(やられたッ……!!)
それは誰が感じた焦燥であったか。
いや、全員が同じ思いを抱えていただろう。
ドバイワールドカップ、それに挑む17人のウマ娘の内、スマートファルコンを除くほぼ全員が全く同じ感想を持った。
やられた。
スタートダッシュを許してしまった。
あの砂の隼に、己の走りを許してしまった。
圧倒的なスタートダッシュ。
舞い散る彼女の袖の布は、ドバイの夜の風に流されて行った。
断言してもいいだろう。
なんと、スマートファルコンはスタートの際、ゲートが開き始めて開き切るまでの間に、その体をゲートから解き放っていた。
それは、肩口にゲートを掠めるほどの反応速度。
体が直接ぶつかっていなかったのは衝撃音がしなかったことで理解したが、しかし彼女の勝負服、その膨らんだ肩口の右側はゲートを掠め、無残にも破れ千切れていた。
それほどの反応速度に加えて、彼女が取った作戦は大逃げだ。
ベルモントステークスの奇跡で見せた、究極の逃げ脚がこのドバイにて如何なく発揮されてしまった。
『スマートファルコンが行った!!スマートファルコンが行ったーッ!!凄まじい加速ッ!!スタートして200m、既に後続集団との距離は15バ身……いや20バ身はあるかっ!?次元が違う逃げ足だ!!これを見るために私たちはこのドバイを見守っていたのですっ!!日本の夢を背負ってスマートファルコンがドバイの夜に駆けるッ!!その後ろ、10バ身ほど離れたところにいるのはマジェスティックプリンス!!彼女だけはスマートファルコンとの距離を空けまいとついてくるっ!!後続集団までさらに10バ身ほどあるか!?このまま逃げ切ってくれるのかスマートファルコン!?』
日本の実況が叫ぶ通り、先頭をひた走るスマートファルコンと、その20バ身ほど後方に位置する通常のレースを展開する集団の間に、マジェスティックプリンスは位置していた。
彼女にとって、この位置取りは必須条件であった。
スマートファルコンと、距離を離してはならない。
それは経験則から来る確信。
(ああ……ファルコン、それだっ!!私は、まさしく君のそれに勝つために走っているのだッ!!)
遠い背中に、欲情にも近い高揚を覚え、マジェスティックプリンスが笑顔を浮かべる。
あの背中。圧倒的な絶対強者の背中。
夢にまで見た背中を、現実の今の己が追いかける。
絶対に距離を離すまいと大逃げに合わせた異様な加速でスマートファルコンを追っていた。
距離を空けずについていった理由。
それは、己の領域の距離から隼を逃さぬため────────
ただ、純粋に。
今後、ゴールに至るまでに、スマートファルコンが
勝つために、距離を空けられなかった。
(分かっているとも…君が、もう堕ちてこないことは知っているっ!!だからこそ、私はそれに勝つために、ここを走っているっ!!)
後続との距離も50mは開いていない。
マジェスティックプリンスは、第一コーナーに突入していくスマートファルコンの背を見ながら、領域を発動する準備を整えていた。
勝負は第一コーナーに入る。
────────────────
────────────────
『スマートファルコンがコーナーに入りますっ!!彼女のコーナーは速いぞ!!チームフェリスが見せる素晴らしいコーナリングが見られるか!?今っ────────な、んとぉ!?!?』
その瞬間、世界が息を呑んだ。
それを見ている観客が、ウマ娘達が、息を呑んだ。
マジェスティックプリンスですらも、驚愕に目を見開いた。
余りの驚愕に、全員が一瞬言葉を失い、
スマートファルコンが。
その姿勢を低く、鍛え上げた体幹を十全に発揮して重心を崩さないままに。
コーナーの、その内ラチに向かい、飛び込む様に頭を下げて。
まるで、サンデーサイレンスの走りのように、コーナーで
恐怖。
それを見るものが思わず目を背けてしまいそうなほどの、余りにも恐ろしいコーナリング。
内ラチとスマートファルコンの顔は10cmと離れていない。
限界まで内ラチに張り付き、しかし走る速度は落とさない。
スマートファルコンの残っていた左の勝負服の肩口が、左回りの今回のレースのコーナリングの最中に、内ラチに擦れ、ちぎれ飛んだ。
だが問題ない。関係ない。
最速を刻むためには、限界ギリギリまで攻め込まなければいけない。
「やあああああああああああああっっ!!!」
生まれかねない死の恐怖を、叫ぶことで、最速を求める高揚で塗りつぶし、スマートファルコンが駆け抜ける。
後続との差はコーナーでさらに広がった。
中継映像が大きく引きの絵を作り、それを見る世界中の人が圧倒的な走りに見惚れていた。
だが。
見惚れるだけで終わらないウマ娘が、一人。
『そう来るか……いやっ!!そう、来るだろうな!!君ならば、やるだろう!!!』
10バ身ほど後ろを走るマジェスティックプリンスが、先にコーナーに飛び込んでいったスマートファルコンを見て、驚愕し、そして一瞬の後に、
スマートファルコンの隣に立てるのは、己だけだという自負が。
スマートファルコンに勝つのは、己だという執念が。
彼女に、その選択肢を取らせる覚悟を決めた。
君がやるなら。
『サンデートレーナーから教わったのは私のほうが先なのだ…!!コトダマに包まれてあれッ!!』
決死の覚悟で、マジェスティックプリンスも内ラチに体を擦りつける様にコーナーに飛び込んでいった。
幸いにして最高の見本が目の前にいる。
そして、サンデーサイレンスからも直々に教わった経験もある。
彼女の類稀なる才能は、過去に一度も成したことのないその捨て身の走りを、しかし余りにも見事な精度で模倣し、スマートファルコンとの距離を空けずにコーナーを駆け抜けていった。
メイダンレース場の内ラチを削り取る様に走り抜ける、とびっきりの優駿が二人。
観客が大いに沸く中で、しかし、ここでとうとう。
────────────────
────────────────
その地点は、このレースを走るウマ娘全員が、一つのターニングポイントとして捉えていた地点だ。
500m。
ここで、マジェスティックプリンスの領域が、来る。
だが、ドバイワールドカップに挑んでいるウマ娘達は、その全員が国を代表する優駿である。
無論の事、彼女の領域の事は事前にしっかりとリサーチし、そしてその効果も広く知られるところとなっていた。
彼女を中心として半径50mのドーム状の領域を展開。
それに取り込まれると、速度を奪われる。
奪い取ったその速度を最終コーナー付近から発揮し、加速する。
ドーム状の領域は前後に動かすこともできる。
────そして、それは抵抗が容易である。
BCカップやジャパンカップでマジェスティックプリンスが見せた領域は、しかし牽制への抵抗力があれば、それへの抵抗は容易であると知っていた。
王子たる彼女の領域は、あくまで弱者に対して圧政を強いるもの。
強者たるウマ娘であれば抵抗は容易い。
このドバイにおいては、スマートファルコンほどの危険性を孕んでいないものとウマ娘達は捉え、そして実際に抵抗できるであろう実力を有していた。
だが。
それは、去年までのレースの情報である。
マジェスティックプリンスが、スマートファルコンとアイネスフウジンに破れたウマ娘だからこそ。
恐らく世界で一番最初に、日本の革命世代の走りに破れたウマ娘だからこそ。
彼女もまた、革命世代に肩を並べていた。
進化を果たしていた。
とっておきの奥の手として、このレースで限界を超え進化した領域を、繰り出さんとしていた。
スマートファルコンの走りには、限界の一つや二つは超えていなければたどり着けない。
(では、行くよ。隼の高みに至るために─────)
全身全霊のコーナリングの最中、コーナー出口から直線に向かうあたりで、マジェスティックプリンスは己の領域を発動する。
この先、向こう正面のストレートに至る際に、余計な水を差されないために。
自分たちの走りについてこれるのは、強者だけでいい。
『─────私は、飛翔するっ!!!王の羽搏きをご照覧あれっ!!!』
────────【
マジェスティックプリンスの、その背中から。
────────────────
────────────────
『なっ────によ、これっ!?』
マジェスティックプリンスの後ろ、10バ身ほど離れたところにある集団の、その先頭を走るウマ娘が驚愕に叫ぶ。
コーナー出口付近で、唐突にマジェスティックプリンスの背中から生まれた、深紅の翼。
それが、彼女の領域であることは気配で察した。
しかし、余りにもその様相が異なる。
事前の情報で見たドーム状の領域は形を変え、それを翼のように展開していた。
密度を高め、射程を伸ばし、自在に動かす余りにも凶器たるそれへと変貌していた。
あの赤色は、間違いない。
過去にドーム状に広げていたものと同質のものだ。
しかし、その密度が違う。
血の色とも見間違うほどの濃い紅をもって彼女の背中から生まれたそれは、抵抗が出来るであろうと見積もっていたそのウマ娘の心を折るには十分な、圧倒的な殺意をもって広がっていた。
そうして、翼が羽搏きを始める。
マジェスティックプリンスの意志の通りに動くその翼の1枚が、己が身に降りかかる。
避けられるはずもない。
あくまでこれは領域が見せるイメージだ。現実には翼など生まれていない。
ただ、マジェスティックプリンスの特異な領域が生む、減衰効果が、デバフが己にかかってきているだけなのだ。
(ぐっ……!!これ、強……!?)
渾身の力で抵抗した、つもりだった。
だが、その翼は余りにも強い圧を己の身に強いて、随分とスタミナと脚力が奪われてしまう。
掛かってしまったときの脱力感のような、体が重くなるかのような感覚を味わっていた。
それは、先頭を走るウマ娘だけではない。
集団にいる一人一人に翼が手向けられ、そしてそれに抵抗できるウマ娘はいなかった。
マジェスティックプリンスの選別に、耐えられるウマ娘はいなかった。
世界を代表する優駿である彼女たちですら、その領域によるデバフにより力を奪われてしまっていた。
─────だが、ただ一人。
先頭を走るスマートファルコンだけは、後ろを走るマジェスティックプリンスから向けられた翼を、まるで隼が獲物の息の根を止めるかの如く、
(ふざ、けっ……!?わかってんの、貴方!?こんな、ことをしたら……っ!!)
マジェスティックプリンスの領域にこらえながらも、しかしあるウマ娘が危惧を抱く。
わかっているのか。
これは、己の首を絞めることになるということに、マジェスティックプリンスは気付いているのか。
この翼は、スマートファルコンを除く全てのウマ娘から力を奪う。
速度だけではない。スタミナも、そして牽制力も奪われていた。
それが何を意味するのか。
スマートファルコンに、牽制が放てなくなるという事だ。
スタートダッシュを経てコーナーで更に距離が離れてしまったスマートファルコン。
あれを止めるためには、向こう正面で彼女が突入する領域を潰さなければならなかった。
後続集団の全員がそれを感じ、そしてそれに備えて圧を溜めていたのだ。
1000m地点が近づいてきたら、距離は離れていようとも、後続集団のその全員から、全力の牽制がスマートファルコンに捧げられるはずであった。
世界の優駿が全員、意志を一つにして布陣を敷けば、流石の砂の隼も堕ちる。
マジェスティックプリンス一人の領域などよりも、効果を期待できたはずだ。
それでスマートファルコンが領域に入らなければ……いや、入られたとしても、フェブラリーステークスで見せたように脚が削れれば、逆噴射の可能性も高まり、勝機が見えてきたというのに。
普通に考えれば、マジェスティックプリンスも得をするはずのそれであったのに。
彼女の領域が、スマートファルコンの独走を許してしまう形となる。
(──────それでいいのだよ)
だが、当然にしてマジェスティックプリンスはその可能性を理解していた。
余りにも傲慢たるその考えは、しかし彼女が最高の走りをするための条件でもあった。
最高の走りをするスマートファルコンに、勝ちたい。
挑む山は、高ければ高いほど良い。
己の生涯のライバルである彼女には、最高高度を飛んでいてもらわなければならない。
それを落としてこそ、己が玉座に返り咲く瞬間なのだと、マジェスティックプリンスは考えていた。
このレースを走る前から、ずっとそう考えていた。
牽制自体を否定はしない。
フェブラリーステークスでフジマサマーチが見せた執念のそれを、認めてはいる。
勝つためにあらゆる手段をとることを、卑怯だとは思わない。それがレースの常であることも理解はしている。
だが、この王子たる己が砂の隼に挑むにあたっては、違う。
『最高の状態の君に、勝ちたい…!!さあ、私は見せたっ!!次は君が見せてくれファルコンっ!!君の、羽搏きを!!』
マジェスティックプリンスが叫ぶ先、向こう正面に入りレースは1000m地点をまもなくスマートファルコンが通過しようとするところ。
そこは、彼女が領域を発動する地点だ。
これまでのダートレースでは牽制を潜り抜けて放っていたそれを、今回は十全の気力をもって、自由に隼が空を舞う。
シンプルにして強力な領域に、砂の隼が至る。
砂の上では、誰にも譲るつもりはない。
────────【砂塵の王】
スマートファルコンが、砂塵をドバイの夜空に巻き上げ、猛烈な加速でさらに世界の限界に迫った。
『向こう正面をスマートファルコンが駆けるっ!!その勢いは落ちません!!まだまだ走れる!!世界の隼が世界との差を広げていくっ!!後続集団は動揺があるのか!?中々距離は詰まりませんっ!!しかしマジェスティックプリンスだけがスマートファルコンとの距離を詰めてくる!!この大逃げに追いつけるのか……今1000mを通過っ!!通過タイムは───────』
『─────!?!?ごっ、ご、
────────────────
────────────────
(────────)
スマートファルコンがただ、駆ける。
後続は、もう、意識していなかった。
途中、領域を発動する前に真っ赤な翼……恐らくはマジェスティックプリンスの領域のそれが己の走りを邪魔しに来たが、千切った。
その後に、牽制が仕掛けられなかった気もするが、もう関係がなかった。
普段のレースの何倍も深い集中状態に入っていたスマートファルコンは、最高の入りをもって己の領域に突入し、さらに加速する。
目指すものは史上最速。
世界レコード、そのタイムを刻むために走っていた。
スマートファルコンの意志が、それ以外への意識を削ぎ落していた。
魂の熱だけが、ただ、ただ高まり続けていた。
勝つために、走っていた。
ここまでに紡いだ、チームJAPANの全ての想いも。
今日に至るまでに自分が駆け抜けてきた、数多の仲間、ライバルたちとの走りの歴史も。
その重さ、それをすべてこのドバイの地で解き放ち。
私は、最速の砂の隼となる。
(────────!)
ああ、だが、そんな自分に、唯一ついてくる存在がいた。
後方から、足音が迫ってきている。
それは、先ほどまで展開していた新領域の効果をもって、奪い取った速度を十全に発揮しながら駆ける、マジェスティックプリンスだ。
もう、足音で分かる。
彼女もまた友。戦友にして、親友にして、砂の上での最大のライバル。
そんな彼女が、大逃げを仕掛けた自分に、しかし速度を上げてコーナー前で追いつかんと肉薄する足音が迫っていた。
(────────)
ふ、と笑みが一つ零れる。
流石だ、と心から敬意を覚える。
そうだ。忘れてはいけない。
これはタイムアタックではなく、レースなのだ。
競り合うライバルがいなければ、面白くない。
己が更なる高みに至るためには。
競り合ってくれる
息を入れる暇はない。
恐らくはマジェスティックプリンスだってそうだろう。
お互いに、絶対条件が分かっているからこそ、ここで息をつく選択肢は取れなかった。
スマートファルコンは、己が先頭を走っていないと力を十全に発揮できない。
それを彼女自身も、マジェスティックプリンスも理解しているからこそ、何としてもスマートファルコンは抜かれるわけには行かなかったし、何としてもマジェスティックプリンスは彼女の前に出なければならなかった。
アイネスフウジンに見られるような、一度抜かれてからの差し返しはない。スマートファルコンは抜かれたら終わりだ。
だからこそ、マジェスティックプリンスは領域による加速を早めに繰り出して、最終コーナーに突入する前にその距離を埋めにかかった。
向こう正面の直線を抜け、コーナーに差し掛かる寸前までには、なんと、お互いの距離は1バ身程度まで縮まっていた。
無論の事、マジェスティックプリンスは無茶をしている。
しかし、確信をもっての無茶だ。
ここまで迫ったうえで、コーナーで後塵を拝さずに、最終直線までに距離をさらに詰めなければ勝利はないと。
彼女はそう考えていた。
知っていた。
ベルモントステークスで、それを味わっていたからこそ。
マジェスティックプリンスは限界を超える覚悟をもって、彼我の距離を詰めていた。
(────────望むところだッ!!)
スマートファルコンは、マジェスティックプリンスに一瞬の先着をもって最終コーナーに突入する。
無論、サンデーサイレンスと同様の、内ラチに頭を潜り込ませる最短距離の走りだ。
インは絶対に開けない。
抜かさせない。
ここまでくれば意地の勝負だ。
そしてその後ろ、同じようにマジェスティックプリンスもまた内ラチに飛び込む様にコーナリングを見せた。
殆ど縦に並ぶようにして、お互いが全力でコーナーを駆ける。
限りあるスタミナを削りながら、シンクロするように、二人の最強が内ラチを舐めていく。
そこには恐怖はなかった。
お互いに、僅かでも体幹がブレれば内ラチに激突するような状況でも。
前を走るスマートファルコンと、そのすぐ後ろを走るマジェスティックプリンスがわずかでも接触すれば大惨事になる様な状況であっても。
二人は、お互いの走りを心から信頼し、走り抜けていた。
二筋の流星が、ドバイの夜空に流れていく。
大歓声をもって、メイダンレース場が震えるように沸いていた。
─────そして、コーナー出口が見えた。
最終直線、400m。
人々は、その400mを『奇跡』と呼んだ。
────────────────
────────────────
『離れないっ!!マジェスティックプリンスが離れないっ!!!身震いするほどのコーナリングをスマートファルコンとマジェスティックプリンスが魅せているっ!!!最終コーナーをただ二人だけが走り抜けていますっ!!!どちらも譲らない!!どちらも譲らないっ!!!まるで戯れているようにも見えるほど!!!世紀の絶戦だ!!!歴史に残る戦いだっ!!!もう間もなくコーナーを抜けるっ!!!勝利の女神が微笑むのはどちらだっ!!!スマートファルコン行ってくれ!!!夢を背負って駆け抜けてくれっ!!!刮目せよ!!!残り400mっ!!!』
ここまで全力で走り抜けてきたスマートファルコンは、血中酸素濃度が薄れ、限界を迎えようとする頭で
今日に至るまで、己が生きてきた人生の想い出が蘇ってくる。
幼い頃は、引っ越しが多くて、中々友達が出来なかった。
そんな中で、私は画面の向こうの、ウマ娘が踊る姿に魅せられた。
アイドルに……いや、ウマドルになりたいと、願った。
みんなに笑顔を届けられるような存在になりたいと、想っていた。
踊りや歌の練習をしながらも、レースでも勝たないといけないから、よく練習していた。
そうして中央トレセン学園に入学した。
やっぱり日本で人気があるのは芝のレースだから、芝のレースで勝ちたいと思っていた。
ダートに適性のある脚を、恨んだことも、無くはなかった。
きっと。
きっとそのまま、私が人生を歩んでいたら、私はウマドルとして活躍していたのだろう。
走る場はやっぱりダートのレースだったとは思うけれど、それでも、ウマドルとしての活動に力を入れて、そっちのほうで知名度も上がって。
そして、いつか、全国的に有名なウマ娘になって。
大きな…本当に大きな、
────────けれど、私はあの河川敷で、出会ってしまった。
立華勝人さん。
私の、トレーナーさん。
あの人に出会って、オニャンコポンとも出会って。
そして、私はフェブラリーステークスを見て。
────────私は、変わった。
求めるものが、ウマドルとしての名声ではなく、レースでの勝利に変わった。
砂の上で、私は勝利を求めた。
魂が、それを求めていた。
そして、私は……ダートのレースを走り、芝のレースも走り、そして自覚した。
ダートでの勝利を、心底から求めるようになった。
勿論、ウマドルとしての活動も決してあきらめてはいなかったが……少しずつ、少しずつ、私はレースで勝つことを求める、そのことに比重を置くようになった。
────────私は、ダートの王に、なる。
ああ、私の運命を変えた貴方。
罪作りな、ウマ誑しな貴方。
貴方の目に、今の私はどう映っているのかな。
自慢の愛バだって、想ってくれているのかな。
貴方がそう想ってくれるのならば、私に何の後悔もない。
今ここにいる、この世界の私は、貴方だけのものだから。
今、ここにいるのは、
今、ここにいるのは、立華勝人によって変えられ、砂の最速を求める私なんだ。
────────魂が嚙み合った。
がちり、と何かがぴったりはまったような感覚。
ウマドルとしての自分ではなく、レースを駆ける己であることを心の底から自覚したことで、完全に魂と共鳴した。
ドバイを駆ける、砂の頂点を目指した
そして、目覚める。
再び、ゼロの領域へ。
────────【ゼロシフト=
「は───あああああああああああああああああっっっ!!!!」
残り400m。
スマートファルコンが、スタミナが枯渇しかけたそこから、
超常の域に至るからこそのゼロの領域。
ベルモントステークスの奇跡が再び起きようとして。
しかし。
『────────三度目だよ、ファルコン』
それを許さぬ悲劇の王子が、呟いた。