「……いっぱい、走ってくれたな……」
1月の初旬。
俺はチームハウスの愛用の椅子に腰かけ、膝の上のオニャンコポンの毛づくろいをしながら、棚に並べられたそれを見て思わず微笑みを零す。
ここに並んだものが、俺達がみんなで走った軌跡の証明なのだ。
それは、数多のトロフィー。
愛バ達みんながそれぞれ勝ち取ったトロフィーを並べる棚を、チームハウスに設置していた。
左上、一番昔のGⅠトロフィーから目を向けていく。
阪神ジュベナイルフィリーズ。
朝日杯フューチュリティステークス。…これは2つだ。キタも取ったからな。
桜花賞。
皐月賞。
日本ダービー。
ベルモントステークス。
菊花賞。
JBCレディスクラシック。
ジャパンカップ。
チャンピオンズカップ。
東京大賞典。
ドバイアルクオーツスプリント。
ドバイシーマクラシック。
ドバイワールドカップ。
天皇賞春。
帝王賞。
凱旋門賞。
天皇賞秋。
JBCスプリント。
────────そして、有マ記念。
輝かしい栄光の数々。
そのほかにも、GⅢ、GⅡで勝ち取った勝利トロフィーも多数並んでいる。
特別枠に、オニャンコポンが獲得したトレーナーズカップ一着のトロフィーだって置いてある。
1戦1勝、無敗の帝王オニャンコポン。なんて立派な成績なんだ。
「………ふぅ………」
数えきれないほどの勝利を、彼女たちはこの3年で俺に見せてくれた。
その思い出を、ここ最近はよく振り返る様になっていた。
──────多分、もうすぐだ。
俺の中にある時の砂は尽きて、最後の舞台の幕も閉じた。
これまでの全てを尊く思い、その道のりに一切の後悔はない。
彼女たち3人の夢を駆ける姿を見届けて……俺は、もう間もなく、行くのだろう。
だから、少しだけ、郷愁が俺の胸の内にある。
どの世界線でも生まれていた、寂しさが。
「……トレーナーさん、お待たせしました」
「今日のカフェテリア、混んでたねー☆ちょっと並ぶのに時間かかっちゃった!」
「なの。新年フェアがやってたからかな?でもお雑煮美味しかったのー」
「お雑煮は栄養も取れて腹にもたまるしいいよなァ。モチが伸びて食べづれェのだけが難点だが」
「おモチはそれが良いんですよ、サンデートレーナー!さて、今日はまず買い出しでしたよね?」
そんなとき、昼食をとり終えたチームのメンバーがチームハウスに入ってきた。
みんなで新年フェアで出ていたお雑煮を食べて来たらしい。
そして、キタの言う通り、今日はまずみんなで練習備品やチーム備品の買い出しに行く予定だった。
今日は天気もいい。まだ有マ記念から間が空いていないこともあり、新年の休み明けの脚をほぐす意味でもみんなで散歩がてら買い出しに行く、と予定を立てていたのだ。
「ああ、それじゃ行こうか」
俺はコートを羽織り、去年のバレンタインでアイネスにプレゼントしてもらったマフラーを巻いて、肩にオニャンコポンを乗せて、みんなと一緒にチームハウスを出る。
最後にもう一度だけ、3年間という時間の大半を過ごしたチームハウスの中を見渡して。
名残惜しさを微笑みに溶かして、しっかりと戸締りをした。
────────────────
────────────────
「そういえば、初咲トレーナーがとうとうチームを受け持つことになったと聞きました」
「あ、クラスで話題になってたね。二人のウマ娘がもう逆スカウト投げてるって噂☆」
「へぇ?チームの話は初咲さんから聞いて知ってたけど、逆スカウトまで来てるとは初耳だったな。誰なんだい?」
「えーっと……確か中等部二年のメロディールーンちゃんと、中等部三年のソダスィーちゃんかな?」
「おー、あの二人かァ……ルーンのほうは長距離イケそうな脚だったな。んでソダスィーはありゃ走れるぞォ。ウサキ次第だな、二人とも」
「結構生徒のファン多いですからね、初咲トレーナー。身近なお兄さんって感じで」
他愛ない、いつも通りの会話を交わしながら、俺たちは土手を歩いていく。
いつも通りに川が流れ、河川敷は枯芝が広がり、橋桁も見えてくる。
あそこで俺とスマートファルコンは出会い、そしてオニャンコポンとも出会ったのだ。
2月の中旬の頃だったか。懐かしい想い出である。
先の話題に戻るが、初咲トレーナーがウララと歩んだ3年間を評価され、チームを作ってチームトレーナーとしてやっていかないか、学園から打診を受けていることを俺は知っていた。
既に二人も有能なウマ娘から声を掛けられていたとは知らなかったが、彼ならばきっといいチームを作れるだろう。ウララがいるしな。ウララがいれば悪い雰囲気にはならないだろう。
勿論、俺たちチームだってそれには負けていられない。いや、どのチームだってそうだ。
ウチのチームは、今年の選抜でまず一人と、来年に新入生で入ってくるジーフォーリア、シャフラヤール、タイトルホールドの3人を青田買いする予定だ。確実とは行かないが期待できるだろう。
他のチームだって、スピカにはクロナジェネシスが新たに入部するって噂だし、カサマツでは現在、グランアレグリラに猛アタックをかけている。
レグルスではシュネルユースターが芝ウマ娘、カフェキングがダートウマ娘として加入したし、黒沼先輩のベネトナシュではドゥーデュースとアスクビスターモアが新鋭として来年からジュニア戦線に挑んでくる。
カノープスにはターボに憧れてパンパラッサが加入したと聞いたし、去年入ったディープポンドも順調に育ってきている。リギルではアーモンドアイズもブラックシップもその才覚を研ぎ澄まして今年のジュニア期から暴れてくるだろう。
俺達チームフェリスに負けるまいと、どのチームも新しい時代を、世代を育て始めているのだ。
今年からまた忙しくなるし、それ以上に楽しくなるだろう。
閑話休題。
冬の日差しを中を、俺の愛バの3人が前に、その後ろに俺、さらに後ろをSSとキタが並ぶ形で歩いていく。
いつも通りの、何気ない日常。
そして、いつだって、
────────不意に、視界がぼやけた。
眩暈かな、と思ったが、これは違う。既に、何度も経験している。
そして、その度に俺は、俺の体から意識が抜け出していくのを経験していた─────の、だが。
一瞬の、それの後に。
「………そうか。俺は、
俺は、そのまま、そこにいた。
愛バ達3人と、SSと、キタと共に、そこに立っていた。
歩みを止めて、虚空に振り返る。
そこに広がる青空に、何かが見えているわけではない。
だが、それでも、感じられた。
分かたれた方の俺が、こちらを見ているのを。
この世界の事を
そして、それはどうやらSSにも感じ取れたようだ。
振り返る先、彼女も虚空を見つめている。そこにきっと、もう一人の俺がいるのだろう。
あと、何故かオニャンコポンもじっと、睨みつけるように、強い眼差しで空を見ていた。
猫も霊を感じ取れるって言うしな。何かしら感じ入るものが在ったのかもしれん。
「………トレーナーさん?どうしました?」
「…………あ、まさか?」
「………行った、の?」
急に立ち止まった俺の様子を訝しみ、愛バ達が声をかけてくる。
そして、俺の様子から、呟きから察したのだろう。
俺が、分かたれて行ったことを。
「……ああ。どうやら、今行ったらしい。何となくだが、感じた……」
俺は3人の言葉に、素直に答えた。
彼女たちは俺の秘密も知っている。答えることに何の心配も………あ、いや、ここにはキタがいた。
やっべ。分かたれた咄嗟の事で零しちまった。
慌てて振り返るも……しかし、そこにいるキタは、特段驚いているような様子も、訝しんでいる様子もなかった。
「……あー、言ってなかったけどよ。キタのヤツ、タチバナとお前らの雰囲気から察してたぜ。アタシには相談してくれてて、態度に出さねーようにしてたけどよ」
「私が知ってることを皆さんに伝える必要はないかな、って思ってたんですけれどね。私の事は気にしなくて大丈夫ですよ、サンデートレーナー以外には言ってませんし……立華トレーナーは、立華トレーナーですから」
「そ、う……だったか。すまんな、気を遣わせちまったな」
しかし何と驚いたことに、キタは自分で俺の存在に気付いていたようだ。
……まぁでも、ことも無しか。俺たちと一番密接にかかわっているウマ娘はキタだ。隠すにも距離が近すぎたのかもしれない。俺の方から伝えておくべきだったか。
だが、俺の正体が分かったうえでも、俺は俺だから、と言ってくれたキタには感謝しかなかった。
さて、これで俺の懸念はなくなった。
これからの俺はもう、この世界で生きる立華勝人なのだ。
チームフェリスのトレーナーとして、フラッシュと、ファルコンと、アイネスと、SSと、キタと。
そして、これから新しくチームに加入するウマ娘達と。
オニャンコポンとも、共に。
この世界を歩み出す、俺なのだ。
色んな意味で生まれ変わったような、そんな清々しい気分でいると、なぜか前にいる愛バ三人がひそひそと話し合っていた。
小声なので、俺の耳には何を話しているのかは聞こえてこなかったが、なにやら尻尾を見る限り掛かり気味のようだ。いかんな。
「……とうとう来ましたね、この時が……」
「うん……このタイミングを逃さないようにしないとね☆」
「ここからは恋のダービー開催なの……それじゃ、事前の打ち合わせ通りに……」
なんだか急に寒気がしてきたな。
冬だからな。寒風が吹くこともあるだろう。河川敷だし川の方から冷たい風が吹き込んできたのかもな。
「……いいんですか、サンデートレーナー?先手を打たれちゃいますよ?」
「いいんだよ……アタシにはアタシのペースってもんがあるんだ。余計なお世話だぞキタ」
「またそんなこと言ってー。駄目ですよ、想いはしっかり伝えないと。サンデートレーナー、こういうの奥手なんだから」
「お前、最近図太くなってきたな……」
後ろでも何やらひそひそ喋る声が聞こえてくるな。
なんだろう。俺が分かたれて、ここに残ったことで、彼女たちに変化が生まれるような何かがあっただろうか?
……ああ、いや、あるか。
ここにいる俺は、間違いなく、これからずっと、歳を取って死ぬまで、この世界にいる俺なのだ。
であれば、それに対して感じ入る所も一つや二つはあるか。
もしかすれば改めてよろしく、といった挨拶を頂けるのかもしれない。
それはむしろありがたいことだ。
俺の方から言うべきだったな、そういうことは。
そして、愛バたち三人が談合を終えて、俺の方に向き直った。
俺はそれを正面から受け止めて、真っすぐに彼女たちの瞳を見る。
改めて、これからずっと付き合っていくであろう、彼女たちの顔を見た。
みんな、可愛い俺の愛バだ。もうずっと、君達とは離れない。
「……
「世界を繰り返す側の勝人さんにはこの前の有マ記念で、雄弁に伝えたからね。この世界で一緒に歩んでくれる貴方に」
「あたしたちの想い……聞いてくれる?」
彼女たちからの話は、やはりというべきか、改めてこれから歩んでいく俺への挨拶なのだろうと察された。
勿論、俺にそれを聞かない選択肢はない。
真摯に、彼女たちの想いを受け止めなければ。
「ああ、勿論。俺の愛バである君達からの言葉なら、俺はしっかりと受け止めるよ」
「ふふっ、ありがとうございます。では、良く聞いてくださいね?」
「はっきりと言わないと、勝人さんは分かってくれないからね☆」
「冗談でも何でもない、本気の想いだからね?それじゃあ─────」
なんか雰囲気が、ただの挨拶とは違うような気がしてきたな?
いや、だがやはり俺にそれを受け止めない選択肢はない。俺は彼女たちのトレーナーなのだ。
トレーナーとして責任を取ると何度もこれまで言ってきた通り、君達が走り遂げるまでずっと傍にいてやれるのだから。
そして、三人は眼を見合わせ、頷いて。
想いを、俺に、まっすぐぶつけてきた。
「「「私たちは、貴方の事を──────────」」」
────────────────────────
────────────────────────
────────────────────────
────────────────────────
────────────────────────
────────────────────────
────────────────────────
────────────────────────
────────ワアアアアアアアアアアアアアッッ!!!!
目を開く。
視界が開けたそこは────────レース場だった。
そして、大歓声が俺の背にぶつけられ、目の前には芝のコースを全力で走るウマ娘達がいた。
つい先ほど、俺は前の世界線、チームフェリスを結成したそこから意識が分かたれて……再び、3年前に戻ってきた。
この、新しい世界線にたどり着いた。
だが、今回はどうやらハードモードでのスタートらしい。
寮の自室のベッドの上で起きるのではなく、レース場に俺はいて。
そして、訳の分からぬ熱狂が、俺を襲って。
そんな光景に、若干の動揺を覚えていた、そんな時だ。
「────ほらっ!!何ボサっとしていますの、立華サブトレーナー!?」
「ぐへっ!!」
聞き慣れた声と共に、俺の背中にバン!と気合を入れる平手打ちが見舞われた。
この声、この口調、間違いない。
振り返れば、
「私達、
「あ、ああ!!……いけーっ!!!頑張れーっ!!!!」
促されるままに、俺はまず、とにかく声援を送った。
何だ?俺はこの世界線では、既にチームに加入していたのか?
先程マックイーンが述べた、チームシリウス、という名前に心当たりはない。恐らくはこの世界線で生まれた独自のチームなのだと思うが……俺の中に知識がない。
サブトレーナーだと言われたが、誰が主管トレーナーで、誰がチームのウマ娘で今ラストランをしているのか、さっぱりわからないのだ。
ハードモードにもほどがある。マックイーンからそれとなく聞き出しながら応援を────
──────いや。
急に俺の頭に、世界線が分かたれた俺より前の記憶が生まれた、とかそういう話ではない。
相変らずチームシリウスは正体不明のチームで、主管トレーナーは誰だか分からない。
けれど、俺は理解した。
ここは、コースの作りから中山レース場だと判断。
そして、この大盛況は、GⅠレースで間違いない。
気温と空の色、太陽の角度から、今は12月の後半。
俺が見間違えるはずもない。
何度、この舞台に俺が挑んだか、最早数えきれないほどだ。
そして、今最終コーナーを回ってくるウマ娘の中に、彼女の姿があったから。
俺は、それに確信を落とした。
彼女のラストランが、行われているのだ。
マックイーンが隣で絶叫するように応援する名前が、それと一致する。
ああ、ならば─────確信が出来る。
勝つのは、彼女だ。
俺は、何度も世界を繰り返している。
その度にウマ娘達の出走レースや引退時期は変わり、勝敗も変わる。
ルドルフが三冠を取れなかった世界線もあれば、ウララが有マ記念を制覇する世界線だってあった。
だが、唯一。
ただ一つだけ。
絶対に勝敗が変わらないレースというものが、ある。
オグリキャップ、ラストラン。
────神はいる。そう思った────
『200を切った!!オグリキャップ先頭!!オグリキャップ先頭!!オグリキャップ先頭ッッ!!!そして、そしてライアン来たッ!!ライアン来た!!ライアン来たッ!!!しかしオグリ先頭ッ!!!オグリ先頭!!!ライアン来たッッ!!!ライアン来たッッ!!オグリ先頭ッッッ!!!──────オグリ1着ッ!!オグリ1着ッッ!!!オグリ1着ッッ!!!オグリ1着ッッ!!!!右手を挙げたオグリキャップ!!!オグリ1着!!オグリ1着!!見事にっ、引退レース!引退の花道を飾りましたぁっ!!!スーパーウマ娘です!!!オグリキャップです!!!』
────────────────
────────────────
そして、有マ記念からおよそ1ヶ月半が経った。
俺はチームシリウスに割り当てられている空き教室に、マックイーンと二人きりでそこにいた。
「…ところで、トレーナー。わたくしのメイクデビューは何月ごろにしますの?」
「…………」
「……立華トレーナー!ちゃんと聞いていますの!?」
「おぅっ!?……あ、悪い。ぼーっとしてた……ああ、なんだっけ?」
「もうっ!!メイクデビューの事ですわ!わたくししか今はこのチームにいないのですから、しっかりなさってくださいまし!!」
「ごめん……そうだな、それじゃあ3つくらい時期の候補とその理由を挙げるから、選んでくれ」
あのオグリキャップのラストランを終えた後、オグリとその主管トレーナーでありチームのメイントレーナーでもあった先輩は二人して引退し、チームを去った。
俺は急いでチームの状況や、これまでやったことなどを資料から読み取り、何とか引き継ぎは終えて。
しかし、オグリがいなくなったことで、この世界線ではまだ何の実績も挙げていない俺についてきてくれるウマ娘は少なく、一人、また一人と移籍届を出していき。
俺はそれを説得する術もなく─────いつのまにか、マックイーンしかチームには残らなかった。
「まったく……12月にオグリさんと元トレーナーがいなくなってから、妙に仕事の効率は良くなったくせに、どこかぼんやりするようになってしまって。本当に体調とかは大丈夫ですの?」
「ん、心配かけちまって済まないな。ちょっと…まぁ、チームメンバーがごっそりいなくなっちゃったから、色々思う所があってさ……」
「それはわたくしも同じですわ。だからこそ、わたくし達でこのチームを再び栄えさせようと、以前に誓ったではありませんか」
「そうだな、すまない。俺ももっと、しっかりしないとな」
「貴方だけではありません。わたくしにも頼ってください。もう、一心同体で前に進んでいくしかないのですから……」
マックイーンの窘める言葉に、俺は頷くしかない。
……実際に、ここ最近の俺はひどいものだった。
仕事は勿論ループ系トレーナーとして覚えているので問題なく出来たし、チームの運営要綱なども前の世界線でバッチリ覚えていたので、仕事でポカをやった、というわけではない。
だが……余りにも、トレーナー業に関しての集中が削がれてしまっていた。
自覚もしている。俺の事を心配してくれているマックイーンにも、申し訳なく思っている。
しかし、この傷跡は、中々カサブタが出来そうにない。
─────肩が、軽すぎる。
前の世界線が、濃すぎた。
それは間違いなくそうだ。それ以前だって濃い経験を積んでいたし、それぞれの世界線を蔑ろにする想いは一切ない。
だが、この前の世界は、担当するウマ娘が3倍に増えたことで、想いも3倍深くなっていた。
この世界線でも、エイシンフラッシュ、スマートファルコン、アイネスフウジンは存在する。
フラッシュとファルコンはまだ未デビューのウマ娘で、アイネスは去年の日本ダービーで一着を取った後に、脚に怪我をして療養中。
勿論、俺の事なんか覚えているはずもない。この世界線で、彼女たちが彼女たちらしく、歩めていればそれでいい。
そこに寂しさはゼロではないが─────それは、なんとかこの1ヶ月で慣れた。
廊下ですれ違っても挨拶だけを交わす関係には、ようやく慣れた。
これまでの世界線もあった、愛バ達との別れ。それに慣れることはできた。
だが、SSはこの世界線での詳細は分からなかった。
アメリカの年度代表ウマ娘と最優秀クラシックウマ娘の二冠を一昨年に受賞していたのは確認したが、去年に引退し、その後どうなったかはどこにも情報がない。
キタサンブラックはまだ入学していなかった。いつかは出会えると思うが、しばらく先になりそうな予感がする。これまでの世界線でもそういうことはあった。
そして────────オニャンコポンは、いなかった。
俺の、前の世界線で初めて出会った、家族ともいえる愛するペットは、この世界線にはいなくて。
引越しした一軒家のどこを探しても、あいつがいないことを意識してしまって。
俺はその寂しさに、未だに慣れないでいた。
これまでの、1000年の孤独を解してくれた、誰よりも共にする時間が長かった家族を失ったことで。
俺自身、ここまで感情を揺さぶられることになるとは思っていなかった。
ペットロスとはこのようなものなのだろうか。
日常の合間に、ふと、アイツの事を思い出してしまうのだ。
ベッドの中に。リビングのこたつに。風呂場の手桶に。肩の上に。ふと、アイツを想い出す。
だが、じゃあまた新しい猫でも飼うか……とは、まったく思えなかった。
オニャンコポンは特別な猫だ。俺の肩に乗って、学園に来ても大人しく、言うことも良く聞いてくれた賢い猫。
あれと同じような猫が、理事長の頭の上のあの子以外にいるとは思えない。
きっと、比べてしまう。それはどちらの猫にとっても失礼なことだろうから。
「……立華トレーナー、またため息をついて肩のあたりを触っていますわ。最近出てきたその癖……肩でも凝ってますの?」
「あ、いや、別に凝ってるわけじゃないんだけどな?」
「では、あまり頻繁にやらないほうがよろしいですわ。歯に衣着せず言えば、おっさんくさいですわよ、その動き」
「マジ?……気を付けるよ」
俺はまたしても無意識に、肩の軽さを意識して手が伸びてしまっていたようだ。
マックイーンに咎められて肩から手を離す。
いつもはここにオニャンコポンがいて、そのふわふわな頭を撫でて………いや、いや、駄目だ。
これは未練だ。
いつか、俺が、想い出に昇華していかなければならないものなのだ。
慣れなければならない────慣れなければ。
そして、マックイーンともしっかりと向き合い、彼女の想いに応えなければ。
「では、今日も体幹トレーニングですわね。効果が出てきたのがタイムに現れてきましたので、今後もしっかりと取り組ませていただきますわ」
「ああ、頑張ろう。まずは体幹を磨いて、強い脚を作っていこう」
俺は意識して思考を切り替えて、今日のトレーニングに入った。
────────────────
────────────────
そして、練習も終えてマックイーンとも別れた帰り道。
夕暮れの河川敷を、俺は歩いていた。
空を見上げながら─────そう言えば、この時期だったな、と思い出す。
「あの時……ファルコンの歌声に導かれて、出会ったんだよな」
視線を向ける河川敷のほう。
高架下には、あの時にいたスマートファルコンの姿は、当然ながらなかった。
毎日彼女も歌っているわけではない。冬だし、野外ライブの回数も多くはないだろう。
誰もいない、そんな河川敷に、俺はふと足を向けた。
……未練だ。
この世界線は前の世界線とは違う。
わかっている。
わかっているから、その未練と真っすぐに向き合うことにした。
もう、オニャンコポンはいないという事実に、向き合う。
流石に三年以上前の、咄嗟の出来事である。
どのあたりにあの時オニャンコポンが捨てられていたか、想い出せるはずもない。
ただ、ファルコンがいつも歌っている、この高架下の近くであろう、という所までは察せた。
俺は、そこにたどり着く。
いつもファルコンが歌っている橋の下。誰もいない、隠れたところ。
勿論、そこにオニャンコポンがいるはずもない。
「……わかってる」
想いを、想い出にしなければならない。
俺は、これからも、ウマ娘達と共に歩み続けていくのだから。
だから、これで最後だ。
彼女の名前を叫ぶのは、これが、最後だ。
別れを、告げよう。
「───オニャンコポーーーーーーンッッ!!!!」
誰もいない川に向けて、俺は、力の限りその名を叫んだ。
コンクリートの橋桁に俺の声が反響し、奮えるような空気の響きを生む。
そうして俺は、息継ぎをする。
名を叫び、そして、これまでありがとうの想いと、さようならの想いを言の葉に乗せて叫ぶために、息を吸って────────
────────ニャー!
……こえが、きこえた。
俺の、よく知る、あいつの鳴き声が。
「────ッッ!?!?」
そんな。
まさか。
幻聴だ─────絶対に、幻聴だ。
今は世界線が違うのだ。
ここに、あいつがいるはずがない。
いや、近くに野良猫がいたとしても────その名前で、返事が返ってくるはずも、ない。
この世界線で、この名前は、俺しか知らないはずなのだ。
────────ニャー!ニャー!!ニャーーーー!!!!
それ、なのに。
その声は、途切れなく、だんだん大きくなって。
「…………オニャンコ、ポン………?」
在り得ない。
俺は、夢を見ているんだ。
もしくは、本当に頭がおかしくなっちまったのか。
余りの寂しさに……狂ってしまったとしか思えない。
それでも、脚は勝手に鳴き声のする方へと向かっていって。
歩みは、すぐに走りになって。
草むらをかき分けるように、俺はあいつの名前を叫んで。
「オニャンコポン……!オニャンコポン!!どこだ、どこにっ……!!」
────────ニャー!!ニャー!!ニャー!!
お互いの声が近づく。
そして、枯れたススキをかき分けた先に───それは、いた。
「…………っ!!!!」
猫、だ。
捨て猫だ。段ボールの箱に入って、しかし、いつか見た時のように弱り切った其れではなく、まだエサも残っているその箱の中に。
三毛猫が。
小さな、子猫が、そこにいた。
「…オニャンコポン、なのか?…お前……っ?」
その毛色を、俺が見間違えるはずもない。
この三毛猫の柄は、間違いなくオニャンコポンだ。
あの時に出会い、3年を共にした、俺の家族がそこにいて。
……ああ、でも、違う。
こいつは確かに、オニャンコポンと同じ個体なのかもしれない。
でも、違うんだ。俺の事を知らない、ただの子猫のはずなんだ。
そう、俺が思ったところで──────その猫は、俺の顔を見て笑顔を作り、一つの動作をして見せた。
「!!………あっ…ぅ、ああっ……!!!」
それを見て、俺は涙を溢れさせる。
その奇抜な動き、左右に揺れる頭、間違いなく俺が教えた。
俺と共に踊った、そのダンス。
間違いない。
こいつはオニャンコポンだ。
「……オニャンコポン、お前っ…!!ついてきて、くれたのか!!俺の為にッ……!!!」
───────ニャー!
その小さな体をそっと抱き上げる。
それに一切抵抗することなく……いや、己から飛び込んでくるように、俺の手にオニャンコポンが入ってくる。
随分と小さく感じられた。三年間で、こいつも大きくなっていたから、そう感じられるのも無理はないだろう。
だが、その温かさは、間違いなく本物だ。
どうやって世界線を超えたのかとか、そんな……そんなことは、もうどうでもいい。
ただ、俺は、出会えたのだ。
俺の永劫の旅路を、共に歩んでくれる者に。
俺の隣にずっといてくれる、相棒に。
「オニャンコポンっ……!!お前が、お前がいてくれれば俺はっ……!!」
────────ニャー、ニャー。
有難う。
こんな俺に、ついて来てくれて有難う。
お前がいてくれれば──────俺は大丈夫だ。
俺の事を、俺が歩んだ旅路を、一人でも知ってくれている存在がいれば、大丈夫だ。
もう、大丈夫。
俺は、これからもトレーナーとしてやっていける。
────────ありがとう、オニャンコポン。
────────────────
────────────────
────────────────
────────────────
────抱きしめていた あの日の気持ち 今
────変わらずあるよ 立ち止まるたび 抱え直して
────離れていても昨日より
────自分らしく風を切ってと
────聞こえてたエール
────星が照らしたこの道が
────答えだって知ったのは
────君が見守るから
────Find My Find My…Only Way
────ありがとう そのかわり
────未来に走ってゆく
────瞬間をあげたいよ
────まだ夢は続くから
────────憧れの彼方に
────旅立つよりも 旅の途中の方が
────勇気がいると 分かったよ
────でも 怖くなかった
────手紙に戯れる 優しさに
────『
────届く想い そばにいたから
────帰りつく場所 背中押す腕
────いつでも Shine 光るスピカのきらめき
────大好きだよ
────星が照らしたこの道が
────答えだって知ったのは
────君と一緒だから
────Find My Find My…Only Way
────ありがとう そのかわり
────未来に走ってゆく
────瞬間をあげたいよ
────
────────憧れの彼方に
────────約束の彼方に
『一番に入るのは革命世代からヴィクトールピスト!!ドバイの地で無敗の伝説を刻み数々の激戦を繰り広げたウマ娘が最内枠です!!』
『二番エイシンフラッシュ!!革命世代のクラシック三冠、凱旋門賞初制覇の閃光の末脚がここドリームトロフィーに放たれる!』
『三番は砂塵の王、ダートの神話スマートファルコンが参戦!!砂の上の敗北はたった三度のみ!!世界レコード2冠、年間無敗のグランドスラム達成は伊達じゃない!』
『初めてスマートファルコンを砂の地に落としたダート三英雄の一人!!チームカサマツより歴戦の猛者フジマサマーチが四番に入ります!!』
『全距離対応型の風神が参戦!どこにいてもこのウマ娘は怖い!風が吹かないレースはない!!五番アイネスフウジン!!』
『六番に入るのはカノープスからサクラノササヤキ!かつて風神も緋色の女王をも制したペースの支配はドリームの舞台でも輝くか!!』
『その隣の七番に入るのはマイルイルネル!!こちらはレースの支配が怖い!!盤面この一手!!神の一手が見られるか!』
『八番には満を持して絶対の皇帝シンボリルドルフが降臨!!7冠の誇りが初めて革命世代とぶつかります!!この瞬間を待っていた!!』
『九番にはみんなのウマ娘ハルウララ!!引退レース、隼をとうとう下した時の彼女の涙の笑顔を、私達は永遠に忘れないでしょう!』
『十番にはチームレグルスから、伝説の宝塚三連覇を果たしたメジロライアンが参戦!!世界で最も価値のある筋肉が今日も輝いている!』
『十一番にはとうとう来たぞ破天荒の擬人化ゴールドシップ!!何をやらかすか分かりません!ぱかちゅーぶ生放送実施を宣言しています!!』
『十二番には異次元の逃亡者サイレンススズカ!!とうとう見れるのか!スマートファルコンとの夢の大逃げ対決が!』
『十三番には有マ記念覇者ナイスネイチャが入った!この曲者はあらゆる意味で危険すぎる!!幻惑の走りはドリームの舞台でも通じるか!』
『このレースは国も世代も関係ない!!参加資格は夢を魅せるウマ娘であることだ!!十四番は何とチームフェリスからサンデーサイレンスッ!!』
『十五番もまたアメリカウマ娘!!フェリス以外は生涯無敗!!隼討伐を成した三英雄のうちの一人!!マジェスティックプリンスだ!!』
『十六番はまたしてもアメリカから伝説が来たぞイージーゴアだ!!GⅠ9勝の豪脚が日本に到来!!サンデーサイレンスとのデッドヒートは見られるか!』
『十七番はフランスから凱旋門の門番ブロワイエが入る!!未来永劫、凱旋門を三度勝利するウマ娘は彼女以外に現れないでしょう!!』
『大外枠十八番には世界最強ウマ娘ウィンキスがオーストラリアからやってきた!!世界ランキング一位のウマ娘が日本に、世界に襲い掛かる!』
=エクストラドリームトロフィー= 【東京】【EX】【2000m】【UG】【良】 | ||||
---|---|---|---|---|
1 | 1 | ヴィクトールピスト | ||
2 | エイシンフラッシュ | |||
2 | 3 | スマートファルコン | ||
4 | フジマサマーチ | |||
3 | 5 | アイネスフウジン | ||
6 | サクラノササヤキ | |||
4 | 7 | マイルイルネル | ||
8 | シンボリルドルフ | |||
5 | 9 | ハルウララ | ||
10 | メジロライアン | |||
6 | 11 | ゴールドシップ | ||
12 | サイレンススズカ | |||
7 | 13 | ナイスネイチャ | ||
14 | サンデーサイレンス | |||
15 | マジェスティックプリンス | |||
8 | 16 | イージーゴア | ||
17 | ブロワイエ | |||
18 | ウィンキス |
これにて閃光と隼と風神の駆ける夢の物語は終幕となります。
この世界線では立華は彼女たちと共に未来へ歩みだし、次以降の世界線では、肩にいつも猫を乗せながらまた新しいウマ娘達と運命を共にしていくでしょう。
有マ記念の決着は、ここまでお読みいただいた皆様の胸の内にある一位のウマ娘の姿が答えです。解釈を皆様に委ねさせてください。
これまで長い間、ご愛顧いただきありがとうございました。
これで3人の物語は幕を閉じましたが、最後にあと少しだけ、
3月30日、3月31日と連続投稿予定です。