まずハナを切って進むのはアイネスフウジンだった。
この3人の中では当然、逃げの脚質を持つ彼女は進んで前目に位置を取る。
そこから3バ身ほど離れたところでエイシンフラッシュが速度を合わせて彼女を追う。
その1バ身ほど後ろに、オグリキャップが位置取りする形。
「ま、当然そうなるよな。立華クン、彼女たちになんか秘策とか伝えてたりすんの?」
「まさか。最近は走るトレーニングを組んでませんでしたからね、とにかく気持ちよく走って来いって言ったくらいですよ」
併走の動向を眺めながら、北原先輩の問いかけに俺は策など何にもないことを伝える。
そう、これはレースではない。併走なのだ。
だから駆け引きなどする必要はなく、ただ彼女たちは
そして、ここ2週間積んだトレーニングの意味を理解してくれればそれでいい。
最初のコーナーを曲がって、まだまだ全員脚をためている状態。
だが、しかし、アイネスフウジンがわずかに速度を上げ始めたか?
後ろの二人から逃げ切るために…というよりも、自分が上がり始めていることを
早速体幹トレーニングの効果が出ているようだ。
選抜レースでは発揮しきれていなかった彼女の本来のスピードが、少しずつ萌芽している。
「いい走りをするじゃないか、あの子は!このまま行ければ未デビューのウマ娘のタイムじゃないぞ!」
「このまま行けますよ。アイネスは元々才能がありましたから。もちろん、フラッシュも」
「はは!いいな、担当を信じ切ってるって顔だ!…だが、うちのオグリは強ぇぞ?」
「わかってますよ。勝てるかどうかは話が別で……来ますね、残りが半分を切った」
1000mを通過した。
アイネスが少し加速して後方とのバ身差が5バ身ほどになったが、状況はここまでは膠着状態。
だが、ここで。
オグリキャップが、動いた。
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エイシンフラッシュが、後方から徐々に高まってくる圧に気づいた。
「……っ!」
これはオグリキャップの圧だ。
本気での威圧ではない。周囲の歩みを一歩躊躇わせてしまうほどのそれでは、ない。
だが、それでもオグリキャップは本物の怪物。
ただ併走をしているだけでも、そのプレッシャーは十分に感じ取れてしまった。
けれど。
私も、成長しているんです!
「はぁっ…!」
「む…」
圧から逃げるためではない、最終コーナーを抜けて直線に向かった際に、先頭のアイネスフウジンを捉えきれる速度を乗せるために、徐々に速度を脚に乗せていく。
思い通りに、体が動く。
これまでの…選抜レース前の自分の走りは何だったのか、と思うくらいの、踏み込みの確かな感触。
腕を振りフォームを作って走る体のキレ。
コーナーに入っても、外側にかかる
明らかに、体幹トレーニングの成果だ。
恐らく前を走るアイネスも、同様の新鮮な驚きと共に、絶好調で走れているのだろう。
(これは、いける…!)
これまでにない、最高の走り。
最終直線に入り、思い切り走る。末脚も、噛み合った感触。
これなら、もしかしたら、オグリキャップにも。
「────────行くぞ」
ふと、そんな甘い希望を抱いたエイシンフラッシュに、絶望を告げるプレッシャーが放たれた。
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(軽い…!体が、軽いの!)
アイネスフウジンは、最終直線を向いて、まだスタミナも脚も十分に残っている己の体に驚嘆と感動を覚えていた。
本格化を迎えてから、これほど気持ちよく走れたことはない。
自分の力が、パワーが、スピードが、十分に引き出せている感触。
踏み込む芝の感じも、それを受ける脚も、バランスをとる上半身も、本当によく動く!
最終直線、あと400m。
何も考える必要はない。このまま、自分が無理なく出せる全力で、ゴール板まで走り切る!
(これは、いけるの…!)
これまでにない、最高の走り。
残り300m。まだ足音は聞こえない。
これなら、もしかしたら、オグリキャップにも。
「────────!!」
ふと、そんな甘い希望を抱いたアイネスフウジンの耳に、オグリキャップの豪脚が放つ足音が、響いた。
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一歩。
エイシンフラッシュの加速がまるで止まって見えるように、オグリキャップが暴力的な加速を始める。
二歩。
アイネスフウジンの耳に入る二歩目の足音で、エイシンフラッシュが差し切られた。
三歩。
すでに、アイネスフウジンのすぐ後方に、葦毛の怪物は息を潜めて。
四歩。
残り200m地点で、先頭はオグリキャップに変わった。
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「……ッゴール!!」
スマートファルコンのゴールを告げる声と共に、俺はストップウォッチを操作して、それぞれのゴールのタイミングでビタで止める。
1着は後続に5バ身差をつけたオグリキャップ、2着は最後にアイネスをギリギリ差し切ったエイシンフラッシュで、3着は半バ身差でアイネスフウジン。
アイネスフウジンは途中で無意識に加速した分のスタミナの消耗が最後に出た感じだ。
手元に視線を落とし、それぞれのタイムを見て、併走前に予想していたタイムにほぼ近い数字が出ているのを見て、ほっと溜息を洩らした。
……間違いなく、彼女たちは成長している。
その事実を、オグリキャップに敗れてウマ耳を垂らしている二人に伝えるべく、クールダウンを終えて戻ってくる3人を待った。
「…はぁ、はぁ…!負けちゃったの…」
「当然、ではありますが……悔しい、ですね…」
「いや、併走だからな?悔しがることはないと思うが」
戻ってきて、オグリキャップに負けたことを悔しがる二人を見て苦笑を零しながら、オニャンコポンを渡してメンタルの回復を図った。
なんと、ドリームリーグのエースと勝負ができると思っていたらしい。
恐らくは体幹を鍛えたことで、気持ちよく走り抜けられたことで自信もあったのかもしれない。結果は推して知るべしだったが。
もちろん、その心意気はとても大切なものなので、それ以上追及したりはせず、俺は二人にストップウォッチを見せて渡す。
「君たちのタイムだ。…お見事!俺は最高に嬉しいぞ」
「…っ!嘘、こんなに…!」
「自己ベストから1秒近く縮まってるの…!」
二人が今回の併走で出したタイムは、アイネスが2000mの自己ベストから1秒、フラッシュが0.5秒ほど更新していた。
フラッシュは先日の選抜レースで出したレコードが自己ベストになるので、2週間で更新できたことになる。
ちなみに、1秒で一般的には5~6バ身の差がつくと言われている。
レースでどれほどの距離的アドバンテージになるかは説明不要だろう。
これが体幹トレーニングの効果だ。
走ること、そのすべてに関わる筋肉を鍛えるため、特にスピードの上限値が押さえつけられていた鍛え始めは抜群に伸びる。
俺は二人がその顔に喜色を浮かべるのを笑顔で眺めて、そしてもう一人にも声をかけた。
「オグリキャップもお疲れ様。流石の走りだったな」
「ああ、いい走りができたと思う」
俺は同じくレースを終えて、二人よりも早く息を整えたオグリキャップにも労りの言葉をかけた。
走り終えたウマ娘には必ず声掛けをして労わる。トレーナーの鉄則だ。
確かに、併走としてはとてもいい走りをしていた。
だが、
文字通り、彼女にとっては練習なのだ。
「いい走りね…まぁ、そうだな。オグリから見て、二人はどうだった?」
「ん。───そうだな、あまり言葉で表現するのは上手くないが…」
少し悩む素振りを見せて、オグリキャップの出した評価は。
「……うん、あー……」
…評価は?
「……その、強く、なりそうだったな!」
随分と
思い出した。オグリはどの世界線でも、実に口下手なのだ。
俺はそんな彼女の様子に、肩を竦めて苦笑を零したのだった。