『…決まったな』
オベイユアマスターは、貴賓席から見下ろすレース展開、その1200mを越えたあたりの地点でこのレースの勝者を確信した。
マジェスティックプリンスの勝ちだ。
先ほどまでは、先頭を走るスマートファルコンが領域に呑み込まれておらず、さらに自身も領域に入ったことでまだ勝敗はわからなかった。
しかしそのすぐ後に、マジェスティックプリンスが己の領域を前方に移動。
これにはオベイユアマスターも驚愕を覚えた。
そうして、その迫りくる領域の範囲から逃げるために、スマートファルコンはさらに加速をして、なんと無事に逃げおおせて見せた。
その加速は賞賛されるべきであろう。
スタートで加速し、中盤でも加速し、そしてその加速のすぐ後にさらに後続と距離を開けたのである。
相当な鍛錬と、実力がないとできない。彼女も間違いなく一流のウマ娘だ。
だが。
その加速は、滅びの一手。
それをしてしまったがゆえに、絶対に最後まで脚が持たない。
『…終わりね。サンデー、残念だったね。君が気にかけていた隼も、どうやら厳しいようだ』
隣に座る、先ほどから一言も言葉を発していないサンデーサイレンスにオベイユアマスターは声をかけた。
レース前に彼女は日本から来た砂の隼に興味がある、と言っていた。
もちろん、自分も彼女のことは応援していた。つい先ほどレース場内を案内した仲でもあるし、友人たちからも応援されているウマ娘である。
遥々海外のGⅠレースにやってきて、勝利の為に努力する姿に己を重ねていたことも否定はしない。
だが、現実とは残酷なものである。
1500mを越えてもなおまだその脚は陰りを見せないが…2000m、そこまで持てば奇跡だろう。
2412mは、走破し得ない。
『………まだわからないわ』
『おや、意外な言葉だ。サンデー、貴方は結構現実主義な方だと思っていたが』
『現実主義?私が?…巫山戯た口を利かないでよね』
サンデーサイレンスから唐突に返ってきた言葉にオベイユアマスターは軽口を返すと、彼女の気性難が発動しかけて藪蛇だったかと言葉を切る。
しかし、言葉の意味そのものは本当に珍しいものだ。
確かにレースに絶対はない。だが、今の状況は彼女ほどの有力ウマ娘であるならばその後の展開も察するところだろう。
スマートファルコンは堕ちて、マジェスティックプリンスが差し切って一着だ。
恐らくレースを見ている観客、そのすべてがそう思っている。
実況でさえも、スマートファルコンは厳しいと叫んでいる。
だが、サンデーサイレンスはそれでもわからないという。
彼女なりに、何かしらここから動く可能性を読み取っているのだろうか?
『……何かあるって言うの?この先に』
『あるわ。…私達ウマ娘は、奇跡を起こせるのだから。それが、彼女と彼に出来るのか…』
続いて彼女から出た言葉は、奇跡ときた。
その言葉を、オベイユアマスターは快く思わない。
奇跡、などという都合のいい言葉を唾棄して、情報を求め対策することが彼女の走りそのものだから。
『奇跡…ね。そんなものが、この世界にあると思う?』
『あるわ。私の周りに、いつも』
『………キメてる?』
『蹴られたいの?』
どうにも勘違いをしていたようだ。
サンデーサイレンスは、だいぶスピリチュアルな表現を好むウマ娘らしい。
であればこの応酬は分が悪い。オベイユアマスターは、肩を竦めて両掌をサンデーサイレンスに見せて、お手上げと意思表示をした。
しかし、その間もレースは止まらない。
もう間もなく、2000mにスマートファルコンが差し掛かるころ。
なんと、彼女はあれほど脚を使った状態でも、2000mまで減速せずに走り続けていた。
しかしその表情、息遣いを見ればわかる。
────────限界だ。
(なにか、起きるって言うの?ここから…)
オベイユアマスターは、サンデーサイレンスのいう『奇跡』がこれから起きるのかと、最終直線に向かう彼女たちを改めて注視した。
────────────────
────────────────
くるしい。
くるしい。
足が、もううごかない。
もう、止まってしまいそう。
でも、負けたくない。
勝ちたい。
この、ダートで。
勝ちたい。
だけど、
もう、
限界。
(…むり、かな)
そんな、よわい考えが。
胸の内に。
ふと、生まれて。
だめかな。
ここまで、がんばった、けど。
もう、限界。
ゆるして、くれる、よね。
(────────ここで)
あしを
とめても
きっと────────────────
────────────────
────────────────
「────────ファルコンっっ!!!!!」
「頑張れ!!!諦めるなッ!!!!!」
「そのまま行けぇーーーーーーッ!!!!!!」
────────────────
────────────────
──────あしが、かるくなった。
コーナーの、むこうから、あの人の、声が。
声が、聞こえて。
(……!)
世界が、あの人を中心に、色が戻って。
(…トレーナー、さん…!!)
息が戻る。
意識が、戻る。
いや。
──────────────
広がる。
彼から広がったその色は、更に明るく光を放ち。
そうして眩しく、世界を照らして。
私の意識は、それに溶けて───────
────────────────
────────────────
『ハハハハハ!!ハハハハハハハ!!!』
サンデーサイレンスは、貴賓席に響くような高笑いを上げていた。
それをオベイユアマスターは、見ていなかった。
見れなかった。
レースから、目が離せなかった。
『至ったわ!流石よあの子!流石は彼!至った!ああ、ようやく
ひとしきり笑い終えて、ふぅ、とサンデーサイレンスが息をつき、レースを見る。
スマートファルコンが。
2000mを越え、限界を迎えた、その直後。
『…ようこそ』
サンデーサイレンスは、愛しいものを見るような眼で、スマートファルコンを見た。
『────────【ゼロの領域】へ』
────────────────
───────────────
──────────────
─────────────
────────────
───────────
──────────
─────────
────────
───────
──────
─────
────
───
──
─
そこは一面の砂。
前も後ろもない。
地平線まで続く砂の光景、その大地にスマートファルコンは立っていた。
誰もいない。
夢遊病の様に、意識はふわふわと重さを持たない。
その光景の中で、スマートファルコンは理解する。
ああ。
魂の空間。
この一面の砂を、魂が覚えている。
魂の原風景。
その中で、スマートファルコンの目の前に光る何かがあった。
形を持たない何かの光。
その形を、スマートファルコンは認識することはできない。
だが、
これは
私の魂、そのもの。
その光が、荒ぶっている。
輝きを強く、まるで燃え上がる炎の様に、昂っている。
────────ふざけるな。
────────砂で、
────────俺は、世界の砂の
そう、叫んでいた。
(わかるよ)
スマートファルコンは、その魂の想いを受け入れる。
手を伸ばす。
その魂の輝きに、手を伸ばして……自分の、魂のその叫びを受け入れた。
一つになる。
ウマ娘という存在と、魂という存在が一つになり。
そして。
─────────────奇跡へと、至る。
─
──
───
────
─────
──────
───────
────────
─────────
──────────
───────────
────────────
─────────────
──────────────
───────────────
────────────────
最終コーナー手前で己の領域を閉じ、そうして蓄えたスピードを乗せて残り600m地点からマジェスティックプリンスが加速を繰り出していた。
このベルモントステークスを攻略するうえで最適な位置からの加速。
無論その加速は、領域の効果も相まってすさまじい豪脚を誇り、見る間に後ろのウマ娘との距離を開けていく。
(……!……!??ッ!?!?!?)
しかしその表情が、優れない。
なぜならば、彼女の眼前。
(スマートファルコンは、どこだ!?もうコーナーを曲がり終えたのか!??!)
ありえない。
在り得ないのだ。
彼女は、ここで堕ちて来ているはずなのだ。
そうでなければおかしい。
彼女は限界を超えて加速し、2000mより手前でスタミナが切れて逆噴射をするはずなのだ。
いや、逆噴射という表現まで行かなくとも、速度を落として、コーナー手前で少なくとも視界に入らなければおかしい。
(何が!?何が起きているッ!?何が────────ッッ!?!?)
そうして焦燥感と共にコーナーを曲がり終えて。
ゴール板までの、400mの直線に差し掛かったマジェスティックプリンスは。
ようやく、スマートファルコンを見つけた。
「─────F○○○!!!!」
更なる加速を求める。
差し切るまで、もう時間がない。
ずっと先を走る彼女も、また限界のはず。
だが。
その距離が、
いや────────
「………ハハッ」
そうして、全力で駆け抜けながら、マジェスティックプリンスは乾いた笑みを零した。
ああ。
なんだ。
これは、
まったく、随分な悪夢じゃないか。
確か昨日は、きちんと夕食を取って、シャワーも浴びて温まり、そうして寝る前にサンデーサブトレーナーのマッサージを受けて、ベッドに入ったはず。
であれば、熟睡の中でこんな悪夢を見てしまっているのだろう。
早く起きないと。
今日は私が三冠ウマ娘になる、大切なレースの日なんだ。
早く目を覚まして、朝食を取って、ウォーミングアップをして、レースに備えないと。
だから、頼むから。
早く鳴ってくれ。
この、ポンコツ目覚まし時計。
『───────今!!!日本から来た砂の隼がッッ!!!』
『一着でゴーーーーーーーーーーーーーーーーールッッ!!!!』
しかし、そんな現実逃避を始めた彼女の耳に入ってきたのは。
残り100m地点を過ぎたあたりで鳴り響く、実況の煩わしい声と。
まるで世界が爆発したかのような、ベルモントパークレース場に響く大歓声だけだった。
────────────────
────────────────
「────────ぜ、ッ」
スマートファルコンは、己が……どこを、走っていたのかを、思いだすのに時間を要した。
極限の集中状態を超えた何か。
そこに、自分の意識が飛んでいた。
大歓声と、己の横を過ぎるゴール板を自覚した瞬間に、意識は戻ってきて。
そうして、次の瞬間に凄まじい疲労が彼女を襲った。
「!?!??っ、げほ、おぇ…!!」
吐きそうだ。
だがウマドルたる自分が外国のレース場を汚すわけにはいかない。
気合で堪えて、しかしクールダウンの為に走る足が残っているはずもなく、ゴールした後自然に流した走りの後に、糸が切れるように、前のめりに倒れそうになったところで。
「─────ファルコンさんっ!!」
「─────ファル子ちゃん!!大丈夫!?」
同じチームメイトである、親友の二人が己の体を支えてくれた。
「……か、はー……あ、フラッシュ、さん…アイネス、さん……」
「ファルコンさん!?しっかりしてください!」
「酸素ボンベ持ってきたの!!焦らないで、ゆっくり…!」
アイネスが手ずから口元につけてくれた携帯型の酸素ボンベで、ゆっくりとスマートファルコンが呼吸を始める。
何度かむせながらも、少しずつ、本当に少しずつ……呼吸が戻ってきた。
意識が、回り始める。
「……はぁー……ふぅー……あ、私……どうなった、の…?」
「どうなったもこうなったもありません!!ファルコンさん、一着でした!!お見事な…本当にお見事なっ、走りを…!」
「すごかったの!!最後、絶対落ちると思ったのにそこから加速して…!!」
二人とも、スマートファルコンの走りを見て感涙をしていたようで、何度も涙をぬぐう。
そうして追いかけてくるようにサイレンススズカとタイキシャトルもやってきて、スマートファルコンをいたわった。
「ファルコン先輩…!おめでとうございます!!」
「ファルコーン!!イッツァグレイト!!素晴らしい走りでしタ!!!」
二人からも祝福の言葉をかけられ、スマートファルコンもようやく自分が一着を取ったことを自覚した。
しかし、どうやって勝ったのだろう。
覚えていない。
道中、とてもつらくて……そして、途中で、トレーナーさんの声が聞こえたことだけは覚えていて…あれ?
「…トレーナーさん、どこ?」
「あ、それは…」
今この場に自分のトレーナーがいないことに気づいて、スマートファルコンは首を傾げた。
それにフラッシュが答えようとした、
その、瞬間。
絶叫ともとれる大歓声が、全ての観客からぶちまけられた。
────────────────
────────────────
ベルモントパークレース場の、ここは裏方。
レースの記録や情報などを表示する、電光掲示板の裏。
スタッフたちは、今回のレースの、この結果を、
どうする。
出すのか。
いやしかし。
今なら…。
莫迦野郎。
生放送もあるんだぞ。
全国民が見ている。
不正はできない。
────日本から来た隼を、称えよう。
そうして最高責任者の鶴の一声で、係の者が掲示板に入力した数字を乗せる、そのボタンに手を伸ばす。
僅かな逡巡ののちに、ボタンは押されて。
そうして表示された、電光掲示板に乗った文字は。
────────────────
────────────────
「はぁ、はぁ…!はぁ……!!」
俺は走っていた。
観客席を超えてその外側を縫うようにして、愛バの元へと駆けつけるために。
レースの、その最終コーナーで。
俺は足を止めそうになる寸前のファルコンに檄を飛ばした。
トレーナーに出来る最後の一仕事。
走るウマ娘を、全力で応援すること。
しかし、この世界線では今までそれをしてこなかった。
する機会に恵まれていなかった。
いや、もちろん応援の声は飛ばしている。愛バを応援するのは当然のことだ。
だが、ここまで一人のウマ娘の名前を、勝利を願い、奇跡を信じて、全力で叫んだことはなかった。
阪神でも、朝日杯でも、二人は心配のない強い走りで駆け抜けた。
ホープフルでは、アクシデントに見舞われそれどころではなかった。
桜花賞でもアイネスは強い走りだった。
皐月賞では、二人が鎬を削りあう中でどちらかを全力で応援することもできず、ただ見守るだけだった。
ダービーでも同じだ。
だからこそ、俺の今日の全力の応援は、おおよそ1年半と、
「はー、はー…!…くそ、やっぱすげぇなウマ娘って…!」
200mも走らないうちに息が切れてしまう、自分の人間の体の体力のなさを自覚して変な笑いが零れてきた。
いや、テンションもすっかりおかしくなっている。
ゴールを終えて、倒れそうになっていたスマートファルコンの姿を見た時は肝が冷えたが、しかしちゃんと俺の愛バたちが、スズカとタイキが助けに向かってくれていた。
俺も、彼女の勝利を褒めるために、ともに勝利の喜びを分かち合うために…また足に力を入れて、駆けだす。
そうして走っているうちに、とんでもない爆音が、大歓声が会場に生まれた。
人間でも体がビクっとするほどのそれだ。ウマ娘達の耳にはさぞかし刺激が強い事だろう。
何事だ、と俺がその原因を探るために見渡して、しかしそれはすぐにわかった。
電光掲示板。
その、レースの結果を示す表示が更新されている。
────────レコードタイムを記録していた。
同時に、このレコードは世界レコードでもある。
何故なら、このベルモントステークスで過去に叩き出されたレコードタイム「2:24:0」は世界レコード。
あの
彼女が叩き出した2:24:0というタイム。
これがどんなにすさまじい記録かは簡単に説明できる。
彼女以外に、このダート2414mで
いや、
26秒台ですら、この広い世界でたったの7人のみ。
レコードに次ぐ最速が2:26:0を記録したイージーゴア、それ以降はそのタイムにすら及ぶウマ娘がいない。
ベルモントステークスの1着の平均タイムは28秒台。
その、不滅のレコードを、0.1秒更新した。
スマートファルコンが世界にその速さを刻んだ。
砂において隼が最速であることを証明した。
「~~~~~~~っっ!!!!」
涙が止まらない。
号泣し、にじむ視界の中で、ホープフルステークスの時のフラッシュの様にラチを頼りに何とか前に走る。
オニャンコポンも俺の肩にしっかりとしがみついて、落ちないように堪えてくれている。
あと、100m。
「…ファルコン!!!」
俺は愛バの名前を叫ぶ。
「トレーナーさんっ!!!」
ファルコンが、俺に叫び返してくれる。
そうして、走ってきた疲労と、感動の涙でぐっちゃぐちゃの表情で、俺は彼女にたどり着いて。
その体を、両腕で思いっきり抱きしめた。
「やったな…やったな、ファルコン…!!」
「うんっ!!うん、私、やったよ…!!勝てたよ、トレーナーさん!!!」
スマートファルコンは、世界に名を轟かせる。
ベルモントステークス、一着。
神話のレコード、更新。
こうして、俺たちの初の海外挑戦は、最高の栄誉を勝ち取るという結果となった。