ミーティングを終えて、最終レースのスタート地点へ向かうアイネスフウジンを見送る。
俺の立てた作戦はすべて伝え終えた。
事前にアドバイスしていた、走るのは1000mまで、というのも守ってくれていたらしい。
これで、俺ができることは終わった。
後は彼女次第。
「……トレーナーさん!…アイネスさんとはお話しできた?」
「私たちの走りが、いい影響を与えられていれば…よいのですが」
一人に…いや、一人と一匹になった俺に、そのタイミングを待っていたかのようにファルコンとフラッシュが近づいてきた。
二人とも先ほどまでは、レース終了後にトレーナーたちに囲まれてスカウトを受けていたところだったが、そこから抜け出してきたようだ。
遠くに立つトレーナー方がこちらをじっと見ていることから察するに、すべての誘いを断ってきたのだろう。視線が痛い。
「やぁ、お疲れ様、二人とも。レース、実に見事だった。君たちの想いを受け取ったよ」
「…!ええ、雄弁に示したつもりです。私の想いを」
「ファル子もね、思い切り走れて…私の想いを見せられたつもり。…それじゃあ、トレーナーさん」
「ああ。……エイシンフラッシュ、スマートファルコン」
二人に向き直り、正面から見つめる。
より表情を真剣なものにして、俺は二人に想いの返答を。
「─────君たちを…スカウトしたい。君たちがトゥインクルシリーズで輝く、その手伝いを俺にさせてくれ」
「──はい、喜んで。共に、誇りある勝利へ」
「──うん!ファル子、がんばっちゃう!!」
二人から、満面の笑顔による快諾を受けて。
俺はこの世界線での、新たな愛バ達と契約を結んだ。
「…まぁこの後、もう一人増える予定なのですが」
「この節操なし☆ウマたらし☆かいしょーなし☆」
「急な温度差で風邪引きそうなんだが?」
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「それで……実際のところ、どうなんです?アイネスさんの調子は」
最終レース、ゴール地点がよく見えるところに移動して、俺の右に並んだフラッシュが質問してきた。
ニャー、と俺の代わりに返事をするオニャンコポンを肩からファルコンの腕の中に移動させつつ、俺は答える。
「正直なところ、ただレースをするだけならかなり厳しい。アイネスは自分で思っている以上に調整不足だ。いい脚は持ってるんだけどな…練習が足りてない。もし彼女がウォームアップで走りすぎていたら、それだけで後半スタミナ切れしかねないくらいにな。それは止めたけど」
そう、現時点のアイネスフウジンは調整不足にもほどがあった。
だから事前に声をかけて、ウォームアップで走りすぎるのを止めた。
感情的な部分も加味して、走り足りないくらいでレースに臨んだほうが走りへの
「んー…いつもバイトで忙しそうにしてたもんね、アイネスさん。でも、本当に大丈夫かな…?」
オニャンコポンをぽんぽんとなでながら、ファルコンが心配そうに視線をスタート地点、ゲートに向ける。
一人ずつゲートインが行われていく中、アイネスフウジンはただコースの先を集中して見ていた。
「ああ…今回一緒に走るウマ娘の中でも、そうだな、サクラノササヤキとマイルイルネルが特に仕上がりがよさそうだった。ただ走るだけじゃあ、この二人のどちらかが勝つ。アイネスの勝ち目は薄い」
サクラノササヤキとマイルイルネル。この二人はこれまでの選抜レースでも出走しており、それぞれ既に1着を取るほどの走りを見せていた。
今回のレースでは間違いなくこの二人がアイネスフウジンの対抗バになるだろう。
しっかり磨けばトゥインクルシリーズでもいい成績を残せる、なかなかの才能をもっている二人だ。
「それは……では、どうするのですか?」
エイシンフラッシュが友人を想うが故の不安の言葉を零す。
俺はそれに対して、問題はない、と言わんばかりに笑みを浮かべて返す。
なぜなら、俺はサクラノササヤキとマイルイルネルを知っている。
以前の世界線で、彼女たちの出走したレースの走りを知っている。
この世界線で見た、彼女たちの選抜レースでの走りを知っている。
「…策は伝えた。後はアイネスが俺の策をちゃんと聞いて、実行して、そして…」
各ウマ娘、ゲートインが完了した。
「…君達二人の走りを、正しく受け止められていれば、勝てる」
『─────最終レース、スタートですっっ!!』
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中等部のサクラノササヤキは、ゲートが開かれた瞬間に、見事な好スタートを見せた。
彼女の脚質は逃げ。特に、スタートダッシュに定評がある。
すでに前々週の選抜レースでも1位を獲得しており、この好スタートがトレーナーの目に留まり、スカウトも内定していた。
最終週の選抜レースに出走したのは、最終週は実況もつき学外からの観客も多く、デビュー前に自分への注目を集めるため、という部分が大きな目的であった。
(フラッシュ先輩やファルコン先輩があんなに目立つなんて思ってなかったけどねっ!最後のレースは私が目立ーつ!)
好スタートのまま勢いに乗ってハナを走る。
1600mは彼女の脚質に合った得意距離。
そしてサクラノササヤキは、スタートダッシュのほかにもう一つ武器としているものがあった。
それは、体内時計の正確さ。
(400mを25秒、800mを50秒、1200mで75秒、そこからスパートをかけて1600mを
そう、デビュー前のウマ娘としては、優秀な体内時計、ラップタイムの正確さを誇っていた。
そしてそれを最終直線まで守りきれた時こそ、自分が絶好調の末脚を発揮できるとき。
これまでレースで勝利したときは、このラップタイムの順守を完遂できていた。
それが勝つための自分なりの道標であった。
しかし、今回のレースではそこに待ったをかけるものがいた。
(………!アイネス先輩が、ついてきてる…!)
自分の左後方、アイネスフウジンがぴったりと張り付いてきたからだ。
しかも、抜かそうという気配はない。じっと自分の後ろに、ペースを合わせてついてきている。
ただ、時折……自分の視界に、左側に、アイネスフウジンの姿が、ちらり、と見える。
抜かそうとしているのか?しかし…そこから伸びてきたりはせずに、また1バ身以内の後方に戻っていく。
(くっ…動揺させるつもり!?でも、私は正確にビートを刻めば勝てる!勝てるんだから!)
後方に他のウマ娘がいようと関係ない。
私はただ、正確にラップタイムを刻むだけ。
すぐ後ろを走るアイネスフウジンの足音を、極力
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『サクラノササヤキは正確にラップタイムを刻むことを得意とするウマ娘だ。スタートダッシュもうまい。今の君ではハナを取ることはできないだろう、逃げ切られたら終わりだ』
『…あたしは逃げはできないってこと?先行策を取らなきゃならないの?』
『違う。サクラノササヤキの走りをうまく自分の力に変えるんだ。…スタート後に何としても左後方に張り付け。プレッシャーをかけ続けるんだ。時々彼女の視界に入るようにして集中力を乱せ。同時に、彼女を風よけ代わりに使う。スリップストリームだな。そうしてアイネス、君のスタミナの消費は抑えられる、抑えられていると自分を信じ込め』
『………』
『同時に、サクラノササヤキも集中力が切れればスタミナの消費は激しくなる。掛かるんだ。だから途中でペースが崩れる。1000m地点で、実況がそれを教えてくれる。それを聞けばサクラノササヤキはさらに集中力を失うだろう』
『………なんか、やり方がコスいの』
『今の君が勝つために必要なことだ。それに、駆け引きや威圧なんてこの学園の
『…そうね、今は手段は選んでられないし。わかったの、必ずついていく』
『足をためることをイメージしろ。相手は必ず集中が切れていると思いこめ。レース中は酸素不足で複雑な思考はまだ誰もできない。思い込むことでプラシーボ効果が得られる』
『……いや、うん。言ってることはわかるの。けどなんかトレーナー、新手の詐欺師みたい』
『人聞き悪くない?』
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『レースはサクラノササヤキが引っ張る形で進んでいます。それに続くアイネスフウジン、そして3バ身ほど離れてクロスシャトル、ブラックストーン、マイルイルレr…失礼、マイルイルネルが続く形です』
自分の名前を噛まれて呼ばれ、サクラノササヤキと同級生のマイルイルネルはむっ、と少し機嫌を悪くする。
いや、自分でも確かに名前は読みづらいと思っている。実況の方に申し訳ないと思わなくもない。
だが、それを読み上げてこそ実況だろうとも考える。願わくば今後走るトゥインクルシリーズでは呼び間違えてほしくないものだ。
まぁ選抜レースの実況はアナウンサー志望のウマ娘が練習として実況をしていたりするので、今の時点では高望みではあるが。
(しかし……この、ペースは…)
早い。
明らかに早いペースで進んでいる。
先頭のサクラノササヤキは正確にラップタイムを刻むことで定評のあるウマ娘だ。実際、以前見た選抜レースでは機械のようにコンマ以内に誤差を収めて1着で走り抜けていた。
自分もその後に開かれた2000m芝の選抜レースで勝利し、すでにスカウトももらってはいるが、今後ライバルになるであろうウマ娘の走りを見定めるために、わざわざこうして同じレースに出走しているというのに。
その正確さが、壊され始めている。
(アイネス先輩か…?だが、そうなるとよくないな)
そうして先頭の二人が1000mを通過して、実況の解説が入った。
『さあ先頭が1000m地点を通過しました!そのタイムは…ッ、なんと58秒9!早い!デビュー前のウマ娘達のレースとは思えない速さだ!これは大丈夫なのか!?』
(やっぱりか!先頭の二人は、かかってるんだ!となると僕は…どうする?どっちだ?)
その実況を受けてマイルイルネルは2つの判断を迫られる。
今、先頭のサクラノササヤキも実況を聞いて驚いているのだろう。明らかにペースが乱れ、さらに加速しようと踏み込んだのが見えた。
アイネス先輩もそれに続くようだ。二人がこのまま走り切れるとなると、こちらも仕掛けを早めなければならない。
だが、逆にこれで前の二人が撃沈するとなると、今度は早仕掛けした自分のほうがスタミナを無駄に消費することになり、後方から差されかねない。
どっちだ?
前の二人は、落ちるのか?落ちないのか?
マイルイルネルが前方、加速して逃げ続ける二人を観察するために注視した。
その時だ。
(…え?振り返った?)
アイネスフウジンが、明らかに後ろを確認するために振り返ったのが見えた。
レースの経験が豊富であれば、それは蜘蛛が張る糸、罠であることを察知できただろう。
だがまだその経験は、このレースを走るウマ娘達にはない。
そして、アイネスフウジンがとった行動に、マイルイルネルは心底から冷や汗をかいた。
(…………!!)
まるで、自分が走り抜けるこの先、後ろから追い上げてくるウマ娘が追い付かないことを察したかのように。
明らかに、余裕を見せつけられた。
(落ちない!ササちゃんはともかく、アイネス先輩には確信があるんだっ!早仕掛けしないとまずいっ!!)
マイルイルネルが慌てて足に力を込めて、溜め切れていないその末脚で先頭集団に近づかんと加速する。
その、実力者であるマイルイルネルが加速する様子に、周囲のウマ娘達もここが勝負どころなのだと
レースのすべてが、壊れ始めていた。
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『後方集団で注意するべきはマイルイルネルだな。彼女は末脚が強い。彼女を好きに走らせたら、今度は後方からぶち抜かれる。残り200m地点で一気に、ってところか』
『なら、どうするの?』
『本当なら、逃げを打ってるアイネスがけん制を打てればいいんだが…そんな技術はまだないからな。だからもうちょっと簡単な方法で代用する。タイミングさえ間違えなければ、マイルイルネルだけじゃなくて後ろのウマ娘全員が掛かるだろう』
『具体的には?』
『振り向いて、笑え。タイミングはちょうど1000mを通過した瞬間だ。そのタイミングより前でも後でもまずい。理由は省くが、1000mを通過した瞬間は、マイルイルネルは間違いなく君とサクラノササヤキ二人に注目している。だからそこでロス覚悟でいい、首だけ振り返って、マイルイルネルに向かって、笑え。にっこりと』
『にっこりと……こんな感じ?』
『…………君スマイルうまいって言われない?』
『バイト先でよくやるから…』
『…まぁ、それでいいや。本当はもっとこう、あくどく笑ってほしかったが…後で禍根が残ってもアレだしな。最高のスマイル一つ、頼む』
『はいなの♪』
『それでレースがぶっ壊れるから』
『はーなの!』
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「…よし、ここまでは完璧だ」
俺はアイネスフウジンが見事に俺の伝えた作戦をやり遂げて、目論見通りにレース展開が進んでいることを見届けてつぶやく。
そのつぶやきにぴく、とウマ耳を動かして、二人の愛バがレース全体を俯瞰して一言。
「……その。かなり、レース全体が…乱れていますね」
「トレーナーさん、腹黒いって言われない?」
失礼な。
「ルール上何の問題もないから」
「声が震えていませんか?」
「震えてないし」
「後でアイネスさんに一緒に謝ってあげようか?」
「いいから。…というか、実際のGⅠレースとかだとこれでもまだ可愛いほうだぞ。勝つためにはルールに抵触しない限り、あらゆる手段が許されるんだ」
そう、実際のGⅠレースなど牽制とにらみ合いが飛び交う戦場のようなものだ。
それをナイスネイチャとともに駆けた3年間で俺はよく知っているのだ。
主に牽制を飛ばす側として。
「…それに、ここまでやって、ようやくアイネスが並んだところだ。サクラノササヤキもマイルイルネルも、ここから十分に差し返す脚を持っている」
「え…では最後の直線は、運否天賦ということですか?」
「いや、それとも違う」
俺は、アイネスフウジンに授けた策…いや、最後の一つは、策とは言えないレベルの代物。
だが、ウマ娘が走るうえで、何よりも大切なもの。
つい先ほど、最終レース前に二人が魅せてくれて、アイネスフウジンが取り戻したもの。
「ここから先は───想いが強いほうが、勝つ」
オリウマ娘はアイネスフウジンの朝日杯に出走してる実在馬からもじっています。
レース展開も同様です。詳しくはアイネスフウジン(原作)のウィキペディア参照。