリアちゃん、シャフラヤールちゃん、タイトルホールドちゃんが、その変化を感じ取ったようだ。
成程、やはり俺が見込んだ原石たちだけはある。
この年齢でアレが感じ取れるというのは相当に優秀だ。
「ナイスネイチャを筆頭に、セイウンスカイ、グラスワンダーを中心として…全員が全力で牽制を仕掛けあってるんだ。それに奮起して全員が更にやる気になった……GⅠレースにおいての常だな。あれが一流ウマ娘だよ」
「あれを…私達も……いつか…!」
「…僕も、いつか、あそこで…!」
「ええ…GⅠレースでも勝てるくらい…!」
俺は3人に聞こえるように簡単に解説を零してから、愛バたるエイシンフラッシュを見る。
ネイチャに後れを取りはしたが、冷静だ。
フラッシュが今、僅かに位置を下げた。周囲への注意を払いながら最終コーナーに向けて己の脚を溜められる位置取りを取れている。
まだまだ、ここからだ。
ネイチャのそれにより全員が更なる臨戦態勢を取りはしたが、その上でも俺が仕上げたフラッシュの末脚はしっかりその実力を発揮できれば遅れは取らないものだと信じられる。
一切油断はしていない。
先頭を走るツインターボから、最後尾を走るゴールドシップまで、一人たりとも侮ってはいない。
「…っ、来た…!ヴィイちゃんの領域…!」
「ここからはヴィイちゃんは自由に走っちゃうね…!でも、まだこれから…頑張れ、フラッシュさん!」
「悪くねェ…フラッシュの脚はまだまだ残ってる。こっからだ…落ち着いて行けよフラッシュ…!」
ヴィクトールピストが領域を発動したのを見届けながらも、俺達チームメンバーはまだ誰一人としてフラッシュの勝利を疑っていない。
願い、想っている。
彼女ならばやってくれると。
「…フラッシュ、頑張れー!!行けーーーーっ!!!!」
その想いを言葉に乗せて、俺はフラッシュに全力で応援を飛ばすのだった。
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────────────────
────────【
最初のコーナーを曲がり終えた時点で、ヴィクトールピストが領域に至る。
その効果は既に周知されているとおり。
彼女は、ここから先全ての牽制、デバフを無効化する。
かなり特殊な領域であり、その評価はレースの状況によって変化すると言えるだろう。
例えば仮にOP戦でこの領域を繰り出しても、大した意味はない。
牽制を仕掛けるウマ娘自体が少なく、またその牽制も大したものにはならないからだ。
彼女の領域は、牽制を仕掛けるウマ娘が多ければ多いほどその効果が高まる。
だからこそ。
この有マ記念は、
(周りがどんな強敵でも…関係ないっ!!私が!!私が勝つッッ!!!)
冷静さを失わないままに、しかしその心の奥に誰よりも強い灼熱の想いを乗せてヴィクトールピストが走る。
特に、このレースは彼女にとって大きな意味を持っていた。
自分がいるこの世代、世間では大変高い評価を得ている世代だ。
その中の一人に数えられる己だが……今年、そんな優駿達の中で、唯一、自分は今年のGⅠ勝利がない。
最後にGⅠを勝利したのはちょうど一年前、ホープフルステークスのみ。
それだって、エイシンフラッシュにアクシデントがあっての勝利だ。勝った気はしない。
その後出走したすべてのGⅠレースで掲示板内には入っており、海外のGⅡでも勝利はしたが、皐月賞でも、ダービーでも、凱旋門賞でも一着を取れてはいない。
高く評価されてはいる実力とは裏腹に、冠に恵まれてはいないのだ。
絶対に許せない。
私も、敬愛する先輩たちに、同期に肩を並べたい。
私だって貴方たちに負けないのだと。勝てるのだと。
肩を並べるに相応しい称号を、己の物にするのだと。
だから勝つ。
エイシンフラッシュが、メジロライアンが走っているこのレースで。
シニア級のレジェンドウマ娘達が集うこの有マ記念で。
私は、私の存在を証明する。
私が
「……ふぅーーーーーーーっ!!」
じわり、じわりと速度を上げていく。
1000m地点に至る前だが、位置取りを更に前に向けていく。
こんな走りを他のウマ娘がすれば、次の瞬間に牽制をぶつけられて失敗するだろう。好ポジションを取ろうとすれば当然の如くそれをさせないようにするのが優秀なウマ娘だ。
このレースで集まっている優駿たちであれば尚の事。本来はあり得ないその位置取り争い。
だが、ヴィクトールピストの脚を止めるものは誰もいない。
誰もが彼女のこの先の走りを穿てない。
彼女の領域、勝利の山が彼女を守る。
(……厄介だよねぇ、実際走ると余計に、さ…!)
(いけませんね…やはり、彼女を自由にはできません、か)
(…ヴィイ、気合入ってんね…ま、それでも私のやる事は変わらないんだけど)
牽制を得意とする3人、セイウンスカイとグラスワンダー、そしてナイスネイチャが、己の張った蜘蛛の糸からいの一番に抜け出していくヴィクトールピストを見て嘆息する。
彼女の領域、その加速性能は正直に言えば大したことはない。
領域を発動させれば速度を超えることはできるだろう。
だがヴィクトールピストが、領域同士でぶつかり合うであろう最終直線まで、牽制の影響を受けずに走っていった場合は別だ。
存分にスタミナを、脚を残したままで気持ちよく最終直線を走られてしまう。
際どい勝負になる。
だが、だからと言って周囲への牽制を止めることはできない。
そうすれば他のウマ娘まで気持ちよく走らせることになってしまう。
それだけは許されない。
勝ちたいからこそ、全力で周囲の脚を止めるのだ。
『さあ先頭を走るツインターボが今1000mを通過して、そのタイムは59秒1!2500mレースにおいてはかなりのハイペースです!今日はエンジンの調子が良いのかツインターボ!!しかし後続との距離は大きく離れすぎてはおりません!5バ身ほど後ろをセイウンスカイが、そこからは連なって最後尾のゴールドシップまでそれぞれが位置取る形!!』
レースは中盤を迎える。
ここから最終コーナーまで、彼女たちは向こう正面の直線を駆け抜ける。
坂道が一つあるそこで────────どれだけ足を溜められるかが勝敗の分かれ目になる。
────────────────
────────────────
「…一気に、行くもん!!だりゃあああああああ!!!」
まず先頭、ツインターボがその技術を繰り出した。
勢い任せに坂道を走り抜け、スタミナの温存に努める。
それを見たセイウンスカイは、なぜか、奇妙な懐かしさを覚えながらも……決して掛からぬように、ツインターボとの距離を維持する。
(悪くない…けど、そのリズムじゃ最終コーナーで落ちるはず……なんて、
セイウンスカイとしては、自分のスタミナに不安はない。
かつて菊花賞で3000mの世界レコードを記録した彼女のスタミナ。周囲に牽制をまき散らしながらと言う条件の下であっても、過不足なく全力で走り切るためのペース配分をその身に刻み込んである。
だからこそ、冷静にツインターボの走りを見ていた。
ツインターボ。
破滅逃げを武器とする彼女は、2200mまではその速度を落とさずに走り抜けた経験がある。
この世界線ではかつてトウカイテイオーに充てた雄弁たる手紙、奇跡のオールカマーで2200mを一着で逃げ切った。
その際は最終直線で息も絶え絶えであったが、その後、再度ツインターボはオールカマーに出走している。今年のことだ。
そしてツインターボはそのオールカマーで再度一着を取っていた。
──────
(あれがフロックじゃなければヤバい…下手すれば2500mだって走り切るかも知れない。ただ、その分道中の爆逃げの勢い自体は落ちてる…距離はそこまで開いてない。ここから加速して差し切ろうと思えば先頭になれるかもだけど、無理はヤバそう)
セイウンスカイはその類稀なる思考能力をブン回して今後のレース展開を予想する。
ツインターボの逆噴射を予測して今から徐々に彼女との距離を縮め、最終コーナーで追い抜いて、そうして領域────────『アングリング×スキーミング』を発動。そのまま全速力でゴールへ。
それが一番シンプルで、分かり易く、勝利に近づく。
そんな甘い考えで勝てるはずがないだろう。
その作戦でここから無理して速度を上げたとして、ツインターボが落ちなければどうなる?
簡単だ。落ちるのが自分の方になる。
無理にスタミナを消耗した結果が最終コーナーに表れて、失速を伴い、そこから二の矢を放って加速したとしても一着は厳しくなるだろう。
ツインターボが落ちるか落ちないか、そこに己の勝利への道を託すのは勘弁願う。
あくまで己がコントロールできるうえでの勝利を求める。
トリックスターではあるが、ギャンブラーではない。
賭けるなら確実な己の勝利。
(リスクもあるけど…ここで無理な加速はしない!
己の脳裏に浮かぶ、確かな確信。
ここで無理をしてハイペースに付き合えば、負けるのは己の方。
そんな感覚を信じることにした。
無理をせず、己のペースを守って走るセイウンスカイ。
そうしてその後方、中団を越えて動き始めたのはグラスワンダーだ。
差しの位置取りから中盤にしてじわりと上がっていき、スペシャルウィークに対して追い抜きを敢行する。
(グラスちゃん…!?ここで、来るの…!?)
先程、食いしん坊たる己が十全に行える、体に蓄えた栄養…ここ数日のカロリーの貯蓄によって走っている最中にスタミナを十全に補給したスペシャルウィークが、グラスワンダーが己に追い抜きを仕掛けてくるのを見て驚いた。
その位置取りは確かにお互いに得意としているところではあるが、しかしグラスワンダーにとってこれは無茶な追い越しに近い。
明らかに脚が、スタミナが削られる。
そこまでして位置取りを上げなければならない、そんな理由があるのか?
掛かってしまっているのか……そう思い、スペシャルウィークが己の横を走るグラスワンダーの目を見る。
そこには。
決意にも似た確信を元に走るグラスワンダーがいた。
(……位置は、上げる。バ群に呑まれていては勝てない───!!)
グラスワンダーがその位置取りを選択した判断は、垂れウマに巻き込まれることを恐れる一心。
どうしても、このレースでは、己が最後に末脚を繰り出すその位置取りを誤りたくなかった。
まるで、かつてそれで一度痛い目を見たかのような、経験から来る確信。
不思議なものだ。今追い抜かそうとしている、隣のスペシャルウィークと走った何度ものグランプリレースでも、他にエルコンドルパサーと走ったレースでも、バ群に呑まれて垂れウマに巻き込まれたことなどないというのに。
それでも、この有マで。
もちろん、これはスタミナを削る暴挙だ。
今回のレースでは一切気を抜くことはできない。リラックスしてスタミナを回復はできない。
ペースをキープしていては負けるため、それでのスタミナ温存も期待できない。
深呼吸によるクールダウンは、そこまで得意ではない。前を走るメジロマックイーンはそれでスタミナを回復したようだが、牽制を繰り出していた己はその機を失った。
このまま走り抜けば最終直線で失速は免れないだろう。
そのような情けない走りをするつもりは一切ない。
この日の為の秘策がある。
今日まで必要に駆られることもなく、隠し通してきた、己の
「……勝つ。絶対に、勝つ…!!」
────────【ゲインヒール・スペリアー】
グラスワンダーの隣を走るスペシャルウィークは、その光を見た。
初めて見る光。
一度は自分を抜かしたグラスワンダーが、己と位置取りを競り合い、再度抜かし返した時点で発動したその領域。
明らかに、回復系のものだ。それも相当な量。
これであれば、スタミナは最後まで持つであろう。走り切られる。
あのグラスちゃんの末脚が、来る。
かつて、グランプリレースである宝塚でも、有マでも、二度も負けたあの末脚が来る。
(──────負けない…!!もう、グランプリでグラスちゃんに、負けたくないっ!!)
その事実を確信したスペシャルウィークもまた、彼女に引き上げられるように限界を超えた。
位置取りを押し上げるように速度を上げて、そして次の瞬間に。
────────【わやかわ♪マリンダイヴ】
第二領域に目覚める。
脳裏に浮かぶのは、これまでの楽しかった思い出だ。
黄金世代で過ごした日々。チームメンバーで過ごした夏の日々。
夏合宿での、スズカさんとの約束。
レースで一瞬も油断できない状況だからこそ、走マ灯のように過去の想い出が蘇り、そうしてかつての誓いを思い出す。
私は、勝つんだ。
その誓いが、スペシャルウィークの脚に更なる活力をみなぎらせる。
隣のグラスワンダーに負けないほどに。
それを見たグラスワンダーが驚愕に目を見開いて……しかし、納得を深めて微笑んだ。
そうだ。
こうでなくては、面白くない。
私達黄金世代は、限界の一つや二つは軽く超えていかなければいけない。
そうでしょう?と先を走るセイウンスカイに目を向けるグラスワンダー。
セイウンスカイもまたその広い視野で、己の親友たる二人が第二領域に目覚めたことに気付いて…そのテンションをブチ上げていた。
(そうこなくっちゃねぇ…スペちゃん、グラスちゃん!楽しくなってくるよねぇ!!)
(そうだ、忘れてた…こうじゃなくっちゃ!私達の世代の勝負は!!この緊張感がなくっちゃ!!)
(そうですね…そうです。だからこそ、このレースに勝つ価値がある!!)
世代の絆。
そう呼ぶには余りにも戦々恐々とした、物騒な笑顔を浮かべて、3人がスタミナを確保しながら駆け抜けていく。