『さあ最終コーナーを回ってスマートファルコンが独走状態!既に後ろとの差は10バ身以上!さらに差が広がる!!広がるッ!!!圧倒的だ!!芝のGⅠを勝ち取ってなお砂の走りに翳り無しッ!!これは間違いないでしょう!!そのままスマートファルコンが一着でゴォーーーーーールッッ!!素晴らしい走りでしたスマートファルコン!強いッ!!ただ強いッッ!!!2着は4番……』
立華勝人は、ヒヤシンスステークスを大差をつけて1着で駆け抜けたスマートファルコンの勝利を祝福する。
何の心配もない、ただただ強い走り。スタート直後に加速をして作ったアドバンテージは、レースを走り終えるまでに距離を埋めることなく、終わりまで先頭を走り抜けた。
ダートを走る彼女は、以前芝で見せたような、抜けない棘が刺さったままのような表情ではなく…心の底から、全力で走れて気持ちよい、勝てて楽しいと、満面の笑顔を観客席に振りまいていた。
(…問題なし、か。やっぱり芝のレースがファルコンの澱みの原因か…)
以前受けた相談の、悩みの解決につき立華は模索する。
恐らくは、やはり芝のレースを走ること、それ自体にスマートファルコンは何かしらの忌避感を持っているのだ。
芝はかつてあこがれたレースであり、それを走りウマドルとして輝きたいという気持ちがある。
砂はいまや魂が求めるレースであり、そこを走り砂の隼として頂点に立ちたいという想いがある。
その二律背反…芝を走るうえで、羨望と忌避が彼女の中にあるのだろう、というのが立華の見解であった。
(芝への憧れ…それがいずれ、諦めではなく消化されれば、あとはダートの王として輝くのみ、になりそうだけどな)
しかし、その答えを今出すにはまだ性急すぎる。
次に彼女が走るレースは、懸念である芝のレース。皐月賞だ。
まずはそこで勝てるように、しっかりと仕上げるのがトレーナーとしての急務だ。
もちろん同じレースに出走するエイシンフラッシュにも、同じように全力で仕上げる。
俺は、彼女たちが全力を出してぶつかり合う、そんなレースを、見たい。
そんな風に思考の海を立華が揺蕩っていると、スマートファルコンがこちらに近づいてくるのが見えた。
一息つき、今は悩みをすっかりと思考の外に追いやって、スマートファルコンを笑顔で出迎える。
「ファルコン、おめでとう。素晴らしい走りだったな。流石は砂の隼だ」
「トレーナーさん!えへへ、ありがとー☆ファル子、やっぱりダート走ってる時が一番楽しい!!」
そういって、ラチの向こうからずいっ、と立華に向けて身を乗り出して、頭を下げるスマートファルコン。
ここ最近、妙にこうして頭を撫でてもらうのをねだるようになった。
それを受けた立華は、しかし担当するウマ娘のおねだりに応じるのは彼にとって呼吸と同じような物であり、笑顔でそのまんまるな頭を優しく撫でてやった。
「えへへ……☆」
「ん、よくやった。勝利者インタビューが終わったら、控室でまた褒めるよ。脚のケアもしたいしな」
「わかった!それじゃファル子、インタビュー受けてくるね!」
頭を撫でられて満足したのか、スマートファルコンが改めてトレーナーから離れて、勝利者インタビューの準備を整えてある席へ向かっていった。
GⅠではないので今回はウマ娘への簡単な物のみだ。彼女が皐月賞に出走することは後でチーム全体で受ける合同インタビューで発表することとしているので、立華はスマートファルコンにそこだけは話さないように伝えていた。
そうして、さて、立華勝人は腰を上げて控室に向かうために足を向ける。
今日のヒヤシンスステークスはOP戦のそれだが、大差をつけられて敗北したウマ娘達が、コース上から戻りながら悔しさをトレーナーにぶつけたり、涙を流したりしているのが見える。
それについて立華は同情、という気持ちにはならない。ウマ娘の為に生きることを信条としている彼であっても、レースの決着、特に敗者に対して同情をすることは、彼女たちの走るレース全てを侮辱することと同義だと知っているからだ。
彼女たちのあの悔しさが、涙がさらなる強さにつながる事も知っており、そうしてウマ娘達は競い合い、輝いていく。
だから、彼女たちが今後さらに強くなってスマートファルコンの前に立ちはだかるのを期待し、そのうえで負けないようにスマートファルコンを仕上げていこう、と改めて強く意識した。
しかし、ただ一人だけ。
立華勝人は、今日のレースの敗者たちの中で、気にかけてしまう存在がいた。
そのウマ娘は、8着で負けたというのに笑顔で手を振り、観客席に愛嬌を振りまいていた。
彼女のファンなのであろう、商店街の方々などがそんな彼女の様子に「次は頑張ろう!」といった温かい声掛けをしている。
その笑顔、桃色の髪が風にたなびき、彼女の花弁の散る瞳にかかり、わちゃわちゃと子供らしくせわしなく動く姿。
ああ。
その姿を、彼は、世界中の誰よりも、知っている。
「ウララ…」
ハルウララ。
これまでの、彼の数奇な運命、ループし続ける世界の中で、ここ数十回を共にした、彼のかつての運命のウマ娘。
幾度、彼女の涙を見ただろうか。
そうして、執念と想いの果て、最後に見た大輪の笑顔の花を、彼はよく覚えていた。
しかし、今回の世界線では彼女は立華の担当ウマ娘ではない。
同期の
本来のハルウララというウマ娘は、才能あふれる強いウマ娘ではない。
いや、表現は大変に厳しくなるが、中央トレセンの中でも走る才能が極めて低いと言えるだろう。
彼女のとりえはその持ち前の明るさと人柄であり、走りで輝くウマ娘では、本来はない。
この世界線では…かつて立華が磨き上げたその軌跡の結晶ではない、
もちろん、ウマ娘は想いが強く、そしてしっかりと指導すれば、勝てないということはない。絶対はないのだ。それは既に立華自身が過去の世界線で証明している。
だから、この世界線では…ファルコンのライバルにはならないかもしれないが、彼女らしく明るく、朗らかに、楽しんで、怪我無く過ごしてくれればよい。そう立華は思っていた。
「……未練、いや、想い出だな」
そんな、思わずハルウララに目が行ってしまった自分の情けなさにふ、とため息をつき、控室に向けて再度歩みだした。
観客席を抜け、関係者通路に入り、控室に向かう通路を歩く。
この道はウマ娘が使うことはなく、トレーナーや関係者が専用に使う道だった。彼女らはレース場からは戻る時には、パドックからつながるほうの道を使う。
周囲に人はいない。この時間は他の関係者もここを通る時間ではなく、彼女らの控室に向かうトレーナーだって、他のレースを見たり、レース場のほうでウマ娘らと話しているからだ。
無人の道を歩き、すぐに控室にたどり着くはずだった、そんな通路の途中で、しかし。
立華は、その男に出会った。
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「…
「っ…立華さんか」
果たして、通路上の壁に向かって立っていたのは、ハルウララの担当トレーナーである初咲であった。
その出会いは、立華にとってはあまり気分のいいものではない。
なにせ、つい先ほどレースで自分の担当ウマ娘であるスマートファルコンが、彼の担当であるハルウララをぶっちぎってきたのだ。
もちろん、初咲は中央に配属となったトレーナーである。その人柄もとてもしっかりしており、またハルウララの勝利を一緒に祝えるような熱い心の持ち主であることを立華は知っている。
個人的な話でいえば、明るくさっぱりとした気のいい同期として、彼の今後を応援したい気持ちも強い。
だが、彼らは共にトレーナーであり、今は明確に勝敗がついた直後のことである。若干の気まずさをもって、お互いに挨拶を交わす。
「お疲れ様です。…ええと、今日はうちの子が勝たせていただきましたね」
「ああ、
「はは、そこは自慢のウマ娘ですからね、お褒め頂いてありがとう。…下手に遜っても初咲さん、怒るでしょ?」
初咲の、スマートファルコンへの評価に対して、立華は謙遜することをしなかった。
ここで「そんなことはないですよ」と言うようなことは、この立華にはありえない。
自分の担当するウマ娘の力を、その走りを、トレーナー自身が否定するわけにはいかないからだ。少なくとも立華はそう思っていた。
「嫌味か!君の育てたウマ娘はみんな強いだろうに…くそっ、すげぇよ立華さんは。ああ、でも俺は諦めないからな!いつか、
「っ…ええ、俺も、その時を心から楽しみにしてますよ、
初咲の熱い想いと…
彼の持つその熱い想いは、トレーナーとしてとても大切なものであるし、ハルウララに対してそこまで信じられる彼のことを、立華は高く評価していた。
ともすれば、ハルウララの走りは…中央の一般的なトレーナーにとっては大変もどかしく感じられてしまう部分も、あるかもしれない。
しかしこの初咲という男は違う。彼女を信じて、想ってやれている。
であれば、この男の下で、ハルウララはきっとこれからも楽しく走り切ることができるだろう。未勝利戦だって3戦目ではあるがきっちり勝ちきらせる実力もあるのだ。
だからこそ、本心で。彼の育てるハルウララが、いつか自分の育てるスマートファルコンに肉薄するような、そんな未来が訪れれば、と思った。
「それでは、俺はこれで。ウララのこと、頑張ってくださいね。なんかあったらいつでも相談に乗りますから」
「…ああ、アドバイスが欲しい時には俺は躊躇わないからな。お疲れ様、立華さん……」
そうして、立華が初咲に挨拶をして控室につながる道を歩み、姿が見えなくなる。
そこに残されたのは、初咲ただ一人。
彼は、立華の去る姿を見送り、そうして見えなくなったところで。
「──────────ッッ!!!!」
悔しさで。
額を通路の壁にぶつけて、吠えた。
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「───────畜生、畜生ッ…!!」
「俺が、至らないから…!!立華みたいに、うまくできないからっ…!!」
「俺は、ウララを勝たせてやれない!!俺が、未熟だからッ…!!」
「悔しい…!!情けねぇ…!!俺は、ウララに…!」
「ウララに…!!俺を、選んでくれたあの子に…!!」
「───────勝って、ほしいんだ…!!」
「勝った姿を、見せてほしいんだ!!負けて笑うんじゃない、勝って、心の底から笑ってほしくて…!!」
「それが見たくて…!!でも、俺が情けないから…!!俺が…!!」
「くっそぉ………!!強くなれよ俺…!!もっと、ウララの為に、全てを……!!」
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慟哭。
そう表現してもいいだろう、大の大人が涙を零しながら声を殺して叫ぶ。
先ほどまで堪えていたそれが、立華という同じ新人の、しかし恐ろしいほどの結果を出している天才と顔を合わせて、決壊した。
しかし彼が叱責するのは己のみ。
彼にとって、ハルウララというウマ娘は、スマートファルコンにも決して劣ることのない、素晴らしいウマ娘だという認識があった。
その笑顔で、その温かい心で、優しさで、俺を選んでくれた。
ならば、俺はあの子の為に、
足りないのはハルウララではなく、己の指導であり、トレーナーとしての実力だと。
そんな男の涙と、絞り切るように声を殺した慟哭は、誰の耳にも入ることはなく。
ただ、無人の暗い通路の中に、溶けていった。
───────だが、その通路へ至る道の先。
桜色の尻尾が、僅かに見え隠れしていたことに、初咲は気付かなかった。
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時間は少し遡る。
「えへへ、みんなにいっぱい手を振ってたらまよっちゃった!えーと、たしかこっちだっけ…?」
ハルウララは、普段使うパドック側から控室に戻る道ではなく、前にトレーナーが言っていた、「かんけーしゃ用つうろ」のほうを使い、自分の控室に戻ろうとしていた。
先ほどのレースで、楽しくなってしまい、観客席にずっと手を振りながらレース場を回っていたら、自分の位置がわからなくなってしまったからだ。
そうしていると次のレースの準備なども始まってしまい、普段使う道も次のレースに出走するウマ娘達が出てきてしまっていた。
だから、そこでハルウララは前に自分の担当をしてくれている初咲トレーナーが言っていたことを思いだし、そうしてようやく関係者用通路を見つけ、そこを通ろうとした。
人気のないその道へぴょんぴょんと元気に跳ねるように進もうとしたところ、その通路の先に、自分のトレーナーが立っているのをハルウララは見つけた。
「あ!!うさ────────っと、わわわ!」
見つけたことで彼の名前を呼びながら思いっきり駆け寄って抱き着こうとしたハルウララは、しかし、そのすぐそばに別のトレーナーが立っており、何か二人で話しているのだ、と理解して、一旦通路には入らず、その手前、通路前の壁に背中をぺたり、と合わせて、二人の前に出ることを遠慮した。
以前、キングちゃんに教えてもらったのだ。「大人同士が何かお話をしているときに、いきなり飛び出して抱き着いちゃだめよ!」と。
ウララは言われたことはちゃんとできる偉い子なのだ。そうして、二人の話が終わったところで、改めて飛び出して行って、初咲トレーナーにいっぱいぎゅーってしてもらおう。そう考えた。
さて、いつかキングちゃんと見たアニメのスパイみたいに、壁のむこうからちょこ、と僅かに顔を出し、遠目に二人の様子を見ていると、どうやらもう一人は学園で有名な猫トレーナーさんだということが分かった。
なにせ、肩に猫が乗っている。勿論ハルウララも彼のことは知っており、時々中庭でその猫ちゃんを触らせてもらったりしていた。とても優しいトレーナーであったと記憶している。
だったら、もう私が出て行っても大丈夫かな?という思考も頭をもたげるが、それでもキングちゃんに教えてもらったことをしっかり守るいい子なのだ、と自分を律して、また壁の向こうに戻る。
そうして、ウマ娘の耳に入る、二人の話が終わるのを待った。
(………そろそろいいかな?)
少し待つと、猫トレーナーが行ってしまったのか、二人の会話が終わったようであった。
顔をのぞかせれば、そこにいるのは自分の担当である初咲トレーナーのみとなっており、問題なさそうであるとハルウララは判断した。
それじゃあ出ていこう。今日のレースの話をしたいな。
ファル子ちゃんが、本当に早くてすごかったこと。
私も、全力でおもいっきり走れて、気持ちよかったこと。
観客席に、商店街のみんながいて、いっぱい褒めてくれたこと。
今日も一日、楽しかったから、またレースに出させてね。
そんな、とりとめもない色んなお話を、初咲トレーナーにしたい。
ハルウララは、笑顔になって自分のトレーナーの胸元に向かって駆けだそうとした。
「…えへへ、初咲ト──────────」
鈍い、大きな音。
初咲が、自分の頭を強く壁に打ち付けたその瞬間を、身を乗り出していたハルウララは目撃した。
その名前を呼ぼうと思っていた、大好きなトレーナーのその急な行動に、ハルウララは心底驚いてひゅっ、と息を呑んだ。
そうして、慌てて通路の前の壁に戻る。
『───────畜生、畜生ッ…!!』
泣いている。
私のトレーナーが、泣いている。
ハルウララは、混乱の極みにあった。
なんで?
どうして?
ウララが、負けたから?
さっきの猫トレーナーに、何か言われた?
どうして、そんなに悲しそうな声で、泣いているの?
『ウララに…!!俺を、選んでくれたあの子に…!!』
『───────勝って、ほしいんだ…!!』
そして、彼の慟哭を聞いた。
その彼の、涙をこぼすほどの強い想いを、ハルウララはすべて聞き遂げた。
(勝ってほしい…?初咲トレーナー、わたしに勝ってほしかったの…?)
これまで、ハルウララは明確に勝利を求めてレースに出走したことはなかった。
ただ、走ることが楽しい。レースの場で走ると、観客や実況などもあって、もっと楽しい。
だからいっぱいレースに出たいし、初咲トレーナーからも…私が楽しく走れればいい、と言ってくれていた。
けど。
本当は。
私に、勝ってほしくて。
けれど、勝てない私に、それでも。
自分の力が足りないと、そう思い悩んで。
泣いてしまっている。
(勝ってほしかった、んだ……私と、一緒に……トレーナー、勝ちたかったんだ……)
勝ちたい。
ハルウララと勝ちたい。
初咲のその想い。
大の大人が涙を零すほどの、強い想いを。
────────ハルウララの、
(────勝ちたい)
明確に、ハルウララの中で何かが変わる。
(勝ちたい)
それは、これまでの世界線で彼女が持ち得ることがなかった、新しい勝利への渇望。
立華がハルウララに持たせた、『自分が勝ちたい』という、強い想いのそれではない。
(────
その、涙を止めるために。
笑顔に、なってほしいから。
私は、こんな私を担当してくれた、優しいトレーナーの為に。
勝ちたい。
ハルウララの眼の、花弁が揺れる。
それは想いにより形を変え、桜の花びらのその色が、より広く、まるで咲き誇るように色に深みを増す。
そうして、まるでそこから桃色の炎が立ち上るかのような幻覚を生んだ。
ハルウララは、強いウマ娘ではない。
強い
なにせ、彼女の元となった魂は、その生涯で走ったレースで、一度たりとも勝利したことがないのだから。
トレセン学園に集まるウマ娘の、その誰よりも勝利から遠い魂と言えるだろう。それは事実としてそこにある。
だがその魂。
唯一、ただ一点。
────────
今日、一人のウマ娘の運命が変わる。
ハルウララは、己のトレーナーの涙を。
その想いを乗せて走る事を決意した。
初春の風に桜は紛れて、
この話について、ちょっとだけ活動報告に補足をあげております。