【完結】閃光と隼と風神の駆ける夢   作:そとみち

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35 阪神ジュベナイルフィリーズ

「すぅー……はぁ………」

 

 阪神レース場の控室でゆっくりと深呼吸するスマートファルコンを、俺は他の愛バ達と共に見守る。

 彼女はこれから、阪神ジュベナイルフィリーズに挑む。その緊張をほぐすためにそうしているのだろう。

 しかしファルコン。深呼吸はオニャンコポンのお腹に顔をうずめてするものではないんだ。

 

「……落ち着いてるか?」

 

「うんっ!大丈夫!オニャンコポン吸いもできてファル子、元気いっぱいだよっ☆!」

 

「ならよし。…今日のレース、作戦は事前に伝えたとおりだ」

 

 オニャンコポンから顔を上げて、絶好調といった満面の笑みを浮かべるファルコンに、俺は改めて作戦を伝える。

 彼女も今日のレース展開について改めての納得を得て、強く頷いた。

 

「頑張ってくださいね、ファルコンさん。貴方の勝利を信じています」

 

「相手のライアンちゃんも強いとは思うけど…あたしたちがやってきたトレーニングを信じるの!勝ってね!」

 

「うん!二人ともありがとー☆!」

 

 ウマ娘達もお互いに激励を交わす。

 このレースが、俺たちチーム『フェリス』が挑む初めてのGⅠだ。

 よい成績を残したい。願わくば、彼女に勝利の光景を。

 そのために出来ることは、この日までにすべてやってきた。

 

「勝とう。ファルコン、俺に君がセンターで踊るライブのコールをさせてくれ」

 

「わかった。見ててねトレーナーさん。私、ファン一号さんをがっかりさせるような走りはしないから」

 

「ああ。信じてる」

 

 その言葉ののち、控室に出走者の呼び出しが入った。

 もう間もなくレースが始まる時間だ。

 

「行こう」

 

「うん」

 

 

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────────────────

 

 

『さあ本日のメインレース、阪神ジュベナイルフィリーズがもう間もなく始まろうとしております!ファンファーレが鳴り響く中、観客の期待もますます高まっていっております!』

 

 スマートファルコンは、自分の足元から眼前に広がる、芝のコースを見渡した。

 これまでの、芝を走る練習で何度も見た、自分の苦手なコース。

 トレーニングで鍛えた自分の脚が通じるかどうか、挑戦することへの高揚感と……ごくわずかな、魂の底に淀む()()()

 そのうち後者は、理性と高揚で塗りつぶして意識を向けないようにして。

 まもなく始まるレースに向けて、ゲート入りする前の集中を高めていく。

 

「…ファル子ちゃん、調子はよさそうだね」

 

「……ライアンさん。今日はよろしくね?ファル子、絶好調だから負けないよ?」

 

 そんな様子のファルコンに、集中力を切らすためではなく、宣戦布告、レース前の友人への声掛けとして、メジロライアンが声をかけた。

 ファルコンも集中力を切らすことなく、しかし笑顔を見せてライアンへ言の葉を返す。

 

「うん!こっちも負けない…あたしの鍛えた筋肉で、走り抜けて見せる。勝っても負けても恨みっこなしだよ!」

 

「ふふ、ファル子も筋トレ、いっぱいしたもん☆────────勝つからね」

 

 お互いに己の勝ちを宣言し、笑顔で別れる。

 メジロライアンは脅威だ。その鍛え上げられた筋肉から繰り出される末脚は、決して侮れるものではない。

 だから、トレーナーと立てた作戦をしっかりとやり遂げる。

 

 私は隼。

 天翔ける隼。

 この芝のコースでも、誰にも前を走らせるつもりは、ない。

 

 

『今、最後のウマ娘がゲートインしました。阪神ジュベナイルフィリーズ──────スタートです!!』

 

 

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────────────────

 

(っ…!すごい、流石のスタートだよファル子ちゃん…!)

 

 メジロライアンは、出遅れずに好スタートを切れた自分の眼前に、さらに早く飛び出して加速を始めるスマートファルコンの背を見た。

 ゲートオープンへの反応が、()()()()()()

 並大抵の集中ではここまでの反応はできない。恐ろしいほどの集中力(コンセントレーション)

 ダートのレースでも見せていたスタートの速さが、芝のレースであるこのGⅠでもいかんなく発揮されていた。

 

(でも、スタートダッシュからの加速は……ダートのレースほどじゃ、ないようだね!)

 

 しかし、ライアンの視界に映るスマートファルコンは、加速を続けてハナをとろうとするその脚がダートレースで見せる豪脚のそれではないことを察した。

 もちろん、今回戦うライバルとなるウマ娘である彼女のレースについても、事前に映像を見て走りを研究している。

 ダートであれば既に他バを引き離していたであろうそれは、しかし2バ身程度の距離を作るのみにとどまった。

 

(やっぱり、芝は苦手なんだ…立華トレーナーに鍛えてもらったんだろうけど、適性はそうそう変わるものじゃない)

 

 メジロライアンは、同級生の友人でもあるスマートファルコンの走りについて、これまでの学園生活でも何度も見る機会があった。

 それは授業中の練習であったり、グラウンドを走る姿だったりだ。同級生である以上付き合いは長くなり、過去のデータではあるが走りの傾向は知っている。

 同級生の中でも共通見解として、スマートファルコンは芝で走ることを苦手としていた。

 ダートならば素晴らしい記録を残すその脚が、芝では今一つ発揮されない。

 その適正は、今このレースにおいても、すっかり覆し切れるものではなかったようだ。

 

(最後までは走り抜けるだろうけど、どこかで速度は落ちざるを得ないはず………いつも通りに末脚で差し切ってみせる!)

 

 800mほど走り、もうレースの半分を過ぎたところで、おおよそ差しの位置での好ポジションを得たメジロライアンは、徐々にレースが動き始めるのを見守っていた。

 周囲のウマ娘へ牽制を飛ばしてポジションをキープすることも忘れずに、そして前方のウマ娘、先頭で逃げるスマートファルコンに対してそれを追う逃げを得意とする8番のウマ娘が、追い抜こうと距離を詰めているのが見えた。

 

(ファル子ちゃん……あれは厳しいな。競り合いでスタミナを使ってくれるといいけれど)

 

 あくまでレースの目的は己の勝利。友人とはいえ、レースの上でかける情けなどはない。それはあらゆるウマ娘に対して失礼になるからだ。

 そうして先頭の争いで彼女らが消耗するか確かめるために注視していたところ、しかし。

 そこで。

 メジロライアンは信じられないものを見た。

 

 スマートファルコンに競りかける8番のウマ娘が、もう間もなく追いつこうとしたところで。

 ────────ぞくり、と。

 レースを走るウマ娘たちの魂が、震える。

 メジロライアンの体が、まるで怖気を感じたかのように震える。

 

 ああ、この感覚。

 この気配は…このレースを走る他のウマ娘は初めてのようだが、メジロライアンは知っている。

 メジロ家で、より上位を走る一流のウマ娘達と併走をしていたことで、知っている。

 

(嘘でしょファル子ちゃん!?まさか、君はもう!?)

 

 

 

────────────────領域(ゾーン)

 

 

 その世界に、砂の隼は覚醒(めざ)めていた。

 

 

────────────────

────────────────

 

『レースは1000mを通過!タイムは59秒8、平均的なペースで…おおっと、ここでスマートファルコンがすさまじい加速!素晴らしい脚だ!競りかけていた8番のウマ娘を置き去りにするかのように加速した!!しかしまだレースは600mも残っているぞ!脚は最後まで持つのか?!その加速を見て後続のウマ娘達も徐々に上がってきている!レースが動いてまいりましたっ!!』

 

────────────────

────────────────

 

「勝った」

 

「…え?」

 

 俺は、スマートファルコンが中盤戦で…競りかけられたことで、己の領域(ゾーン)に目覚めたことをゴール前の観客席から見届けた。

 領域(ゾーン)。実力のある、世代を担うウマ娘達が持ち得る、極めて集中した状態で疑似的に入るトランス状態。

 その領域に入ったウマ娘は、すさまじい加速であったり、あるいは周囲への圧であったり、スタミナの回復であったり、物理的な影響すら無視しかねないほどの超常的な力を発揮する。

 それを見たことで、俺は彼女の勝利を確信した。

 そのつぶやきが聞こえたのだろう、俺の左右に立つフラッシュとアイネスがこちらに目を向けてきた。

 

「ファルコンさんは確かに素晴らしい走りですが…まだ油断はできないのではないですか?」

 

「まだ最終コーナーと直線があるの。それに…ライアンちゃんが足を溜めてる。きっと来るの」

 

「ああ…二人の言う通りではある。油断はできないし、ライアンはそろそろ加速してくるころだろう。だが…」

 

 俺がスマートファルコンに出した指示は、主に以下の通り。

 スタートでまず飛び出して、()()()程度の余裕をもって先頭を走れ。

 そして、中盤で後ろのウマ娘が抜かそうと近づいてきたら、再加速で突き放せ。

 そのまま距離のアドバンテージを取って、後ろを振り向かず最後まで走り抜け。

 

 この指示を出した理由は、細かい点まで説明すれば様々だが……大きな理由は二つ。

 

 まず一つ。

 

「ファルコンは、中盤で後ろから迫られた時が、一番強い加速ができるタイプなんだ。チーム『カサマツ』との併走でも、既にその兆候は見えていた。まさかこの時期で領域(ゾーン)まで発動するとは思ってなかったけどね」

 

「ああ、確かに…ノルンエースさんに詰められた時など、すさまじい加速でしたからね。それが、ファルコンさんの領域(ゾーン)に目覚める条件だったのですね」

 

 そう、彼女は中盤で後ろから迫られることが、最高の加速を見せるための条件なのだ。

 そのために、後続との距離をあまり開きすぎることなく、2バ身程度の差に収めさせた。

 やろうと思えば、もっと距離を開けることだって彼女にはできた。

 その程度には、俺はファルコンを鍛え上げている。

 

 そして、この作戦を取らせたもう一つの理由。

 

「ああ、そしてファルコンの走りを研究してこのレースに挑んだウマ娘達は、スタート直後の走りを見て思っただろう。『ダートの時よりも加速が緩い、芝に慣れていないんだ』……ってな。それが今、加速を見てその考えが違っていたことを見せつけられたわけだ」

 

「……うわ。トレーナーの言いたいこと理解(わか)っちゃったの…」

 

「ひどくない?…まぁ、そう。みんな()()よな。恐らく落ちてくるだろうと思われたファルコンが、なんと領域(ゾーン)にまで入って加速をした。もしかして、芝も走れるんじゃないか?わざとスタートでは加速しなかった?ということは、()()()()()()()()()()()()?このままゴールまで走り抜けるのでは?追いつけるのか?……と、当然考える。掛かるさ、絶対」

 

 俺がそうこぼした通り、後続の…ライアンを含めたウマ娘達は、本来ベストな仕掛け処である残り400mを待たずに加速を始めていた。

 レースの最初から、ファルコンが芝を走れると信じるか…もしくは、ファルコンのことを意識せずに自分の走りを貫き通されれば、勝負はまだわからなかっただろう。

 だから、それをさせないためにスタートでハナを取らせて、かつ加速を抑えた姿を他のウマ娘に見せつけた。

 それを見てしまえば、ファルコンの芝の適正に疑問を持たざるを得ない。

 油断する。

 そこをガツンだ。

 

「…しかしファルコンも、これ以上の更なる加速は望めない。だがその速度を維持したまま走り抜けられるスタミナはつけさせてる。後ろのウマ娘達が限界を超えるような走りを見せなければ、いけるさ」

 

 そして、隣に立つ彼女たちには説明しなかった、3つ目の勝利の理由。

 それはメジロライアンの距離適性だ。

 

 このレースで一番のライバルになるであろう、メジロライアン。

 彼女はその持ち前の実力でこれまでのマイルのレースでも好成績を収めていたが、本来は中距離が彼女に一番合った距離だ。

 このマイルのレースでは、その豪脚を発揮しきれない。距離が足りない。

 

「…あとは、走り抜けるだけだ。信じてるぜ、ファルコン」

 

 俺は先頭で最終コーナーを曲がり終え、直線に向かって駆け抜けてくる我が愛バを見守った。

 

 

────────────────

────────────────

 

(や、られたっ…!!こんな、全部、ファル子ちゃんの作戦だったの!?)

 

 メジロライアンは、最終コーナーを曲がり終えてゴールへ向けてさらに加速を続けながら、しかし前を走るスマートファルコンとの距離がわずかずつしか縮まらないその光景を見て焦燥に駆られていた。

 やられた。

 ファル子ちゃんは、芝のコースでも走れるようになっていた。

 それを悟らせないスタート直後の走りと、しかし中盤に彼女が見せた領域(ゾーン)による加速で、自分が彼女の走りを侮っていたことを自覚した。

 自覚してしまった。

 その思いは、どうしても走りに現れる。

 

 ─────────────侮ったのだ、と。

 

 そう思わせるには、十分な作戦だった。

 本来は、油断と呼べるようなものではない。どう見ても、スタート直後のスマートファルコンはダートで見せていた好走と比べれば1段落ちる走りだったのだ。

 しかしそれは本来の実力を隠していたものだった。彼女は中盤で見事すぎるほどの加速を見せた。

 その結果を見て、思春期のまだ青さの残る彼女らウマ娘は、思う。

 

 彼女を、侮ってしまっていたのだと。

 同じレースを走るのに、どこかで、芝のレースは苦手だろうから、()()()()()()()()()()()と。

 

 その、ともすればレースを無礼(なめ)てしまっているかのような失礼な自分の思考に思い至ることで、後悔が胸の内にわずかでも生まれれば。

 それは澱みとなって足の運びを邪魔し始める。

 メジロライアンは、己の末脚が普段よりも筋肉が輝き切れていないような錯覚を味わっていた。

 

 『躊躇い』と呼ばれる技術ではない。

 どちらかと言えば、『駆け引き』と呼ばれる技術に近い。

 その駆け引きに見事に()()()()しまい、最終直線を先頭で走るスマートファルコンへ、その脚が追い付かない。

 

「くっ……っそ、おおおおおおおっっ!!」

 

 更なる気力を振り絞って、声を上げてメジロライアンが加速を増して、スマートファルコンへ追いすがる。

 だが、足りない。その加速を重ねるための距離が足りない。

 

 スマートファルコンの背中は遠く。

 そして、ゴール板が目前に迫っていた。

 

────────────────

────────────────

 

『スマートファルコンが先頭を駆ける!!後続の8番が伸びないか!?その後ろからメジロライアンが末脚を見せ迫ってくる!迫ってくる!!だが届かないッッ!!これは強い!スマートファルコンだ!スマートファルコンだッッ!!今!!スマートファルコンが一着でゴォーーールッ!!!!年末のジュニアGⅠ、その初戦を勝利したのはなんと砂の隼スマートファルコンっ!!芝でも輝いて見せましたッ!!2着にはメジロライアン、3着には……』

 

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────────────────

 

「…っはぁ!!はぁ、はぁ…はぁ……」

 

 1着でゴールを駆け抜けたスマートファルコンは、速度を落として息を整えながら、自分が勝利したことをあらためて実感した。

 トレーナーさんと立てた、作戦通りにレースは進んで。

 そして自分も、不慣れとしていたこの芝の上で、それでも全力で走り切って。

 栄えあるGⅠ、その勝利を掴むことができた。

 

 レース場に、爆発的な歓声が起こる。

 それは前情報でダートウマ娘と思われていた彼女が、芝のレースでも強い走りを魅せつけたことへの期待の声。

 勝者への祝福の雨であるその声に、勝った者の権利として、スマートファルコンは観客席に大きく手を振って笑顔を見せる。

 

「みんなー!!応援、ありがとー☆!!!」

 

 そのパフォーマンスに観客席がさらに沸き、彼女の素晴らしい走りを祝福した。

 スマートファルコンは、その歓声を受けて…さらに、その後ゴール前にいた自分のトレーナー、チームメンバーからも祝福を受けた。

 

 嬉しい。

 やった。

 勝てた。

 褒めて。

 

 心からの歓喜と、己の信頼するトレーナーへ勝利をプレゼントできたことへの安堵と。

 そして。

 

 ────────本当に、これが私が望んだモノ?

 

 一抹の、ごく僅かな虚無感を持って。

 阪神レース場の()()()で、笑顔を振りまくのだった。


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