「……すぅー……あ、これすごい……キマる……落ち着く……」
「次は私だからねヴィイちゃん!!早く吸いたい!!キメさせて!!」
「吸いながら声出さないようにねササちゃん。僕だって吸いたいんだから」
若干危険な会話になりながらも、ドバイターフに挑む3人が代わる代わるオニャンコポンに顔を埋めて猫吸いをしていた。
チームJAPANの挑む次なるレースは、3人が出走する。
それぞれが緊張と高揚を感じており、特に5つレースがある分、待つ側はプレッシャーが高まるのは当然のことだ。前の二人が見事な勝利を決めているのであれば、なおさら。
しかし俺たちチームJAPANは緊張を解き、興奮を抑える術がある。
やはりオニャンコポンの存在が俺達チームフェリスの勝因の一つであったことはウララの勝利を見ても確定的に明らかだ。1チームに1匹オニャンコポン時代がいつか来てしまうのかもしれない。
「…すぅ……っふぅ。堪能させていただきました……!有難う、オニャンコポン」
「フラッシュ先輩たちは毎回これをやっていたんですね……道理で、強いわけです」
「今日は私達だって絶好調だからね!!頑張ってきますよー!!!」
そうして猫吸いも終えて、改めて3人がレースに挑む前、最後の精神統一の時間となる。
まぁ、オニャンコポンを吸うのは半分はメンタルケア、半分はゲン担ぎだ。
ウマ娘をレースに送り出す最後の一言は、彼女らを担当するトレーナーの仕事である。
沖野先輩と、南坂先輩が……それぞれスズカとネイチャと共に、檄を飛ばす。
「ヴィイ。お前が待ち望んでた、ドバイの舞台がもうすぐ始まるぞ。……いけそうか?」
「はい。……緊張がゼロ、とは言えませんが、それよりも早く挑みたい、と言う気持ちが強くあります」
「緊張は解けたかしら?少し硬くなっていたようにみえたから……」
「大丈夫です、スズカ先輩。オニャンコポンのおかげで、リラックスできました。本当に」
「いいこった。せっかくの舞台だからな、思いっきり、自分を全部出して走ってこい!そうすりゃ勝てる!!」
沖野先輩の、まるでそれを見るウマ娘も同じような気持ちになってしまいそうな、子供のような好奇心と戦意に溢れた優しい笑顔をヴィクトールピストが正面から見つめる。
声色が、雰囲気が、熟練のトレーナーでなければ出せないそれだ。
安心と信頼。
ウマ娘にとって、彼の……ウマ娘を心底から信じて零す言葉が、どれほど力を与えることか。
その結果に奇跡が溢れていることを、俺はこの世界線でも、これまでの世界線でも、何度も見てきている。
トレーナーにとって最も大切なものを、最も大事なところで持っているこの先輩には、やはり敬意しかない。
ヴィクトールピストは大丈夫そうだな。
スズカが言った通り、ウララのゴールデンシャヒーンが終わるころまでは少し、戦意が溢れすぎていることによって起きる高揚……体が強張る恐れもあった。
魂が全力で震えている際に起きるエラー。ベルモントステークスでファルコンがなりかけていたようなそれに、陥りかけていた。
だが、それはオニャンコポン吸いと、そして沖野先輩の言葉で霧散したようだ。
あとは全てをレース場で放つだけ。
そんな気迫すら感じられる、ヴィクトールピストの表情だった。
これなら─────
そして、部屋の向かい側で、マイルイルネルとサクラノササヤキ、二人に声をかける南坂先輩とネイチャの姿があった。
こちらは感情論よりも、戦略を詰めての検討をしている様だ。
「…って感じで、臨機応変に最適な動きを意識して、かつミスっても気にしない様にね。……二人とも。アタシたちで今日に至るまで練りに練った作戦、発揮しなきゃ嘘だからね」
「わかってますよ、ネイチャさん。僕は、このドバイで……革命世代の肩書を、証明する。自分に、まず勝ちます」
「私は私が一番やりたい走りをしてきます!!見本は見てますからね、任せてください……!!」
「見守っていますよ。貴方たちが、このレースで出した全てを。そして、その結果がどうあろうとも、私は貴方たちを、胸を張って誇ります。貴方たちは私の、私たちカノープスの誇りです。どうか、悔いのないレースを」
「イケメン過ぎて目がくらみますが!!!!頑張りますね!!!!!」
「レース前に鼻出血になりますが?僕を殺そうとしていらっしゃいますか?いえ、僕も全霊で挑みますけれど!」
楽しそうだな。
と言う感想が零れるくらいには、上質なリラックスと、戦略検討が出来ているらしい。
笑顔は精神的な余裕の表れだ。相手への余裕ではなく、レースに気負いなく、やりたいことをやってくるという、挑戦者としての気持ちが溢れている。
これは、カノープスのウマ娘によくみられる精神だ。彼女たちは、重賞以上のレースで、しかし常に挑戦者たる立ち位置をもって走る事が多い。
その挑戦の意志。源泉が、汲めども尽きぬ無限のエネルギーとなっている。
牽制のネイチャ。大逃げのターボ。鉄の女イクノ。大器晩成マチタン。
彼女たちが、大きな怪我無く、長く、そして楽しくレースを走れている理由がそこに在る。
彼女たちは、たとえ格上が相手でも、絶対に腐らず、最後まで勝利を諦めない。
それが、どれほど難しい事なのかを、俺はよく知っている。
以前もそう表現したが、改めて思う。
チームカノープスは、挑戦者であり、伏兵だ。
そして、奇跡を起こすのは、得てしてそういうウマ娘なのだ。
これなら────
だが、これほどのベストなコンディションをもっても、俺の脳裏はまだ警笛を鳴らして止まなかった。
今回のドバイターフ、そこに出走するライバルの内……一人、暴虐の王がいる。
ウィンキス。
アレだけは、別格だ。
チームJAPANで併走をしている中で俺も日本にいたころよりもヴィイやササイルの調子や実力は把握している。
彼女たちも、極めて密度の高い鍛錬を積み上げてきた。特にここ1か月、最も伸びたのは彼女たちだと言えるだろう。
ヴィクトールピストは、ドバイに懸ける執念にも似た想いから。
ササヤキとイルネルは、普段のカノープスの環境とは違う、世代最強のウマ娘達の併走を繰り返したことで。
間違いなく優駿と成っている。仕上りは上々で、もう一人マーク対象であるプッシュウィズなら、9割は勝てる。
たとえ俺の鍛えたフラッシュやアイネスが相手になったとしても、苦戦は免れないだろう。そう確信できる。
しかし、それでもウィンキスは
勝利を疑いたくはない。心の底から、勝利を願って応援するのは間違いない。
俺の応援がほんのわずかでも彼女たちの力になるのならば、そこに全霊を賭したって構わない。
その先に、俺の見たことのない奇跡が、景色が浮かんでいることをただ祈るのみだ。
勝ってくれ。
「……時間だな。よし、ヴィイ!!行ってこいっ!!」
「はいっ!!」
「ササヤキさん、イルネルさん。最終直線で、貴女たちを見ています。頑張ってきてくださいね」
「はい!!!」
「はい。……行ってきます」
もう間もなくゲート前に集まる時間となった。
立ち上がり、控室のドアに向かっていく3人。
しかし、そこで一人のウマ娘が彼女たちの進路に立っていた。
それは、彼女たちと同学年のチームJAPANのウマ娘……先ほど、見事にゴールデンシャヒーンで一着を勝ち取ってきたハルウララだ。
にっこりと、自信満々な様子で腰に手を当てて胸を張るウララの顔を見て、俺たちは何をしたいのか察した。
「…ヴィイちゃん!ササちゃん!イルイルちゃん!!────ん!!!」
ウララが、左手は腰に当てたままで、右手を大きく開き、顔の横に挙げた。
それを見て3人も察したことだろう。
勝利のバトンを、彼女たち3人に渡すために。
「…うん、ありがとうウララちゃん。見ててね、必ず繋ぐから…!!」
「私達の内、誰かが……いや、私が勝つからね!!!一番負けたくないのはこの二人だしっ!!!」
「全く同意見。遠慮なく牽制飛ばすからね、二人にも。……その上で、勝とう。世界に」
「おー!!頑張れニッポン!!頑張ってね、3人とも!!」
ぱんっ、ぱんっ、ぱんっ。
小気味よい音がして、ハルウララの右掌が3回、彼女たちの手によって叩かれた。
バトンを受け取ったのだ。
もう、退く道はない。
ただ、前を向き、世界最強に挑むのみ。
ドバイターフが始まる。
────────────────
────────────────
ゲート前。
そこは、異様な空気に包まれていた。
「────────ッ!?」
チームJAPANの三人が、無言のうちにゲート前に繋がる通路を抜け、花火が上がり盛り上がっているレース場に姿を現して、そんな彼女たちに大歓声が贈られる。
チームJAPANは、今の所GⅠ2連勝。全て勝っている。
今年の日本はすごいんじゃないか。
もしかしたら、このドバイターフでも、やってくれるんじゃないか。
そんな、観客の期待と好奇心にあふれた声援……勿論、日本の応援団からは全力のそれが、彼女たちに向けられて。
だが、異様と表現したのはその点ではない。
ゲート前に集まるウマ娘達の、その様子だ。
全員が、ただ一人のウマ娘が発する気配に、竦んでいた。
「……っ。この、圧…!とんでもない、ね……」
「映像じゃここまでわからなかった…!!なるほど、これが────」
その、圧を発しているウマ娘に、チームJAPANの3人の視線が集まる。
ウィンキスだ。
ただ、そこに立っているだけである。
別段、周囲に向けて既に牽制をかけているといったことではない。
己の走りを万全のものとするために、他のウマ娘の様子を観察し、脳内で計算式に落とし、方程式をくみ上げているだけである。
だが、それでも。
まるで空気が液体にでもなってしまったのかと感じられるほどに、圧が滲み溢れていた。
こんなものと毎回走らされるオーストラリアのウマ娘は、たまったもんじゃないわね。
ヴィクトールピストは内心でそう彼女を評し、そして一度メンタルをリセットするためのおまじないを脳裏に浮かべる。
同時に、サクラノササヤキとマイルイルネルも、それぞれが己を整えるために己の過去を振り返る。
人が、ウマ娘が危機に陥った時、それを解決しようと過去を振り返る。
過去に経験していれば、そこから解決策も生まれる。心に余裕が持てるからだ。
それが死に近づけば走マ灯となるそれだが、今回はそこまでのものではなく、そして彼女たちは3人とも、己の経験からこの圧に近いものを思い出していた。
────────ホープフルステークスの最終直線の、フラッシュ先輩。
────────幾度もレースで挑み、破れた、アイネス先輩。
それぞれが、最も心から恐れた存在を想い出す。
そして、それに一度は己が勝利したことも。
落ち着いた。
たとえ相手が世界最強と評されるウマ娘でも────────
──────私達のライバルの方が、強い。
『………ウィンキスさん』
3人の内、英語を習得しているヴィクトールピストがウィンキスに近づいて声をかけた。
このレース、オーストラリアから出走しているのは己のみで、知り合いのウマ娘もいなかったことから誰ともコミュニケーションを取ろうとしていなかったウィンキスは、しかしその中でも最も不安要素が大きく、また関心も持っていたチームJAPANのウマ娘から声を掛けられたことで、幾分かの興味を持ってそれに応える。
『はい。何でしょうか、ヴィクトールピスト』
『貴方の戦績と、走りを尊敬しています。そして、その上で────』
そこで一度ヴィクトールピストは言葉を区切り、脳裏にスペっとしたチームメイトの顔を浮かべて、一言。
『─────
『!……ええ。こちらこそ』
言葉通りの意味を、そのままぶつけた。
いい勝負をしましょう。
意訳すれば、いい勝負になる程度には、貴女にくらいついていく、というものだ。
独走はさせない。
必ず追い詰め、勝利して見せると宣言した。
ウィンキスは、久しく己に向けられていなかった、己に勝つというその感情に、僅かながらの喜色を見せた。
オーストラリアのレースでは、もうこんなことを言ってくるウマ娘はいなくなってしまったからだ。
レースの絶対の勝利の方程式。それは永久不滅のものとなり、確約した勝利の為に走るだけになっていた。
刺激が、不足していた。
そんな、刺激を。方程式がさらに進化するための不確定要素を、このチームJAPANが見せてくれるのならば、それは歓迎するべき事柄だ。
これを求めて、初の海外遠征に臨んだのだから。
見せてほしい。
ブラックベルーガが、ミサイルマンが敗北した、日本がもつ何かを、私にも。
そして、その上で私が勝つ。
────────────────
────────────────
ゲート入りの時間となった。
順番に、ゲート入りしていくウマ娘達。
ウィンキスはおおよそ真ん中の枠に入り、一番内側にサクラノササヤキ、その三つ隣にヴィクトールピスト。
その隣にもう一人のマーク対象であるプッシュウィズが入り、ウィンキスの一つ外枠にマイルイルネルが入る形だ。
徐々にレース場から歓声が、音が消えていく。
すっかり夜空が更けたレース場に、ナイターの明かりがまぶしく灯り、芝を照らし上げている。
芝1800m。
世界最高峰のマイルレースが、幕を開ける。
『ウマ娘達が次々とゲート入りを進めています……緊張した表情です!我らがチームJAPAN、ヴィクトールピストは勝てるのか。サクラノササヤキは、マイルイルネルは勝てるのか。勝利のタスキを継いで欲しい!!たとえ世界の優駿が相手でも、頑張ってほしい!!……今、最後のウマ娘がゲートに収まります!さあ頑張れチームJAPAN!!』
『………スタートっ!!ゲートが開かれッッ!?!?飛び出していったのはサクラノササヤキ!!サクラノササヤキが行きましたっ!!これは大逃げかっ!?明らかに!!明らかに全力疾走ですっ!!まるでツインターボを、サイレンススズカを彷彿とさせるような好スタートから大逃げに打って出ました!!サクラノササヤキが世界の強豪15人を引き連れて!!己の走りを貫くか!?』
『────あっと!?ヴィクトールピストが出遅れたか!?現在位置は最後方!!後ろからのレース展開となります!!スタートに何かあったか、これは作戦なのか!?これは極端になりました!!先頭はサクラノササヤキ、最後尾がヴィクトールピストでレースが進みますっ!!』