スプリンターズステークスを終えて、10月。
この月は……2つの大きなGⅠがあった。
10月初旬のフラッシュが挑む凱旋門賞と、10月末のアイネスが挑む天皇賞秋。
特に大きなイベントはやはり海外への挑戦、日本の悲願たる凱旋門賞へ挑んだことだろう。
スプリンターズステークスを終えてすぐにパリに戻った兄さんが最後の一週間、フラッシュの脚を仕上げて、その当日に挑むことになった。
勿論私たちチームもレース当日には間に合うように日本を出発し、パリに応援に向かった。
(凱旋門賞……ロンシャンレース場は、日本の芝と全く違う走りを求められる。日本では最強のウマ娘でも、凱旋門で涙をのんだケースなんて幾つもある……そこに、フラッシュの脚がどこまで合わせられてたか。そこがポイントになる……と、考えていたのだけれどね)
凱旋門に挑む前までのフラッシュの練習、そこで脚をどれだけ芝に合わせられていたか、そこが大切だ。
なにせパリロンシャンレース場は最終直線がかなり長いコース。その前の偽の直線から数えて1000m近く、ほぼほぼ直線が最後まで続くになる。
となれば、末脚を長く使えるフラッシュが有利だ。
だから、後は芝だけ。懸念点はそこだけ、だと考えていた。
しかし、現実はまた違った。
想像以上に、あの凱旋門賞というレースは魔境であった。
(挑むライバルも、手ごわい相手が3人……厳しいレースだった。でも……そうね、この先はレース映像を見ながら、書き上げましょうか)
私は今年の凱旋門賞の映像をネットから拾い上げ、イヤホンを耳に着けて再生ボタンを押す。
フラッシュの大一番。凱旋門賞。
その決着を、今一度見届けるために。
────────────────
────────────────
『──────
レースは残り1000mを切った。
この
この
そして、当然にしてドバイで覇を競った優駿たち4人は、そのことに理解を落としている。
既にロンシャンレース場は4度目のレースとなるヴィクトールピスト。
冷静な分析力を持つエイシンフラッシュとウィンキス。
そしてホームコースであるブロワイエ。
この4人が、レース前の人気上位4人となっていた。
そして今回は珍しく逃げの作戦をとったヴィクトールピストが先頭を駆ける。
先行集団にはウィンキスが。
そして、その後ろ差し集団にはエイシンフラッシュとブロワイエがおり、それぞれが飛び出すタイミングを計りながら走っていた。
(────────、っ……!!)
しかし、その中で、表情にこそ出さないが苦悩を覚えるウマ娘が、一人。
エイシンフラッシュが、己の走りに僅かな疑問……いや、不信感を覚えてしまっていた。
その理由は、己でもうまく説明はしきれない。
この深い芝に脚が、走りが合わない……ということはない。
彼女のトレーナーである立華が夏合宿から丹精を籠めて練り上げたエイシンフラッシュの走りは以前に増して力強く、芝の影響を受けない走りが出来るようになっている。
このレースの前に行ったヴィクトールピストとの併走でも、お互いに太鼓判を押しあえるくらいの走りの出来。
去年は僅差の3着であったヴィクトールピストの走りも、十分にこの芝に適応できており、それに並んで走れるエイシンフラッシュもまた、十分な適性を備えていた。
しかし、それでも感じるこの葛藤。
これは、己の走りの速度に起因するものではない。
悩み、だ。
スランプとも呼ばれるような、それを。
『……妙だな』
『っ…ブロワイエ、さん』
そして
位置取り争い程度の其れで、お互いにラストスパートには早すぎる段階だが、しかしその刹那で、共にドバイで覇を争った戦友が、そのライバルたる閃光の陰りを明確に感じ取り、声をかけてくる。
『君が以前に見せた走りは、覇気はこの程度ではないはずだ……ドバイで走っていた時の君は、もっと真っすぐだった。何か、悩みでもあるのかな?走りから如実に読み取れてしまうよ、フラッシュ』
『……無駄口を、たたく余裕が……あるのですか、ブロワイエさん!』
『いや、勘違いをさせてしまったなら失敬。しかし私はこの会話を無駄とは思わないのでね。……ライバルたる君が、燻っていてはつまらないのだ。今、私が誰よりもリベンジしたいのは君なのだからね、フラッシュ。だが……』
ブロワイエは純粋に、今日のエイシンフラッシュがドバイで見せた走りと比べて、僅かに逡巡があることを察し、ライバルを心配する配慮で声をかけた。
それを挑発と捉えたエイシンフラッシュが僅かに声を荒げるが、それでもブロワイエは冷静だ。逆に、エイシンフラッシュには余裕がない。
精神的に追い詰められてしまっているのだ。
まるで──────そう、まるで、立華勝人と出会ったときの、選抜レースの一戦目を終えたの時のように。
『そんな悩みを抱えた状態でも凱旋門を勝ち抜けると思われてしまっているのならば、甚だ心外だな。芝の頂点のレースはそれほど甘くはない。君がそのままであるのなら……今日は私が獲らせてもらうっ!!』
『……!』
そしてブロワイエはそんなエイシンフラッシュに、今度は意識して挑発を飛ばし、追い抜いていく。
それを挑発と理解したエイシンフラッシュは、その追い越しに追い抜き返そうとして…しかし、ここは凱旋門でブロワイエの得意とするコースであり、この道中で掛かってしまっては最終直線で末脚を万全に放てないか、と判断して追い比べを迫るのをやめた。
その理由は、エイシンフラッシュにとって妥当な判断だ、と感じての其れだった。
断じて─────断じて、天皇賞春で追い比べた末に敗北したその過去を思い出したわけではない。
そしてブロワイエが加速していくその背を見送る。
まだだ。まだ堪えなければならない。
このレース場は直線が長い。エイシンフラッシュにとっては、己の最高の武器である
だからこそ、そのために冷静なレース運びを。
────でも、宝塚記念では
違う。
あれはコースの形がよくなかった。
無理に600m地点で領域を狙わず、直線に入ってから加速すればよかった。
…でも、それだとアイネスさんの暴風とライアンさんの圧にもまれて、天皇賞春の二の舞になっていた?
私は、勝てなかった?
否、その判断をレースの時にしっかりやっていればよかったのでは?
天皇賞春だって、アイネスさんの根性をしっかり見積もり、大外を回っていれば?
いや、領域の
それでも……それで、勝てたか?
私は、勝てなくなってしまっているのか?
私の心の奥底にある、その葛藤。
己の敗北への後悔?
敗北したことの悔しさ?
否、その敗北をこうして何度も振り返ってしまっていることの女々しさ?
……私は、何のために走っているの?
(…!!何を、弱気な!!今、ここは、凱旋門の最中だというのに……!!)
エイシンフラッシュは、ブロワイエの言葉で己の中の弱気と向き合ってしまい、それにより葛藤が深まってしまった。
分からない。
自分の今の状況が分からない。
ドバイで勝利してからの、二度の敗北。
その決着に納得をできていない?……いや、それはあのレースを走った全員に失礼が過ぎる。
それを踏み越えて前を向かなければならない。
しかし、でも、私がこれまでに受けた敗北は、純粋な実力勝負だったのは少なくて。
ホープフルステークスでは明らかなトラブルがあって。
有マ記念では記憶を思い出して、それどころではなくて……いや、でも、あのレースだって、ネイチャさんにやられていた。記憶とは関係なしに。
違う、そういうことを言いたいんじゃない。
私は、勝つために走っているのに、それが負けたことで……こんなにも、動揺してしまうウマ娘だったのか?
その感情に、自分でも驚いてしまって。
この不調、トレーナーさんには隠し通していたつもりだったけれど、気付かれていたのかも?
いや、でも、私のライバルたちは、負けたってそれを受け入れて、乗り越えて、強くなっていったのに。
たった、2回連続の敗北でこんなにも気にしてしまっている自分が情けなくて。
いや、気にしない方がまずいのでは?そっちのほうがはしたないのでは?
ああ、ああ、でも────────わから、なくて。
(────────)
エイシンフラッシュは、思考の坩堝に沈んでいってしまう。
その明晰な思考力が、しかし、沈む方向に向かってしまうと、人一倍悩んでしまう性質であった。
私は不器用か?という問いかけに同室の親友がうんと即答できるほどに、彼女は不器用であった。
ウマ娘は敗北したときに、己の敗北を受け入れ、時には怒りを爆発させ、涙し、そして奮起する。
心の中で感情を整理して、次のレースへの熱意に変える。
しかし、今のフラッシュは、その感情の整理がしきれていなかった。
それはエイシンフラッシュにとって、苦手な項目。
かつて、選抜レースでこの状況に陥った時には、立華がフラッシュの感情を爆発させ、冷静にさせた。
かつて、有マ記念のレース後にこの状況に陥った時には、フラッシュの感情を立華が受け止め、冷静にさせた。
しかし、この凱旋門に至る前の2レースで積み重なった葛藤が、レースを走る己の脚に不信感を抱かせて。
その葛藤を抱えたままに────────既に、
『さあ最終コーナーを回って直線に向かうっ!!ヴィクトールピストが先頭だ!!ヴィクトールピストが先頭!!!残り500m、だがここでウィンキスが圧倒的な加速でぶっ飛んでくる!!その後ろからはブロワイエも来た!!どちらも速いっ!!去年の再現のような状況!!ヴィクトールピストは堪え切れるか!?エイシンフラッシュは……まだ飛び出さない!?厳しいか!?深い芝が彼女の末脚を奪ってしまったのか!?伸びません、まだ来ない!!ここから来てほしい所!!ヴィクトールピストが世界最強の二人に迫られる!!』
(──────っ!?しまった、セットアップのタイミングを逸した!?)
ふと我に返ったエイシンフラッシュは、己の領域の準備を全くできていない状態で最終直線に臨んでしまっている現状を理解し、どっと冷や汗が垂れた。
やってしまった。
これは────────まずい。
追いつけない。
悩みすぎた。
これまで走ってきたレースの中でも、一番まずい状況。
完全に追い詰められた。
「く、ぅ……!!」
やってしまったのか。
私は、勝てないのか。
勝つために走っているのに。
勝ちたくて、走っているのに。
私は、勝ちたくて────────
(……なぜ、勝ちたいと思って、走って、いたんでしょうか……?)
混乱と絶望の中で、エイシンフラッシュが己の葛藤の答えを探すべく、己の過去を遡る。
勝ちたい──────そう、勝ちたいと思って、走っている。
でも、何故勝ちたいのか?
なんで、誇りある勝利を求めているのか?
ウマ娘だから?
育ててくれた両親のため?
誇り……私の誇りは、どこにあるの?
何のために走っているの?
これまでのレースで競い合ったライバルたちに恥ずかしくない走りを見せたいから?
私自身が勝ちたいから?
(私は────────)
葛藤に答えが出ない。
スランプだ。
完全に、スランプに陥ってしまっている。
この極限の状況で、エイシンフラッシュは、精神的に追い詰められてしまっていた。
そして。
そんな彼女を掬うのは、いつだって。
「─────フラッシュゥーーーーッ!!!!!」
「行け!!そこからだって君なら行ける!!行ってくれェーーー!!!」
「俺のウマ娘である君が!!凱旋門賞で勝つ姿を見せてくれ!!!」
「君を信じてるッッ!!!だから、走れええええええ!!!!!」
立華勝人。
エイシンフラッシュにとって、誰よりも大切な人の声が、耳朶に響いて。
その声に、エイシンフラッシュは己の走る理由を、想い出した。
陰る心に、閃光のように光が差して。
彼女の意識は、それに溶けて────────
────────────────
────────────────
────────【
(残り400m。前方ヴィイとは2バ身、後方からブロワイエが驚異的な加速。フラッシュは加速なし。───情報修正。私も本気の120%。──領域展開。スタミナは万全。加速。芝の影響は極小。……行ける。──────さあ、ヴィイ!!勝負ですッ!!)
ウィンキスが、ドバイで目覚めた己の領域に突入し、残り2000mを走り抜けた先の残り400mを、劇的にスタミナを回復させて駆け抜ける。
同時に領域による加速。いいとこどりのこの領域に弱点はない。
ドバイ以降、またしても無敗街道を駆け抜けていた彼女は、そのレースの中でこの領域を使いこなす段に至っていた。
化物が更なる化物に。これまでの距離レンジの最長距離であった2000mを超え、2400mのこの深い芝のレースに至ってもなお、彼女の走りは陰ることはなく。
世界最強の末脚がこのパリロンシャンレース場に放たれる。
ああ、無論の事、それに待ったをかけるウマ娘がいる。
世界最強がウィンキスなら、このウマ娘はパリロンシャンレース場での最強。
凱旋門の
────────【
ブロワイエが、彼女に負けじと領域に突入した。
(この芝で素晴らしい走りだ二人とも!だがまだ甘いッ!!この凱旋門賞のラスト500mは意地や根性でどうにかなるものではない……求められるものは意志だ!!誰にも負けないという意志ッ!!ここでは私が王者だ!!負けてなるかッ!!私のプライドにかけてもッッ!!!)
ドバイで見せた領域と同質のものだが、しかしその効果が一線を画す。
ドバイでは残り900m地点からロングスパートの最中に放ち、その上で凄まじい加速を伴っていたが、しかし今回の凱旋門賞ではここまで溜めた脚を十全にぶちまけ、獣のような踏み込みを見せた。
鬼の精神に獣の意地。この凱旋門賞という舞台において、ブロワイエは最強であり続けるために、己の加速を果たす。
そして、そんな二人に追いすがられるヴィクトールピストもまた、領域に突入する。
夏合宿で磨き上げ、心を仕上げ、そしてとうとう己と向き合うことで手にいれた、ゼロの領域へ。
────────【
(甘い!!切り札を切って全力の加速で来るようだけれど、甘いんじゃないの!?
そして超然たる加速で逃げる中で、しかし、ヴィクトールピストは一つの可能性を捨てなかった。
エイシンフラッシュの復活を。
彼女は来る。
彼女の領域発動、その最適なタイミングを逃したとしても。
例え、走りに陰りがあったとしても。
それでも、エイシンフラッシュは来るのだ。
絶対に来る。
追い詰められた状況こそが、あの人が真の恐ろしさを見せる時。
私が、それを誰よりも一番理解している。
─────チームフェリスのエイシンフラッシュは、絶対に、来る。
──── ────
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そこは、エイシンフラッシュの魂の原風景。
一面の芝、東京競馬場のターフの上に、エイシンフラッシュは立っていた。
ゼロの領域の空間。
己の魂との対話に入っていた。
エイシンフラッシュはあたりを見渡して……そして、そこが己の魂の中であると理解した。
目の前には、4つの脚を地に着いた、光が尊厳なる雰囲気で佇んでいた。
その魂は、ある一つのGⅠの勝利の劇的な光景を、世界に刻みつけていた。
ウマ娘であるエイシンフラッシュが、己の魂の光のほかに……余りにも眩しく輝く光を受けて、目を細める。
それは、観客席の最上段に輝いていた。
天照の光を継ぐ高貴なる血統が、日本の象徴たる存在がそこにいて。
天覧たるその舞台にて劇的なる勝利を果たした己の魂。その歴史を、想いを、受け取った。
────────誇りとは
そして、光が己に語り掛ける。
走る、その理由。ウマ娘である自分が最も大切にしている、誇りある勝利、その根本。
────────己が、何よりも信ずるものを、信じぬくことだ
────────君は、何を信じて走る?
光の問いかけるその内容は、己のスランプの根幹。
ウマ娘である私が、何のために走るのか。
それを、魂から問いかけた。
己の想いに気付かせるために。
「私は─────」
ウマ娘であるエイシンフラッシュが、己が魂からの問いかけに、答えを見出す。
さっき、気付けたもの。
私の中で、何よりも大切だったもの。
いつもすぐそばにあって、たまに忘れてしまうほど、強い理由だった、それ。
エイシンフラッシュは、微笑んで、その答えを述べる。
「私は─────愛する人の為に、走ります」
その答えは────────魂の光たるエイシンフラッシュの答えと、異なるものだった。
彼女なりの、彼女だけの理由。
彼女
そして、その答えを以て、ウマ娘たるエイシンフラッシュは、もう一つの可能性に分岐した。
ゼロの領域に至り、魂との距離をゼロにする。
しかし、彼女が選んだのは、天覧競走にて誇り高き伝説を生んだ、己の魂とではなくて。
──────もう一つの、私の魂。
振り返る。
己を挟み、魂の光の後ろ側に立っていた、もう一つの魂。
世界線を超えて、己の中に目覚めた彼女。
そこには、ウマ娘の形をした光が立っていた。
立華勝人が経験した、前の世界線。
理外の果てのこのゼロの領域においてなお理の外にある、一人のウマ娘の中に二つの魂があるという異常事態。
己とそっくりなその光の方を向いて、エイシンフラッシュが答える。
「私は────私」
「この世界で、立華勝人さんに見つけてもらった、私」
「魂たる誇り高く輝く貴方も、私。だけど、前の世界線で彼に恋慕を抱き、彼のウマ娘たる
「そして、私は、あの人の声で気付きました」
「深く考えるのは、やめました」
「私は、あの人に見つけてもらえた。私は、立華勝人さんが、大好きです」
「だから、愛する人の為に、走ります」
それだけでよかった。
私は、思い悩んでしまうから。
だから、もっとシンプルな方がいい。
私は、立華勝人のウマ娘として、立華勝人の為に、走る。
この世界のエイシンフラッシュは、それを選んだ。
────────それでいい
そして、その想いに
────────己が誰よりも信ずる者の為に走る。それでいい
────────悩まずに、前を向いて走るのであれば
────────私は、いつでも君の力になろう
答えに満足したかのように。
魂の光が、ふ、と柔らかい雰囲気を生んだ。
そして、もう一つの、人の形をした光が、問いかける。
────────よいのですか?
────────私の想いも、貴方に託して、よいのですか?
世界線すら超えるほどの、秘めたる恋慕を。想いを。
この世界の自分が、託してもよいというのなら。
「はい。……ふふっ。愛の為に走る。そんなウマ娘が、一人くらいはいてもいいのではないですか?」
それに、肯定の返事を返し、ウマ娘たるエイシンフラッシュが手を伸ばす。
己のもう一つの魂に。
この世界線の、エイシンフラッシュにしか取れない、ゼロの領域のもう一つの可能性に。
────────有難うございます
────────では、参りましょう。共に、世界に革命を
延ばされた手に、光の手が重ねられ、一つになる。
ウマ娘の魂の光と、ウマ娘が一つになる。
そして、その光景を、
己が魂と一つになる。
しかし、一人のウマ娘に二つの魂を持つ彼女の、その選択肢は、通常の其れとは異なり。
世界を跨いだ己の魂と、この世界のウマ娘の想いが重ねられた。
ウマ娘という存在と、同じウマ娘の魂という存在が一つになり。
そして。
─────────────彼女たちだけの、奇跡を描く。
──── ────
──── ────
───── ─────
───── ─────
────── ──────
────── ──────
─────── ───────
─────── ───────
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─────── ───────
─────── ───────
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────── ──────
───── ─────
───── ─────
──── ────
──── ────
────────【
エイシンフラッシュが、己が走る理由を取り戻した。
それは、彼女の原点。
私を見つけてくれた、トレーナーさんの為に。
立華勝人の為に。
私は、貴方と。
勝ちたい。
「────っうわあああああああああああああああああああああ!!!!!!」
魂を燃やす雄叫びを上げて。
理外の領域に、エイシンフラッシュが突入する。
己の領域の
さらに、その上、ゼロの領域に近い何か、無意識の底に飛び込んでいく。
これまで溜めてきた脚の全てを、この400mで解き放つ。
『………!?ここから!?しかし明らかなディスアドバンテージ!!計算に支障なし…!!』
『まさか…、ッいや!間に合うはずがない!!高速バ場ならともかく、この凱旋門で…!!』
「来たわね先輩ッ!!今度こそ勝負ですッ!!!」
後方から迫る気配に、前を行く優駿三人がそれぞれの感想を零す。
残り400m地点で、ようやく後続集団から飛び出してきたエイシンフラッシュとの差は10バ身近い。
彼女の末脚が伝家の宝刀、凄まじい加速を伴うそれであると知っていても、しかしこの差は埋まらない。
何故ならば今走っている芝は、パリロンシャンレース場特有のモノ。
日本やドバイの芝と比べて、速度が出ないのだ。
その上で突き抜けるほどの速度を発揮するには、余りにも遅すぎる、はずだ。
そう、ウィンキスとブロワイエは考えた。
だが、ヴィクトールピストだけは侮っていない。
関係ないのだ。
チームフェリスには、そんな常識は通用しない。
エイシンフラッシュ。
その名の通り、彼女は閃光となって、必ず来る。
『ここでとうとう上がってきたエイシンフラッシュ!!しかし前との位置が離れているか!!先頭はまだヴィクトールピスト!粘ってくれ!ウィンキスとブロワイエが迫る!!まだいける!!ドバイの奇跡をまた……いやッ!!エイシンフラッシュが迫るか!?迫る!!なんとこちらも止まらないぞ!?尋常ならざる速度差が……このロンシャンレース場でそこまでの加速をするのかエイシンフラッシュ!?』
実況が叫ぶ通りに、エイシンフラッシュの速度がぐんぐんとアガっていく。
超加速に重ねる超加速。
常識を外れたその脚は余りにも速い踏み込みと蹴り出しにより、この凱旋門の深い芝の特性をとうとう無視し始めた。
柔軟な、反発性に富んだ芝の特性。
高速バ場と比べて軟性を持つ其れは、踏み込むたびに脚にぐっと反発し、それがスタミナと速度を奪う柔らかさを生んでいる。
だが、芝をえぐるほど踏み込んだエイシンフラッシュの脚の、そこに反発が返される前に既に次の脚を踏み出して駆け抜けていた。
芝の上から地面を蹴り穿つ。
彼女の神速の末脚が発揮される、顎をつけそうになるほどの低い姿勢で、一人だけ異常な速度で先頭に迫る。
しかし、当然にしてその走りはすさまじく足を使うはずだ。
2400mのレースの最終直線、これまでの道中でもその芝でスタミナを食われていたであろうエイシンフラッシュのその力はどこから生まれているものなのか。
その答えは、もう一つのゼロの領域による効果。
輪廻を超えた魂と共鳴したことで起きた、彼女たちだけが描ける奇跡。
それを、正しい意味で捉えられたのは─────観客席、立華勝人の隣で応援していた、サンデーサイレンスだけだったのだろう。
魂の共鳴。
この世界のエイシンフラッシュが、前の世界線の己の魂と共鳴したことで、誰よりもそれを受けることが出来るようになって。
そして、ゼロの領域とは違う、ゼロの領域のようなそれに入ったことで、魂の想いを、力に変えることが出来た。
サンデーサイレンスの瞳に映った光景。
全身全霊で駆け抜けるエイシンフラッシュに、数多の想いが、魂の想いが、重なっていく。
老雄とまで呼ばれた、永く永く競走を続けた、日本初の凱旋門賞に挑戦した魂が。
メジロの始祖と並ぶメジロの魂、メジロの名を永く後世に残した、海外挑戦の先駆けたる魂が。
海外挑戦に挑み、苦汁を味わい、同じ名の冠を持つ皇帝を比べられてなお優駿の名を遺した魂が。
誰よりも先駆けて凱旋門賞の勝利に近づき、しかし惜しくも逃し、だが可能性を見せた魂が。
覇王世代の世代交代劇を描き、ステイヤーとしての素質を持った、親によく似た姿の魂が。
日本最強とも呼ばれたが、しかし様々な因縁により、凱旋門に暗い影を残してしまった深い衝撃の魂が。
大舞台に強く、怪鳥に並ぶ成績をたたき出し、しかしそれでも勝利の叶わなかった魂が。
2年連続の2着という伝説的な記録を残した常識外れの魂が。
他にも、他にも。
あらゆる日本の光が、凱旋門に残した想いが、エイシンフラッシュに力を与える。
その脚に、無限の力を注ぎ込む。
自分たちが成せなかった想いを、継げるものへ。
夢を見るために。
日本の悲願を、成すために。
『残り200ッ!!ヴィクトールピストがここで加速したっ!!行けるか!?いやブロワイエが来る!ここで来てしまう!!その後ろからエイシンフラッシュが何とぶっ飛んできた!!あと4バ身!3バ身!!ウィンキスも譲らない!!残り100ッ!!頼む行ってくれ!!頑張れ革命世代っ!!私達の、日本の夢を!!迫るブロワイエ交わすフラッシュ!!ぶち抜け!!行けっ!!今ッッ!!!ゴーーーーーーーールッッ!!!……行ったか!?決着は僅差!!写真判定となった!!行けたのか!?』
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────────────────
「……っ、はぁっ!!……はぁ、はぁ………!!」
エイシンフラッシュは、ゴール板を過ぎてから、己の意識を取り戻した。
無意識の領域。ファルコンさんやアイネスさん、ヴィイさんが味わったという、その不可思議な領域。
それに、自分も入ったということ……なの、だろう。
しかし、副次効果で、どんなレースを自分が駆け抜けたのかが分からなかった。
私は。
私は、どんな走りをしたのだろうか。
あの人に恥じない、私らしい走りが出来ていたのだろうか?
「……フラッシュ先輩、大丈夫ですか?」
「…ヴィイさん。ええ…はい、大丈夫、です。走った時の記憶が、少し飛んでしまっていますが……」
「ああ……先輩も、アレに入ったんですか?覚えていられないのが嫌なんですよね、目覚める時って。使いこなせるようになるとそうでもないんですけどね……」
「そう、なんですか?……ううん、でも、私には、あの感覚……何となくですが、もう二度と出来ないような気がします」
走り終えてきたヴィイとクールダウンしながら会話するエイシンフラッシュ。
しかし、その結果が違うことに、エイシンフラッシュもヴィクトールピストも何故だと首をひねった。
サンデーサイレンスから始まり、スペシャルウィーク、スマートファルコン、アイネスフウジン、ヴィクトールピスト、マジェスティックプリンスと目覚めていったゼロの領域だが、特に初回の覚醒の際には、余りにも強い全身の疲労が襲う。
エイシンフラッシュもそれだとすれば、こうして無事にクールダウンが出来ていることが不思議である。
さて、だが、しかし。
意識のあるままに駆け抜けたヴィクトールピストは、エイシンフラッシュとの勝敗ははっきりわかっていた。
「……負けましたよ、フラッシュ先輩には。他の二人は……どこまで伸びていたかは分かりませんが。少なくとも私は先輩には負けた。最後の一瞬、伸びきれなかった……悔しいです」
「ッ。……その、私は、勝ったのですか?」
「写真判定になってますから、他の二人に勝ったかどうかは……見守りましょう。日本の悲願は成せたのか……でも、あの状態のフラッシュ先輩なら、誰が相手でも負けないと私は思ってますけどね」
ヴィクトールピストの敗北宣言。
その言葉にエイシンフラッシュは全く実感がわかない。当然だ。無意識で走っていたのだから。
しかし他の二人とはまだわからない。結果を待つ中で、しかし、ヴィクトールピストの最後の一言が気になり、エイシンフラッシュが問いかける。
「その、ヴィイさん。あの状態の私、というのは一体……?」
「え?そりゃもう、最終直線で迫ってきたときの先輩ですよ。久しぶりに感じましたよあの恐怖……先輩、ごく時々、こう、くわっと恐怖すら感じる走りで来るじゃないですか。そういう所が先輩らしいですけど」
「えっ、そ、そうだったのですか!?自覚はなかったのですが……ええと、前のレースでは、どこで?」
「何言ってるんですか……私達の最初のGⅠ、
「ホープフルステークス……あの時の……」
エイシンフラッシュは、ヴィクトールピストのその言葉で己の初めてのGⅠレースを思い出す。
アクシデントにより苦境に立たされ、厳しい立場に追い込まれたときに。
その時の、己の想いを思い出した。
あの時、確かに私は、トレーナーさんの為に走っていた。
チームの年間全勝、ジュニアGⅠ制覇の掛かったレースで。
それを成すという想いと共に、貴方と勝ちたいという想いで、魂を燃やして走っていたのだ。
私の最初の大舞台での想いがそれだった。
つまり、エイシンフラッシュにとっての走る理由は、既に決まっていたのだ。
誇りある走りは、彼の為に。
彼と共に勝ちたいから。
そんな原初の想いを零しそうなほどに悩んでいたのが、なんだかバカらしく思えてきてしまった。
まったく。
私は、本当に不器用だ。
二回の敗北で己を見失いかねないほどに悩んでしまうのだから。
でも、今回の件ではっきりと自覚した。
走る理由を腑に落とし、スランプを脱出した。
もう、私は迷うことはないだろう。
そして、エイシンフラッシュがその新たな学びを得た瞬間に。
パリロンシャンレース場に、大歓声が巻き起こった。
『──────出ましたっ!!エイシンフラッシュが一着!!エイシンフラッシュが一着ですッ!!!日本のウマ娘が凱旋門賞で一着となりましたっ!!!二着ブロワイエ!!三着はなんとヴィクトールピストとウィンキスが同着!!!……とうとう!!!とうとう、成したのです!!革命世代がやってくれたのです!!日本の悲願であった凱旋門賞を、とうとう…っ、っとうとう!!やってくれましたあああぁぁ!!!!』
エイシンフラッシュ、一着。
凱旋門を象った、日本の悲願のトロフィーは、閃光の手に贈られることとなった。
────────────────
────────────────
(……あの時に見た奇跡。ゼロの領域のような、それともまた違うような……私の知らない、新たなる領域。フラッシュ……世界を跨ぐ魂を受け入れられたあの子だからこそ、成し得た領域……なのかしらね)
私は凱旋門賞のレース、その展開と結果について詳細に記載したが、しかし私が見たそのスピリチュアルな光景については記述を控えた。
こんなことは、誰が読んでも理解はできないだろう。
いや、フラッシュ自身も理解していないようだった。彼女の特異性は誰にも理解できないし、する必要もない。
彼女は、兄さんの愛バであるエイシンフラッシュ。チームフェリスのエイシンフラッシュで、それ以外の部分は、まったく関係がないのだ。
彼女はスランプを乗り越えて、凱旋門賞で一着を勝ち取った。その結果があれば、それでいい。
(でも、あの領域……アナザーゼロ、とでも表現しようかしら……あれは、間違いなくあの時限りの力だったわね。その後、私や他の子達のように……自分の力として使える気配がなかった。元々の第一領域と第二領域、それぞれが強化されてはいるようだったけれど……魂の力を分け与えられるようなそれは、あの時限りね。あんまりやり過ぎても怖い力だったしね。素直に走れるならそれが一番だわ)
そして、フラッシュの目覚めたアナザーゼロの力は、その後、彼女の中に残らなかった。
いや、ゼロの領域に目覚めた時のように、回復力が増したり、領域の効果自体が強まったりという副作用は起きていたのだが、あの走りを今後のレースで自分の意志で再現できるようなそれ、ではない。
あれは凱旋門賞特有のものだ。
ただ、元から爆発的な力を見せていた
残り600m地点からしか万全に発揮できないというものではなくなり、400m地点くらいからの発動もでき、なおかつ加速は凄まじいの一言。
これで長い直線のないレース場でも、閃光の末脚が輝くようになったというわけだ。
(日本の悲願の凱旋門賞勝利。本当に、今年一年は……革命世代が、世界を革命し続ける一年だったわね。来年には世界中が日本みたいに、レースが革命していそう……)
私は凱旋門賞の内容を書き終えて、改めて世界中のウマ娘の走りがレベルアップしている事実に思いを馳せる。
それが体幹トレーニングの流行によるものか、革命世代が世界中を騒がしていることによるものなのかは分からないけれど。
少なくとも、今後しばらくは落ち着くことはなさそうだ。
だからこそ、ウマ娘のレースというのは面白いのだけれど。
(さて、次ね。次は……アイネスの天皇賞秋。その後は11月に入って行くわね……)
私は凱旋門賞の記述を書き終えて、次のページに進んでいった。