『はーぁ。晴れた昼過ぎだって言うのに、日本の冬は冷えるわね……』
黒いジャージに身を包み、トレセン学園の校内を歩いている黒鹿毛のウマ娘。
サンデーサイレンスが、ふぅ、と口元から白い息を零しながら、学園内を当てどなく歩いていた。
行き先は特に設定していない。
チームの練習についてだが、昨日の時点でチームの3人とも、全身の筋肉を悉く苛め抜いたため、今日は筋肉痛地獄となっている。
マッサージくらいしかやる事がなく、それはチームの主導トレーナーである立華一人で済ませられるものでもあり、今日はサンデーサイレンスはチームの練習に参加していなかった。
ただ、完全に暇を持て余しているわけではない。
サンデーサイレンスは、とある目的をもって学園内をうろついていた。
(しかし……ドバイ、ね。アイネスの短距離だけが距離的には心配だけど……)
目的を忘れることなく、しかしサンデーサイレンスは昨日のミーティングで決定した、チームフェリスのドバイ参加に思考を伸ばす。
3人とも参加が決定したドバイワールドカップミーティング。その中で、出走レースについて……アイネスフウジンが、アルクオーツスプリントへの参加を希望したことは記憶に新しい。
しかも、今年は全距離のGⅠ制覇を狙うから、その後は天皇賞春にも出走すると。
驚きしかなかった。また、余りにも挑戦的過ぎるとサンデーサイレンスは思っていた。
ありていに言えば、無謀が過ぎる。
アイネスフウジンの距離適性は当然の如く彼女も知るところである。確かに短距離から長距離まで好走を果たせる万能の脚質を兼ね備えているのは理解しているが、しかし短距離と長距離はその中でも適正として完璧とは言えない。
もしこれが自分が専属で担当するウマ娘ならば、マイルか中距離に距離を変えてはどうか、と打診するところであった。
しかし、あの男は違った。
立華勝人は、そんなアイネスの出走の理由も聞き届けた上で、こう言ったのだ。
────『OK。両方とも、君が勝ちきれるように仕上げてみせるよ』と。
(……タチバナ。貴方は、どんな経験をこれまでにしてきたの?短距離を走った後に長距離で勝ちきれるような指導……その経験が、貴方にはあるというの…?)
サンデーサイレンスは、勢い任せでも大言壮語でもない、確かな自信を持った立華のその言葉に、内心で驚愕を覚えていた。
彼の秘密は知っている。1000年の時を、トレーナー業に費やしたことは知っている。
だが、知ってはいても、実感として追いついていない。想像が及ばない。
果たして、どのような指導をこれまでにしてきたというのか?
興味は絶えなかった。
無論、彼のこの世界線以前の過去を掘り起こすなどと、破廉恥な質問はするつもりもないのだが。
────まぁ、どう考えても想像の埒外にあるだろう。
立華勝人の過去。
芝も長距離も絶望的な適性の、走る才能に恵まれないウマ娘に、ダートの短距離GⅠで勝利した1か月後に、芝の長距離、国内最高峰のレースで勝利させようとしていたなどと、想像できるはずもない。
そんな無理難題を果たした立華にとって、芝の適正は万全、短距離も長距離も十分走れる才能あふれるウマ娘の希望の通り脚を仕上げることは、決して不可能なことではなかった。
無論、レースの勝敗は別となるため、そこも立華は尽力するつもりではあるが。
『ふーぅ。……寒』
少し大きく息をついて、サンデーサイレンスが思考を切り替える。
ドバイについてはもう呑み込んだ話で、彼女たち3人の練習についてはより一層、特に日本国内にいられる2月中に体幹をさらに仕上げていくことで意志は固まっている。
しかし、チームのサブトレーナーと言う立場であるサンデーサイレンスには、それ以外にもやらなければならないことがあった。
話は今朝のチームハウスにさかのぼる。
昨日ドバイ行きを決定し、そちらの手配や日程などについて打ち合わせしたのちに、立華からサンデーサイレンスが受けた命題。
早急な対応が必要となった、その要件。
『……「新しいウマ娘のスカウトを、早めに考えておいてくれ」ね……まぁ、私もいずれは、と思っていたけど』
そう、それはチームの増員について。
年始の生放送でも立華が零していたように、今年はチームフェリスに新しくメンバーを追加したいと考えていた。
学園の上層部、たづなからの打診があったのもそうだし、立華としても実際にチームを運営していく中で、サンデーサイレンスがサブトレーナーとして尽力してくれていることもあり、増員する余裕が出来ているのも事実だ。
結果として、今年の選抜レースのあたりで、サンデーサイレンスが主管トレーナーとなってチームに一人か二人、新しく加入させたいと考えていた。
それはいい。サンデーサイレンスとしても、今年の選抜レースでウマ娘を見初める必要があることは理解していた。
その腹積もりでいた。
だが、ドバイワールドカップミーティングへの参加が決定したことで、事情が多少変化した。
ドバイに出発するのは三月の初週だ。
二月を通して行われる選抜レース、その全てのレースを見て、最後の時点で判断してスカウト……となると、ドバイへの出発まで余りにも時間がなさすぎる。
庶務が多忙になるという懸念もあるし、新人として加入したチームがいきなり海外に遠征!ともなれば、そのウマ娘はしり込みしてしまうだろう。
そのため、スカウトを早める必要があった。
サンデーサイレンスにとっては若干の無茶振りともいえる、スカウティングの予定変更について。
しかし、彼女はそんな急な話であっても、ある程度心持は落ち着いていられた。
(去年の内に、未デビューのウマ娘の何人かは見繕ってあるのよね……今日は誰かに、会えるといいけれど)
サンデーサイレンスは、当然、いずれは自分がウマ娘をスカウトする時期が来る……いや、今年はまず間違いなく、自分がウマ娘をスカウトすることになるだろうと読んで、事前にウマ娘の調査を終えていた。
それは、立華と言う存在の異質さに気づいたことで、深く確信した部分だ。
立華勝人。
彼は、3年間で世界をループする存在だ。
であるならば、恐らくは……彼は、自分が見初めたウマ娘と共に駆ける3年間を、何よりも大切にするはず。
その途中で、ウマ娘から目を逸らさざるを得ないような、新しい担当をつけるといったことをしないだろう、と踏んだ。
しかしチームとしては増員の打診は来る。
であれば、自分が主管となり、新人をスカウトするだろう、という、綺麗な論法を展開した。
そしてその読みはバッチリとはまる。
立華は少なくともあと一年、このシニア期を自分が見初めた3人から目を離したくないという想いで、サンデーサイレンスに新人スカウトの件を任せることとなったのだ。
無茶振りと言う名の立華からの甘えの部分に、しかしサンデーサイレンスはその件を了承した。頼られているからこそ、任されているのだと実感した。
(……スカウト、か)
サンデーサイレンスは、己にとって初めてである、スカウトという行為そのものについて考えを伸ばす。
アメリカでサブトレーナーをしていた時も、チームに所属はしていたが、自分が主で担当したウマ娘はいなかった。
日本に来てからも同様。これまでもチームフェリスの一員として尽力し、チームメイト同士の絆も構築できている実感はあるのだが、しかし自分がスカウトするウマ娘は、意味合いが違う。
そのウマ娘の勝利も敗北も、全て己が責任を持つことになる。
青春を駆け抜けるウマ娘の、その全てを共に背負う存在……となれば、スカウト自体は慎重に、才能のあるウマ娘を選びたい、というのがサンデーサイレンスの本音だった。
(……まぁ、タチバナはそういう視点でスカウトしていないようだったけれど)
スカウトするウマ娘について軽く立華に相談した際に、サンデーサイレンスは彼の口から彼なりのスカウト論を聞いている。
曰く、『運命が導くような出会いがあれば、それが本物だ』────とのこと。
それを聞いたサンデーサイレンスの感想はこうだ。
乙女かよ。
(……まぁ、何度も何度も出会いと別れを繰り返している彼だからこそ、なのかもね……)
口にこそ出さなかったが、余りにも乙女のような立華のそのスカウト観に、苦笑を覚えたのも事実だ。
だがまぁ、考えてみれば彼らしい。
彼にとって、ウマ娘の才能や強さは二の次、なのだろう。
それよりも、彼にとっての3年を、そしてその先も共に歩みたい、と思えるような……運命的な出会いにこそ、惹かれてしまうようになったのだろう。
そんな在り方を否定はしない。彼らしい一面だな、とサンデーサイレンスは理解を落とした。
(とはいっても。私はこの日本で、出来れば失敗はしたくないのよね。しっかりした子を選ばないと……)
サンデーサイレンスは一度中庭のベンチに座り、ジャージの胸元からタブレットを取り出してアプリを起動し、軽く操作する。
学園のトレーナーのみが閲覧できる、未デビューのウマ娘達の情報を開き、その中で目をつけていた何人かをピックアップする。
そこに表示されたウマ娘は─────全員、ダートを得意とするウマ娘だった。
『……日本も、これからダートが栄えていくことになる。ファルコンっていう見本がいるし、私の脚質とも一致する……この中から誰か、私を選んでくれるといいけれど……』
サンデーサイレンスは、ダートレースを走ってきたウマ娘だ。
アメリカのダートを蹂躙し、芝のレースは現役時代には一度も出走したことがない。先日のトレーナーズカップが最初で最後だ。
勿論、日本に来るにあたり芝のレースにも造詣を深め、指導について心配する所はない。
しかし、やはり自分が最初にスカウトするウマ娘であれば……ダートウマ娘であろう。
己が全力で育て上げ、そしていつかは砂の隼をも超えるような、ダートの伝説を生み出してみたい。
そんな想いで、サンデーサイレンスはウマ娘のスカウトをするために、学園内を散策していた。
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一時間後。
(……見つからないわね。意外と。歩けばウマ娘にあたるような学園だと思ってたけれど……)
あてどなく教室や廊下、グラウンドから寮の方まで色々と歩き回っていたサンデーサイレンスだが、中々お目当てのダートウマ娘に遭遇しない。
時々出会うウマ娘達とは挨拶を交わし、その中でも交友を深めている一部のウマ娘……チームリギルのフジキセキや、チームレグルスのアグネスタキオン、スピカのスペシャルウィークなどと出会ったときはそれなりに雑談などもしながら学園を回っていたが、しかし目当てのウマ娘には出会えない。
ある意味では当然と言える。
この学園は2000人以上の生徒が在籍するマンモス学園だ。
どこにいるかもわからない誰かとたまたま出会うために、ぶらぶら学園内を散策していても、それはもう出会える確率は低い。
この辺りの考えのギャップは、サンデーサイレンスがこれまで基本的にチームフェリスのサブトレーナーとしてしか勤務しておらず、午後にウマ娘達がどこで何をしているか、どのあたりに集まっていそうなものか、といった日常的な部分に深くかかわらず過ごしてきたことも原因の一つであった。
何なら、未だに学園であまり使わない施設の内部構造は把握しきれていない。まだ赴任して4カ月しか経っていない。
先程は噴水前から学園に向かう道で一度迷いかけてしまったくらいだ。
この学園は広すぎる。
(道案内でもいればね……誰か、暇そうな子を捕まえて一緒に回ってもらおうかしら……)
がしがしと艶のある黒髪、その頭頂部を掻いて、今日のスカウトは失敗か、とか、そもそもタチバナにどの辺に生徒がいそうか聞いておけばよかった、などと考えだした、その時だ。
中庭に向かって歩むその先、校舎の角から、3人のウマ娘達が雑談を交わしながら歩いてくるのがサンデーサイレンスの視界に入った。
(……お!)
その中に、一人、お目当てのウマ娘を見つけた。
ダートを得意とする未デビューのウマ娘。
身長165cm、栗毛のセミロングの髪に左右にお団子を二つ、正面に白い流星を持つその容姿。
今日のラッキーカラーは黄色なのか、髪房に一か所、黄色いお洒落なヘアピンをつけているそのウマ娘の名は。
「……
「え?あ、サンデートレーナー!こんにちは!私に何か用ですか?」
「あ、サンデートレーナーだ!!お疲れ様ですっ!」
「こんにちは、サンデートレーナー。今日はチームフェリスの練習ではないのですか?」
コパノリッキー。
サンデーサイレンスが、スカウト候補に挙げていた、恐らくは将来ダートのGⅠで勝ちきれるだろう、才能あふれる脚を持ったウマ娘である。
その傍に他の二人…キタサンブラックと、サトノダイヤモンドも一緒にいた。
3人とも、サンデーサイレンスと面識のあるウマ娘だ。相性がいいのか、話が合う相手。カフェテリアで呼ばれて一緒に食事をしたこともある。
確か、コパノリッキーとキタサンブラックは幼いころの友人であり、そしてキタサンブラックとサトノダイヤモンドは今でも親友だ。友人同士で午後の時間を過ごしていたのだろう。
「おォ、呼び止めて悪かったな。キタとサトもよっす。今日は練習はタチバナに任せてんだ。……あー、3人でどっか行くところだったか?邪魔したか?」
「ううん、特に予定はなかったから大丈夫!どういったご用事で?……ハッ!?まさか風水に興味でも!?」
「いや興味がねぇわけじゃねェんだけどよ……それよりも興味があるのはお前のほうだ」
「えぇ!?!?」
「あら……うふふ、サンデートレーナー、なんだか立華トレーナーみたいな言い回しですよ?」
コパノリッキーに出来る限りストレートに用件をぶつけたつもりで話した内容が、サトノダイヤモンドに
立華の事はトレーナーとして尊敬はしているが、クソボケな部分までリスペクトしているつもりはない。
それにやられたウマ娘は
余りにも甘美な毒だが、しかし甘受するつもりはない。私は修道誓願をしているのだ。クソボケに絆されてはいけません。
「誤解だ。…シンプルに言うぞ。今、チームで新しい担当をスカウトしようと考えてる。コパノリッキー、アタシの下で、チームフェリスで走るつもりはねェか?」
「………えぇ!?」
「へ、ヘッドハンティングですか!?選抜レース前に!?リッキーさんどうするの!?」
「あらあら……ふふ、リッキーさんはダートを走るのが得意ですものね。チームフェリスの、サンデートレーナーから声を掛けられるなんて……」
「ああ、ダート走れるウマ娘を担当してェなって考えててな。コパノリッキー、お前の脚は本物だ。アタシはお前が欲しい」
「コパァっ!?」
サンデーサイレンスは、声をかけた内容をストレートにコパノリッキーにぶつけた。
基本的に竹を割ったような考え方を得意とする彼女である。遠回しな表現や、じっくりと見定めたり、という手順をよしとしなかった。
こいつの脚は本物だと、サンデーサイレンスは判断した。
今現在、選抜レースを来月に控えるこの状態でも、脚を一目見ればおおよそ
ダートに極めて適した筋肉のつき方。
逃げから先行の作戦で、マイルから中距離の距離適性。
才覚溢れるその脚は、己が磨き上げればGⅠ勝利は朝飯前だと判断した。
だからこそ、お前が欲しいと。
シンプルにその想いをぶつける。
そして、赤面したコパノリッキーが、サンデーサイレンスからのスカウトに返した答えは。
「……え、えっと、本当に申し訳ないんですが、辞退させてもらっていいですか?」
「───────アッ、ハイ」