トレーニングを始めるにあたって、参加者、トレーナーおよびその間にある固い雰囲気をほぐし、自由に自分から学ぼうとする規範のことである。
俺がこの世界線に目覚めて情報収集を始めた時、北原先輩がチーム『カサマツ』を結成しているのを知って、心底驚いた。
笠松の事情は知っている。オグリキャップと共に3年間を駆けた時に、彼女から聞いて、実際に笠松にも行って話を聞いたことがあった。
中央に移籍してくる前に、お世話になったトレーナーと、友人たちがいたと。
しかし、その世界線で俺が記憶していたのは、どうしても実力主義であるレースの世界では、オグリの友人たるフジマサマーチたちは中央のウマ娘に敵うことはなく、地方でレース生活を続けていたはずだ。
言い方は大変に厳しくなるが、地方を走るウマ娘の指導環境はあまりいいものではない。
トレーナーの質もあるが、機材や走るコースの整備状況など、本来磨けば輝けるウマ娘でも、その才能を発揮できずにくすぶったまま競争生活を終えるケースなど、いくらでもある。
これまでの世界線で、彼女たちがそうだったのかは、俺にはわからない。
かつての世界線で、地方のレースを走っている彼女たちを見る限りでは…申し訳ない、本当に申し訳ないが輝くほどの才能は感じられなかった。
例えば中央に来て、俺が一から手ほどきすれば…重賞を取れるくらいには成長を見込めるだろうが、しかしいわゆるトップを走る猛者たちと肩を並べられるほどでは、ない。
地方と中央の差を埋めるほどの才能は、それこそオグリキャップやイナリワン、ユキノビジンなどのごく一部のウマ娘のみが持つものだから。
しかし、この世界線では彼女たちは中央に移籍してきていた。
しかも重賞以上のレースで勝利をしている。フジマサマーチなどは、オグリキャップを追って中央に移籍してくるのは1年後のことだが、その前に地方に在籍したままジャパンダートダービーで勝利を収めている。
驚愕しかなかった。俺は急いで彼女らの資料を集めて、そして……彼女らを指導する北原先輩に、コンタクトを取った。
いわゆる大人の付き合い、一緒に飲みに出かけてその中で彼から話を聞く。
どうやって、地方に在籍するウマ娘達の、その才能を見出したのか?
どうやって磨いたのか?
貴方は、どうやって、俺にもできない偉業を成し遂げたのか?
「なぁに、簡単なことだったんだよ。アイツらな、本音はみんな勝ちたいんだわ。俺はそれを理解して、心から応援して、それができるように手伝って……全力で信じてやるだけでよかったんだ」
酔いの回った顔で、しかし遠くを見るように北原先輩がつぶやいたそれは、奇しくも、俺が永い時をトレーナー業に費やして出した結論に近いものだった。
この世界線で、北原先輩と、オグリと、フジマサマーチたちの間にどんなやり取りがかつてあったのか俺は知らない。
オグリとの実力差に絶望し、マーチたちが中央を目指さずに地方に骨をうずめるような世界線もあっただろう。
しかし、この世界線では彼女たちは諦めなかった。
オグリを追って中央へ。
そして、いつか自分たちも勝利を。
その想いを、北原先輩は受け取り、そして己も奮起して中央のトレーナー資格試験に一発で合格した。
フジマサマーチ達の実力を磨き上げ、中央に移籍し、そして六平トレーナーからオグリキャップとベルノライトを引き継いでチームを結成し、彼女らにまた勝利の景色を見せていた。
──────もはや敬意しかない。
笠松の北原先輩の実家に神殿を立てよう。
その後、北原先輩と彼女たちを心底褒めちぎって、褒めちぎって、褒めちぎりまくって、俺たちは意気投合した。
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閑話休題。
「…よろしくお願いいたします、エイシンフラッシュです。まさか、オグリキャップさんと走れるとは思いませんでした」
「スマートファルコンです!マーチ先輩も、ノルン先輩も、ルディ先輩も、ミニー先輩もレース見ました!オグリ先輩も!うわぁぁ…あとでサインください!」
「アイネスフウジンです、よろしくなの!いやぁ…まさか併走初日でこんな豪華なメンバーに囲まれるとは思ってなかったの」
「立華だ、よろしくな。…北原先輩、今日は合同練習を受けていただいてありがとうございます」
俺たちもチーム『カサマツ』のメンバーに挨拶をする。
特にスマートファルコンなんかはここ最近でダートのレースをよく見るようになったからか、ダート路線で活躍するカサマツのメンバーには特別に思い入れがあるようだ。
「ああ、気にしないでいいよ立華クン。こっちだってたまには新鮮な刺激が欲しいと思ってたところだからね」
俺のお辞儀に北原先輩が気にしないでいいよ、と言葉を返してくれる。
が。
彼はキタハラジョーンズである。
ウマ娘に対しての彼の立ち位置は若干俺に近いものがある。
「いや気にしろよそこは。せめてあーしらにちゃんと説明しろよ。どういう経緯で併走することになったんだよキタハラ」
「いつの間に新人のトレーナーと仲良くなってんの?ジョーンズごときが?」
「併走はそりゃやるけどさぁ、担当ウマ娘にちゃんと説明する義務があると思うんよね?」
「……まぁ、正論だな」
「…キタハラ、説明をしないのはよくない」
「いや確かに説明してなかったのは悪かったって!その、だな。先日飲みに誘われて、そこで意気投合してだな…」
北原先輩が彼の愛バ達に今日の併走の理由について詰問されはじめた。
俺はなんだか見たことがあるような光景に、若干胃が痛くなってくる。
「そこですっげぇ俺らのこと褒めてくれるからさ…いいやつだなって思って、ほら、3人も新人で担当することになったらしいじゃん?大変だろうし、先輩トレーナーとしては手助けをしてやろうとね…?」
「…なぁ猫トレ。もしかしてキタハラに奢った?」
「当然。尊敬する先輩だぞ」
「立華クン?」
「うわ最低。後輩に奢らせてるよこの中年」
「そんなだから金回りが悪いんだよ。徳を詰めよ徳を」
「事情は分かったけどせめてあーしらに今日誰と走るのかくらいは事前に相談しろよ」
「私にも相談してくれてなかったですよね…サブトレーナーなんですけど…」
「ごめんって!!悪かったって!!!お前らの練習メニュー組むのに集中しすぎてちょっと忘れてたんだって!!」
「キタハラ…メニューを一生懸命組んでくれるのは嬉しいんだが、報連相は大切なんだ」
「スマートファルコンと並走すると知っていれば、私ももっと仕上げてきたものを」
すっごい
俺はそんな様子の北原先輩から目をそらして、ちらり、と自分の愛バ達を見た。
すっごい
「……わかります。私たちも今日の併走の説明を受けておりませんでしたから。事前に組んだタイムスケジュールがご破算です。報連相が不足していて、急に来るんですよね。急に。とてもよく理解できます…!」
「ほんとーにね…先輩たちの苦労、ファル子もわかるよ…有能なトレーナーさんなんだけど、こう、抜けてるところがあるっていうか…!」
「わかるの…基本いきあたりばったりなの。中央のトレーナーってそういう人多いの?」
こちらのウマ娘達がそうつぶやくと、この場のウマ娘達の視線が交錯した。
「「「「「「「「「────────」」」」」」」」」
「今日はよろしく頼む。気が合いそうだな、君たちとは」
「ええ、こちらこそ、胸を借りるつもりで臨ませていただきますね」
エイシンフラッシュとオグリキャップががっちりと握手を交わした。
「スマートファルコン、早く私達のところに上がってこい。お前が来るのを楽しみにしている」
「光栄ですっ!えへへ、でも私もすぐ強くなって、マーチさんたちにも負けないからね!」
「お、言うじゃん。あーしだって地方の意地があっかんな、負けねーかんなファルコンちゃん」
「選抜レース、見てたよ。あんたの脚は確かにスゲーけど、それで諦めるあたしらじゃないから」
「へへっ、今日だけと言わずまた併走誘ってもらってもいいかんねー」
スマートファルコンとフジマサマーチほか3名が意気投合した。
「よかったら、どんな指導法でトレーニングされてるか後で聞いてもいいですか?サブトレーナーとして参考にしたいんです」
「うん、後でばっちり教えるの!ベルノ先輩も、どうやって筋肉のケアとかしてるのか教えてほしいの!」
アイネスフウジンとベルノライトが笑顔で練習論について語り合った。
「…なぁ、立華クン」
「…何でしょうか北原先輩」
「苦労してんな」
「そちらこそ」
ふっ、と二人並んで肩を竦めて苦笑する。
その様子に、18の瞳から非難の視線が浴びせられた。
俺は咄嗟にオニャンコポンでガードを…あ!あいつすでにフラッシュの肩に移動してる!
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さて。
お互いアイスブレーキングも終わり、走る前の柔軟も済んだところで、今日のメニューを改めて伝える。
「まずはエイシンフラッシュとアイネスフウジン、オグリキャップで併走だ。芝の2000m右回りでやります」
俺は
今回の合同練習でトレーニングの全体を指導するのは俺に任されている。
新人トレーナーという肩書である俺に、経験を積ませるための北原先輩の提案だった。
もちろん道具出しやアドバイスなどは適宜いただけるようにはなっている。
もっとも、こちらはループ系トレーナーであり、これまでの世界線では先輩から引継いだチーム運営の経験もあるため、恐らくお世話にはならない……
……いやわからないな、カサマツのメンバーとはこれまでの世界線でも接点が少ない。性格がつかみ切れていない。
ヤバそうだったら素直に北原先輩を頼るとしよう。
「あくまで併走だから、100%の本気出して走らないように。故障したら台無しだからね。…フラッシュ、アイネス。相手はドリームリーグを駆けるトップのウマ娘だ。今は敵わない。いつかは必ず届く…けど、今じゃない。無理してオグリに追いつこうとはしなくていいからね。胸を借りるつもりで行こう」
「はい!」
「はいなの!」
「オグリも…流石に未デビューのウマ娘とドリームリーグの君とでは勝負にはならないだろう、歯ごたえはないかもしれないが…」
「気にしないでいいよ、立華トレーナー。ドリームリーグに向けては徐々に仕上げていくつもりだし、初めて誰かと走る時は相手が誰であれ…心が躍る」
「ん、そういってもらえると心強いな。ぶっちぎって、頂点の強さを彼女たちに教えてやってくれ」
「ふふ、手厳しいんだな…だが、恥ずかしくない走りは見せるよ」
とんとん、とつま先を整えて、オグリキャップがエイシンフラッシュとアイネスフウジンを見て笑顔を見せる。
だが、その笑顔はあまりにも獰猛。
…実をいうと、この世界線のオグリキャップは、俺の知っているオグリキャップとも若干の違和感があった。
彼女の外見…葦毛であったり、また勝負服などは変わりがないようだが、雰囲気が違う。
目元も…少し、切れ長になっているか?瞳もくりっと大きく見える。俺の良く知るオグリキャップは、こう、もっと愛嬌のほうに振れた顔だった気もするのだが。
好戦的な様子も見える。チーム『カサマツ』にいることで、彼女に何かしらの変化があったのだろうか?
…まぁ、詮無きことだ。今はただ彼女の豪脚に、俺の愛バ達がどこまで食らいつけるか、それを見るだけだ。
「ベルノライト、スタートの合図頼めるか?ファルコンはゴール地点で確認頼む」
「はい、わかりました」
「わかった!ひとっ走りしてきまーす☆」
「残りのチームカサマツのみんなは体を冷やさないようにしながら、自由なところで観戦してくれ。これが終わったらすぐダートの併走が始まるからな」
「承知した」
「おっけー。さて、どこで見っかね」
「どこでオグリが先頭に立つか賭けね?あたし最終コーナー手前」
「あたしは1600mくらいかなー、アイネスちゃん逃げっしょ?そこまでは保つっしょ」
俺は残るウマ娘達にも指示を出して、何もせず手持無沙汰なウマ娘ができないようにした。
複数名の指導をする場合、何も指示を受けていないウマ娘がいると全体の足並みも乱れてしまう。
これまで、サブトレーナーとして、またチームトレーナーとしてチームを運営するときに得た経験だ。
「……立華クン。君、チーム指導の経験とかある?」
「いえ、
「そう?いや、それにしちゃ中々なモンだ。若き天才ってやつかね…」
俺は方便を使う。
その言葉に納得はしきってはいないのだろうが、問題が起きているわけでもないので北原先輩から言及されることは避けられた。
…まぁ、誰に相談しても信じてもらえないもんな、
そうして、エイシンフラッシュとアイネスフウジン、オグリキャップがスタート地点に一列に並ぶ。
併走開始だ。
「よし、準備はいいな。じゃあタイム計測するから、ベルノライト、スタート合図頼む」
「はい!………………スタート!!」
勢いよく掲げられた旗を合図に、3人が駆けだした。
この世界線ではチームカサマツのメンバーはみんな高等部3年生以上の設定です。
チームフェリスはみんな高等部2年生。
細かい学年設定は投げ捨てます。