『さあアメリカクラシック三冠、その最後の一戦ベルモントステークス!各ウマ娘ゲートイン完了!!……スタートだぁ!!』
ゲートが開かれた。
直後、最内から解き放たれたかのように飛び出していくウマ娘が一人。
スマートファルコンだ。
そのスタートは完璧だった。
彼女は、これまで走ったレースと比較してもなお最高の速度、最高の反応でスタートを切ることに成功した。
そして、そこからさらに加速を続ける。
後続ウマ娘を大きく、大きく引き離しにかかる。
『大逃げ』と呼ばれる戦法。
その大博打にも見える走りを、このベルモントステークスで繰り出した。
(────────ハッ。そんなことだろうと思ったよ)
しかし、それを先行集団の位置から冷静に眺めるウマ娘が一人。
マジェスティックプリンスだ。
当然、彼女はこのレースで勝利するために、日本からわざわざ負けにやってきた彼女の走りの情報も事前に仕入れていた。
逃げを得意とするウマ娘。
ダートを走るのが上手。
中盤で他のウマ娘に追いすがられると
そんな彼女が、こちらの情報…
大逃げ。
それしかないと、事前に結論を出していた。
実際、マジェスティックプリンスと同じレースに出走するうえでは、逃げウマ娘は大逃げに近い作戦を取らざるを得ない。
だが、この走りは当然であるが、見た目以上に難しさを伴う。
距離を引き離すのが容易ではない。
スマートファルコンとは別の逃げウマ娘も今回は1名参加しており、それも頑張ってマジェスティックプリンスとの距離を開けようとしているが、それは大きく開く前に通常のペースに戻ってしまう。
実力がないと大逃げをすること自体が難しいのだ。
(まぁ、中々の加速だよ。確かにかなりの距離を作れている…だが、そのペースで走り切れるのかい?)
マジェスティックプリンスは先頭を走るスマートファルコンの背中を、そもそも走り切れるのかという疑念を持って見ていた。そして仮に走り切れたとしても
そうして、500m地点を超える。
(では行くよ────────王の庭へ、ようこそ)
その瞬間が、マジェスティックプリンスの
彼女を中心として、煉獄のような赤いドームが広がっていくのを、周囲を走るウマ娘は眼にした。
──────────【
既に、彼女の中でこのレースの勝敗は確定していた。
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────────────────
「…出ましたね、マジェスティックプリンスさんの
「でも、ファル子ちゃんは距離を取れてる!範囲外なの!!」
「いいペースよ…ファルコン先輩なら、あのまま走り切れるはず…!」
「行くのデース!ファルコーン!!」
俺達は、観客席のゴール前…よりも少し手前の位置で、スマートファルコンが先頭を独走し、そうして後方のマジェスティックプリンスが
ゴール前はあまりにも観客が多くて、彼女ら4人を連れて行くのが難しかったからだ。
日本のレース場であれば、俺の顔やフラッシュ達の顔を見て、道を譲ってくれる優しい方々が多くいいポジションを取れたのだが、そこは流石に海外と言ったところであった。
さて、そうしてレースは500mを過ぎ、作戦通りにマジェスティックプリンスの領域から逃れることが出来ていた。
悪くない。スタートも抜群の反応だった。過去にあれほどの速さでスタートを切れたウマ娘を、俺はスズカしか知らない。
そしてマジェスティックプリンスの
「…いいペースだ、マジェスティックプリンスとの距離も60mほどをキープできている…このまま、マジェスティックプリンスが位置を上げてくる前にもう一伸びして、息を入れられれば…」
「ええ…しかし、ファルコンさんの後ろには今、
俺の言葉に、フラッシュが懸念を零す。
そう、今大逃げを打っているファルコンの後ろには、当然だが他のウマ娘がついてきていなかった。
彼女の
であれば、
そうして、その1000mが近づいてきた。
俺の周りの、4人の体が震えた。
「…!?嘘っ…!?」
「ファル子ちゃん!?まさか!?」
「ここで…!」
「ワオ!これはファルコンのニュー
第二
世代を担うウマ娘の、それもごく一部が有するとされる、第二のそれに砂の隼は目覚めていた。
────────────────
────────────────
先頭を走る。
(…………)
前には誰もいない。
(…………)
砂の広がる、その目の前に、
(…………だからこそ)
だからこそ。
誰にも、前を譲るつもりは、ない。
領域へ。
──────────【砂塵の王】。
中盤を迎えた段階で、
心象風景として表れていた、以前の領域である…ウマドルとして輝くための、ステージに向かう道を駆けるそれではない。
砂煙を盛大に巻き上げながら、ただ砂を爆走し、加速を齎す。
そんな、新たなる領域にスマートファルコンは目覚めた。
ダートレースでのみ発動する、その領域。
勝利へ向けて、更なる加速がもたらされた。
────────────────
────────────────
その光景を、
(やるね…後ろにウマ娘がいなくとも、
お互いの距離は80mまで広がっただろうか。
こちらの
だが、自分の
ドームを展開している間に速度を上げるタイプの
このまま彼女が自分の
もちろん、そんな未来は訪れない。
(甘いよねぇ。……私がこれまでにすべての手札を切っていたと思っていたのかい?)
にぃ、と王子が微笑む。
そうして、既に十分にスピードを吸収してやった周囲のウマ娘…その、
(さて、私の箱庭は直径約100mだ。……どうする、哀れなハヤブサくん)
彼女を中心として広がっていた半球状のドームが、なんと中心点を彼女からずらして、前に移動し始めた。それも相当な速さである。
これまでマジェスティックプリンスの周囲50mを覆っていたそのドームが、今度はマジェスティックプリンスの前方100mに設置される形で移動した。
これがマジェスティックプリンスの奥の手である。
これまで、この手段をレースで取ったことはなかった。取る必要もなかった。
自分から50m以上離れて走るウマ娘などいなかったのだから。
しかし、今回はその庭からハヤブサが逃げようとしている。
だからこそそれを捉えるために、ドーム状の領域を前方に移動させて展開する。
これで前100m以内にいるウマ娘全員を射程に捉えることが出来る。
(チェックメイトだ!日本から遥々、私の伝説の礎になりに来てくれてありがとう、ハヤブサくん!)
マジェスティックプリンスの立てていた作戦は、こうだ。
まず、スマートファルコンが通常の逃げを打つ場合。
…箱庭に取り込んで、ハヤブサは堕ちる。
次に、今回の様に大逃げを打つ場合。
…中盤で再加速をした時点で箱庭を前方に展開し、取り込む。ハヤブサは堕ちる。
そして、仮に今前方に展開した箱庭からもスマートファルコンが逃げ切った場合。
それは素晴らしいスピードとパワーを兼ね備えた走りだろう。賞賛されていい。
…
私の領域が終わるまで逃げ切ったとして、息を入れたとして、その後の脚が残っているのかい?
必勝。
その勝利の方程式を証明するために、マジェスティックプリンスは前方を走るスマートファルコンの姿を見た。
彼女は、後方から迫ってくる自分の箱庭を察したようだ。
そうしてスマートファルコンが取った手段は、更なる加速。
100m以上の距離を取ろうとしてさらに前傾姿勢を取って加速を果たした。
それを繰り出した彼女の姿は、しかしそれを見たウマ娘も、観客も、すべてが理解するその走り。
暴走。
絶対にスタミナが持たない。
(終わりだね。クラシック三冠も、私にとっては大した壁ではなかったか)
勝負に決着がついたことを内心で悟り、僅かな寂寥感を漂わせながら、マジェスティックプリンスは勝利へ向けて走り続けた。
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────────────────
「なんだと…っ!?」
俺は1000mを通過し、スマートファルコンが
俺の想定を超える動き。
あれでは、前100mまでが彼女の領域の内に入ってしまう。
「そんな…!?あれではファルコンさんが…!」
「いや…ファル子ちゃんも気づいてる!加速して…でも、それは無茶なの!?」
そうして二人が言う通り、スマートファルコンは後方から迫る圧に気づいたのだろう。さらに加速を果たして、100m以上の距離をマジェスティックプリンスと広げることに成功した。
だが、それは滅びの一手。
「あの加速じゃ息が入れられない…!ファルコン先輩…!?」
「厳しいデスか!?」
そう、同じ走りをするスズカだからこそ、正確に察した。俺と同じ結論に至った。
彼女の体を、脚を知り尽くしている俺だからわかる。
掛かってしまったのだ。
息を入れるタイミングを逸した。
この先で改めて息を入れたとしても、再加速は絶望的。
あのペースでは、ゴール前で間違いなく失速する。
それはかつて、彼女がまだチームに加入して2週間しかたっていなかった頃の、チーム『カサマツ』との併走トレーニングでも見られたあれだ。
1800mのレースで、しかし楽しさのあまり息を入れきれずに加速し続けたファルコンは、1600mの地点で見事に逆噴射を見せた。
あれが間違いなく起こる。
もちろん、あの頃の彼女と今のファルコンは比べ物にならないほど成長している。
1600mで落ちることはない。
だが、2400mを走り切れることもない。
俺の見立てでは、恐らく2000m地点で…逆噴射が起きる。
その状態で、後方から迫ってくる…
無理だ。
────────とは、考えなかった。
「……くっ!ファルコン…!!」
俺は観客席の、彼女が走ってくるであろう、そして恐らくはタレてしまうであろう最終コーナーのほうへ走り出した。
諦めるわけにはいかない。
彼女の勝利を、欠片も諦めてはいけない。
それは、俺がトレーナーだから。
トレーナーが、自分の担当するウマ娘の勝利を諦めたら終わりだ。
レース前に、俺はファルコンになんて声をかけた?
俺は、どうしてトレーナーをしているんだ?
ファルコンは、なんであんなに一生懸命に走っていると思ってる?
勝つためだ。
そして、ファルコンが勝つと、俺は信じるといったんだ。
だったら最後まで俺も諦めない。
まだ彼女は先頭を走っている。
決着はついていない。
彼女は諦めていない。
「ファルコン…!諦めるなよ、絶対に…!」
レースに絶対はない。
それは、彼女らの走る世界を知るものが必ず耳にする言葉。
そして、レースから
彼女らウマ娘が、勝利を
俺も、諦めない。
「ファルコン……!!!」
他の4人の監督という立場はその時の俺の頭から吹き飛んでいた。
今はただ、この異国の地で苦しんでいるファルコンのために。
たとえ意味がなくても、俺が出来ることを、すべて。
────────────────
────────────────
はぁ。
はぁ、はぁ、はぁ。
はぁ、はぁ、はぁ────────はぁ、は。
息が、つけない。
後ろから迫ってきた、領域からは逃げた。
けど、その代わり。
息が、入れられない。
はぁ、はぁ、はぁ。
頭が、回らない。
酸素が、足りない。
脚が、つらい。
はぁ、はぁ
周囲の色が、落ちる。
まるで、白黒の世界に迷い込んだよう。
目が、かすむ。
はぁ
いきをするのが
くるしい
は
────────もう、なんにもきこえない。