タイトルは誤字ではないです。
カランコローン。
バーによくある扉を開く効果音を鳴らして、俺は東条先輩に誘われた店内へと足を踏み入れた。
「あら、来たわね…こんばんは。急がせたかしら?」
「いえ、むしろお待たせしてしまったようで……そちらが?」
入ってきた俺に目を向けた東条先輩と挨拶を交わして、その隣に座る男性トレーナーに顔を向ける。
ああ、やっぱり貴方だろうな。
これまでのループでも何度も目にして、何度もお世話になってきて、そしてまたお世話になるそのトレーナーは。
「おう、沖野だ。初めまして…でもないか。選抜レースで見かけた顔だ」
「立華です。沖野先輩のことは自分もよく知ってますよ。ヴィクトールピストに蹴られてましたね?」
「げ。お前あの時見てたのか…」
「…貴方、またやったの?」
俺の言葉が藪蛇だったのか、となりの東条先輩から厳しい目つきで責められる沖野先輩に苦笑を零しながら、俺は沖野先輩の逆隣りに座る。
そうして、まずはマスターに猫同伴でもよいか許可を取った。
構いませんよ、と柔和な微笑みで返していただけてオニャンコポンも存在する権利を得た。俺の肩の上でのんびり毛づくろいなんか始めている。
…沖野トレーナー。この人もまた学園では超がつくほどの有力なチームを運営する敏腕トレーナーだ。
彼の持つチーム『スピカ』…その名の通り、ひときわ輝きを放つウマ娘達が在籍している。
今回の世界線では、諸兄が最も理解できる表現で言えば「フルメンバー」と称せばいいだろうか。スズカからマックイーンまで、全員が揃っている。
世界線をまたぐ中で、時々人数が増えたり減ったり、時にはゴルシ一人しかいない時もあったが…あらゆる世界線の中でも、この二人が群を抜いて輝かしい成績を残すウマ娘を育てる方たちだ。
やはり敬意しかない。
「お前のことは聞いてるよ、いきなり3人もウマ娘を担当にした新人だってな。しかもなんだ、3人ともなんともまぁ…いいトモをしてやがる。ありゃ狙ったのかい、立華君?」
「はは、狙ったというと人聞きが悪すぎませんか?たまたまですよ。
「随分とロマンチックな表現ね。…マスター、彼にも何か」
俺はマスターに注文を聞かれて、この店で一番好みのカクテルを頼むことにした。
これまでのループで、一番よく飲んだ酒。
「
「かしこまりました」
マスターが注文した酒を手際よく作ってくれて、簡単に3人で乾杯を交わす。
そうして、まずは東条先輩から俺に紙媒体の資料を手渡された。
「準備しておいたわ。私がチーム運営をする中で…メンバーのメンタルの変化にどう対応していくか、その心構えや覚書ね」
「…!ありがとうございます!!」
「おハナさんがそこまで世話を焼くなんて珍しいじゃないか。結構才能ある感じ?」
「そうね…少なくとも情けない頃の貴方よりは情熱的よ」
「はは、こいつぁ手厳しい」
俺は受け取った資料をぺら、ぺらと流し読みして……その内容の濃さに、酒精によるものではない酔いを覚えた。
その文章、内容の端々から…東条先輩の、チームへの愛が。想いが。そして、流した涙と重ねた勝利が。
そういったものが感じ取れそうなほどに、熱のある内容だった。
────────敬意しかない。
「家宝にします」
「いやきちんと使ってくれる?お願いだから」
「ははは!面白いやつだな立華君は!」
感涙しながらその資料を大切にバッグにしまう俺に、ウケたらしい沖野先輩がバンバンと俺の背中をたたく。だいぶ酔いが回っておられるようだ。
それにびっくりして肩からオニャンコポンがぽろりとカウンターに落ちてしまった。びっくりキャッツ!
俺はカウンターに落ちたオニャンコポンに指で指示して東条先輩にお礼のモフりをさせに行く。マスター、あちらの客にオニャンコポンを。
意図を読んでカウンターを歩き東条先輩の胸元に飛び込むオニャンコポン。優秀な猫だ。
「あら…ふふ、朝にも思ったけれど、人懐っこいわね、この子は」
「自慢の猫です。お礼にいくらでもモフってくれていいですよ」
「ご主人様にひどく扱われて大変ね、あなたも」
しかし猫は女性特効の能力を持つ。オニャンコポンの癒し効果に流石の東条先輩も目尻が下がり、しなやかな指先で猫の背中を撫でていた。
ルドルフといい貴方といいリギルのメンバー猫を撫でるの似合いますね?
「…さて、立華トレーナー。先ほど渡した資料だけれど。一つ、内容としては欠けているものがあるから気を付けてね」
「欠けているもの、ですか?それは…」
「…同じレースに出走させたときの、チームメンバーのメンタルケア、ね。特に勝ち負けが直接絡む場合。…私はなるべく、そうはならないように指導するから。だからこの男を呼んだのよ」
「…もしかして俺が呼ばれたのってそういう理由?」
うへぇ、とため息をつきながら沖野先輩が酒で喉を潤す。
俺は東条先輩が言ったその理由に心当たりがあった。
東条先輩のチーム『リギル』は、しっかりとした管理に定評がある。
それは練習面でもそうだし、レース出走プランなどは脚に負担を残さぬよう、そしてチームメンバー同士が食い合わぬようにきちんと調整がなされている。
もちろんウマ娘が出走を強く望めば同じレースに出走させることもあるが…その回数が多いほうでは決してない。*1
それに対して、ウマ娘の希望を第一に考えるのがチーム『スピカ』だ。
彼の持つチームのウマ娘達は、同じレースに出ることをためらわない。
この世界線でも既にトウカイテイオーとメジロマックイーンが三度にわたり雌雄を決している。
さらに言えば、今年ちょうどクラシックを走っているダイワスカーレットとウオッカがまさしくライバルとして何度も火花を散らしていた。
つまり東条先輩は、そこのアドバイスを沖野先輩に任せたのだ。
なるほど適材適所、理にかなっている。俺は沖野先輩に顔を向けて、想いを込めて教えを乞うた。
「沖野先輩。…教えてください。チームメンバー同士が戦う…そんな時、トレーナーは何をしてやれるんですか」
「…………そうだな」
カラン、と沖野先輩の持つグラスが音を鳴らす。
彼はそれに目を落としながら、何か遠いものを見るような…懐かしいものを見るような顔をしていた。
そこそこお酒も入っており、酔いもあるのだろう。随分と熱のこもった表情だと俺は感じた。
「……俺はさ、いつも思ってるんだよ」
「………」
「俺のチームはみんな才能のあるいいやつらばっかりだ。自分で言うのもなんだけどな。だからこそ…あいつ等は、勝ちたい。あいつらにとってチームメンバーってのは、
「…でも、勝負です。勝つウマ娘もいれば、負けるウマ娘もいる。俺たちトレーナーは、その時、どうすれば…」
「
「っ」
「…俺は、そう思っている。いつもな。どうすればいいのかなんてわからないし、ああすればよかったなんてのはしょっちゅうだ。けどな……」
そこで一息、沖野先輩はグラスの酒を飲み干して息を整える。
そして、俺に顔を向けて…
「俺たちは、
「……信じる…」
「そうだ。……お前、おハナさんに見込まれるくらいなんだ。いい
彼は最後に、己のチームに所属するウマ娘の名前を呼んだ。
トウカイテイオー。
彼女のことはもちろんよく知っている…ああ、知っているとも。
過去に3年間を共にしたこともあるし、快活で友人の多い彼女とは担当にならない時でも交流を深めることだってある。
そして……その脚の持つ
この世界線では、かつて─────彼女は、3度の骨折を経験している。
その時は俺はまだこの学園に赴任しておらず、噂話程度にしか聞いたことはない。
しかし、彼女が引退を決意したライブで……引退を撤回。その後、有マ記念に勝利するという奇跡を成し遂げている。
その時には既に担当だった沖野先輩が、彼女に対してどのような話をしたかは俺の知る物語ではない。
だが、沖野先輩の目には……想いがウマ娘を強くすることを実証した、確かな絆があった。
「……飲みすぎね。随分と熱の入った話だったけれども」
「…ん。まだ俺は大丈夫だぜ、おハナさん」
「酔っぱらいはみんなそういうのよ。…ごめんなさいね立華トレーナー。こんな絡み酒になっちゃって」
「…いえ、いいえ。大切なことを、
そうだ。
俺は先ほど頂いた沖野先輩の言葉に、思いだした。
俺の原風景を。
俺がまだ本当の意味で新人のトレーナーだったころ。
サイレンススズカと縁を結び、彼女と走り抜けた3年間。
未熟なトレーナーである俺が彼女と3年間を走り抜けられたのは、俺がサイレンススズカを信じていたからだ。
担当のウマ娘のその走りを、想いを、心から信じていた。そうして結果を残せた。
そのウマ娘を信じる想いは決して色褪せないものだ────────と、思っていた。
だが、何度も何度も世界を繰り返していくうちに想いはいつの間にかくすんでいた。
いや、確かに想いは持っていた。自分のウマ娘達を信じる心は常にあったと胸を張って言うことができる。
しかし、その想いが何よりも大切であるということが……意識から抜け落ちてはいなかったか?
信じて当たり前、ではない。
…思えば、ハルウララと共に駆け抜け続けた永劫の記憶の中でも。
俺がやれること、学んだ知識、練習、それら全てを費やして、注ぎ込んで──最後に残ったのは、ウララを信じる俺の心だった。
あの奇跡を起こした最後の3年間。俺は何よりもウララを信じ続けていた。ウララのまわりに集まるウマ娘達を信じていた。
それがきっと、奇跡を起こすきっかけだったのだ。
恐らく沖野先輩も同じなのだろう。彼が名トレーナーとして何度も奇跡を起こしてきたのは、ウマ娘を心から信じていたからこそ。
きっとそれは、他のトレーナーも…北原先輩も同じだ。彼がカサマツで起こした奇跡は、ウマ娘を信じ、想いを重ねたから。
────────信じることが、奇跡を成す。
────────想いが、ウマ娘を強くする。
俺は、そんな大切なことが、3人の担当になるという新しい世界線の忙しさにかまけて、意識から零れかけてしまっていたのだ。
「……そうですね、担当の子たちを信じる。……それが、何よりも大切なことだと。改めて認識できました」
「…随分と、いい顔をするわね」
「目が覚めた気分ですよ。俺は焦ってた…慌てていたんです。3人の担当になる覚悟はできているとか言っておきながら、その実、まったく
「…そう。…そうね。私もこの男の肩を持つわけじゃないけれど……トレーナーにとって一番大切なものは、
「ありがとうございます、東条先輩。……今日は、ここに誘っていただいて、本当によかった」
「嬉しい言葉ね」
くすりと笑って、酒が回りすぎてカウンターに突っ伏している沖野先輩の方に、優しく上着を羽織らせる東条先輩。
随分と夜もいい時間になってきた。このあたりでお開きのようだ。
俺はオニャンコポンを肩の定位置に乗せて、酒と…そして、活の入った胸元を掌で押さえながら席を立った。
「立華トレーナー、今後は色々情報交換をしましょうか。アプリの件もあるし…私も、貴方に興味が出てきたわ」
「ぜひ、よろしくお願いします。これからもご指導ご鞭撻のほどを」
「ええ。頑張ってね」
そうして東条先輩が会計を済ませて*2店を出る。
外に出て、俺はふと夜空を見上げた。
初夏の夜。星空が、ずいぶんと輝かしく感じられた。
あの中には、俺たち『フェリス』の星はまだない。
今は使われていない星座の名前であり、光り輝く一等星ではない。スピカやリギルのように、煌いてはいない。
だが、いつか必ず、あの星の海の中で。
俺たちも、どの星にも負けないくらいに輝いて見せる。
────────────────
────────────────
翌日。
「知らない女の匂いがしますね」
「トレーナーさん☆?昨日の夜、LANEの返事がなかったよね?」
「練習の後すぐに帰ってたの。怪しいの」
「何もお前らに恥じることはしてないぞ……」
愛バ達から早速トライフォースの構えを受ける俺の姿があった。
最近お前ら独占力強くない?
チュートリアル後の筆者の最初の育成ウマ娘はサイレンススズカでした。
彼女が天皇賞を駆け抜けて勝利したときに、感動して涙を流したのを覚えています。
何度も育成していると勝つのが当たり前となり、ステータスだけに目が行きがちですが、このウマ娘というゲームの真髄は「勝てるかどうかわからない大舞台に挑むウマ娘を信じて、そして共に勝利の景色を見る」ことにあると思ってます。
信じること、そしてその想いを乗せてウマ娘が走ることで、奇跡が起きる。ウマ娘とはそんな世界だと筆者は考えて話を書いてます。
ハルウララの涙と勝利に脳がやられた筆者の意見ですので、お目こぼしを。
ここからライバルのターンを挟んで、第二部最終章へ。