「────────アイネス!!キタサン!!医務室から担架持って来いッ!!」
「ッ!はいなの!!行くよキタちゃん!!」
「ふぇ、ええっ!?な、何が……!?」
二人が競り合い、ゴールした直後の大歓声の中で、俺は叫んだ。
俺の指示の理由に思い至らなくとも、俺の声にアイネスはすぐに頷き、キタサンの手を取って走って行ってくれた。
スマートファルコンに、執念の力で限界を超えて追い縋り、そしてとうとう追いついたフジマサマーチ。
写真判定となったようだが、俺には感じられた。
向こうの執念が勝った。
スマートファルコンが、負けた。
本来ならば悔しさに身を震わせるところだが─────そんな余裕はなかった。
俺には見えた。その表情が見えた。
俺には聞こえた。踏み込んだ時の音が聞こえた。
フジマサマーチの右脚の骨が、折れた。
「フラッシュ、バッグ持て!!ベルノ、医療キット準備して!!SSッ……」
「わかってらァ!!先、行くぞ!!」
俺は隣に立つフラッシュと、近くで共に観戦していたチームカサマツのサブトレーナーであるベルノに叫ぶ。
まだ、俺がなぜそんなに焦っているかをわからない表情だが、しかし二人の動きは早かった。
そして、俺と同じくマーチの脚の骨折を察したSSが、走者全員がゴールした瞬間にラチを越えて飛び出していってくれる。
今はまだ、クールダウンで速度を落とし走れているフジマサマーチだが、一刻を争う。
あれ以上脚に負担をかけてはいけない。
なにせ、折れてからも全力で3度ほど、地面を踏みしめてしまっている。
どれほどの意志があれば、それを成せるというのだろうか。
鬼。
今日のマーチに宿ったそれは、確かに彼女に勝利を齎し、しかし同時に致命的な怪我をしかねない暴走を生んだ。
俺もSSを追い、内ラチを越えてコースに躍り出る。
それに付き添ってフラッシュとベルノ、北原先輩やチームカサマツの面々も血相を変えてついてくる。
SSが今にも倒れそうになるフジマサマーチに走るが、僅かに距離が足りない。
あのままでは倒れる。
ならば。
「……ファルコンッ!!!マーチを支えろ!!
「っ……!」
走り終えた直後で息も絶え絶えであろう愛バに、しかし俺は指示を飛ばした。
少しでもマーチの脚の怪我を抑えるために、位置が一番近いファルコンに支えてもらわねばならない。
俺の声に慌ててファルコンがマーチの肩を支え、なんとか泥の上に倒れることは耐えられた。
そうして不慣れながらもマーチの右脚も抱え込むようにファルコンが抱こうとして、しかしお互いに疲労困憊だ。バランスを崩し、そのまま二人が倒れそうなところで──────SSが間に合った。
「っ、とぉ!よく支えたファルコン!……オイ、マーチ、アタシに体預けなァ。服汚して悪いが、一旦横にする。理由は分かってんだろ」
「っ……あ、ああ、サンデートレーナーか……すまん、世話に、なる、な……」
SSがファルコンと共に一度二人の体を支え、バランスを戻してから改めて脚に負担をかけぬようにダートに横たえる。
服は汚れてしまうがそんなことを気にしている余裕はない。
俺達もようやく追いついて、俺はすぐに彼女の右脚の診察に入った。
「オイ、立華クン…!どうなってんだ!?まさかマーチの脚……!」
「…………」
北原先輩の声に、俺は首を横に軽く振った。
靴を脱がして、触診して、すぐに分かった。
骨折だ。
────────────────
────────────────
「………はぁ、……はぁ。……立華、トレーナー……」
「無理に喋るな。今は呼吸を整えて……フラッシュ、酸素吸わせて。ベルノは医療キット開けてくれ」
「はい。…フジマサマーチさん、ゆっくり呼吸を……」
「マーチさん…!しっかり……!!」
呼吸も絶え絶えに、フジマサマーチがサンデーサイレンスの膝に膝枕され、コースに体を横たえて、立華に脚を診察されていた。
その様子に、周囲からはどよめきが起きる。
当然だ。先ほどまでデッドヒートを果たしていたウマ娘が、あの砂の隼に写真判定まで持ち込んだウマ娘がまるで故障があったかのように人が集まっているのだ。
無論の事、先ほどまで競り合っていたスマートファルコンも、次いでゴールに飛び込んだハルウララも、他の走者たちも……心配そうに、その様子を見つめていた。
「すぅ……はぁ……なぁ、立華トレーナー。私の脚は……」
「喋らない。怪我がひどくなるよ」
「構わん……なぁ……私の脚、やはり、折れているか?」
フジマサマーチの、どこか自嘲気味な問いかけに、立華は少し悩み……しかし、はっきりと、頷いて肯定の意を返す。
勝利の代償。
非開放性の骨折が生じていることを、立華は触診で確信していた。
「……折れてる。だから、脚に力は入れないでくれ。今、診察して固定する」
「っ……!!ま、マーチ先輩…!」
「マーチ先輩!?だいじょーぶ!?」
「やはり、か。……ああ、本当に、よく保ってくれた。最後、ゴールを駆け抜けるまで、な……」
横たわったままで、しかし、フジマサマーチは満足そうに息をつき、目を閉じた。
よくやってくれた、と労わる様に己の脚を一撫でする。
夢のようなレースだった。己の全てを吐き出したレース。
競走ウマ娘として、これほど全てを振り絞ったレースを走れたことを、幸運と思うべきだ。
その結果、脚が折れたとしても……それでも、最後、ゴールを駆け抜けるまで、保ってくれた。
十分だ。
そして、次の瞬間に大歓声がレース場に生まれた。
熾烈なデッドヒート、その結果が掲示板に示されたのだ。
フェブラリーステークスのレコードの更新と。
一着に輝く、フジマサマーチの名前。
そして、二着にスマートファルコンが。
勝ったのだ。
「……ファルコン。スマートファルコン」
「う、うん。先輩……」
「ああ。………勝ったな。私の、勝ちだ。油断したな、ファルコン」
「……うん、私、先輩に負けた。迫ってくる先輩の重圧に、勝てなかった……」
「ふふ。ようやく先輩として一矢報いる事ができたな。これで、最期になりそうだが……ファルコンは、脚は無事か?」
「あ、うん……多分大丈夫、だと思う…でも、先輩の方が!」
「そうか。お前が無事なら、それでいい」
フジマサマーチは、恐らくは混乱の極みにあるだろうスマートファルコンに、優しい声色で話しかける。
勝ちを誇るわけではない。ただ、話したかった。
己の最高のライバルであってくれた後輩に、ここで言葉を伝えたかった。
「ファルコン。……頼みがある」
「は、はい!何を…?」
「ああ。……いいか。お前は今後、金輪際、
「……!」
伝えたい想いは、感謝と、彼女の走るその先への激励。
誰よりも速く、強くダートを走るウマ娘だからこそ。
「お前は本物だ。今日のように油断していなければ……誰にも負けん。世界中のウマ娘を集めても、お前が一番だ。それは私が保証する。信じている………今日の私に負けたことを心に刻んで、走れ。お前は勝ち続けろ。誰よりも、強くあってくれ。それが私の望みだ」
「先輩……。………わかった、私、もう、誰にも負けない。油断しない。絶対、勝ち続ける……!!」
「ああ、それでいい。……お前と出会えて、共に走れて、よかった……本当に、私は幸せ者だ」
スマートファルコンは、愛する先輩からのその言葉を……今日、己の油断を、ドバイに気が行き過ぎて、今走るレースへの気持ちを疎かにしてしまった、その自分の甘えを雄弁に叱責してくれた走りを、過不足なく、正面から受け止めた。
そして、長く現役を続け、ピークを越え、今日の骨折で恐らくは現役を引退することになるだろう先輩の、想いを受け止めた。
二度と負けないと、己に誓った。
「マーチ。……俺も、今日、ファルコンが君と走れてよかったって思ってる。……少し痛むよ」
「ん、すまんな立華トレーナー、無敗の伝説にピリオドを打ってしま………ん、ぎっ……!!」
そんな話を一度遮るように、立華が診察の中、触診でマーチの脚に力を籠める。
レース後の興奮と高揚で忘れていた痛みが、一気に右脚から湧き上がり、フジマサマーチは顔をゆがめた。
「………よし。ベルノ、包帯と添え木出してくれ。骨折部を固定する」
「はい!……立華トレーナー、今のってなにしたんですか…?」
「細かいことは後。SS、そのまま体動かない様に頭と肩を支えておいてくれ」
「おォよ」
「北原先輩、添え木支えててもらっていいです?包帯で固定します。微動だにしないように一度固めますんで」
「ああ…!すまねぇ立華クン、助かる!!……マーチよぉ、お前……ここまで無茶しやがって……!!」
トレーナー達のてきぱきとした処置により、フジマサマーチの脚に添木が固定されていく。
じんじんと、脚の痛みが増してきながらも……フジマサマーチは、己が声をかけるべき、もう一人の名前を呼ぶ。
「っ…!……はぁ、ふぅ……ウララ、ウララはいるか……?」
「あっ、はい!!ウララはここだよマーチ先輩!!だ、だいじょうぶ……?」
「ん。……駄目みたいでな。すまんなウララ、一緒にドバイに行くのを楽しみにしてくれていたが、約束は果たせそうにない」
「ううん、それは……悲しいけど、でも、先輩の脚の方が心配だよ!!」
目だけ僅かに動かして、フジマサマーチはハルウララがいる方を向いた。
そこには、桜色の瞳に涙をためたハルウララの心配そうな表情があった。
ふ、と苦笑を零す。
本当に、このウマ娘は、優しい後輩だ。
この子もまた、フジマサマーチにとって愛する後輩。
ファルコンのような絶対の強者ではなく、むしろ自分たちと同じように、地方から中央に来て、泥臭く努力で勝利を勝ち取った、共感を生むウマ娘。
だが、そんなハルウララが、最近はスランプに陥っていることを、フジマサマーチは察していた。
走りの切れが、普段の様子が、それを物語っていた。
深く聞き及んではいない。スランプにはっきりとした理由がある事の方が稀で、それはフジマサマーチでは察しきれないものなのかもしれない。
だが。
そんな愛する後輩が、心配だから。
フジマサマーチは、言葉をさらに紡いでいく。
「ウララ。今日の私の走りは、見たか?」
「うん、見た……すごかった。……私には、あんな走りは……」
「ウララ。……いいんだ、私になれ、なんて言わない。こんな、己の身を顧みないような走りなど、お前には似合わん。だがな……」
そう、今日の走りを真似ろなんて口が裂けても言えるはずがない。
すべて注ぎ、全て捧げた、執念の結晶のような勝利。
こんなものは、カサマツでないとできなかっただろう。他のトレーナーなら止められる。
だからこそ果たした奇跡を、彼女にもやれなんて言わない。
けれど。
想いは、継いでほしかった。
「……今日、私がここまで走れたのは……想いを持って走ったからだ。誰よりも、勝ちたいと思って走ったからだ。勝ちたいと……。……ウララ、お前がレースを走るのは、なぜだ?」
「え?……う、ううん、なんでだろ……走るのは楽しいし、勝ちたいし……」
「ああ……やはり、
スランプになる大きな原因の一つ。
フジマサマーチが、己の身でも、周りを走るウマ娘を見てきた中でも、その悩みの中で最も大きな割合を占めるモノ。
それは、走る理由のブレだ。
ウララはきっと、それに陥っているのではないかと思い。
そして、それを自覚して。
さらに、強い目的意識を持ってくれれば、スランプを抜けてくれるのではないかと。
だからこそ、次に。
目的意識……彼女にとって、モチベーションとなり得るかもしれない、願いを託す。
「ウララ。お前にも、一つ、願いを託していいか?」
「う、うん!!ウララ、なんでもやる……!!」
「ふっ、はは。言ったな?…ならウララ、お前は……ドバイで、
「……!!」
「出走変更はまだ間に合う。お前なら勝てると信じている。出られなくなった私の代わりに、世界のGⅠで……勝ってこい。GⅡなんて妥協はするな。お前だって、GⅠに出たい、走りたい、勝ちたい……だろう?違うか?」
「…………」
ハルウララは、急に投げかけられたその願いに、想いに、一度息を吸って。
そして、決意をした。
彼女の想いを背負う決意をした。
「……うん!私、本当はGⅠで勝ちたかった!!世界中の人に、私は強いんだって、勝てるんだって見せたかった!!私、ゴールデンシャヒーンを走るよ、先輩!!それで、先輩の代わりに…ううん、先輩が出てたって、私が一番になって見せる!!」
「───────ああ。安心した……頼んだぞ、ウララ」
その瞳に熱を取り戻し、走れなくなった己の代わりにゴールデンシャヒーンへの出走を決意したハルウララの顔を見て、フジマサマーチは心底から安堵した。
ハルウララが熱を取り戻さないままに、ドバイに向かうようなことは避けられたのだ。
この愛くるしい後輩は、人の願いを、応援を背負って走る時が、一番光り輝く。
だからこそ、熱を取り戻し、スランプを超え、世界でもその走りを見せてほしかった。
欲を言えばまたウララとも、ファルコンとも共に走りたかったが……もう、二度と彼女らと走る事は敵わないだろう。
私の競走人生は今日で終わりだ。
だが、託せた。
スマートファルコンへは、想いを。
ハルウララへは、願いを。
そんな二人が、ドバイの地で……そして、その後にも走るレースで、また夢を駆けていくのを、見守ろう。
────────────────
────────────────
「………マーチ」
「…ん」
そんな気分にフジマサマーチが浸っているところで、脚の処置を終えた立華から声をかけられた。
見れば、すっかり右脚のひざ下が添木で固定されている。
そこには丁寧に包帯が巻かれ、微動だにしない様になっている。素人作業ではない、医者か救急隊が施したような見事な処置が済んでいた。
「……二人に想いを託したところに、水を差すようで悪いけど……」
しかし続ける立華の言葉は、フジマサマーチにとって余りにも衝撃的な言葉だった。
「────────君、
「────は?」
ぽかん、とした表情を作ってしまうフジマサマーチ。
今、この男は何といった?
「いや、なんか遺言みたいな想いの託し方してたけど……普通に治るよ。しっかりリハビリすれば、走りもすぐ取り戻せるだろうね」
「な……や、だが、しかし立華トレーナー。私は走っている最中に折れたのだぞ?その上で、全力で踏み込んで最終直線を駆けたはず、だ………なお、治るのか……?」
「全然治る。……右下腿腓骨骨折。全治は2か月、じっくりリハビリしても完全に元の調子に戻すまでプラス4か月って所。とはいえこれには俺も驚いたよ。あの走りなら、腓骨*1だけじゃなくて、脛骨*2も折れてておかしくなかった。そしたら復帰は絶望だった……けど、腓骨骨折だけで済んだ。これはね、君がチームカサマツのウマ娘だからこそだ」
「ぁ?立華クン、どういうことだい?」
予想外の言葉に、すぐ隣で先ほどまで足を支えていた北原が立華に問いかける。
立華は、敬愛する先輩……いや、今日のこの出来事を経て、さらに敬意を深めることになった先輩へ、事情を説明した。
「北原先輩の教え方の賜物ですよ、この怪我の軽さは。腓骨や脛骨のまわり……いわゆるヒラメ筋とかアキレス筋が尋常じゃなく発達してるからこそです。
少し早口気味に立華が零した骨折の内訳。
信じるままに鍛えこんだ、カサマツ組の走り方……水を掻くように走るそれが、転じて怪我の減少につながっていた。
つま先を使う走り方。それは同時に、ひざ下の筋肉を発達させることに繋がっていた。
その部分の筋肉だけで言えばファルコン以上の仕上がり。筋肉の鎧をまとった膝下は、たとえ限界を超える走りをしても、骨折を最小限、一番折れやすい部分が単純骨折しただけに留めていた。
これが普通のウマ娘なら、開放骨折だっておかしくない衝撃を与えられており、だからこそ立華もレース直後にこれほど慌てて駆け寄ったわけだが……それは杞憂であった。
彼女たちカサマツ組の脚は、逞しく、強かった。
「だからマーチ、君はまた走れる。いや、と言うか寧ろ走ってもらわないと困るな。ファルコンにリベンジの機会を与えてやってくれよ。俺だって心底悔しいんだからね」
「ほ、本当か?立華トレーナー……私は、また、走れるのか?」
「俺はウマ娘に嘘をつかないのが信条なんだ。大丈夫、走れるよ」
「────────っ、あ……」
立華から、己の脚が完治すると聞いて。
また走れると聞いて。
フジマサマーチは、溢れさせるように、ぽろり、と一粒の涙を零した。
「……そう、か…!私は、まだ走れて……!!わた、し、私、は………っっ!!」
一粒零れてしまえば、感情のダムが決壊する。
今日と言うレースに懸けた想い。
勝利したことの喜び。
骨折の痛み。
後輩二人に想いを託せたことの安堵。
思い違いで随分と雰囲気を出してしまった気恥ずかしさ。
また、走れることの幸運。
それら諸々がごちゃまぜになって。
フジマサマーチの目から、涙が滝のように溢れてきた。
普段の凛とした麗人たる彼女が、決して見せない、子供のような泣き顔を見せる。
「うぁっ、あっ、ああっ……私は……わあああああああ………!!!」
その宝石のように美しい涙は、アイネスフウジンがキタサンブラックと共に担架を運んでくるまで、流れ続けた。